いろいろ勉強する機会を与えてくれて有り難う。が、すごいコジツケに充ちた文章だね。君のような大げさなこじつけ批判と人を呪い殺してやろうとでもいうような言葉でなく、大袈裟すぎてぼんやりしていて曖昧な君の言い分をちゃんとした命題にして批判してあげよう。先ずどんな命題があるか。
①『いいとされるイスラム教徒だって、シャルリー攻撃を内心では当然だと思っている。それを、「私たちは違います」と言わせているのは君たちの言外の圧力なのだということに気づきもしない。現にイスラムのモスクが各地で襲われてるではないか』
「気づきもしない」という「君たち」が誰なのか。ここがいい加減な文章であるが、とにかくこういう命題が主張されているらしい。
「君たちの言外の圧力によって、(そういう君たちも含んだ多くの)君たちがモスクを各地で攻撃している(ようだ)から、良いとされるイスラム教徒も、シャルリー攻撃は当然との本心を言えないだけなのである」
そもそも、ここに言う「君たちの言外の圧力なのだ」とは誰のことだ? 主語がはっきりしない命題など何の意味もないことぐらいは知っていように。これでは、第1に、あのテロに対してこう語った人が当然含まれる。「言論の自由も大事だが、異文化の尊重も重んじよう」と述べてシャルリ漫画を掲載した中日新聞。中日新聞はモスクなど襲っていないはずだけど。「君たちの言外の圧力」がモスクを襲わせているように述べているところを見ると、中日新聞も重大な共犯者とされるのである。
さらに、僕のように一歩進んで「政教分離」と「言論の自由」とを結びつけて強調した者はもうモスク襲撃者と同罪という趣なのだ。
②『(第一次大戦中のサイクス・ピコ条約による英仏ロのオスマントルコ3分割を例に挙げた上で。文科系)ようするに君が尊ぶ西洋の論理はそのような血塗られた歴史によって作られてきたのだ。それ(西欧植民地主義の)を一顧だにせず、「私はシャルリー」に唱和する君は、日本の戦争は相手に仕掛けられたものだ、侵略などはなかったと強弁する歴史修正主義者とどう違うのか。またそうした歴史観によってヘイトスピーチをまき散らす「在特」の連中とどう違うのだ』
ここには、こんな命題があるだろう。まず、第一次世界大戦中の西欧植民地主義が血塗られているから、西洋近代文明、論理を、全て血塗られているというように宣告する。そして、これがイスラム国を作ったに等しいようにほのめかす。
こうして、だからというわけで、次にはこんな命題が加わっているのだろう。「私はシャルリー」に唱和する者は、サイクスやピコと同罪であり、血塗られた植民地主義者であり、歴史修正主義者であって、在特と一緒なのである。
そして、こういうコジツケ論理、命題をさらにこう敷衍してみせる。
『西洋ボケの頭脳で、「私はシャルリー」と踊っていたのでは、自分たちの過去を棚上げして、武力で殲滅と怒号するオバマやオランド、そして安倍くんと全く一緒ではないか』
③最後がこれ。
『君の上の言説を自分でもう一度読み返して見給え。それは西洋によるイスラム攻撃と軌を一にしているのではないのか』
何でこうなるのかさっぱり分からない。ここにいう「君の上の言説が」がこの命題の主語なのだが、僕のどの言説をさしているのか。つまりこれだけでは、全く意味のない文章なのである。この論者が批判相手の主語をぼかすやりかたは、連想ゲーム式なものであって、どんな批判も可能とするやり方なのである。
さて、イスラム国とシャルリーとの悲劇を巡って、1916年の英仏ロにまで遡った西欧政治と思想を、さらには日本の歴史修正主義までを辿りながら、肝心のこれが欠けるのはどうしたことだ!
