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不可解なNHKバッシング(3)漢民族 安禅不必須山水

2009年06月28日 23時52分17秒 | Weblog
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不可解3、台湾人の多くが「漢民族」であるはずがない
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じつは、この問題に対しては注意深く繊細な議論が必要なのだが、じつに投げやりな、デマともいえるプロパガンダが横行している。極めて残念なことだ。

A、アイデンテティ
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人々が自分自身の民族的アイデンテティーをどう表すかは、とてもナイーブな選択による。
例えば、終戦前の台湾で公学校→中学校→高等教育と、日本の完全教育を受けた人たちは「日本人」として大人を出発した。民族としてのアイデンテティは「漢民族」だが、文化的にも政治的にも国家的アイデンテティは「日本国民」であった。

1945年の「降伏」は中華民国への祖国復帰「光復」でもあった。「中華民国国民」への切り替えが強いられた。最初はそれを歓迎したが国民党政治は酷い人権無視弾圧を行うがゆえに裏切られ、「日本国民」のアイデンテティを身に付けた人たちは、「中華民国国民」アイデンテティを持ち得なかった。
それゆえに、「漢民族」という表現に対しても過剰な拒否反応を示す。柯徳三さんの発言がその一例だ。
だからといって、その人自身のアイデンテティ表現を、他人がとやかくいうことは出来ない。

しかし私達は、同じ台湾人であっても、国民党時代に「国語(北京語)」教育で育った人たちとか、民主化後「ビン南語」や「客家語」が解禁されて育った人たちとか、またさまざまな台湾原住民種族の人たちとか、外国で高等教育を受けた人たちとか、さまざまな人たちの存在も意識しておかなくてはならない。
台湾の人々に共通のアイデンテティ、そんなものはあらかじめ存在していたわけではないのだ。そんななかで苦悩と努力を重ねている台湾の人々。

私は、「図説 台湾の歴史」という本からそれを学んだ。
→http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1994.html

B、客観的には
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台湾各層のひとたちがそれぞれにアイデンテティを模索することに、私たちは干渉できない。しかし、第三者としての私達には客観的事実を抑えておくことも大切だ。
台湾にはどのような人たちがいるか?
大まかな分類

イ、本省人(1945年以前から台湾に住んでいる人)
ロ、台湾先住民族
ハ、外省人(1945年以降、国民党と共に台湾に渡ってきた人)

本省人の多くは、清代に大陸の福建省や広東省から渡ってき農業を営む人々で、元々の母語は漢語の方言であるビン南語と客家(はっか)語である。これらの人々は平地に住んで狩猟生活を営んでいた先住民族(平埔族)と婚姻し多くが混血となっているが、生活の基本は漢人文化である。
また平埔族の多くは漢人文化に同化し、日本支配の時代には「漢人」として数えられていることが多く、平埔族の生活文化はわずかな痕跡を留めるにすぎないという。
台湾先住民族として今も残るのは、かつての「高山族」とよばれた各種族で、さまざまな言語をもつが生活様式や言語文化的基盤は近代化の中でこんにちは風化が顕著だ。

そして外省人。

これらの人々が絡み合い、また、日本治世下で育ったか、国民党治世下で育ったか、民主化後に育ったか、などによっても、世代間で異なるアイデンテティをもつ。
日本で問題になる世代間の意識格差など、台湾人の意識スペクトルに較べたら、ちっぽけなものだといえよう。

C、「十万分の1も漢民族ではない」は正しいか?
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「私の血には十万分の1も漢民族の遺伝子は混ざっていない」とは、NHKの番組にも登場した「日本語族」の柯徳三さんが、チャンネル桜のインタビューに答えた言葉だ。
これは柯徳三さんの心意気として聞くべきで、人類学や分子遺伝学の結論でも何でもない。
最近の台湾の分子遺伝学者の見解は次のようなものである。

>85%の台湾人に原住民の血混じる 2007-11-19
>馬偕病院の輸血医学研究室の林媽利主任がこのほど「非原住民台湾人のDNA構造」研究結果をまとめた。それによると、台湾の原住民(高砂族)は人口の1.5%を占めるに過ぎないが、台湾人(客家を含む)の85%に原住民(ポリネシア系)の血が混じっている ことが分かった。ここでいう「非原住民台湾人」とは戦前から台湾に住むホーロー、客家系を指す。林主任はボランティア200人から血液の提供を受け、100人を分析した結果から以上の研究結果を得た。ボランティアの一人、民進党の彭明敏氏は客家出身を自称していたがDNA分析から、父系に原住民、母系に中国北方系が混じっており、これに客家が認められるという。福建南部は山が多く、内陸に発展するより、東南アジアのほうに交流が深かったことが推測できるという。

