九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

続ける気になった記事でした。      まもる

2008年12月26日 11時01分46秒 | 国内政治・経済・社会問題
  私は退職後の時間の幾ばくかを自分の趣味以外にも使おうと思っていていました。孫の誕生を契機に自分たちが六十年間享受した平和が百年二百年続けばと考えるようになりました。  しかし孫たちの生きる未来の日本や世界はどう考えても戦争が今よりもっと色濃く影を落とすように思えてなりませんでした。そんな訳で何かが少しは出来るだろうと平和・護憲の運動に首を突っ込みました。
 微力だが無力ではないはず、老人社会と呼ばれ何か肩身の狭い世の中も、若者たちの未来の平和に尽くせれば使命感を持って生きられます。そんな気持ちで活動していたのですが、対人関係で嫌になったり、理解されにくいと無力感に襲われたり、マンネリで広がらなかったりしていたそんな時に、落石さんの紹介で

 東海放送人九条の会 2周年記念講演。「メディアの憲法報道を問う」(飯室勝彦中京大学教授)を読ませていただいて大変勇気づけられ勉強にもなりましたし、焦らずマイペースでいこうと思えるようになりました。そして今回の

 『いろいろ憲法に関しては格言風な台詞がありますよね。「憲法は時代の道しるべ」道標だから道に迷ったときには道標に従って進むのが当たり前であって、この道標を勝手に書き換えようっていうのはおかしいんじゃないの、という姿勢が僕は基本だろうと思っています。』
 という、お話は誰にも語りかけ、説得できる言葉として読ませてもらいました。
 飯尾先生、ありがとうございました。
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「メディアの憲法報道を問う」最終回

2008年12月26日 09時37分44秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演。
「メディアの憲法報道を問う」
(飯室勝彦中京大学教授)の最終回です。


小さな積み重ねが未来を開く
 
とりとめもないことを話してきましたが、そうかと云って
僕は決して絶望、悲観だけはしておりません。
さきほど申し上げましたように、戦後生まれが三分の二ですから、
憲法の制定にも、憲法の熟成にも直接関わっていない人たちが三分の二です。
まして、制定の背景まではなかなか知らない。
それを僕はけしからんと云うことは出来ない。
むしろその人たちに語り掛けて行くのが我々の責任ではないのか、
という気がしています。理論だけではとても人のこころに響きません。
一つひとつの事実を積み重ねていくことによって、
若い人たちの胸を撃つことが出来ると僕は信じています。
大学でいろいろな授業をやらされているんですけれども、
ある授業では、憲法九条を方言に訳してこいなんて授業をやるんですね。
愛知県にも方言いろいろありますよね、名古屋弁、尾張弁、三河弁。
地方から来てる人も結構いるんですよ。
大分県から来てる人とか、徳島県から来てる人。
方言知らない人はおじいちゃん、おばあちゃんに訊いて訳してこい、と。
おじいちゃん、おばあちゃんに訊く過程で
昔の経験を聴いたりなんかするんですね。
そういう小さな積み重ねが将来大きく役に立ってくるではないかなぁと
いう気はしています。

若い記者たちの実践

ここではひとつだけ中日新聞東京本社にいる若い記者たちの仕事を
ご紹介したいと思います。
一昨年から去年にかけて、一部はもちろん中日新聞にも掲載されましたが、
東京新聞の若い記者たちが総タイトルは「記者が伝える戦争」で
連載記事を何回も組みました。
例えばそのものズバリ「新聞記者が語り継ぐ戦争」という連載タイトルで、
戦争の犠牲になった人たちの話を聞いて、その聞き書きを連載していったり、
戦争の傷跡が残っている場所を、モニュメントを訪ねて写真とともに紹介して、
その意味を連載していったり、
それから、憲法を歩くという連載記事で憲法問題がいろいろ起きている現場を
歩いてルポルタージュをする、
それから有識者にインタビューを次々として
「試される憲法」という連載記事をする。
これ、みんな若い人たちが自発的にやった仕事なんです。
部長がこれやれ、あれやれって指示した仕事ではありません。
憲法改正という問題が出てきましたから、
若い人たちが、こういうのやろうじゃないかと云って
自発的にやった連載なんです。
僕がもっとも感激したのは、その連載をやっていくと、
直接連載に関わっていない別の若い人たちがですね、
「私にもやらしてくれ、俺にも一本書かしてくれ」って出てきたそうです。
それを聴いたとき僕は泣きましたね。
それだけでも僕は充分だって云いました。
ですから、若い人の悪口を言うんではなくて、
若い人たちに自分たちの経験を、
つまり、今時の若いもんはと言ってるんじゃなくて、
若い者と経験を共有するということを意識することによって
憲法問題というのはやっていけるんだろう。
つまり危機を切り抜けていけるんだろうということを思ってます。