イスラム国の温床、根源を論じるにしては、嘘の理由で国連の反対を押し切って強行され、関連死含めて50万人も死んだイラク戦争も、有志国参戦も入っていない。その後のアメリカによる数々のシリア国家崩壊工作も! いまだに続いている米国によるれっきとしたシリアという独立国に対する反乱軍育成、訓練にさえも。これだけ無数の地獄作り行為がなされれば、どんな国でも無数の鬼が生まれるであろう。イスラム国を語りながら、これらのその温床が全く語られないで、1916年だかの英仏ロにまで遡って原因を探しているのは一体どうしたことだ。そのアメリカに対しても、アメリカ共和党への批判は全くなく、オバマに対するほんのちっぽけな批判がたった一箇所である。イラク戦争については、僕はこう言いたいね。国家政治勢力としては、アメリカ共和党こそが起こしたと。ついこの前シリア参戦を喚いて、これを渋った大統領に「臆病者、オバマ!」と叫び続けたのはどこの誰だったのか。
そもそも第一次世界大戦以降未来に向かって戦争違法化、植民地解放の流れを主導したのも西欧文明であるが、これも一顧だにされていない。西欧を血塗られた側面だけで見るこんなやり方をすれば、どんな善人も悪人にできるというもの。
西欧思想の論理をたった一つでも使うともう西欧植民地主義者であるという粗雑な論理の方法論はこういうものである。相手への主語を不明確にして、「そんな相手」のたった一つの小さな命題から、大きな命題へとどんどん話を不当に押し拡げていく論理。まるで、風が吹けば桶屋が儲かるというような連想ゲーム。粗雑なやりかたという他はない。
①『いいとされるイスラム教徒だって、シャルリー攻撃を内心では当然だと思っている。それを、「私たちは違います」と言わせているのは君たちの言外の圧力なのだということに気づきもしない。現にイスラムのモスクが各地で襲われてるではないか』
「気づきもしない」という「君たち」が誰なのか。ここがいい加減な文章であるが、とにかくこういう命題が主張されているらしい。
「君たちの言外の圧力によって、(そういう君たちも含んだ多くの)君たちがモスクを各地で攻撃している(ようだ)から、良いとされるイスラム教徒も、シャルリー攻撃は当然との本心を言えないだけなのである」
そもそも、ここに言う「君たちの言外の圧力なのだ」とは誰のことだ? 主語がはっきりしない命題など何の意味もないことぐらいは知っていように。これでは、第1に、あのテロに対してこう語った人が当然含まれる。「言論の自由も大事だが、異文化の尊重も重んじよう」と述べてシャルリ漫画を掲載した中日新聞。中日新聞はモスクなど襲っていないはずだけど。「君たちの言外の圧力」がモスクを襲わせているように述べているところを見ると、中日新聞も重大な共犯者とされるのである。
さらに、僕のように一歩進んで「政教分離」と「言論の自由」とを結びつけて強調した者はもうモスク襲撃者と同罪という趣なのだ。
②『(第一次大戦中のサイクス・ピコ条約による英仏ロのオスマントルコ3分割を例に挙げた上で。文科系)ようするに君が尊ぶ西洋の論理はそのような血塗られた歴史によって作られてきたのだ。それ(西欧植民地主義の)を一顧だにせず、「私はシャルリー」に唱和する君は、日本の戦争は相手に仕掛けられたものだ、侵略などはなかったと強弁する歴史修正主義者とどう違うのか。またそうした歴史観によってヘイトスピーチをまき散らす「在特」の連中とどう違うのだ』
ここには、こんな命題があるだろう。まず、第一次世界大戦中の西欧植民地主義が血塗られているから、西洋近代文明、論理を、全て血塗られているというように宣告する。そして、これがイスラム国を作ったに等しいようにほのめかす。
こうして、だからというわけで、次にはこんな命題が加わっているのだろう。「私はシャルリー」に唱和する者は、サイクスやピコと同罪であり、血塗られた植民地主義者であり、歴史修正主義者であって、在特と一緒なのである。
そして、こういうコジツケ論理、命題をさらにこう敷衍してみせる。
『西洋ボケの頭脳で、「私はシャルリー」と踊っていたのでは、自分たちの過去を棚上げして、武力で殲滅と怒号するオバマやオランド、そして安倍くんと全く一緒ではないか』
③最後がこれ。
『君の上の言説を自分でもう一度読み返して見給え。それは西洋によるイスラム攻撃と軌を一にしているのではないのか』
何でこうなるのかさっぱり分からない。ここにいう「君の上の言説が」がこの命題の主語なのだが、僕のどの言説をさしているのか。つまりこれだけでは、全く意味のない文章なのである。この論者が批判相手の主語をぼかすやりかたは、連想ゲーム式なものであって、どんな批判も可能とするやり方なのである。
さて、イスラム国とシャルリーとの悲劇を巡って、1916年の英仏ロにまで遡った西欧政治と思想を、さらには日本の歴史修正主義までを辿りながら、肝心のこれが欠けるのはどうしたことだ!
イスラム国の温床、根源を論じるにしては、嘘の理由で国連の反対を押し切って強行され、関連死含めて50万人も死んだイラク戦争も、有志国参戦も入っていない。その後のアメリカによる数々のシリア国家崩壊工作も! いまだに続いている米国によるれっきとしたシリアという独立国に対する反乱軍育成、訓練にさえも。これだけ無数の地獄作り行為がなされれば、どんな国でも無数の鬼が生まれるであろう。イスラム国を語りながら、これらのその温床が全く語られないで、1916年だかの英仏ロにまで遡って原因を探しているのは一体どうしたことだ。そのアメリカに対しても、アメリカ共和党への批判は全くなく、オバマに対するほんのちっぽけな批判がたった一箇所である。イラク戦争については、僕はこう言いたいね。国家政治勢力としては、アメリカ共和党こそが起こしたと。ついこの前シリア参戦を喚いて、これを渋った大統領に「臆病者、オバマ!」と叫び続けたのはどこの誰だったのか。
そもそも第一次世界大戦以降未来に向かって戦争違法化、植民地解放の流れを主導したのも西欧文明であるが、これも一顧だにされていない。西欧を血塗られた側面だけで見るこんなやり方をすれば、どんな善人も悪人にできるというもの。
西欧思想の論理をたった一つでも使うともう西欧植民地主義者であるという粗雑な論理の方法論はこういうものである。相手への主語を不明確にして、「そんな相手」のたった一つの小さな命題から、大きな命題へとどんどん話を不当に押し拡げていく論理。まるで、風が吹けば桶屋が儲かるというような連想ゲーム。粗雑なやりかたという他はない。