これが、政治的プロパガンダの中で次のように変わってしまった。

>さてこのような真実を医学的に裏づけつつあるのが、馬偕医院輸血医学研究室主任の林媽利氏だ。 台湾の人口のうち、ホーロー人は七三・五%、客家人は一七・五%、外省人は七・五%、原住民は一・五%だが、十一月十八日付の自由時報の報道によると、林氏が最近発表したDNA調査の結果では、ホーロー人と客家人を合わせた「非原住民の台灣人」の八五%は原住民の血統であると言う。

なんと「85%の台湾人に原住民の血混じる 」が、「85%は原住民の血統である」に変わってしまったのである。

そして更に、>国際医学朝刊に掲載された研究論文「組織抗原体(HLA)」と、第11回国際HLAフォーラムで発表された「台湾各エスニックグループのHLA分析とその比較研究」によれば、【台湾の?南人、客家は、実は支那の漢民族とは全く異なる南アジア・越族の子孫である】という結論に至っています。 (delicious coffee氏)
となってしまい、漢人の血をもつビン南人、客家ですら、言葉の操作の中で完全に消去されてしまった。

そして、またさらに>つまり、現在の台湾人の約80%は、実は平埔族や高山族(高砂族)など台湾原住民族の子孫であるが、日本統治以前、平埔族を中心に一部の支那人によって同化させられ、族譜(家系図)まで偽造・捏造して漢民族だと名乗るようになっていた。
そのため、今でも自分の先祖が本当は台湾原住民であるにもかかわらず支那大陸から移住してきた漢民族だと勘違いしている台湾人が多いのです。 (delicious coffee氏)

おいおい!
こうして福建省や広東省からの渡来漢人、ビン南人や客家人はどこに行ってしまったのか? 
日本のネトウヨ諸君によって苦心惨憺つくられたデマ(言葉の操作)が、台湾に逆輸出されたとでもいうのだろうか? まさか!!

D、人口構成のデータ
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最後に参考として、台湾総督府による人口統計のデータなどを挙げておこう。漢人(漢民族)という概念は昔も今も、確固としたものとしてあったのである。(昔の平埔人が漢人に吸収されているとしても、漢人が平埔人に吸収されたわけではない)

昭和2年(1927年)台湾総督府データ

(20)「本島人」とは通常台湾住民中の漢民族を指称す。対岸の福建広東地方より移住したるものにして、嘗ては原住者たる「生蕃人」に対して植民者たる地位に立ちしものである。我領台後は「内地人」が本島人及生蕃人に対して植民者たる地位にある。昭和二年末現在台湾の人口は約四百三十三万七千人にして、内本島人は約四百万九千人にして全体の九割二分余を占め、内地人は約二十万三千人、生蕃人約八万七千人、外国人約三万八千人である。
(矢内原忠雄全集2「帝国主義下の台湾」p217脚注)

1934年末現在の台湾総督府データ

台湾全島の総入口は 5,194,980人、そのうち漢民族が総人口の 90.0%(4,676,259人)を占め、次いで日本人 5.1%(262,964人)、原住民 4.0%(206,029人)、外国人 0.9%(48,412人)、朝鮮人0.0%(1,316人)であった。当時、台湾の漢民族は、中国大陸の福建地方や広東地方からの移住民から成っていたが、なかでも福建地方からの移住民の比率が非常に高かった。1934年末現在では、総人口に占める福建系住民の比率は 75.9%(3,942,139人)、広東系住民14。1%(733,910人)、その他の地方からの移住民0.0%(210人)であった。
( 「漢族系台湾人高年層の日本語使用 言語生活史調査を通じて」合津美穂2002年)

