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世界サッカーの焦点、ユルゲン・クロップ(番外編②)ストーミング??  文科系

2019年11月17日 05時31分07秒 | スポーツ
 馬鹿馬鹿しいことに、ストーミングという言葉は日本人の造語らしく、日本で「それらしく」使われ始めただけの語のようだ。確かに、英語の本国イギリス人がこんな形容詞をリバプール相手にいくら連発するからと言って、ある戦術の定義とも言える呼び名にこんな語を使おうとするわけはないのである。
 「月刊フットボリスタ12月号」の中に、こんな説明がついていたので、あきれてしまった。
『前回の特集号(約1年前発行のものらしい)において、筆者は「ストーミング」という単語を「ボールを手放すことを厭わず、それを再度回収することを前提とした戦術的思考」と定義した』
 何のことはない。一人の日本人が、ゲーゲンプレスをこういう言葉に言い直しただけの、「定義」と述べている。大山鳴動ネズミ一匹。全く訳の分からぬ形容詞を持ち出して、ゲーゲンプレスの定義をこの言葉に持ち込んだだけ?

 ストーミングなんてやめて、本家のクロップがそう言っているのだからゲーゲンプレスでよい。これが最も的確な定義である。その理由は以下の通り。
①敵ゴールに攻め入るとき、ボールを奪われてカウンターを食った瞬間にボールを奪い返せるような組織的準備をしつつ攻めていき、事実奪い返すやり方。これがゲーゲンプレス。クロップはこう語っているのだ。
『身方が攻めていてボールを奪われ、敵が攻めのため前掛かりになった瞬間こそ、もしそのボールを身方が奪えるならゲーム中最大の得点チャンスが生まれる。敵が防御陣としては最も乱れているときだからである。』


②次いで、このゲーゲンプレス・ボール奪取から攻撃に入れば、ゲーゲンプレスで前に出た勢いのままにゴールに向かって最短手数で襲いかかるのである。もちろんこの①②は不可分のモノだ。

③ポゼションサッカーとちがってボールを奪われることを恐れないのは、①に自信があるからこそ②のようにリスクをとって大胆に攻められることの結果でしかない。とすればどうして、ゲーゲンプレスを言い換えねばならないのか。しかも、こともあろうに、こんな単なる形容詞に!
 ちなみに、ボールを奪われることを恐れるか否かと言う論議は、バルサ・ペップ流繋ぎのサッカーとの対比という問題意識に過ぎず、何か意味があるような論議ではない。そもそも、ポゼッションが良いと誰が決めたのか。アリゴ・サッキのポゼッションでさえ、ポゼション自身が目的ではないはずだ。

 この本「フットボリスタ」はもっともらしく見えるが、肝心の部分がおかしい考えるに至った。書かれているサッカー理論自身は学ぶところが多いが、一種の詐欺的やり方が肝心の部分に入っている。こんなふうに。

①「ストーミング」が騒がれ、「売れる」のは、なによりもクロップ・ゲーゲンプレスの実績があるからというのは明らかだ。作者もこれを売りにしているのだから。
②が、ストーミングとゲーゲンプレスの関係が一向に明らかではない。ストーミングがラングニックから生まれたと説き起こして、クロップがラングニックから生まれたように説き進むが、その実証的関係付けが一向に明らかにされていないし、そもそも、クロップは「ゲーゲンプレスはバルサを参考にして、自分が構築した」と述べて来たはずだ。
③最後に、最も厳しい批判が以下のようなものだろう。もし、クロップがラングニック理論から出発して、この実践を深めたとしてさえ、こういう反論が成り立つ。理論と実践は違うものであって、実践、実績の方が遙かに価値が高く、尊いものだ。事がスポーツだからである。

 こうして、(ラングニック)ストーミングを語るならば、クロップの名を使うようなことは止めよと言いたい。クロップの実践、実績の方が世界サッカー史自身に遺した意味が理論よりも遙かに大きいからである。スポーツにおいて「学派」を「監督実績」よりも重く見るようなやり方は、おかしいということである。ちょうど、歴史に残る名選手が出てきたときに、過去に教えた人々が、「原点は俺だ」と吹聴し回るようなよくある話で・・・。というように、他の誰かが「(ラングニック)ストーミング」をクロップの元祖のように語って「ストーミング」を売り出すなら、2重の「人のふんどしで取る相撲」にならないか。
コメント (3)
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