8月25日のここに、こう書いた。
『 この2月から教室でやっているギター曲が全く上手くいかない。南米のギター弾き兼作曲家・バリオス(1885~1944)の「大聖堂」。特に、その第3楽章。ここの速さが、老いの身には特に骨なのだ。6連16分音符をせめて60の速さにしたいのだが、最近まで45がやっとだった。僕のやり方なのだが、先ず暗譜してから、技術的な難所を重点に弾き込み、さらに曲を作っていくために弾き込む。そうやって6ヶ月。それでもこの程度とは、この第3楽章、確かに老人向きでもないのだろう。(中略))
この第3楽章は「最速アルペジオなどの中から低音・高音の旋律、副旋律を響かせることが出来れば、痛快・『音楽』この上なし」と、そんな曲だ。凄く気に入りそうな曲だけしかレッスン曲に選ばない僕だが、弾き込んでいるうちにさらに好きになっていく曲が与えてくれるエネルギーには、計り知れないものがある。なかなか上手くならないのだが、幸せだ 』
この第3楽章、あれからさらに2ヶ月。格闘し始めて計8ヶ月が過ぎた。少なくとも1日1時間はこれを弾いているから、計300時間は優に越えるだろう。そのほとんどを第3楽章に費やしてきたと言える。楽譜3ページと言っても、4分もかからないような速い楽章だ。「速い曲が苦手」とは定年後に先生なるものについた身の宿命なのだろうが、それにしてもこんな苦労は初めてである。
なんとか速さを身につけようとして、この2ヶ月もいろいろ試みてはみた。まず、左手薬指・小指の改善。相前後して、右手指の動きをスムーズにするために、ギターの構えそのものを大幅に変えた。ギターを立てて、右手指・爪を当てやすくした。そして、そんな合間にも基本的なアルペジオの早弾き練習には、特別に時間を割いてきた。その成果もいくらかは上がっているのだ。メトロノームでこれまでは85でしか弾けなかった「カルカッシの22の基本アルペジオ」が、今はすべてを100で弾ける。それで、この第3楽章は? 6連16分音符がやっと55。それも、必ず5~6回は間違えるし、速さもふらつく。目標の60の峰は、まだまだ遙かな前途遼遠!
ところで、60で弾くだけを最初から狙うなら、簡単なことだろう。全部の音を均等に、小さめな音で弾けばよい。しかしそれでは、全く『音楽』にならず、面白くも何ともない。この第3楽章は、旋律と副旋律とをきちんと押し出して流れるように弾く所に痛快な楽しさがあるのだから。こういう楽しさを犠牲にするとしたら、何のために『音楽』をやっているのかということになる。
三味線で80歳近くまで発表会集団演奏の舞台に立っていた僕の母。イイなーと観ていたその母が、舞台演奏をやめたら三味線そのものまでを綺麗さっぱり止めてしまった。そんな母が、晩年の病床では1年ほど、三味線を探り弾きする形で、いつも両手を動かしていたものだ。『音楽』の原型が母に蘇って、その病床で演じられていると感じた。母にそんな意識はなかったかも知れないが、最後に教えられたことだった。そう、音楽は先ずなによりも、自分の音を楽しむものなのだろう。