いろいろ憲法に関しては格言風な台詞がありますよね。
憲法は時代の道しるべだ、とか。
前に社説にも書いたことがあるんですけれども、
道標だから道に迷ったときには道標に従って進むのが当たり前であって、
この道標を勝手に書き換えようっていうのはおかしいんじゃないの、
という姿勢が僕は基本だろうと思っています。
失礼しました。

                  終り

とても興味あるお話でした。
「平素が肝心」という子供時代に読んだ本の
小見出しをおもいだしました。
毎日の生き様が将来を方向付けていくんですね。

飯尾先生、ありがとうございました。落石

 





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「空自撤退!勝ちとった違憲判決全国集会」の報告   

2008年12月26日 01時30分54秒 | 国内政治・経済・社会問題
 この集会のあった翌日、小牧基地で麻生総理を迎えの「イラク派遣隊旗返還式」があり、同じ時間帯にイラク訴訟全国弁護団連絡会議が記者会見をひらき、『イラクからの空自撤退に対する声明』を発表。撤退を受けた新たなたたかいへの決意を表明しました。
 
 24日には政府は、海上自衛隊の護衛艦をソマリア周辺海域に派遣する方針を固めたとのこと。
 こうした動きを抑えていくためにも、「みんなで勝ちとった違憲判決」の力を有効に生かしていく努力を続けなければならないと思います。
 以下、集会のもよう、「声明」の内容について簡単にお伝えします。
  
〓23日:全国から仲間が集いあらたなスタートにむけて思いを共有〓
 
名古屋高裁違憲判決”紙芝居”に始まった集会は、熊本から札幌まで、全国各地で裁判をたたかってきた、あるいはたたかっているメンバーによるリレートーク、西谷文和さんのイラク報告、内藤功弁護士・天木直人さん・憲法学者小林武さんをはじめ、名古屋訴訟弁護団・名古屋訴訟の会のメンバーからの提言など、充実したプログラムが目白押し。
 
市民平和訴訟および違憲判決の意義や今後の課題、また、平和を実現していくための大きな「しるべ」としての名古屋高裁判決の生かし方などについて学び、思いをあらたにしました。
 
違憲判決の出た4月17日以来およそ240日のあいだに、名古屋訴訟の原告・弁護団のみなさんを各地に招いて催された「報告会」は270回を数えたとのこと。集会参加者の多彩な顔ぶれからは、そうした広がりの手ごたえも実感でき、空自撤退完了記念日の名にふさわしい、感動的なつどいとなりました。
 
★至宝のような「提言」のなかから、わずかですがエッセンスを。
 
・裁判所の違憲判決・国会の追及・世論と運動の3つが合流して平和を求める動きが展開することが、軍事力に対する真の民主的コントロールとなる。
・名古屋高裁判決は4年間余りの努力と、恵庭・長沼など、長く粘り強いたたかいの積み重ねのうえに得られた成果。この成果を生かしていく努力をたゆみなく続けることが、やがて大きな地下水脈となって世の中を動かすことになる。
  
・人権と平和が一体のものであるということを深いところでつかみ、9条の規範と一体となって平和的生存権があるという、日本国憲法だけがもつ構造を明確にしたということが、名古屋高裁判決の最大の意義。
・この判決を導いたのは、学説ではなく訴訟運動を進め、支えてきた市民の動きであり、その動きが平和的生存権をつくってきた。「平和に生きる」ということを原点にして人権をつくっていく歩みを続け、歴史を前に進めていかねばならない。
 
