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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「貧困大国アメリカ」の堤未果氏による公開特別講演会のご案内

2009年06月01日 17時23分28秒 | Weblog
名古屋アメリカ研究会公開特別講演会

アメリカ合衆国は変われるか? ~『貧困大国アメリカ』著者 堤 未果 氏が語る~

日時: 2009年6月6日(土) 13:00~14:30 (12:30 開場)
会場: 金城学院大学ランドルフ記念講堂(名鉄瀬戸線「大森・」金城大学前」下車)
    (場所につきましては下記を参照下さい)
     http://www.kinjo-u.ac.jp/contents/campusmap.html

司会: 藤本 博 氏 (南山大学外国語学部英米学科教授)

G.W.ブッシュ政権下のアメリカ社会ではイラク戦争の資金作りのために社会保障政策を縮小し、貧困層に転落した人々が社会の底辺から抜け出せないというシステムを作り出したと言われています。「CHANGE」を掲げるオバマ大統領はどのようにアメリカ合衆国を変えていくのでしょうか。アメリカ合衆国で生活経験のある堤 未果氏に市民の目線からオバマ政権下のアメリカ合衆国の現状、また今後の日米関係を語っていただきます。

参加費: 学生 500円  一般 1000円


(岩中 美保子)
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一皮剥けた日本サッカー、どこが?  文科系

2009年06月01日 16時14分27秒 | スポーツ
代表の2ゲームを見て、前進点をきっちりと自分にも確認しておきたいと思った。確認にもいろいろあるが、最も全面的かつ根本的にやっておきたい。サッカーそのものの全面を見て、かつその根本からという積もりである。僕がいろいろな本を読んだりして勉強してきた観戦入門のつもりでもある。

①まずボール保持率の力。オシムと岡田が最も営々と築き上げてきたものであり、日本のこの力は今や、世界10番目ほどではないかとさえ思う。
サッカーにおけるこの根本的な大切さは次のことで分かる。力に差が大きい2チームが対戦する時、一方がボールを取れず、攻めっぱなしにされる。同じプロであってボールが取れないのは、1対1の「止める、蹴るの正確さ」競争の差もさりながら、ボール回しの力の差が大きい。この差を具体的に言えば、身方が敵のいない所へ走ってくれるということである。「スペースに走って、ボールを受けて上げる。それも、何人かが」ということだ。なお、これが上手くできるならば逆に、敵から組織的にボールを奪うことも容易になる道理である。
以上をオシムが徹底して育て上げてくれた。彼が主張した「日本的サッカー」、「まず、人もボールも動く」とはそういうことなのだ。勤勉性、組織性を生かすということである。

②なお、上記のことは実は、日本的点取り術の最大の武器にもなるのである。「スペースに走って、ボールを受けて上げる。それも、何人かが」ということがゴール前でも上手く出来るようになるならば、組織的得点の力になるということである。敵が多く、その当たりも厳しい敵ゴール前では、この精度がさらに厳しく要求されてくるのであるが。

③オシムの末期にも②のことは出来はじめていたが、ムラがあったし、今までの岡田時代も同じだった。それは、②にある難しさが存在するからである。日本は、というよりも強いチームは組織的ボール奪取にも、組織的ボール運びにも、FWが他と同等にかかわる。すると、ゴール前の人数がどうしても少なくなるのである。日本のFWは後ろにいてもなおかつゴール前にも詰めるということで、特別な走力、ダッシュを繰り返す力が要求されるということである。これができなくて敵ゴール前までボールが運ばれてもそこで人が足らないと、こんなことがしょっちゅう起こっていた。

④上記③に対して、岡田が強調し続けた「高い位置で組織的に敵ボールを奪い、攻守の切り替えを速くする」は、こういう意味を持っている。「奪った瞬間にみなでゴールに殺到する」と。これによって、②を実現するという計算なのである。


さて、チリ戦、ベルギー戦では上のことが全て上手くいった。中でも、③④が。
①敵ボール奪取の瞬間に見られるはずの、全員の攻撃への切り替え、「ゴールへの詰め走り」。
②「詰めた人間たちのスペース走り」とパス交換。
③味方シュートへの敵クリアーボールをいつも狙って、さらに前へ詰めているかどうか。岡崎のこれが特に目立ったものだ。
チリやベルギーの監督談話などを読んでみると、世界20位以内のチームに対しているようなものに読めたのは、僕だけだろうか。ちなみに、日本はこれまで、南米チームを非常に苦手としていた。屈強さでもってがつがつ当たってくるのを恐れて、自由度がなかったからである。本田、岡崎、長谷部だけでなく、ケンゴウまでもが敵ゴール前でさえこれをモノともしなかったのを目の当たりにして、日本も変わったなと思ったものだった。敵ゴール前に身方の人数さえいれば、大男たちはもちろん筋肉質の南米人をも振り回せるのである。小回りの角度が違う感じだった。
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村上春樹氏の受賞講演       ネット虫

