イビチャ・オシム、新代表への提言
前置き
今回は題名のことをまとめてみる。彼が書いた2~3冊の本から、彼の日本人論、日本選手たちの長所と短所、ザック・ジャパンへの提言と、三つに分けて述べてみる。彼の思考、言葉は常に明快であり、かつ面白い。フランスリーグでも活躍したサッカーの名選手にもなり、サラエボ大学の数学科教授という道もありえた知性でもあったことが、関わっているはずだ。ちなみにウィキペディアには、彼の大学時代がこう紹介されていた。
『東欧の名門サラエヴォ大学理数学部数学科入学、数学や物理学、哲学などを学び、数学の学士の資格を保有。運動、勉学共に成績優秀で、(中略)成績優秀者に出る奨学金で生活を凌いでいた。この頃、電気工学専攻の中等学校生だったアシマ(後のオシム婦人である。文科系)に数学を分かりやすく丁寧に指導。大学では担当教授から研究職に就くことを勧められるが、手っ取り早い経済的な自立の為にギムナジウムの数学教師への職を思案する。しかし大学3年生の頃から試合の出場給が鉄道工だった父親の3倍にもなり「数学かサッカーか」とイビチャ青年を大いに悩ます事になるが、23歳の時にユーゴスラビア代表選出が契機となり東京五輪での試合に向けた「本物の契約書」にサインし、これにおいて正式な「サッカー選手」となる』
日本人、選手の国民性に関わって
オシムは、日本選手たちと相互理解が可能になるまでに3年かかったという。ユーゴからジェフユナイテッドに着任してから、理解が難しかったと彼が述べている国民性を書き上げてみよう。これが、サッカー選手としての最大の長所にも短所にもなっていると語られるのだから。
まず、目上の言葉をそのまま受け入れ、言いつけを守り、質問などしないということ。彼はこれを、「目上に恐れを抱いている」とさえ述べている。
この性格ゆえに、こうなるのだ、とも。自分のすべきことを自分で考えずに監督に聞くことになると。ここをオシムは大いに強調して、2冊の本でこう語っている。
『自分で考えずに人に聞くという行為と、自分で考えてわからないことを質問するという行為は根本的に違う』
そして、もうひとつがこれだ。
『日本人は批判されることをネガティブに捉える傾向がある。日本人は、本音をグサリと言われることが好きではないように思えた。私は、この日本人の性質がなかなか理解できなかったのだが、ピッチ上のことはピッチ上で解決しようと考えていた』(以上、「考えよ!」角川新書)
激しい言い合いを避けるように振る舞うから、本音を語り合えず、わだかまったり、相互理解があいまいなままだったりということだろう。改善、進歩も後れるというものだ。オシムはピッチの上で解決するために相手の目を見ながら、必要ならとことん話しあったらしいが、その光景が目に浮かぶようだ。徹底的に言葉で問題を整理すれば、選手の自覚能力も高まるというものだろう。
以上の国民性は、サッカー選手としての長所にも、短所にもなるものだと語られる。言われた通りにやり、組織規律を守り、勤勉でもある。が他方で、自分では考えない、思い切ったことができない、言い合えないことにもなると。オシムがいたる所で二つの標語を語ってきたのは、この文脈でのことである。「もっと自分で考えよ」「もっと自主的にリスクを冒せ」。これさえできれば、クリエイティブにもなれるはずだ、本来はクリエイティブな民族なのだから、とも述べている。
言い換えれば、上意下達が、創造性を殺しているということだろう。なんか、全ての日本社会に当てはまるなーと思った次第だ。
2010~2014年、代表選手たちへ
1 体が強くないのだから、スピードをもっと上げること。それには、場面場面における選手の決断を速くすることと、スプリント力が必要だ。敏捷性、技術的スピードはまーあるから、不足するのはこういうものだ。「80メートルをいとも簡単に全力で駆け上がる」スプリント力。速い選手を見つけ出し、育てることも強調していたな。
2 こうして、南ア大会直前まで求めていたが、本番では諦めてしまったスペイン型のパスサッカーを追求する道が、日本人に最も合っている、と語っている。
3 長谷部、遠藤、阿部らMFは、日本の強み。しかし、彼らはもっともっとリスクを冒して、ゴールに向けて攻撃参加すべきだ。それが日本の得点増への第1の道である。遠藤も俊輔も前にパスを出してからゴールに走らないが、あれがいけない。
4 本田の他にもう一人センターFWが必要だ。 そして、デンマーク戦における、岡崎への本田のアシストに見えたような、あんな関係を築いていくべきだ。
5 中澤、闘莉王、阿部の守備ブロックは、岡田監督が積み上げた日本の大きな財産になるだろう。
ザックへの期待
『 日本とザッケローニという哲学の合体には、素晴らしい混合物を創造する可能性がある。彼は複数のスタッフをイタリアから連れてくる。このスタッフの存在が非常に重要な要素になるのだ。彼らは、プレーヤーとしてピッチにいた人たちだから、日本のプレーヤーは学ぶことが多いのだ。ザッケローニは結果を出すというイタリアの典型的な美徳を実現するために、選手に本気でプレーする気持ちとディシプリンを強く主張するだろう。(中略)日本人が南アフリカでのベスト16という結果を失敗として認識しているならば、なお、新しい監督としてザッケローニを迎えたことは正しい選択となるだろう 』(「恐れるな!」 角川新書)