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ハリルジャパン(31) 今夜イラン戦  文科系

2015年10月13日 17時01分37秒 | スポーツ
 今夜、イラン戦。その楽しみは、格別だ。力が落ちた日本がアジア最高位をイランに譲って、その1,2位の対決ということだから。しかも相手は、日本に通じているケイロス監督。確か、名古屋グランパスの監督をしていたポルトガル人だったか? ファーガソン・マンUのコーチもしてたっけ?

ハリルが先発を半分代えると語っているが、その大変難しいメンバーはこう予想する。次の要素を考えてのことだ。
①1対1に一歩も引かない。
②その上で、組織的プレスが厳しくチームとしてボールが奪えることに貢献できる選手。
③距離感を持ってグラウンダーパスを回し合い、抜け出し得点を狙えること。そういうパサーと受け手。

 キーパーは西川。左からDF陣は長友、森重、吉田、塩谷。ボランチが長谷部と柴崎。2列目が清武、香川、本田で、トップが岡崎と、僕は読んだ。
そして、フランス語でデュエルという①がない選手は前半から替えられるだろう。同じく、組織的プレスで浮いている選手もそうなろう。練習マッチなのだから、どんどんそうしたらよいと思う。とすると、プレスが甘い国内組は、攻撃で余程の煌めきを見せなければ圧倒的に不利になるはずだ。
 例えば今評判の高得点高アシスト・南野だが、ハリルの評価はかなり低い。①②が弱いリーグ、選手と見られているからだ。柴崎も宇佐美も同じで、この3人などは余程激しいプレスを見せなければ、先発にはほど遠い。

 勝って欲しいと思う。小回りが利きかつ激しい岡崎流のプレスから敵にどんどん圧力をかけ、ハイプレスでボールを次々と奪い尽くして、それを電光石火のカウンターに転じさせて。そして、ブラジル以降の沈滞を覆すようなゲームをして欲しい。そういう新たな先発が1人でもよいから現れることを期待したい。清武、柴崎、米倉、塩谷辺りに期待している。このうち1人でも、凄いプレスを見せてくれないかなー。

 特に柴崎には、変身したと言えるほどのデュエルを期待したい。研究熱心で、改善力も凄まじい彼のこと、もう何回か、海外組のプレーを目にしたことでもあるし、案外自チームとは全く違ったプレーを今夜見せてくれそうな気がするのである。彼には、ヒデや岡崎と通じるものを感ずるから。ヒデが代表の顔になったのは、97年の20歳の時。岡崎は、09年の23歳だったかな。柴崎も確か、23歳・・・。賢い努力家は、10代から正しく、遠大な目標を描いて周到に努力し続け、それが開花して急に化ける時があるのだ。それも、若い内にだけ可能なことのようである。その同じ事を今で言えば「国内組突然変異」山口にも感したのだが、現在25歳。化けられるのはまず、23歳まで。
 今夜の僕は、柴崎と岡崎とを見ているだろう。
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らくせきさん記事の紹介、「世界記憶遺産、日本の身勝手」  文科系

2015年10月13日 14時18分51秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
『 朝鮮日報より (らくせき)  2015-10-13 10:06:11

日本が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)を批准したのは1992年だ。この条約が発効したのは75年のことだから、かなり遅かった。韓国は88年、中国は85年と、日本より先に批准した。日本は分担金をどれだけ支払うかについても、ユネスコと駆け引きをして決定が遅れた。遅刻してきた日本だが、米国に次ぐ多くの基金をこれまで支払っている。金を出した分だけのことはしてもらおうという腹積もりなのだろうか。その後の日本の欲は並外れていた。


 批准の翌年、一度に4件の世界遺産を登録したのを皮切りに、これまで19件の登録に成功している。アジアでは「人類文明の発祥の地」中国・インドに次いで3番目に多い。日本ほどユネスコ世界遺産をPR用に利用している国も珍しいだろう。閉山して人けのない「石見銀山」を世界遺産に登録し、屈指の観光地にしたのが8年前のことだ。その時に自信が付いたのか、韓国人にとっては強制労働の恨(ハン=晴らせない無念の思い)が宿る廃鉱まで、今年登録リストに追加した。おかげで観光客は数倍に増えたという。


 政治的利用度で言うと、1996年に登録された世界遺産「原爆ドーム」をしのぐ遺産はない。米国の原爆投下で骨組みだけ残った広島の中心地にある象徴的な建物だ。登録当時、米国は「被害だけを強調し、加害は忘れようとしている」と批判した。日本は「平和の象徴」と言って押し通し、米国は積極的には反対しなかった。平和と共存を重視する国連の精神を尊重したからだ。


 世界遺産による日本の「被害国アピール」はこれで終わりではない。今月8日にユネスコ世界記憶遺産になった「舞鶴への生還」記録は第二次世界大戦時にシベリアに連行された日本人の抑留手記570点を指す。この中には民間人もいたが、主に中国を侵略してソ連軍に捕虜として連行された日本軍兵士たちだ。登録に成功した日本は万歳と叫んだが、ロシアは不愉快だっただろう。それでもロシアはおくびにも出さなかった。国連の精神がそうだからだ。


