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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

中日ドラゴンズ 年度別成績 (1936-2010)    ネット虫

2010年10月24日 22時15分48秒 | Weblog

中日ドラゴンズ

年度別成績 (1936-2010)

[通算成績] 4691勝4344敗301分 .519
2010年度シーズン終了 現在
年度 監督 順位 試合 勝利 敗北 引分 勝率 打率 本塁打 防御率
1936※ 池田 豊
16 7 9 0 .438   .237 9 5.72
1936秋 池田 豊
26 12 14 0 .462   .218 2 3.60
1937春 桝 嘉一 7 56 21 35 0 .375 21.0 .220 1 4.14
1937秋 桝 嘉一 8 49 13 33 3 .283 25.0 .222 4 4.00
1938春 根本 行都 7 35 11 24 0 .314 18.0 .216 5 3.49
1938秋 根本 行都 4 40 19 18 3 .514 10.0 .211 12 3.34
1939 根本・小西 6 96 38 53 5 .418 27.5 .216 19 2.44

1940 小西 得郎 5 104 58 41 5 .586 15.5 .191 12 1.90
1941 小西・本田 6 84 37 47 0 .440 25.0 .182 13 1.75
1942 本田 親喜 7 105 39 60 6 .394 33.5 .185 24 1.93
1943 桝 嘉一 2 84 48 29 7 .623 4.0 .198 18 1.41
1944 三宅 大輔 4 35 13 21 1 .382 14.5 .184 7 3.10
1946 竹内・杉浦 7 105 42 60 3 .412 22.5 .248 46 4.40
1947 杉浦 清 2 119 67 50 2 .573 12.5 .229 41 2.03
1948 杉浦 清 8 140 52 83 5 .385 34.5 .232 45 2.99
1949 天知 俊一 5 137 66 68 3 .493 19.5 .268 136 3.77

1950 天知 俊一 2 137 89 44 4 .669 9.0 .274 144 3.73
1951 天知 俊一 2 113 62 48 3 .564 18.0 .272 67 3.47
1952 坪内 道典 3 120 75 43 2 .636 7.0 .264 77 2.82
1953 坪内 道典 3 130 70 57 3 .551 18.5 .251 66 3.24
1954 天知 俊一 1 130 86 40 4 .683 --- .256 70 2.32
1955 野口 明 2 130 77 52 1 .597 15.0 .238 64 2.02
1956 野口 明 3 130 74 56 0 .569 10.0 .228 52 2.03
1957 天知 俊一 3 130 70 57 3 .550 4.0 .219 63 2.26
1958 天知 俊一 3 130 66 59 5 .527 9.0 .233 86 2.40
1959 杉下 茂 2 130 64 61 5 .512 13.0 .237 106 2.77

1960 杉下 茂 5 130 63 67 0 .485 9.0 .230 87 3.08
1961 濃人 貴美 2 130 72 56 2 .562 1.0 .241 79 2.48
1962 濃人 貴美 3 133 70 60 3 .538 5.0 .249 107 2.68
1963 杉浦 清 2 140 80 57 3 .584 2.5 .246 120 2.84
1964 杉浦・西沢 6 140 57 83 0 .407 25.0 .254 114 3.63
1965 西沢 道夫 2 140 77 59 4 .566 13.0 .247 100 2.60
1966 西沢 道夫 2 132 76 54 2 .585 13.0 .253 123 2.54
1967 西沢 道夫 2 134 72 58 4 .554 12.0 .248 148 3.31
1968 杉下 茂 6 134 50 80 4 .385 27.0 .246 142 3.72
1969 水原 茂 4 130 59 65 6 .476 14.0 .231 145 3.11

1970 水原 茂 5 130 55 70 5 .440 23.5 .234 118 3.20
1971 水原 茂 2 130 65 60 5 .520 6.5 .226 127 2.97
1972 与那嶺 要 3 130 67 59 4 .532 7.0 .232 123 3.29
1973 与那嶺 要 3 130 64 61 5 .512 1.5 .242 108 2.98
1974 与那嶺 要 1 130 70 49 11 .588 --- .264 150 3.75
1975 与那嶺 要 2 130 69 53 8 .566 4.5 .271 133 3.18
1976 与那嶺 要 4 130 54 66 10 .450 21.5 .266 138 4.50
1977 与那嶺 要 3 130 64 61 5 .512 15.5 .275 176 4.38
1978 中 利夫 5 130 53 71 6 .427 20.0 .252 141 4.45
1979 中 利夫 3 130 59 57 14 .509 7.5 .268 155 3.97

