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「お別れの電話」  文科系

2010年10月31日 19時13分19秒 | 文芸作品
 先日ある方から、一種変わったお別れの電話があった。同人誌の先輩男性、80歳に近いと思われるお人だ。長い電話内容の要約と、ここまでの経過などを書いてみる。

『今度ホスピスに入ることになりました。レントゲン技師という職業上、癌と分かっていたけど覚悟して外って置いた、まー消極的自殺ですね。痛みが我慢できなくなってちょっと前についに医者に行った。今度はとうとう、ホスピスですよ』

 ずっと共働きだったお連れあいさんを数年前になくされて、以降ずっと茫然自失。正直に言って、ご自分の服がどこにあるかもご存じなかった方というだけではなく、相当の亭主関白、頑固オヤジを自認されていた。そこから、子どもさんらにもひどく敬遠されていると苦笑・自嘲まじりに、よく語られていたものだ。ご自分のそれら一切を知りながら、開き直るようにして生きてこられた方と言っても良いだろう。博打好きなども含めると、無頼派の物書き、火宅の人とさえ言えるかも知れない。
 この先輩はこういうお方だが、僕は身近にいた者ではないから害は受けていないどころか、むしろさっぱりした面白いお人柄だと感じてきたものだ。こういうお方であれば、一人生活は色々と面倒で、さぞ疲れることでもあろうし、「消極的自殺」と告げられたのが分かるような気がした。
 どんどん年寄りに厳しくなるこんな時代、人の一生は同じようなものというのかどうか、残り人生がまだ長い方々は、色々考えて欲しいと、改めて思ったことだった。
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知多戦跡巡りの報告① 半田戦災犠牲者追悼記念碑と殉難学徒之像      まもる

2010年10月31日 12時35分31秒 | Weblog
                                        ★ 以前参加をお誘いした「知多戦跡巡り」を十月二十九日に行いました。
 今回の戦跡巡りは、東海放送人九条の会の企画に参加させていただいたという非常にラッキ ーな戦跡巡りでした。その様子を何回かに分けて報告します。
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 幸い天候もよくなり曇りがちでしたが見学には絶好の日和となりました。
 碑や像のある半田市雁宿公園に集合したのは、昭和区九条の会七名、東海放送人九条の会四名、現地案内の半田空襲と戦争を記録する会の佐藤さん・榊原さんの計十三人でした。

 
 ☆半田戦災犠牲者追悼記念碑と殉難学徒之像                    これらは伊勢湾が遠望できる小高い丘の上にあって、両方とも花が手向けられていました。

A半田戦災犠牲者追悼平和記念碑 
 半田は中島飛行機製作所があり米軍の攻撃目標とされました。1945年七月二十四日午前十時半空襲が実行されました。曇りなので当時のレーダーに正確に映らず78機のB29が投下した2140発の250キロ爆弾が工場とその周りの集落に落され、一種の無差別攻撃となりました。
 此の時同時に多数の戦闘機による銃撃もあり犠牲者が増えました。
 犠牲となったのは工場に働く工員学徒、付近の集落、学徒女子寮の生徒など270人以上が犠牲となりました。終戦三週間前でした。
 碑は終戦50周年記念に市民の寄付で建立。なおここには、その他の戦争犠牲者を含め437名の名が刻まれています。

B殉難学徒之像 平和記念碑の隣には、終戦間際にここを襲い、中島工場などで働いていた多くの学徒97名を追悼するブロンズ女神像が1959年に遺族によって建立された。

 このほか、近くに建てられている地元の文学者小栗風葉の碑の説明などもあり、半田空襲と戦争を記録する会の佐藤さんの眼前に浮かぶよぅな詳しい説明に参加者全員時の経つのも忘れました。
コメント (7)
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