「現在」の中華民国政府データ

現在の台湾の住民構成比率は、?南系住民が総人口の 73.3%を占め、次いで外省人が 13%、客家系住民 12%、原住民 1.7%である3)。日本統治時代だけでなく、現在でも?南語を母語とする住民の比率が圧倒的に高いことがわかる。以下、本論で使用する「漢族系台湾人」は、本省人の?南系・客家系住民を指す。
( 「漢族系台湾人高年層の日本語使用 言語生活史調査を通じて」合津美穂2002年)

以上
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こころにそわぬ命かな   落石

2009年06月28日 13時15分02秒 | Weblog
入退院を繰り返す母。92歳。
口癖は「長く生きすぎた。早くあちらへ行きたい・・・」
ケア・マネさんにお聞きしたら、やっぱり、同じ様なことを言う
お年寄りを沢山、担当しているそうです。
昔のように、ひとり縁側でうつらうつらする
老人を見かけることはなくなりました。
病院に入れるのは幸せ。
でもココロはシアワセではなさそうです。

医療や介護は、昔に比べたら天と地の違い。
でも、この天、それほど心地よくはないようです。
たしかに、病院も介護も人手不足、お年寄りの話しを
聞いたりする余裕はありません。

こうした嘆きは良寛さんも感じていたようです。

   うつつにも夢にも人の待たなくに
         訪ひ来るものは老にぞありける

   今更に死なば死なめと思へども
         心に添わぬ命なりけり

いつ死んでもいいと思っているのに、こころに添わぬ命だなあ、
というココロは今も昔もかわらぬもののようです。

年とともに、さまざまな能力が落ちてしまっています。
老後も楽しめるといって、俳句などにも挑戦していましたが、
言葉をあやつる力は早く失われてしまうようです。
母も俳句のまねごとをしていましたが、もうダメと言っています。

母をみていると、特に、
時間の観念が失われていくのがよく分かります。
昨日のことはスッカリ忘れ、
明日という観念も弱くなっていくようです。

こんな歌もあります。宮友子さんの歌。

   眼をあけて暗闇に寝て思ふこと
          未来なし未練なしわれ明日なし

夜中に起きて、どうしてこんなになってしまったのか!
と泣く母です。
                   つづく



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横須賀市長選挙で小泉に痛打を!!!

2009年06月28日 12時32分01秒 | Weblog
政治の変革をめざす市民連帯(略称:市民連帯)の仲間からメールをもらいました紹介します。また小泉の正体も合わせて報告します。小泉の支配する街、横須賀市長選挙戦最終日です。平和共同候補呉東正彦さんの健闘を祈ります。                                 (まもる)

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昨日(6/27・土)、横須賀市長選挙戦最終日、私も応援に行きました。
そして夜7時からの京急横須賀中央駅前での最終集会に合流。
6人の呉東候補を支援する市議をはじめ、さまざまな方が、応援演説。
国会議員では、神奈川県選出の社民党の阿部知子衆議院議員も応援に 駆けつけました。選挙カーで市内を回ってきた呉東正彦候補も合流し、マイクを使った最後の選挙演説をしました。駅前には200人以上の支持者が集まり、声援を送りました。
本日(6/28・日)はいよいよ投開票日。
小泉純一ファミリーは、現職の蒲谷亮一候補を支援しているようですが、唯一の平和共同候補呉東正彦さんを当選させて、小泉に痛打を浴びせたいです。
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★メール仲間 の山崎康彦 氏の情報です。

「小泉純一郎元首相と横須賀と「やくざ」 」

小泉純一郎元首相の選挙地盤である神奈川県横 須賀市は戦後日本の支配構造がはっきりわかる「支配構造の縮図」の町だと思います。

 ひとつは、町の経済が軍事基地に過度に依存する「いびつな経済構造」となっている点です。戦前は日本海軍の重要な軍港であり戦後は米第七艦隊の旗艦原子力空母「ジョージ・ワシントン」の母港となっています。米軍基地の経済的な恩恵を何らかの形で受けている住民が多いのです。
 米軍の世界軍事支配戦略の要に位置付られた横須賀は、横須賀市民の意思とは関係なく、米国政府とその意向を忠実に守る日本政府の意思決定に従わざるを得ない状態が続いているのです。