・これまでの平和訴訟は組織が進めてきたという側面があったが、イラク訴訟は市民が主役となって担い、一人ひとりの思いと言葉が訴訟の内実をつくりあげ、違憲判決を勝ちとった。
・そうした力を、民主主義をしんじつ市民の手にとり戻すたたかいにも生かしていくべき。たとえば、国会での議論をうながし、国や政策の虚偽性をあばいていくさいにも、平和的生存権はわたしたちが依拠すべき大きな力をもっている。
 
・自衛隊派兵が違憲と判断されたことは、わたしたちの加害性が認定されたということ。部隊が撤退してもイラクの復興は遠く、加害が許されたわけでもない。
・真の復興支援をすること、高裁判決を生かしながら今後の派兵の動きを止めていくことなど、今後は加害者としての責任を果たしていかねばならない。
  
〓24日:全国弁護団連絡会議が名古屋で会見を開き「声明」を発表〓
 
活動開始以来、のべ3600人の隊員を動員して821回の飛行を行ない、のべ4万6500人の人員(うち3万人以上が米軍兵士)と物資673トンを輸送したC130輸送機。多国籍軍の要請で、首都バグダッドと南部アリとを結ぶ「定期便」(米軍からは「タクシー」と呼ばれていた)を新たにつくり、今年に入って週1回運航していたことも明らかにされ、空字の活動が、米軍の指揮下で兵員輸送の一角を担ってきた実態が浮き彫りになりました。
 
憲法を明らかに逸脱したそれらの活動に完全な終止符が打たれたことを受けて、24日、全国弁護団連絡会議が名古屋で会見を開き、「声明」を発表しました。
 
「声明」の骨子は以下のとおりです。
1.イラク侵略は、イラクの国土や人々に甚大な被害を与え、イラクへの自衛隊派兵は、日本国憲法の平和主義と戦後史に深い傷を残した。
 アメリカが仕掛けた侵略戦争に、日本政府が「人道復興支援」の名のもと、その実態を国会にも国民にも明らかにすることなく加担し、5年間も派兵し続けたことにたいして怒りをこめて抗議する。
 
2.イラク訴訟は、全国で11地裁・14訴訟(原告数5700名・代理人数800名)という、戦後最大の憲法訴訟に発展。敗訴判決の中にも前進の芽を見出し、着実な積み上げによって4月17日の名古屋高裁の違憲判決を勝ち取った。
 
3.多国籍軍兵士の輸送活動を憲法9条1項に違反するとし、前文の平和的生存権を、すべての基本的人権の基礎にある「基底的権利」であると位置づけ、「裁判所に法的措置の発動を請求しうる」とした名古屋高裁判決は、平和と人権の不可分な関係を明らかにし、国民が政府の戦争政策に反対してたたかう強力な法的論拠を与えた。
 
4.名古屋違憲判決は、平和を願う多くの市民に勇気と大きな希望を与え、国内外における市民のたたかいや憲法を守り活かす運動に生かされ、イラクからの自衛隊撤退を実現した。
 
5.自衛隊の撤収が実現したいま、以下のことを確認し、さらなるたたかいの決意を表明する。
(1)自衛隊の海外派兵に対する違憲判断を下した唯一の高裁判決の意義と、全国各地の訴訟の経験を、あらゆる機会に訴えていく。
(2)係属中の裁判の勝利のために全力をあげる。
(3)確定した名古屋高裁判決を武器に、「情報保全隊の国民監視活動差止訴訟」「自衛隊員の人権訴訟」「基地住民訴訟」など、平和的生存権の見地から新たな闘いを展開する。
(4)イラク戦争・侵略の違法性の議論と検証、違法な戦争に加担した自衛隊の活動実態に関する徹底した情報開示と検証を求めていく。 
(5)イラクの市民に対して、軍事によらない支援など、戦争加害国の国民としての責任を果たしていく。
(6)日本は「アフガン戦争」に海上自衛隊によるインド洋給油で「参戦」をしているが、本土派兵や海外派兵恒久法の制定の動きを抑制し、政府が再び過ちをくり返さぬよう全力をあげる。
(7)政府は竹内行夫元外務事務次官を最高裁裁判官に任命したが、これが三権分立の原理に反する任命であることを厳しく批判し、きたる国民審査で不信任票を投ずるよう国民に訴える。 
   