1980 中 利夫 6 130 45 76 9 .372 30.0 .261 134 4.43
1981 近藤 貞雄 5 130 58 65 7 .472 16.0 .268 151 3.71
1982 近藤 貞雄 1 130 64 47 19 .577 --- .266 143 3.27
1983 近藤 貞雄 5 130 54 69 7 .439 18.5 .263 160 4.11
1984 山内 一弘 2 130 73 49 8 .598 3.0 .282 191 3.82
1985 山内 一弘 5 130 56 61 13 .479 15.0 .265 136 4.08
1986 山内 一弘 5 130 54 67 9 .446 20.0 .242 131 3.70
1987 星野 仙一 2 130 68 51 11 .571 8.0 .265 168 3.64
1988 星野 仙一 1 130 79 46 5 .632 --- .258 131 3.20
1989 星野 仙一 3 130 68 59 3 .535 15.5 .256 149 3.68

1990 星野 仙一 4 131 62 68 1 .477 26.0 .264 162 4.26
1991 星野 仙一 2 131 71 59 1 .546 3.0 .262 178 3.59
1992 高木 守道 6 130 60 70 0 .462 9.0 .252 108 3.91
1993 高木 守道 2 132 73 57 2 .562 7.0 .256 158 3.12
1994 高木 守道 2 130 69 61 0 .531 1.0 .258 108 3.45
1995 高木 守道 5 130 50 80 0 .385 32.0 .251 136 4.75
1996 星野 仙一 2 130 72 58 0 .554 5.0 .278 179 4.01
1997 星野 仙一 6 136 59 76 1 .437 24.0 .243 115 4.33
1998 星野 仙一 2 136 75 60 1 .556 4.0 .248 100 3.14
1999 星野 仙一 1 135 81 54 0 .600 --- .263 120 3.39

2000 星野 仙一 2 135 70 65 0 .519 8.0 .266 111 4.19
2001 星野 仙一 5 140 62 74 4 .456   .253 98 3.48
2002 山田 久志 3 140 69 66 5 .511 15.5 .257 125 3.19
2003 山田 久志 2 140 73 66 1 .525 14.5 .268 137 3.80
2004 落合 博満 1 138 79 56 3 .585 --- .274 111 3.86
2005 落合 博満 2 146 79 66 1 .545 10.0 .269 139 4.13
2006 落合 博満 1 146 87 54 5 .617 --- .270 139 3.10
2007 落合 博満 2 144 78 64 2 .549 1.5 .261 121 3.59
2008 落合 博満 3 144 71 68 5 .511 12.0 .253 140 3.53
2009 落合 博満 2 144 81 62 1 .566 12.0 .258 136 3.17

2010 落合 博満 1 144 79 62 3 .560 --- .259 119 3.29
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ドラゴンズ 日本一へ    らくせき

2010年10月24日 19時14分49秒 | Weblog
巨人に圧倒してセ・リーグの代表として
日本シリーズへ。

落合監督の株がまたまた上がっています。

グランパスも初優勝へ・・・

残念なのはフィギュアの浅田選手。
大人の体になったのが原因なのか?
ふっくらとした分、重くなったかな?

名古屋がよくニュースに登場するのは
珍しい・・・

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反日、反中の悪循環を心配します。      まもる

2010年10月24日 09時40分23秒 | Weblog
★グループメール仲間の福岡の坂井さんから下記のようなメールが届きました。
 私もまったく同感です。紹介します。
===============================

先ほど送った「さらに大きくなった反中国デモ」で、私は、ますます不気味な
状況になってきました、と書きました。
 
 しかし、状況は不気味を通り越して、憂慮すべき状況になっています。
 
 10月16日に東京の在日中国大使館前で反中国デモが開かれるとの情報が、
インターネットで中国全土に伝えられました。また、ネット上で中国製品ボイコ
ットの呼びかけがなされていることや、10月2日に東京で行われた反日デモの
様子がネット上で大きく伝えられています。
 
 それに対抗して、10月16日、東京の反中国デモと同じ時刻に、中国四川省
の成都市や翌17日に綿陽市で大規模な反日デモが開催され、日系デパートが投
石され、日本車が破壊されました。
 
 「中国3都市で大規模反日デモ 計1万人超、尖閣めぐり抗議」
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/203920
 
 「中国・綿陽でも大規模な反日デモ 若者らが暴徒化」
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/204095
 西日本新聞
 
 デモ隊の主役は若者たちで、「小日本(英語のジャップと同じ意味)は出て行
け!」・「小日本を滅ぼせ!」・「小日本人を殺せ!」と叫び、日本資本のデパー
トに投石し、日本料理店の窓ガラスをたたき割りました。
 
 日本の反中国デモや中国製品ボイコットが、中国の反日デモを呼び起こしたわ
けです。
 
 10月16日の反中国デモは5800人を動員して「成功」しました。次に開
催されれば、もっと大規模なものになり、日本各地の広がることが予想されます。
そうなれば、中国の反日運動は拡大するでしょう。それに対抗して、日本の反中
運動が支持を集め、拡大するでしょう。
 
 日中双方の反感と敵意が、市民レベルで激化する可能性が大きくなってきまし
た。
 
 すでに中国では、そこに住む日本人が隣人の中国人から「小日本人は出て行
け!」とののしられたり、日本では中国人が「シナ人がでかい顔をするな!」と
怒鳴られたり、アルバイトをクビになるといったことが起こっているそうです。
 
 お互いが歯をむき出しにして憎しみあうという悪循環が生まれつつあります。
 
 経済で日中はこれまでになく密接な関係にあるというのに、市民レベルで互い
が嫌悪感と敵意を抱くという状況になっています。
 
グローバリズムだと言いながら、実は偏狭なナショナリズムが激化するという皮
肉な事態を私は憂慮しています。

坂井貴司
福岡県
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随筆 バリオス「大聖堂」第三楽章 文科系

2010年10月24日 05時05分08秒 | 文芸作品

 8月25日のここに、こう書いた。
 『 この2月から教室でやっているギター曲が全く上手くいかない。南米のギター弾き兼作曲家・バリオス(1885~1944)の「大聖堂」。特に、その第3楽章。ここの速さが、老いの身には特に骨なのだ。6連16分音符をせめて60の速さにしたいのだが、最近まで45がやっとだった。僕のやり方なのだが、先ず暗譜してから、技術的な難所を重点に弾き込み、さらに曲を作っていくために弾き込む。そうやって6ヶ月。それでもこの程度とは、この第3楽章、確かに老人向きでもないのだろう。(中略))
 この第3楽章は「最速アルペジオなどの中から低音・高音の旋律、副旋律を響かせることが出来れば、痛快・『音楽』この上なし」と、そんな曲だ。凄く気に入りそうな曲だけしかレッスン曲に選ばない僕だが、弾き込んでいるうちにさらに好きになっていく曲が与えてくれるエネルギーには、計り知れないものがある。なかなか上手くならないのだが、幸せだ 』

 この第3楽章、あれからさらに2ヶ月。格闘し始めて計8ヶ月が過ぎた。少なくとも1日1時間はこれを弾いているから、計300時間は優に越えるだろう。そのほとんどを第3楽章に費やしてきたと言える。楽譜3ページと言っても、4分もかからないような速い楽章だ。「速い曲が苦手」とは定年後に先生なるものについた身の宿命なのだろうが、それにしてもこんな苦労は初めてである。
 なんとか速さを身につけようとして、この2ヶ月もいろいろ試みてはみた。まず、左手薬指・小指の改善。相前後して、右手指の動きをスムーズにするために、ギターの構えそのものを大幅に変えた。ギターを立てて、右手指・爪を当てやすくした。そして、そんな合間にも基本的なアルペジオの早弾き練習には、特別に時間を割いてきた。その成果もいくらかは上がっているのだ。メトロノームでこれまでは85でしか弾けなかった「カルカッシの22の基本アルペジオ」が、今はすべてを100で弾ける。それで、この第3楽章は? 6連16分音符がやっと55。それも、必ず5~6回は間違えるし、速さもふらつく。目標の60の峰は、まだまだ遙かな前途遼遠!

 ところで、60で弾くだけを最初から狙うなら、簡単なことだろう。全部の音を均等に、小さめな音で弾けばよい。しかしそれでは、全く『音楽』にならず、面白くも何ともない。この第3楽章は、旋律と副旋律とをきちんと押し出して流れるように弾く所に痛快な楽しさがあるのだから。こういう楽しさを犠牲にするとしたら、何のために『音楽』をやっているのかということになる。
 三味線で80歳近くまで発表会集団演奏の舞台に立っていた僕の母。イイなーと観ていたその母が、舞台演奏をやめたら三味線そのものまでを綺麗さっぱり止めてしまった。そんな母が、晩年の病床では1年ほど、三味線を探り弾きする形で、いつも両手を動かしていたものだ。『音楽』の原型が母に蘇って、その病床で演じられていると感じた。母にそんな意識はなかったかも知れないが、最後に教えられたことだった。そう、音楽は先ずなによりも、自分の音を楽しむものなのだろう。

コメント (6)
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