 第二に、横須賀には稲川会という山口組に次ぐ規模を持つ「やくざ」の本部があり、地域の裏経済を支配している点です。
 「横須賀では、政治家ならウチと繋がっていないと、何一つ出来ませんよ」と稲川会幹部が言っているように、「票の取りまとめ」、「買収工作」、「裏金作り」、「反対派への恫喝」などで「やくざ」は「政治家」に恩を売り、見返りに、「政治家」は組員が逮捕された場合の実刑の軽減、風俗店許認可への便宜供与、マネーロンダリングのお目こぼし、大型土地買収案件の仲介斡旋などの便宜を「やくざ」に提供するのです。
「政治家」と「やくざ」との持ちつ持たれつの根深い関係が続いているのです。

 第三に、小泉純一郎元首相が次期衆議院選挙に立候補せず二男の小泉新次郎氏を後任に指名したように、また小泉純一郎氏が「大先生」と呼ぶ元稲川会組員のやくざで小泉純一郎氏の連続11回当選の立役者である竹内清氏(元神奈川県議会議長)が長男の竹内英明氏(自民党神奈川県連幹事長)を後任にしているように、横須賀で長年築いてきた地盤・看板・金庫を身内に世襲し利権を継承するシステムが築かれている点です。

第四に、小泉純一郎元首相と竹内清氏と稲川会との関係などマスコミはとうに知っているにもかかわらず一切報道しない事実です。
 マスコミは自らタブーを作り、どんな不正や不正義が行われていても沈黙しています。国民に真実を伝えるというジャーナリズム本来の役割を放棄、権力の御用新聞に成り下がっているのです。

横須賀の地域を支配している下記の勢力やシステムは、戦後の日本の全体を現在まで支配してきた勢力とシステムと全く同じだということがわかります。

① 自民党利権政治家
② 米国政府と駐留米軍
③ 米国政府に忠実に従う歴代の自民党政権
④ やくざ
⑤ 政治家利権の世襲システム
⑥ マスコミの御用新聞化

日本の「民主主義」と「主権在民」は、まず横須賀の地で実現することこそ必要です。


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不可解なNHKバッシング(2)日台戦争       プログ「安禅不必須山水」

2009年06月28日 10時10分34秒 | Weblog
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不可解2、「日台戦争」「台日戦争」なんてありえない。
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A、これも「信念」の産物
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チャンネル桜など日本人「国士」派の、このNHKバッシングもおそらく強固な「信念」の産物であろう。
すなわち、
台湾の戦争世代は戦前の日本統治に郷愁を懐いている。
→だから「親日」だ。
→「親日」の台湾人が日本人と戦うはずが無い
という信念である。
ところが歴史の事実は、日本の支配が40年経って純粋の日本人教育、純粋の皇民化教育によってはじめて「日本語族」(1945年を15歳~25歳で迎えた完全な日本語教育を受けた)といわれる世代が生まれた。
その人たちの日本への親近感は、戦後50年の国民党支配の反動の結果でもあって、必ずしも「日本帝国万歳」ではない。

今日の台湾の人たちには様々な立場があって、それぞれが台湾の未来を求め、台湾人としてのアイデンティテーを探っている。人種・民族の複雑な絡み方、自分達の郷土の歴史を学ぶチャンスが奪われた植民地的政治環境の中で近代化をした。日本人には考えられない経過を経て、民主化後20年を迎えている。
「日本語族」といわれる人たちの日本びいきも、北京の政府や、国民党や、台湾独立派など、相互のバランスを探る中での発言なのである。
「日本語族」の人たちが「日台戦争などありえない」と発言するのは、かれらが日本人との対立概念を排除した教育を受けたことと、現在の政治状況の中で対立概念を持ち込みたくないことの両方ではないかと、私は思っている。

B, では史実はどうか?
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「戦争」だったかどうかの一番分かりやすい目安がある。
それは日本側の大本営である。
日清戦争開始の前年1893年5月19日 「戦時大本営条例」が勅令で定められた。以後大本営は「戦争」もしくは「事変」でなくては設置されない。
 しかるに、日清戦争は1895年4月に下関条約が調印されたにもかかわらず、大本営はその翌年4月まで延長継続した。台湾における領有「戦争」が続いたからである。大本営とは、内閣も議会も関与できない最高戦争指導機関であって、その成立は戦争現地にあっては戒厳令下の軍政に近い。だから、樺山総督は6.19、伊藤首相に宛てて、台湾に派遣された文武諸官員の扱いを「外征従軍者」とするよう具申した。軍関係者の現状認識は、「武力抵抗」ではない「戦争」そのものだったのである。

