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ボリビア・クーデター、米流革命輸出の手法    文科系

2019年11月19日 10時19分01秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 昨日に続いて、標記の事を紹介したい。これがアメリカ外交の今のやり方なのだと思う。結局、イラク・フセイン政権を戦争で倒したのと同じことを、革命輸出というやり方で行っている。以下は、同じ南米のチリで1973年に起こったアジュンデ政権へのクーデターとそっくり。このチリの政権は、大統領執務室から逃げるのを拒否したアジュンデ大統領が機関銃を撃ちながら殉死していった事によって終わったが、ボリビアのモラレスは身の危険を察知してメキシコに逃げざるを得なかったわけだ。
『中国が民主主義国家になるまで敵対的に「体制転換」を中国に強いるように、軍事的・思想的圧力をかけなければならない』(米外交の長老 キッシンジャーの言葉)
『国際的秩序は、それをとことんまで防衛する意思および軍事能力があってのみ、存続できる』(米ネオコンの論客、ロバート・ケイガンの言葉)
 このケーガンの言う「国際的秩序」とは、アメリカの欲するそれである。そして、日本もこういう言葉の通りにされてきた。田中角栄政権、鳩山由紀夫政権を倒し、小沢一郎の政治生命を絶ったのもアメリカだとは、もう有名な話になっている。アメリカはもう、国連の下の多国間主義という国際民主主義を投げ捨てた、世界の暴君に成り果てている。
 昨日と同じで、『マスコミに載らない海外記事』のサイトから転載する。 


【 ボリビア・クーデター:五つの教訓
 アルゼンチンの社会学者アティリオ・ボロンが、ボリビア・クーデターについての重要な考えを示している。
 2019年11月13日 アティリオ・ボロン Peoplesdispatch

 エボ・モラレスは軍事クーデターで、大統領を強制的に辞任させられた。
 ボリビアの悲劇は、我々の人々や社会勢力や政治勢力が学んで、我々の良心に永久に記録しなければならない様々な教訓を与えている。これは、将来のより詳細な分析の序章としてメモした、短いリストだ。
一番目: 成長、再配分、投資の流れとマクロの改良とミクロ経済指標を保証したエボ政権の模範的な経済行政にもかかわらず、右翼と帝国主義勢力は、決してその権益に奉仕しない政府を受け入れないのだ。

二番目:攻撃の警報を認識するためには、アメリカの多様な機関や、学者やジャーナリストを装ったその広報担当者が出版するマニュアルを勉強することが必要だ。
 これらのテキストは、専門的俗語で彼らが「誹謗中傷」と呼ぶもので、人気が高いリーダーを泥棒、腐敗している、独裁者、無知とレッテルを貼り、評判を破壊する必要性を必ず強調している。
 これは彼らによるメディアのほとんど独占的支配を好むソーシャル・コミュニケーター、自称「独立ジャーナリスト」に託される仕事で、我々が扱う事例では、一般に先住民や貧しい人々に向けた憎悪のメッセージと一緒に、この名誉棄損を国民の心にたたき込むのだ。

三番目: 上記が完了するや否や、恥ずべきヴァルガス・リョサが数日前「権力を恒久化したがっている扇動家」と書いたエボの「独裁」を終わらせる「変化」を、政治指導者や経済エリートが要求する時が来る。
 ファシスト群れが略奪し、火をつけ、柱にジャーナリストを鎖で縛りつけ、女性市長の頭を剃り、彼女を赤く塗り、ドン・マリオの命令を遂行して、邪悪な扇動家からボリビアを自由にするために、最近の選挙の投票用紙を破壊する画像を見た時、彼はマドリッドでシャンペンを乾杯して、飲んでいたに違いないと私は思う。
 国民のリーダーを張り付けにし、民主主義を破壊し、自由でありたいとを望む、あつかましさを持った威厳ある人々を罰するために雇われたヒットマン集団が率いる恐怖政治を確率するための、この下劣な攻撃の、この無限の重罪の不道徳な旗手だからな、私は彼を例として言及しているのだ。

四番目:「治安部隊」が現場に入る。この場合、アメリカ合州国政府の軍なり民間なりの多数の政府機関に支配された組織について我々は話をしている。
 彼らは治安部隊を訓練し、彼らを武装させ、共同演習し、政治的に教育する。私はエボに招待されて、三軍の士官に対し「反帝国主義」の授業を開始した時、これを目撃する機会を得た。
 この機会に、冷戦時代から受け継がれている最も反動的な北米のスローガンの浸透度と、先住民が国の大統領だという事実によって起こされる露骨ないらだちに、私は驚いた。
 これら「保安部隊」がしたことは現場から彼ら自身撤退し、ウクライナで、リビアで、イラクで、シリアで、帝国を煩わすリーダーを打倒し、最後の例では、打倒しようとして行動したように、ファシストの群れに、無制限な行動をやり放題にさせて、国民や、好戦的な部門や、政府の人物を脅迫することだった。
 だから、それは新しい社会政治的概念だ:右翼がリクルートし、資金供給した反動主義集団が、彼らの法律を押しつけるのを可能にする「不作為による」軍事クーデターだ。恐怖が支配してしまえば、政府は無防備状態なので、結果は予想できた。

五番目:ボリビアでは帝国主義に植民地化され現地右翼の召し使いたる警察や軍のような組織に、治安や社会的秩序は決して託されるべきではなかったのだ。
 エボに対して攻撃が開始された時、彼はゆう和政策を選び、ファシストの挑発に反撃しないことにした。
 これが彼らを大胆にし、彼らが方策を強化するのを可能にするのに役立った。最初は、二回目の決選投票要求だ。次に不正行為と新選挙。すぐ後に(ルーラなしでのブラジルでと同様)エボ抜きでの選挙。
 それから彼らはエボ辞任を要求した。最終的に、彼が恫喝を受け入れるのいやがったので、エボに辞任を強いるため、連中は警察と軍共謀で恐怖感を植えつけたのだ。全てマニュアルそのままだ。これらの教訓から我々は学べるのだろうか?】
コメント (3)
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