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「よたよたランナーの手記」(97) 「蹴り」の衰え発見  文科系

2015年01月05日 12時27分20秒 | 文芸作品
 30分2回で、25日に9.7キロになって、27日には9.8キロまで来た。前回ここまで書いたが、以降はジム休業があってこう走った。
 30日には大掃除の合間に戸外を7キロ弱、2日に同じく8キロ弱、そして4日に始まったジムで3回に分けて80分で計12キロほど。久し振りにやった外走りをきっかけにして、いろんな事に気付いた。

 先ず、蹴り足が弱くなっている。ランニングマシンばかりで走っていると、どうもそうなるのではないか。よくアキレス腱を痛めるようになっていたのもそのせいかもしれない。つまり、蹴り足が弱っているのに強く蹴る時もあり、そんな時にアキレス腱を痛める。それでこんな実験を試みてみた。
 4日のジム走りでちょっと蹴りを入れて歩幅をやや大きくしてみた。やはりすぐにアキレス腱に来たので、疑問が確信に変わった。逆に考えれば、こうなる。蹴る筋肉を強化すれば、マシンでも戸外でもちょっと速くなるのではないかと。4日は、そのようにいろいろに頑張ってみた結果が、合計12キロというわけだ。蹴りに神経を集中させて、これを強めたり弱めたり。また、それでちゃんと蹴っても足首に疲れが来ない方法をいろいろと探ってみた。前脚の着地時間を少なくしつつ、腿で走るようにしたら多少楽になった。もちろん歩幅を少なくする(ピッチ数は多くなる)のも効果があった。

 戸外はスピードが分からないが、大体心拍135~145で走ったから、時速はほとんど9キロ台だろう。4日は10.5キロ時で10分ほど走った。その心拍数は150~155である。問題の蹴りを強くしても心拍数が増えないのは、蹴る筋肉が太い物ではないからだろうと、やや安心した。蹴りを強くすれば10キロマラソンで57分ほどにはなれるのではないか。ただ無理はしたくないから、そんなことを夢として持っておこうという心境である。


 正月に子どもやテレビに集中的に接したら、世間が分かるようだった。随分時代が変わっている。どういうか、何か非常にデジタルというか、空想の世界に生きているような。例えて言えば同じ遊園地でも、ディズニーランドと長島遊園の違いのような。今の子どもは「実物」、「自然」にどんどん弱くなっているのではないか。上の僕のようなランニング生活なんて、多分多くのオタクの中の一種にしか見られないだろうなどと考え込んでいた。ランニングは生活にとって限りない意味があるはずだがとも。若者が気にしていることで言えば最高の全身美容法だし、身体が軽い若々しさの秘訣。将来に備えては、コレステロールにも糖尿病にもなど血管の若さの秘訣でもある。こういう生活に重大な意味のあることと単なるオタクとの区別、ちょっと面白い。
 でもまー、空想の世界に生きているような若者も、リアル世界の意味は知っているのだ。「リア・ジュウ」という言葉があるらしいから。「リアル(な生活)が充実している」という意味らしい。また、でもまー、「リアジュウ」などという言葉があること自身が現代社会らしいと、苦笑いしていたものだ。
 また、携帯やツイッターで多くの人々と話すのは良いことだと思うが、人間交流の中で相手自身を目の前にしていない言葉だけの「ツキアイ」は、交流効果としては4割程度という理論がある。つまり、本物の交流ではないということだ。子どもや孫を見ているといろいろ心配になるが、いつの新時代も是非両様の側面があるということに過ぎないとも愚考していた。ただ、ますます社会性が欠けていることは確かだろう。ポピュリズムに流されやすいということだ。ヒトラーの時代を想起させると、「ヒトラー=アベ路線」と述べるがごとき問題提起をした新春のサンデーモーニングが世を騒がせているようだが。
 日米独など先進国政府が率先して政府資金でもって株だけを上げる「好景気」なんて、世界の大企業も含めて利潤率がとことん低下してからもう40年近く経ったこの大恐慌時代に何の実質的好影響も与え得ないことは確かである。南欧諸国など3割とかの失業者も、日本の非正規労働者の群れも、当分どうしようもないということだ。このケインズ経済学が重視した有効需要が徹底して無くなったからこそ企業が労働力を値切るだけになった世界は、一体どこへ行くのだろうか。
コメント
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