東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)
沖縄で見えてくるもの
そういうわけで、自衛隊は憲法違反という判決を聞いて
感激もしたけどある種の脱力感も持っていた。
その脱力感を持っていた自分が打ちのめされたのは
それから約28年ぐらい経ちました2002年のことです。
何があったかと言いますと、憲法改正すべきかどうかが国会で議論になり、
衆参両院に調査会が出来ました。
衆議院の憲法調査会は中山太郎さんというお医者さんが委員長で、
両論併記みたいな意見にまとめたんですが、
その意見の議論で、各地で公聴会をやりました。
その一環として沖縄にも行って、沖縄の人たちの意見も聴いたんですね。
ここで沖縄と憲法の関係を少し説明しておきます。
沖縄の県民は日本国憲法の制定に関わってないんです。
憲法が出来たときには本土返還されてませんから、
国会に議員を送ってないんです。
1946年に日本国憲法が出来た時に沖縄は米軍の統治下ですから
代表が来てないんです。
沖縄の県民が日本国憲法について公式の場で意見を述べるのは、
この2002年の公聴会が初めてなんです。
それで、その沖縄でどういう意見が出たかといいますと、
本土の国会での憲法変えろという議論に対する激しい反撃でしたね。
政府は平和憲法を活かす努力をしたのか。
この憲法じゃ何にも出来ないと言ってるが、
本当に平和憲法を活かすという努力を日本政府はしてきたのか。
俺たち沖縄では日本国憲法が完全に適用されてねぇじゃねぇか。
米軍がいて、米軍が沖縄の県民を轢き殺しても逃げれば
裁判も出来ないじゃないか。
なのに憲法が古くなったから捨てるって言うの、って迫り方をする人もいました。
別の言い方で、今本土は有事法制が必要だなんて言ってるけど、
沖縄はもうとっくに有事体制に入ってるんだ。
ベトナム戦争のころから有事体制なんだ、という意見が出て、
最後は司会をしてた中山太郎さんがえらく怒っちゃうような事態にもなりました。
つづく
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)
沖縄で見えてくるもの
そういうわけで、自衛隊は憲法違反という判決を聞いて
感激もしたけどある種の脱力感も持っていた。
その脱力感を持っていた自分が打ちのめされたのは
それから約28年ぐらい経ちました2002年のことです。
何があったかと言いますと、憲法改正すべきかどうかが国会で議論になり、
衆参両院に調査会が出来ました。
衆議院の憲法調査会は中山太郎さんというお医者さんが委員長で、
両論併記みたいな意見にまとめたんですが、
その意見の議論で、各地で公聴会をやりました。
その一環として沖縄にも行って、沖縄の人たちの意見も聴いたんですね。
ここで沖縄と憲法の関係を少し説明しておきます。
沖縄の県民は日本国憲法の制定に関わってないんです。
憲法が出来たときには本土返還されてませんから、
国会に議員を送ってないんです。
1946年に日本国憲法が出来た時に沖縄は米軍の統治下ですから
代表が来てないんです。
沖縄の県民が日本国憲法について公式の場で意見を述べるのは、
この2002年の公聴会が初めてなんです。
それで、その沖縄でどういう意見が出たかといいますと、
本土の国会での憲法変えろという議論に対する激しい反撃でしたね。
政府は平和憲法を活かす努力をしたのか。
この憲法じゃ何にも出来ないと言ってるが、
本当に平和憲法を活かすという努力を日本政府はしてきたのか。
俺たち沖縄では日本国憲法が完全に適用されてねぇじゃねぇか。
米軍がいて、米軍が沖縄の県民を轢き殺しても逃げれば
裁判も出来ないじゃないか。
なのに憲法が古くなったから捨てるって言うの、って迫り方をする人もいました。
別の言い方で、今本土は有事法制が必要だなんて言ってるけど、
沖縄はもうとっくに有事体制に入ってるんだ。
ベトナム戦争のころから有事体制なんだ、という意見が出て、
最後は司会をしてた中山太郎さんがえらく怒っちゃうような事態にもなりました。
つづく