11月24日投稿の随筆「年をとった」でこう書いた。
「長年、不整脈をおして、これを管理しつつ走っていたが、とうとう走れなくなって、2ヶ月も様子を見ている。筋肉が弱くならない程度に未練ったらしく階段のぼりなどをしつつ」
28日投稿の「天にも昇る気持ち」では、こう書いた。
「2ヶ月ぶりくらいに走ったが、異常が出なかった。ウオームアップに以前の4倍ほどの時間をかければ何とかなると分かった。歩いたり走ったりの末に40分走り通せて、1時間のその合計7.3キロ。2年前の1時間最大限12キロに比べれば雀の涙だが、『天にも昇る気持』!」
さて、昨日は怖々と1週間ぶり、再開後2回目のラン。またまた慎重に20分ほどのアップから始めた。階段登りは4日前に140往復(18階段、合計約50分)ほどをやっているから体力には不安はない。膝もフクラハギも痛めはしないだろう。問題は心臓だ。
トレッドミルで歩行など10分~15分ほどのアップを続けた。以前より汗が出にくいのは、悪い兆候か、それとも良い徴なのか。とにかく、いろんなことが心配になる。
結果は、とても良い兆候だったと後で分かった。
65分で8キロ。心臓が無理をしていないからこのスピードでは汗が少なかったということなのである。事後の疲労も前回とは全く違う。更衣室への、あるいはジム帰りの階段登りによって、その日の疲労度が分かるのである。脚も前回よりもずいぶん軽いし、なによりも心臓疲れからくる運動後の息切れのようなものがない。2ヶ月ぶりにたった1回走っただけで2回目の今日、この前進。まだまだ取り戻せると、根拠のある希望が生まれてきた。
今日も最高は時速9キロ(前回は8.2キロ)まで走っているし、最高心拍は155(同145)ぐらいまで行った。再開後わずか2回目でこの前進なのだから、異常が起こらなければ、1ヶ月後には時に時速10キロも可能だろう。問題は1時間の走行距離だが、当面せめて9キロを目指そう。
不整脈に負けて、体力低下との悪循環から、何もなかったような老後を送った父を見ていて、それを迎え撃とうと思った。思えばいつもじり貧を避ける、荒療治のような生活だったなーとも振り返ることができる。30歳前に椎間板ヘルニアの大手術をして、その再発を防ぐために運動を心がけてきた。それが僕の原点で、一病息災、今のランニングにつながっているのだ。
血液の回りが良くなったせいか、2時間ギターを弾き通しても最近起こる肩こりが、以前に戻ったようになくなった。今日は先生のレッスン、今から2時間、元気に練習だ。