九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

替え歌 朝鮮日報より   らくせき

2010年10月28日 19時29分40秒 | Weblog
韓国の童謡『3匹のクマ』の歌詞を基に、北朝鮮の三代世襲を皮肉った替え歌が、
北朝鮮の咸鏡北道会寧市で出回っていることが分かった。

替え歌のもとは韓国の『3匹のクマ』
その歌詞が、
「ある家に3匹のクマが暮らしている/
おじいさんグマは太っている/
お父さんグマも太っている/
子グマは愚鈍(ぐどん)だ」
と変えて載せた紙が見つかったという。

おじいさんグマ(故・金日成〈キム・イルソン〉主席)
お父さんグマ(金正日〈キム・ジョンイル〉総書記)
子グマ(金正恩〈キム・ジョンウン〉氏)

太った正恩氏の姿を見た何者かが、韓国の童謡を替え歌にしたものらしい。
保安当局がすぐに『反動的な印刷物』に指定し、回収した上で、
出どころについて調査している」とのこと。

また、生徒たちがギターを弾きながら『3匹のクマ』を歌っていたところ、
人民保安部(警察に相当)に連行され、夜通しむちで打たれたとも。

一方、米国の自由アジア放送(RFA)は今月初め、
「正恩氏を後継者とすることが正式に決まって以降、咸鏡北道清津市水南区域で、
『子ブタと親ブタ(金正恩氏と正日総書記)、両方とも食べてしまえ』と
いう落書きが見つかり、大騒ぎになった」と報じた。


日本でも戦争中に、さまざまな替え歌があったようですね。
新しい後継者が決まっても、暮らしが一向に改善されないのでしょう。
為政者の最低条件は衣食住で、とくに食べることですから。




  

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中国人は傲慢か?    らくせき

2010年10月28日 19時16分20秒 | Weblog
香港のF-テレビの討論番組。
なかなか面白いので、時々、BSで観ています。
今日は、中国人は傲慢になったか?というもの。

中国のある新聞が書いた記事をきっかけにした討論。
賛否は、ともかく興味深かったのは
視聴者のアンケート。

4人に3人はNO。
しかし、およそ4人に1人が傲慢と答えていました。

経済大国になった中国ならではの現象。

出演者の一人が、傲慢は誇り、自惚れは自信と紙一重、と。
何年か前の日本人も、欧米から
同じ様に見られていたんでしょうね。

愛国心も誇りと傲慢が紙一重・・・
傲慢にならないように・・・









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報告文、説明文、粗筋文などと「文芸文」  文科系

2010年10月28日 09時32分57秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 文章にもいろいろあるが、以下のような知識は案外知られていないのではないか。文を書く人誰でもが、持ち、意識していた方が良いと思うのだが。まず、僕ら同人の月刊冊子今月号、後書きの文章、その一部をご紹介してみよう。

『 来新春発行の同人誌を編集していて考えさせられた。千字程度の冊子作品と年一度の同人誌作品とでは、書き方が大きく異なるはずだ。創作文の、報告文や説明文との違いも改めて論じ合ってみたい、などと。無意識な時系列だけの文章は長々しく感じるし、細かく書き込まれたところが見えにくい「粗筋」作品は、長文になるほどに平板、平凡に感じられる。だから、モチーフの構成、焦点などは、長文作品になるほどに難しくなると思う。千字ほどの作品を二時間で書くある人が、その執筆計画時間を二十分ほどとする。五千字の文章なら、その五倍ほどの時間を考えるのでは、到底済まないと思うが、どうだろうか。』