その辺の状況については、higetaさんのブログが詳しい。
→「日台戦争」と呼ぶのは誤りか http://d.hatena.ne.jp/higeta/

C, 「国」対「国」ではないから「戦争」ではない?
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 実は、日本軍に抵抗して「台湾民主国」が設立されたことはあまり知られていない。また抵抗軍は決して清国の残党ではなかった。広範な台湾人がわが国に抵抗したのである。

→天子が代わった http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1999.html

だからこそ、higetaさんが挙げたように、日本遠征軍も苦戦をしいられたのだ。
 とはいえ、「台湾民主国」は何処の国からも承認されていないから正式の国とはいえない。しかし。「国」対「国」ではない「戦争」は、日本の歴史上幾らでも例がある。
「薩英戦争」「馬関戦争」「戊辰戦争」「会津戦争」「函館戦争」・・・

D, 風土病にてこずったに過ぎないか?
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「日台戦争」なんてとんでもない、という人の論として、「日本帝国は強かった」ことを言いたいのか、「反乱軍にてこずったのではなくて、風土病にてこずったに過ぎない」、というのもあり、仲間内では好まれてるようだ。
 いわく、
 日本軍の死者「5000人近く」と言うが、そのうち四千六百四十二人は「台湾人の抵抗」による戦死者ではなく、マラリアなど伝染病による戦病死者だ(戦死者は百六十四人)。日本軍の戦死者数の規模を以って「戦争」と呼ぶと言うなら、撤回した方がよさそうだ。(永山英樹氏「台湾は日本の生命線」よりhttp://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-754.html)

 数字の出典が明記されていないので、別の出典が明記された信頼できる一文を掲げて、検証してみる。

 日本軍の死者の数も9600人(うち病死7600人)と、下関条約締結までの戦没者8400人(うち病死7200人)を上回った戦闘であった(高橋典幸ほか『日本軍事史』吉川弘文館、2006、326頁)。
 ということで数字がかなり違う。「生命線」氏の死者の数は半分である。戦闘死は2千名に対して164人、あまりにも違う。まずは出典を明らかにしていただくのが先決だ。
 出典明記の方の数字をよめば、病死者の比率をもって「戦争とはいえない」、ということがいかに暴論であるかがよく分かる。下関条約締結までの戦没者8400人(うち病死7200人)であるという。「生命線」永山英樹氏の主張に従えば、日清戦争自体が「戦争とはいえない」ということになってしまう。
 むしろ、風土病に対する治療薬もワクチン投与も為されないこの当時の戦争は「戦病死」との戦いであった、と認識すべきなのだ。

 この際、あえて申しあげたい!

 あなた方は、太平等戦争(大東亜戦争)の戦死者の大部分が、戦病死や餓死であったことを知らないのか?

「日本軍の戦死者数の規模を以って『戦争』と呼ぶと言うなら、撤回した方がよさそうだ。」 などという不謹慎な言葉は撤回してもらいたい。
 戦争の犠牲になった兵士たちに申し訳が立つのか!

追記

E, 檜山教授が提唱した「日台戦争」
~~~~~~~~~~~~~~~~~
 檜山幸夫氏は日清戦争および植民地期台湾を専門としているが、その著書『日清戦争 秘蔵写真が明かす真実』(講談社、1997)では、第六章「台湾統治と台湾戦線」の第三節を「日台戦争」と題している。同節251頁では、次のように述べる。
 清軍兵士と異なり、彼ら(引用者注―台湾の抗日軍)が頑強に抵抗した背景には、台湾に福建省や広東省から移住し、そこに住んでいた原住民を討伐し、苦労して荒れ地を開墾して獲得した土地を守るという意識があったからにほかならない。その意味では、台湾での戦闘は、正しく日本と台湾との戦争(日台戦争)であり、最初の植民地戦争であったということになろう。
 檜山氏は、日台戦争の終末を、第二師団が凱旋した明29.5月末とみているようである。
(この項、higetaさんhttp://d.hatena.ne.jp/higeta/20090509/p1より引用)


★プログ「安禅不必須山水」を転載しました。詳しくは下記アドレスをご覧ください(ネット虫)
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1035432/

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