★この集会の感想を主催者の一人近藤ゆり子さんが 「勝ち取った判決を皆でかみしめたから12月23日は平和記念日」と有名サラダ記念日をもじって表現していた。
★報告に当たっては「しなやかな平和のつばさ-武力は無力!平和に生きよう笑顔のネット♪メールマガジン 2008年12月25日号を参照しました。(まもる)

                  




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天皇制は本当に定着しているのか? 同感です。     ネット虫

2008年12月26日 00時00分15秒 | Weblog
★私の参加する平和の結集のグループメールに大分の東本高志さんが、現在天皇制が国民の大半に支持され定着しているという議論に次のような反論を載せています。同感しました紹介します。
********************************************************************

Sさん

古代、中世、近世、近代と続く天皇制のコスモロジーの読解の問題はさておき、象徴天皇制の問題を民主主義の問題として考えようとするとき、日本国憲法第1章に規定される象徴天皇制は、同憲法前文に規定される国民主権、同第14条に規定される法の下の平等とは明らかに異質の概念です。象徴天皇制と民主主義の概念は相容れません。Sさんがご自身を「天皇制廃止論者」と位置づけるとき、そうした判断があるものと思います。そうだとして、このご判断に私は同意します。

しかし、Sさんがご自身を「かつ天皇家賛美論者」である、と位置づけようとするあなたの一種の矜持のようなものには私は同意できません。Sさんのそうした自矜の根底には「象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる」という現状分析とご判断がおそらくあるのでしょう。たしかに象徴天皇制に関する各種の世論調査を見ると象徴天皇制支持は多数派を占め、一見「象徴天皇制は広く国民になじんでいる」かのように見えます(たとえば1986年の朝日新聞社の全国世論調査では回答者の84パーセントが象徴天皇制を支持しています)。

しかし、私は、こうしたマスメディアの世論調査は、社会学でいうところの擬似環境(pseudo-environment)、人々が各自の頭の中に描いている環境についてのイメージ、マスメディアによって操作されやすいステレオタイプ化された環境像の反映にすぎず、そういう意味で形骸化された「世論」というべきものであって、真の現実環境(real environment)を反映したものとは必ずしもいえないように思います(W.リップマン『世論』)。

天皇誕生の日、私は天皇問題を考えるある市民集会に参加したのですが、ここで私の友人の50代の女性が次のように語っていたのが印象的でした。この女性は私の住まう県下でも最も高齢化率の高い村落の在住者なのですが、この女性が言うには、ある日、その村落の老婆3人と山に野良仕事に出かけたとき、その老婆たちは、敗戦のとき進駐軍の捜索を恐れて各自の家の居間に飾っていた天皇の御真影をこの山で焼き捨てたことを思い出したように語ったというのです。

仮定の話ですが、戦前に絶対天皇制に関する世論調査があったとして(そんな不敬があるはずもありませんんが)、その支持率はおそらく100パーセントに上るでしょうし、上らざるをえな
かったでしょう。しかし、「皇祖皇宗」の天皇家も、庶民にとっては所詮はこの程度の存在でしかなかった、とはその女性の言なのでした。

「象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる」というけれども、いまももしかしたら同じようなことはいえないでしょうか?

私は終戦直後に書いた坂口安吾の次のような志言に満腔の賛意を感じます。

「人間の値打というものは、実質的なものだ。天皇という虚名によって、人間そのものゝ真実の尊敬をうけることはできないもので、天皇陛下が生物学者として真に偉大であるならば、生物学者として偉大なのであり、天皇ということゝは関係がない。況(いわ)んや、生物学者としてさのみではないが、天皇の素人芸としては、というような意味の過大評価は、哀れ、まずしい話である。/天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、たゞ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない」
(『天皇陛下にさゝぐる言葉』1948年)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42818_26242.html


東本高志@大分
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