九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

イスラム風刺漫画掲載へのおかしな論調  文科系

2015年01月22日 00時03分34秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 仏誌のマホメッド戯画化に対して、近ごろこんな批判が多い。「異文化を尊重する節度」という論点から、マホメッド偶像崇拝を排するイスラム教徒を尊重していないことになるから誤りないしは行きすぎの面があるのではないかと。さて、僕はこの論理はおかしいと思う。日本知識人らしい誤りではないかとも。

 西洋では、政治とキリスト教との近代以降長い摩擦の歴史から、政教分離の原則が生まれた。信教の自由を尊重するためにも、政治と宗教は相互に介入し合わないという約束、原則のはずだ。この決まりができるまでに、十字軍戦争なども含めてどれだけの命と血涙が供されたことだったか。因みに近代日本は宗教心が薄かったようで、政教分離受け入れに抵抗感は少なかったのではないか。

 他方イスラム教国家に政教分離という論理が存在するだろうか。シャリアという宗教原則が法制、準法制、「公序良俗」に多く入り込んでいる。一例を挙げれば、女性に教育は不要というような「公序良俗」も多くあるはずだ。そういう相手と政治や経済などの取引をする場合に、政教分離は無視されることも多いはずである。
 さて、百歩譲ってイスラム国家は政教分離をしないけど、そういう相手にもやはり「異文化を尊重する節度」を持って臨むべきであるということになるのであろうか。これは日本人らしい誤りではないかと言いたい。日本人らしい「人間関係だけ論」の謝った適応であり、稚拙な論理とさえ思うのだが、どうだろう。
 そもそも、コーラン114章の規則をほとんど体現したくない日本人には多いはずの政教分離論者が現在のイスラム国家に住めるのかと考えてみたらよい。先ず、村八分というか、そんな目に遭うのではないか。こうして、政教分離論者ならば、具体的な政治世界にコーランの言葉を持ち込んでくる相手と論争になる場合は多いだろうし、そうなったらマホメッドにもその神の言葉に対しても、文句の一つも必ず言いたくなる事であろうに。それがシャルリであって、これも言論の自由と、僕は思うのである。

 そもそも言論の自由という思想そのものが、政教分離が生まれてからの近代民主主義国家の産物ではなかったか。そしてこの思想には、「どんな神も関係なく人間個人が国家の主権者として尊重される」という思想が入っているはずだ。そしてこういう国家、政治は、政教分離を認めないイスラム原理主義とはどうしても相容れないところがあると思う。政治世界で何も具体的対立が出されていない時に相手の宗教を侮辱するなどは論外であって、それは別問題である。しかしながら、イスラム国家にも世俗主義と原理主義との大別があるようで、シャルリが戯画化せざるをえなかったイスラム国は世俗主義ならぬ政教一致原理主義の典型なのであろう。素人考えだが、世俗主義国家の方が近代国家により近いということなのでもあろう。政教一致原理主義を言論で批判しようとすれば、当然マホメッド批判も出てくるはずだ。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする