東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」⑪
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)
「はじめに旗印ありき」は疑問
問題は読売と産経の突出をジャーナリズムとしてどう見るか、という問題です。
ジャーナリズム、特に新聞なんかが、特定の意見を発表することは、
僕は決して誤りではないと思います。
ジャーナリズムとしてのメディアの主体性という意味も込めて、
きちんと意見があるなら意見を言うべきだと思います。
新聞には社説と云うそういう役割のものがあります。
例えば今度のアメリカの大統領選挙では、130紙ぐらいが、
うちの新聞はオバマを支持するとはっきり方向を出しています。
日本の新聞はめったにそんなことはやりませんけれども。
だから決して意見を明らかにすることは誤りではないと思いますが、
新聞の発行部数を利用して世論をそっちに誘導するかのような報道の仕方は
ジャーナリズムとしてどうなのか。
世の中の情勢を見ておいて、私の新聞はこっちが正しいと思いますよ
と言うのはいいけれども、
自らが憲法草案を作って、そっちの方にいろいろ引っ張って行ったりするという、
そういう運動の先頭にジャーナリズムとして立つというのは、
いかがなものか、ということで僕はたいへん大きな疑問を持っています。
それからもう一つ、それでもいろいろ考えた結果、
そっちの方角が正しいと思うからそっちに走るんだよと
いうのは未だ許せるとしても、
会社の営業政策としてそっちに走ることによって生き伸びようというのは
ジャーナリズムとしては邪道ではないか、という気がしてます。
産経新聞の幹部をしておられた青木さんというたいへん高名なジャーナリストで、
産経新聞の役員もされてた方ですが、
その回顧している文章のなかにはっきりと、
これだけ新聞の競争が激しいなかで生き残るために保守主義という旗を
掲げるのも面白いと思った、と書いておられます。
つまりこれは考え抜いた結果その結論を出したということじゃなくて、
生き残るためにその方針を出したことを面白いと思ったと
青木さんはおっしゃってるんですね。
それはちょっとジャーナリズムとしては違うんではないか、
という感じがしています。
つづく
「メディアの憲法報道を問う」⑪
(飯室勝彦中京大学教授)の続きです。(落石)
「はじめに旗印ありき」は疑問
問題は読売と産経の突出をジャーナリズムとしてどう見るか、という問題です。
ジャーナリズム、特に新聞なんかが、特定の意見を発表することは、
僕は決して誤りではないと思います。
ジャーナリズムとしてのメディアの主体性という意味も込めて、
きちんと意見があるなら意見を言うべきだと思います。
新聞には社説と云うそういう役割のものがあります。
例えば今度のアメリカの大統領選挙では、130紙ぐらいが、
うちの新聞はオバマを支持するとはっきり方向を出しています。
日本の新聞はめったにそんなことはやりませんけれども。
だから決して意見を明らかにすることは誤りではないと思いますが、
新聞の発行部数を利用して世論をそっちに誘導するかのような報道の仕方は
ジャーナリズムとしてどうなのか。
世の中の情勢を見ておいて、私の新聞はこっちが正しいと思いますよ
と言うのはいいけれども、
自らが憲法草案を作って、そっちの方にいろいろ引っ張って行ったりするという、
そういう運動の先頭にジャーナリズムとして立つというのは、
いかがなものか、ということで僕はたいへん大きな疑問を持っています。
それからもう一つ、それでもいろいろ考えた結果、
そっちの方角が正しいと思うからそっちに走るんだよと
いうのは未だ許せるとしても、
会社の営業政策としてそっちに走ることによって生き伸びようというのは
ジャーナリズムとしては邪道ではないか、という気がしてます。
産経新聞の幹部をしておられた青木さんというたいへん高名なジャーナリストで、
産経新聞の役員もされてた方ですが、
その回顧している文章のなかにはっきりと、
これだけ新聞の競争が激しいなかで生き残るために保守主義という旗を
掲げるのも面白いと思った、と書いておられます。
つまりこれは考え抜いた結果その結論を出したということじゃなくて、
生き残るためにその方針を出したことを面白いと思ったと
青木さんはおっしゃってるんですね。
それはちょっとジャーナリズムとしては違うんではないか、
という感じがしています。
つづく