九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

東海放送人のブログより

2008年08月29日 16時22分56秒 | Weblog
大西五郎さんの記事を転載します。 落石

朝日新聞が8月14日から5回に亘って「二つの戦後」という連載行いました。
その第1回で連載開始の理由を「イラク戦争から5度目の夏になる。
日本はイラクへ自衛隊を派遣し、クウェートを拠点にした空輸活動が今も続く。
戦争とどう向き合うのか。間もなく63回目の終戦記念日。
『二つの戦後』の足元をみる」と述べています。

1回目と2回目は、イラク戦争に従軍した若い海兵隊員の男女の「戦後」と、
かつて中国大陸で戦い、捕虜を殺す現場に立ち会った人の戦後も引きづる
心の痛みの話でした。
読んでいて重要なことに気付きました。
アメリカで海兵隊員のリクルートに白人の貧困層やヒスパニック系の応募が多く、
「奨学金で大学に行ける」というリクルーターの言葉に促がされて
海兵隊に入隊(イラクの戦地に行く)するという事実です。

たまたまNHKのラジオ深夜便が[戦争インタビュー]と
いうシリーズを放送していましたが、
その中で15日(正確には16日午前1時)から
「高度4000メートルの別れ」という、元海軍飛行機関士へのインタビューが
放送されました。
海軍に「桜花隊」という特攻隊がありました。
人間魚雷といわれた回天に翼を付けたような「桜花」と
いうプロペラを持たない飛行機を、
大型機が吊り下げて敵艦近くまで行って切り離し、
「桜花」が3本の小型ロケット推進で敵艦めがけて突っ込んでいくという話です。
この話をした人は「桜花」を吊り下げる大型機に乗り組み、
上空で特攻兵が「桜花」に乗り組むのを手伝って、
往ったら還らぬ隊員と別れたときのことを証言してくれました。

この人は、徴兵を待たずに海軍飛行隊に志願して入隊したということですが、
その入隊の動機を「当時は私ら農家の次・三男は、
警察に行くか兵隊になるかしかなかった。私しゃ軍隊を選んだ」と言っていました。
疲弊した農村が兵士の供給源になっていたということですね。
この話と現在のアメリカでの海兵隊リクルートの話との符合に胸を塞がれました。
これは過去の日本の話でも、アメリカだけの話でもないと思いました。
現在の日本では、「丸山真男をひっぱたきたい。31歳フリーター
 希望は戦争」という論座に掲載された文章が話題を呼んでいます。
「希望は戦争」は逆説としても、これが一部の人には同感をもって
話題として広がっていく社会的背景が、今の日本にはあるということです。

この二つの報道は、貧困と戦争ということを深く考えるべきことを
教えてくれました。


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ワイスさんへ、最近のグランパス  文科系

2008年08月29日 11時40分57秒 | Weblog
この文章は、昨日の拙稿へのコメントにお答えしたものです。コメントのつもりで書きましたが、かなり大切なことを書きましたし、投稿にしました。


ワイスさんへ

「ピクシー魔術」とは、チーム戦略の彼流のシンプルな整理のこと。今期のグランパスについて専門家はみなこう言います。
「何も難しいことは要求していないが、要求した組織原則には厳しい」
「個人批判をめったにしないが、原則乱しのプレーへの批判は、非常に厳しい」

そのチーム戦略とは、こんなことでしょう。「攻撃的守備」、そのための「高目の浅くて横に長い陣形」、「サイド攻撃」などです。最近になって以下のような大きい変化もありました。守備の玉際をますます厳しくしてきたし、サイド攻撃にサイド・チェンジを増やしたし、クサビ・中央突破も増えてきています。

選手の個人的資質として特に欠かせないのは、以下でしょう。
ヨンセンのポストプレーと玉田のアジリティー。小川・竹内・阿部のクロス。両ボランチの厳しいタックル。センターバックの屈強さ。

それにしてもまー、良いチームに育ったものでして、先が楽しみです。選手層が凄く厚くなって、個人負担も減っていますし。浦和ではトゥーリオ、鹿島では小笠原、ガンバでは遠藤が抜けたら、即自信喪失ですけどね。名古屋ではヨンセンが抜けても巻でなんとかなるでしょうし、玉田には杉本、中村には吉村(山口)でなんとかなるでしょう。チームで闘うその形がシンプルでしっかりしているから、誰が入っても同じ役割をそこそこ果たせると、そう見ているのです。