 同じ日、中国の「南京虐殺」の資料も世界記憶遺産になった。日中戦争当時、旧日本軍が南京で犯した蛮行とその惨状を記録した中国側の資料だ。すると、日本政府は顔色を変えた。資料に含まれている犠牲者数を問題視し、「極めて遺憾」と過敏に反応した。さらに、菅義偉官房長官は「(ユネスコの)今の制度そのものを変える必要がある」として、ユネスコに対する日本の拠出金の削減や停止を検討する考えを示した。自民党からは「ユネスコ分担金を白紙化する」という発言まで出たという。カネをちょっと出しているばかりに、世界を下に見ているようだ。安倍政権の傍若無人ぶりは感じていたが、これほどまでに品格がなくなっていたとは思いも寄らなかった。』


 らくせきさん本日のコメントが極めて価値の高い貴重なものなので、文科系がエントリーとして紹介させて頂きました。実に説得力のある記事内容だと考えます。この判断力に比べて、日本政府の上に解説された行動「原理」は、なんたる恥知らずな傲岸不遜。アメリカと連んでいる内にこういう態度まで身につけてしまったのでしょう。アメリカの国連安保理決議に対するここ数十年の拒否権発動回数は、他国全部を合わせたよりも多いのではないでしょうか。
 僕はこんな日米には、こう言いたいほどの気持ちですね。それほど他国を見下すなら、国連から出たらよい。そして、日米の世界遺産など全部外してしまえばよい。もっとも実際にそういうわけにはいきませんが。
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日本の品格を貶める外交  文科系

2015年10月13日 00時14分37秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 中国提出の南京大虐殺資料がユネスコ世界記憶遺産に登録されて、日本政府が抗議しています。死者数が不確定という抗議内容なのでしょう。
 何と情けない外交でしょうか。中国側は死者30万人と算定し、連合国戦後裁判では20万人とあり、最近の日中両国歴史学者合同検討会における日本学者たちさえが、4~20万人と(無責任な数ですが)確認しています。日本政府にやる気があれば出来たはずのこととして、臨戦兵士たちの聞き取り調査さえやっていないのです。歴代政府に調査をする気もなかったということでしょう。
 これで「死者数不確定」、抗議って、無責任を通り越して恥知らずとさえ思います。自分らが宣戦布告もなく、仕掛けた戦争なのですから。上海決戦を「第1次大戦のヴェルダン攻防戦に匹敵する苛酷な闘い」と評したのは、中国の上海要塞作りや防御訓練等に関わったドイツ軍将校たちでした。この苛烈な上海事変の一か月ほど後にこれの延長として起こったのが、南京包囲戦でした。日本兵士たちも、さぞかし鬼に変じていたことでしょう。
 南京事件6年前の満州事変でさえ、国際連盟で違法戦争と決議されています。反対1国という圧倒的多数ですから、上海・南京の戦争もそうなること確実だったもの。国際連盟を飛び出したから免れただけのことです。

 ちょっと前には、こんなこともありました。
 2014年1月、伊藤博文暗殺の現地・ハルピンに中国が記念館を開館して韓国が謝意を表した問題で、菅官房長官が「テロリストに対してなんたることか!」と抗議の意見を表明しました。
 当時の「法律」から見たら当然テロリストでしょうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなるでしょう。ただ、安倍政権側に全く欠落した観点を一つ書いてみます。

 日本は、独立国であった朝鮮を明治維新以来40年かかって占領しました。この40年の日本は、朝鮮に対して不法な侵略行為、暴力行為を何度も重ねています。1875年の江華島事件に始まって、帝国初の大軍隊平時駐留は早くも1882年に朝鮮に対して行われたのですし、日清戦争も朝鮮併合問題に絡んで起こっています。そして、この暗殺事件は1910年の正式併合の1年前09年に初代朝鮮総統に対して行われました。こういう歴史的諸事実を前にして、これに対するに「当時は植民地は許されていた!」とか「どんな法でもやはり法なのであって、当時は有効!」とだけ語るのでなければ、「テロリスト」との論理は成り立たないだろうと、これが僕の論拠です。
 すると、次に起こるはずのこの理解はどうでしょうか。ならば、「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかないのである」。こういう理解にも賛成しかねます。
 今が民主主義の世界になっているのですから、やはり植民地は悪いことだったのです。「その時代時代の法定主義」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずですから。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義(的観点)を全く欠落させていると言いたいのです。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないはずだと、どうして気づかないのでしょうか。
 
 今回のユネスコへの抗議と、ハルピン安重根記念館への抗議とこの二つは、1国民としてとても恥ずかしいことだと感じました。自らの大暴力を知らぬフリして、居丈高に開き直っているとさえ感じたものです。
コメント (8)
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