断捨離が寂しい? S・Yさんの作品です
近々、家屋の一部(離れ)を取り壊すことになり、その中身の処分に大騒動である。
離れと言っても二階家のほぼ一軒分なので、先代からのかなりのモノが詰まっている。食器や花器、楽器、調度品等の良い品は買取センターヘ運んだ。ところが、どんな品でも売るとなると二束三文である。情けなくなって捨てることにした。どしどし捨てた。どうしても捨て難いものだけは市の運営する団体に寄付をすることにした。
処分することに勢いづいて、私自身の身の回りも片付け始めた。衣類やアルバム、思い出の品々など、書棚の奥にしまい込んであった日記帳まで捨てた。これは十代のころからつけていたもので、しっかりとした箱入りのものが六冊あった。拾い読みしたが、とても気恥ずかしくて絶対に誰にも見られたくない代物だ。誰かの目に触れたりでもしたらと考えるだけで身が縮む。しっかりと梱包した上でゴミに出した。ほんとうは青春を振り返りながら庭で燃やしたいところだが、そうはいかないご時勢だ。致し方ない。
その後しばらくなぜか気分がもやもやとしていた。自分でも理解のできない感情に戸惑っていた。そして先日、大物のピアノやエレクトーンを処分することになった。業者が運び出していくのを眺めていたら、不意に寂しさがこみ上げてきた。
多くの雑多なモノに囲まれ、それらに振り回されている日常に辟易していた筈なのに、もしかして私は数々の思い出や過去を捨て去ったことが辛かったのだろうか。処分することですっきりし、清々するとばかり思っていたのに。自分で自分の感情を持て余している。