 同じようなことをもう一つ、俳句の世界等でいつも言われていることを書いてみる。自由律も含めて、同人にもやっている人が多いのだ。報告や説明だけの句には、こんな声があがるらしい。「それで、どうした!」、と。「事情は分かった。それで、君はどう感じたの、それがないのは、話にならんよ」、というわけだろう。自分の内面を表現してこそ文芸文、と。考えてみると人間の心を最もくっきりと現わせるものは、文章、言葉だろう。音楽はもちろん、絵画でさえが、感じ入る度合いは別にして解釈という点では多様性が生じるようにしか表現できないはずだからだ。そういう文章というものを、自分自身の外の世界の「報告」、「説明」にだけ使うのは、実に大変もったいないと思う。ひょっとしてそれとも、日本人が元々「自分の心を覗く(「表現する」とは、ちょっと違う積もり)」のが苦手なのかも知れない等とも考えてみる。

 同じことを、もう一つ別の側面から見てみたい。
 歴史物好きは、何というか「事実」好きであって、最近の日本では男性に多かったようだ。仕事とその報告文章などばかりで、自分を覗く暇もなかったから? 文芸好きは女性に多く、何か夢を見ているようにも思われ、「文芸=フィクション」という偏見も世に多いのではないか。この両極端が協力し合って、「心を描いてリアルな作品なんて、存在しない」とでも語りあっているような日本に見えるのである。推理物とかSF物とかばかりで、単なる「粗筋作品」が多すぎる世の中の影響もあるのかも知れない。そして、心は、単に、お喋り、と。
 でも人間は大昔から「汝自身を知ってないことが分かったかね!」とか、「全てを疑え。すると、そう疑っている自分だけは存在すると分かるはずだ」とかを大事なこととしてきた。その点今の日本社会は、人類文化の大道から相当に遠い? こういう点から見ると「文芸」という言葉も、何かちっぽけなものに感じられないか。「芸?」、というわけである。本来は文化産物と学芸ということらしいのだが。
 

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随筆紹介 ” 友人と知人”   文科系

2010年10月28日 08時39分11秒 | Weblog

 昨日と同じ友人の随筆をご紹介する。同人誌で、小さな冊子を毎月出していて今月で227号になるが、そこからの転載だ。昨日のも今日のも、同人15名ほどとその周辺とだけで読み回すのではもったいない気がしてきたから、これからちょくちょくとこうしていきたい。
 グーブログ146万などウェブサイトは山ほどあるが、良いコンテンツは、ハッキリ言って意外に少ない。僕が現在やっているサッカー連載がおおむね100ほどのブログで紹介されているのは、そういうことだろうと自負さえしている。その点我が同人などは丸ごとコンテンツだらけであって、非常に贅沢な気がしている。もっとも、こんな冊子を毎月欠かさずに出している同人は他にはなかなかあるものではないだろう。それを、227号まで。凄いでしょう!1ページ600字で、20ページ弱のものですが。

『 友人と知人   S.N                                 

 連れ合いよりも多分早く西の国へゆくと思うが、そうとは限らない。そこで、先日、東京大学大学院教授・上野千鶴子著『男おひとりさま道』を買ってきた。彼女は、ひとりになったら、カネ持ちより人持ち。そして、友人と知人に分けなさいと説く。
 実は、私はもうそれを実践している。退職してから毎年、二百枚近い年賀状を出していた。ところが、七十のころ、無意味に思えてきた。そこで、思い切って夫婦で賀状は五十枚と決め、今年も実行した。
 もらった年賀状は友人と知人に分けて、友人にだけ後日、手書きの寒中見舞いを差し上げる。友人と知人の定義などきめてない。一緒にいて気分のいい人、ときどき会いたい人、因ったとき助けて欲しい人、気にかけてくれる人……が友人、とその時の気分できめている。だから、友人から知人に仕分けることもあれば、その逆も。
 しかし、どんなにさぴしくても親友は作らないことにしている。以前、無二の親友がいた。五十代で亡くなり、今でも思い出すと落ち込むから。著者も、「おひとりさまは親友を持つな。その代わり、ユルく淡くつながっているユル友を、……という。
 それほど親身になってくれなくてもいい。毎日を機嫌よく生きていくことを支えてくれる仲間をたくさん持ちたい。ちょっと欲張りかな。 』

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