ネットにこんな題名の記事が載っていた。
『「サンモニ」コメンテーター、防衛費を「軍事費」と表現し少子化対策批判???』
こういう語り方が今でもおうおうにして行われるのが、僕には不思議で仕方ない。十分に軍事力と言われるほどに相当程度でなければ防衛力にもならぬはずだし、そもそも「そういう物」は、他国から観たら軍事力に他ならぬはずだから。こうして防衛力などと言うのは、それを持つ「ご当人の主観的願望」に過ぎないのである。「他国にはそう観られている」という発想が欠けるとき、その日常運用すら誤ることも起こりうるはずだ。
どんな頭脳でわざわざこんなことを語るのか、幼児的発想の言葉遣いとしか言いようがない。20世紀最大の心理学者の一人、ジャン・ピアジェの発達心理学上の概念に「自己中心的言語」というものがあるが、「防衛力」とか「平和のための防衛力」とかいうのはそんな幼児段階の言葉としか思えないのである。
『「サンモニ」コメンテーター、防衛費を「軍事費」と表現し少子化対策批判???』
こういう語り方が今でもおうおうにして行われるのが、僕には不思議で仕方ない。十分に軍事力と言われるほどに相当程度でなければ防衛力にもならぬはずだし、そもそも「そういう物」は、他国から観たら軍事力に他ならぬはずだから。こうして防衛力などと言うのは、それを持つ「ご当人の主観的願望」に過ぎないのである。「他国にはそう観られている」という発想が欠けるとき、その日常運用すら誤ることも起こりうるはずだ。
どんな頭脳でわざわざこんなことを語るのか、幼児的発想の言葉遣いとしか言いようがない。20世紀最大の心理学者の一人、ジャン・ピアジェの発達心理学上の概念に「自己中心的言語」というものがあるが、「防衛力」とか「平和のための防衛力」とかいうのはそんな幼児段階の言葉としか思えないのである。
世界第3位の経済力を持つ国の世界五本の指に入る軍事力ならば、軍事力と述べるのが、むしろ当たり前のことではないか。これでも「防衛力」と語る人々こそ、現状と9条が矛盾しないと強弁できるのだろう。