ナビスコカップの大分戦が凄く楽しみです。あーいう特別なチームから2点取れれば、ますます本物だ。2点でなく、1対0でもよいのですが。

9月にはガンバ戦と浦和戦も!! 28日浦和戦は瑞穂に行きます。もう安いチケットはないみたいですよ。
コメント (2)
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「アフガンにおけるNGO邦人射殺事件の衝撃 」     天木ブログより

2008年08月29日 01時18分53秒 | Weblog
アフガンで起きたNGO邦人射殺事件についてコメントを求められる。

 しかし私は多くを語らない。

 私が語る事はただ一つ。

 小泉元首相が世界に胸を張って公言した「米国のテロとの戦いへの協力」の重いツケが、はじめて国民に突きつけられたということだ。

 そして、そのツケはこれから雪崩を打つように日本全体に押し寄せてくることになる。

 そういうコメントすれば歓迎されない。メディアは腰を引く。そんなコメントは取り上げない。

 メディアに流されるコメントは、命をかけたNGO職員の崇高さをたたえ、その命を奪ったテロを許さないとするものだ。それでも日本はテロとの戦いにひるんではいけない、とするものだ。

 中東専門家と称する人々が、この種の事件が起きるたびにメディアに担ぎ出され、アフガンの治安状況や犯人の意図などをしたり顔して語る。

 メディアはその解説を流して問題の複雑さを強調し、視聴者はそんなものか、大変だ、と分かったような、分からないような気になって、やがて忘れていく。

 政治記者はこれを政局と結びつけて、新テロ給油法に与える影響やアフガン復興支援継続についての自公政権の対応について書き、対米協力が語られる時には決まって噴出する民主党の内部対立を騒ぎ立てる。

 もはやそのような繰り返しは許されない。

 日本はどうすればいいのか真剣に議論しその態度を決める事だ。

 政府・与党が自らの間違いを認めるわけがない。メディアもそれを認めないし、野党も追及不足で終わる。

 結局は今までどおりになる。

 しかし、それは根拠なき選択だ。現状認識が欠如している選択だ。みんな認識不足なのである。

 もっと正確に言えば、なるようにしかならない、という無責任さであり、いまさらどうにもならないという無力感である。

 日本の正しい選択は一つしかない。

 米国のテロとの戦いに無条件で追従してきた誤りを潔く認め、これを好機に、米国とのテロとの戦いからきっぱりと決別宣言を行なう事だ。

 平和憲法9条の原点に戻り、紛争を軍事力で解決する事の限界を指摘し、米・ロをはじめとして世界の軍事大国にそれを訴える事だ。

 そういう日本の自主、平和外交を、これをきっかけに世界に宣言をすることである。

 殺されたNGO職員には多数の射撃傷があったという。

 タリバンは犯行声明を出して、外国人が一人残らず撤退するまで殺し続けると言ったという。

 それは狂気だ。

 しかし、その狂気をもたらしたものこそ戦争である。

 米国はテロを一人残らず根絶すると公言して大量殺戮を繰返してきた。世界はそれを放置してきた。

 殺されるものが抵抗するのは当たり前だ。殺されるぐらいなら一人でも多くの敵を殺して死ぬ、そう考えるものを我々は非難できるのか。

 非難さるべきは戦争である。それを誰よりも繰返してきた米国である。

 その米国から決別し、自主、自立した平和外交を取り戻す。

 この当たり前の事を本気で言うものが出てこない日本の現状を憂える。

 NGO職員が殺された責任は、もとより米国の戦争に加担した自公政権にある。

 それを追認したメディアにある。

 自公政権の戦争加担を止められなかった野党にある。

 それら政治家やメディアを許してきた国民にある。

 そして、それはまた、「私を含め、情勢に対する認識が甘かった」と悔やむペシャワール会の中村医師らNGO幹部にもある。

 NGO職員の死は日本国民の責任だ。

 今からでも遅くない。これをきっかけに、米国のテロとの戦いの誤りを騒ぎ立てるべきだ。

 米国の中東政策の誤りを騒ぎ立てるべきだ。

 そしてこれ以上米国の戦争に協力していくことの愚かさを、われわれは素直に認めるべきである。

 それこそが、それだけが、NGO職員伊藤和也の死に報いる事である。

(天木ファン) 

コメント (2)
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