2009年06月01日 00時00分44秒 | Weblog
★村上春樹氏の何年ぶりかの長編新刊が記録的な売れ行きだという。次期ノーベル文学賞の受賞候補であり、日本の作家では最も翻訳本が多く世界中に読者を持つ現代日本を代表する作家。
 そして、今回はイスラエルの高名な文学賞を受賞したが、イスラエルのパレスチナ無差別爆撃、侵攻による民間人の大量殺りくのさ中、それについての態度が注目されていた。国内からは称賛の声とともに、受賞を拒否すべきだという声も多く聞かれた。
 結局、村上氏は受賞を選択し、イスラエルに出向いて下記のような受賞講演をした。

   村上春樹さんの「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文(毎日新聞)

 作家の村上春樹さんが2月15日、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で行った記念講演が大きな反響を呼んでいる。体制を「壁」、個人を「卵」に例え、「私はいつも卵の側に立つ」と、作家としての姿勢を語った内容だ。イスラエル軍の攻撃によってパレスチナ自治区ガザ地区で1000人以上が死亡した直後だけに、受賞拒否を求める声も挙がったが、村上さんは「語らないよりは語ること」を選択した、と出席を決めた理由を明言した。そこで、村上さんが英語で行った講演の録音を文章にし、全文を掲載する。(翻訳は学芸部・佐藤由紀)

**********************************
 こんばんは。私は本日、小説家として、長々とうそを語る専門家としてエルサレムに来ました(聴衆から笑い)。

 もちろん、うそをつくのは小説家だけではありません。ご存じのようにうそをつく政治家もいます。失礼しました、大統領(聴衆から笑い)。外交官や将官も、中古車セールスマンや肉屋、建築業者と同じく、それぞれの都合に応じてうそをつくことがあります。小説家のうそが他と違うのは、誰も不道徳だと非難しないことです。実際、より大きく上手で独創的なうそをつけばつくほど、人々や批評家に称賛されます。なぜでしょうか。

 私の答えはこうです。巧妙なうそ、つまり真実のような作り話によって、小説家は真実を新しい場所に引き出し新しい光を当てることができるからです。大抵の場合、真実をありのままにとらえて正確に描写するのは実質的に不可能です。だから、私たち(小説家)は、隠れている真実をおびき出してフィクションという領域に引きずり出し、フィクション(小説)の形に転換することで(真実の)しっぽをつかもうとします。

 でもこの作業をやるには、まず最初に、私たち自身の中の、どこに真実があるかを明確にする必要があります。これが上手なうそを創造するための重要な能力なのです。

でも、きょう、うそをつくつもりはありません。できるだけ正直に話そうと思います。1年のうちで数日しかうそをつかない日はないのですが、きょうはたまたまその日に当たります(聴衆から笑い)。

 だから、真実をお話ししましょう。日本でかなり多くの人に、エルサレム賞授賞式に行くべきではないと助言されました。一部の人には、もし行くなら私の著作の不買運動を起こすとさえ警告されました。

 理由はもちろんガザ地区で起きている激しい戦闘でした。国連の発表によると、封鎖されたガザ地区で1000人以上が命を落とし、その多くは子どもや老人を含む非武装の市民でした。

 授賞通知をいただいたあと、このような時期にイスラエルに出向き、文学賞を受けるのは適切なのか、これが紛争当事者の一方を支持し、圧倒的に優位な軍事力を行使することを選択した国の政策を承認したとの印象を作ってしまわないか、と、たびたび自問しました。もちろん(そうした印象を与えることも)著作が不買運動の標的になることも、あってほしくないことです。

しかし、考えに考えた末、最終的にはここに来ることを決めました。理由の一つは、あまりにも多くの人が「行くな」と言ったからでした。他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたのと正反対のことをする傾向があります。もし、「そこへ行くな」とか、「それをするな」と命令されたり、ましてや警告されたりすると、私は逆に「そこ」へ行ったり「それ」をやったりしたくなります。あまのじゃくは小説家である私の天性といえます。小説家は特別な種類の生き物です。自分の目で見たものや、自分の手で触れたものでなければ、心から信頼できません。

 だから私はこうしてここにいます。欠席するより出席することを選びました。見ないことより自分で見ることを選びました。何も語らないより、皆さんに語ることを選びました。

 だから、ここでごく個人的なメッセージを一つ紹介させてください。小説を書いている時、いつも心に留めていることです。紙に書いて壁に張ったりはしませんが、心の中の壁に刻まれているもので、こんなふうに表現できます。

