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太平洋戦争か15年戦争か   文科系

2018年10月16日 05時57分31秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
はじめに
 現代日本では、標記の論争がまだ続いている。その理由は、右翼学者のほんの一部(と安倍政権)が、15年戦争説を頑強に否定しているからである。右翼学者の種本の結論をオウム返しするだけのネトウヨ諸君にはこんな知識を持つお人は少なくって、この重要性も分かっていないはずだ。二つの違いを明確にしたうえで、なぜ右翼学者がこれに拘るのかも愚考・報告しておきたい。

 二論はどう違うか
 15年戦争とは、1931年の満州事変、32年のリットン調査団報告、33年の国連脱退から、1945年に終わった太平洋戦争までを連続したものと捉えるところからうまれた概念である。対するに、満州事変は1933年の停戦協定でいったん終わっていて、以降には繋がらないという少数説が近年日本の世に押し出されてきた。10月3日当ブログのエントリーの『書評「近現代日本史と歴史学」(成田龍一日本女子大学人間社会学部現代社会学科教授著。中公新書、2012年2月初版)』の本の中でも、このことは明記されてある。歴史像、歴史学が「歴史現象に臨む問題意識」によって変わってくるという同書の重要指摘から起こった典型のような議論の一つということだろう。いくら後者が少数意見だとしても。
 さて、どちらが正しいのだろうか。

 「非連続」説は、何を変えるか?
 端的に言ってしまえば、対米戦争を満州事変から切り離したり、中国・インドシナ南下戦争とも無関係としてしまえば、帝国主義日米同士の戦争という事になって、日本の罪が軽くなる、無くなるということなのだ。そういう立場からこそ、ネトウヨ諸君が語るこんな議論も勢いを得るわけである。
「植民地なんて、西欧もずっとやってきたことじゃないか?」
「日本だけが何故非難されるのか?」

 「非連続説」の誤り
 非連続説のどこが誤っているのか。まず、相手アメリカ側が、こう否定するだろう。そして、おそらく全世界がこれに賛成する。
「満州事変によって傀儡政府を作り、国連でこれを反対日本1票で非難決議がなされ、国連を脱退して以降、中国南下を繰り返して無法者になっていった国の得手勝手な理屈である。我が国も国際社会も、満州事変以降、日本の行動にどれだけ非難、警告を発してきたか。太平洋戦争が、そういう非難を暴力で打ち消そうとした国際的確信犯の無法行為である事は明らかである」
 日本もドイツも、遅れて発達した資本主義国として先進帝国の既得権に挑んだことは確かである。そこに現代から観れば、または歴史論というものの難しい問題が含まれる事も確かなことだろう。が、日独伊は、当時の国際連盟を全く無視して戦争を始めた事もまた明らかだ。世界の明日を作るためには、国際組織は極めて大事である。大国がこれを無視すれば、必ず動乱が起こるのだから。アフガン、イラク、シリア戦争と、そこから生まれて世界を悩ませて来た難民問題のように。

 文科省と安倍政権の確執
 最後だが、この問題は現在日本の政治世界において、標記の形で重大な内部闘争が起こっていると僕は観ている。文科省の教科書がほぼ15年戦争の観点で書かれてきたからである。そういう文科省内「勢力」を一掃し、自分の意思を教育に貫いていく大変な闘争を安倍政権が挑んでいると、僕は観て来た。「大学における軍事研究」でも間違いなく同じことが起こっていると考えているのと同じことだ。
 そんな「政治主導」は、真っ平ゴメンである。これほど大きな国の進路をば、たった一人の首班政権がその一時に過ぎぬ議会内多数を頼みに強引に決めてしまうなんて! 民主主義、多国間主義発展の世界史に対して悪名を残すような、途轍もない罪科と考える。現在アメリカがさらに大々的に展開し始めた国連無視の数々と同様に。大国の国連無視や勝手な歴史観などは、世界に大変な動乱と民衆の不幸を作るだけだ。
 世界の常識とは違うこんな「戦争観」を我が国にだけは広めようというのは、国連の下に多国間主義で世界の平和を構築していこうという人間観、世界観に敵対するようなやり方である。流石は、国連無視をどんどん深めてきたアメリカに従い続けてきた国ということか。
コメント (3)
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