 <高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立とう>

 ええ、どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく何が誤りかという判断は、誰か別の人にやってもらいましょう。時間や歴史が決めてくれるかもしれません。しかし、どんな理由があっても、もし壁の側に立って書く小説家がいるとすれば、作品にどれほどの価値があるでしょう。

 ここで申し上げた壁と卵のメタファー(隠喩(いんゆ))の意味とは何でしょう。ごく単純で明らかな例えもあります。爆撃機、戦車、ロケット弾、そして白リン弾は、高い壁です。卵は、押しつぶされ、熱に焼かれ、銃で撃たれた武器を持たない市民たちです。これがメタファーの一つの意味であり、真実です。

◇小説を書く理由は、個人の魂の尊厳に光を当てることです
 ◇体制に勝つ希望あるとすれば、魂の独自性を信じること
 でも、それがすべてではありません。さらに深い意味が含まれています。こんなふうに考えてください。私たちはそれぞれが多かれ少なかれ卵なのです。世界でたった一つしかない、掛け替えのない魂が、壊れやすい殻に入っている--それが私たちなのです。私もそうだし、皆さんも同じでしょう。そして、私たちそれぞれが、程度の差はありますが、高くて頑丈な壁に直面しています。

 壁には名前があり、「体制(ザ・システム)」と呼ばれています。体制は本来、私たちを守るためにあるのですが、時には、自ら生命を持ち、私たちの生命を奪ったり、他の誰かを、冷酷に、効率よく、組織的に殺すよう仕向けることがあります。

 私が小説を書く理由はたった一つ、個人の魂の尊厳を表層に引き上げ、光を当てることです。物語の目的とは、体制が私たちの魂をわなにかけ、品位をおとしめることがないよう、警報を発したり、体制に光を向け続けることです。小説家の仕事は、物語を作ることによって、個人の独自性を明らかにする努力を続けることだと信じています。生と死の物語、愛の物語、読者を泣かせ、恐怖で震えさせ、笑いこけさせる物語。私たちが来る日も来る日も、きまじめにフィクションを作り続けているのは、そのためなのです。

私は昨年、父を90歳で亡くしました。現役時代は教師で、たまに僧侶の仕事もしていました。京都の大学院生だった時に徴兵されて陸軍に入り、中国戦線に送られました。私は戦後生まれですが、父が毎朝、朝食前に自宅の小さな仏壇に向かい、長い心のこもった祈りをささげている姿をよく目にしました。ある時、なぜそんなことをするのかと聞いたら、戦場で死んだ人を悼んでいる、との答えが返ってきました。死んだ人みんなの冥福を祈っているんだよ、味方も敵もみんなだよ、と父は言いました。仏壇の前に座った父の背中を見つめながら、父のいるあたりを死の影が漂っているような気がしました。

 父は去り、父とともに父の記憶、私が永遠に知ることができない記憶も消えました。でも、父の周辺にひそんでいた死の存在は私の記憶として残りました。それは、父から受け継いだ数少ないものの一つ、最も大切なものの一つです。

 きょう私が皆さんにお伝えしたいのは、たった一つです。私たちは皆、国籍や人種や宗教を超えて人間であり、体制という名の頑丈な壁と向き合う壊れやすい卵だということです。どう見ても、私たちに勝ち目はなさそうです。壁はあまりにも高く、強く、冷酷です。もし勝つ希望がわずかでもあるとすれば、私たち自身の魂も他の人の魂も、それぞれに独自性があり、掛け替えのないものなのだと信じること、魂が触れ合うことで得られる温かさを心から信じることから見つけねばなりません。

 少し時間を割いて考えてみてください。私たちはそれぞれ形のある生きた魂を持っています。体制にそんなものはありません。自分たちが体制に搾取されるのを許してはなりません。体制に生命を持たせてはなりません。体制が私たちを作ったのではなく、私たちが体制を作ったのですから。
 以上が私の言いたかったことです。

 エルサレム賞を授与していただき、感謝しています。世界のさまざまな所で私の本を読んでいただきありがたく思います。イスラエルの読者の皆さんにもお礼を申し上げます。皆さんのおかげで、私はここに来ることができました。そして、ささやかであっても、意味のあることを共有したいと願っています。本日ここでお話しする機会を与えていただき、うれしく思います。どうもありがとうございました。
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★イスラエルの権力を壁に、パレスチナ市民をたまごに譬え、氏はたまごの立場に立つと言い、真実を追求すると語った。私はこの講演に、ある種の感動を受けたが、一方で、失望と許しがたい嘘を感じたのですが、皆さんはいかがでしょうか。
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