随筆紹介 私の生まれたこの街で(その二) S・Hさんの作品です
ある朝のことである。その公園の清掃ボランティアの女性から興奮した声で電話がかかってきた。
「吉川さんが楠の木のてっぺん辺りで枝を切っている。落ちたら大ごとだから何とか止めないと」
良平は現地に飛んで行った。二、三人が大きなおおよそ四メートル先の木のてっぺんを見上げて「おりなさーい」などと叫んでいる。本人の吉川さんは上から「大丈夫」などとのんきに答えている。
彼の様子を見れば腰の安全ロープがしっかりと木の幹にくくられているし、安全なようにも見える。しかしながら八十の半ばの男が木のてっぺんに登っているだけで世間では大ごとである。何かあったら私たちの責任になるという連帯意識が吉川さんの行為を止めさせる。
良平が大きな声でわざとゆっくり降りるよう説得をした挙句、彼は腰の安全ベルトを外しするすると滑って地面に足をついた。
しみじみと吉川さんは言った。
「俺は木登りなんか平気なんだけどなあ。それに俺は周りが汚いと思って道端の雑草などをむしっているのに気持ち悪いといわれる。世の中変わったなあ。人情がなくなったわ」
ある朝のことである。その公園の清掃ボランティアの女性から興奮した声で電話がかかってきた。
「吉川さんが楠の木のてっぺん辺りで枝を切っている。落ちたら大ごとだから何とか止めないと」
良平は現地に飛んで行った。二、三人が大きなおおよそ四メートル先の木のてっぺんを見上げて「おりなさーい」などと叫んでいる。本人の吉川さんは上から「大丈夫」などとのんきに答えている。
彼の様子を見れば腰の安全ロープがしっかりと木の幹にくくられているし、安全なようにも見える。しかしながら八十の半ばの男が木のてっぺんに登っているだけで世間では大ごとである。何かあったら私たちの責任になるという連帯意識が吉川さんの行為を止めさせる。
良平が大きな声でわざとゆっくり降りるよう説得をした挙句、彼は腰の安全ベルトを外しするすると滑って地面に足をついた。
しみじみと吉川さんは言った。
「俺は木登りなんか平気なんだけどなあ。それに俺は周りが汚いと思って道端の雑草などをむしっているのに気持ち悪いといわれる。世の中変わったなあ。人情がなくなったわ」
良平は吉川さんの言っていることは理解できたが、世間の空気を読むことをしない彼、周囲に溶けこもうとしない偏狭な彼を哀れだと思った。
そういうことがあって、数日後のことである近所の上川さんから電話があった。
「良平さん、きのう救急車があんたの家の横に止まって結構若い人が担架で運ばれていったよ。ちょっと見ただけだったがかなり苦しそうだったよ。あそこの家はあんな若い人いたんだっけ? あんたなら横だから知っていると思って」
良平の隣家には年老いた父親と確かまだ仕事に行っている独身の長男がいる。長男は勝田正次という。父親は勝という。勝の妻は認知症が激しくなり随分前に施設に入ったと聞いている。
あそこは男二人で食事などはどうしているのかなと良平も心配はしていたところであった。そこの庭は夏の間草取りをしてなかったので、ミカンなどの果樹に混ざってススキやせいだかあわだち草などが生い茂っていた。冬になって、草が枯れて来る昨今は火でもつけられたら危ないとも感じていた。
ある日曜日、燐家から草刈り機の騒がしい音がしてきた。
〈まさか正次君が作業をしているのか?〉良平は不審に思い覗いてみた。なんと家の前に正次が立っているではないか。良平は胸が詰まる思いで彼に近づいた。
「いろんなことかありましてね。せめて庭だけでも整理整頓しておきたくて。僕は今氏子の役員をしていますが出来なくなりました。宮司に話してきます」
顔面蒼白な正次は良平の目の中をのぞくような真剣な表情で言った。良平は今のこの状況を悟った。
死ぬ前に一度家に帰ったのだ。
そういう状況の中で友人に家の庭をきれいにしてもらい、身辺整理をしているのだ。
しばらくして勝田家の前に数台の車が停まり、黒いスーツの人だかりができていた。
良平が歩いていると、民生委員をしている幼馴染に出くわした。
「あそこ、息子さんが亡くなったのよ。若いのに気の毒だけれど。お父さんはどのくらい理解しているのかしら」
彼女は勝田家を顎でしゃくって指しながら気になることを言った。父親の勝はああ見えても相当の認知症を罹っているという。良平は毎日のように路傍であって時の挨拶をしているというのにである。
「ああん、ダメダメ。ぱっと見は普通のように見えるけれど家の中はゴミ屋敷だわ。火事の心配がある。でも幸い近くの娘の芳江ちゃんが毎日食事を持って面倒を見てるからなんとかなっているのよ。あんたも隣なんだから時々のぞいてあげてね」
「おい、俺だって七十五の独居老人だぜ。お前たまには俺の介抱くらいしてくれんかねえ」
良平が冗談を言うと
「ふふん、何を言ってんの。あんたなんかにゃ構っちゃあおれんわ。世の中、超高齢化社会だから毎日ハラハラドキドキ。何が起きるかわからん。この前も家の中で死んでいたんだよ。あーあ、早くこの役を卒業したいわ」
寒いというのに、額の汗を拭きながら豊満な体躯を揺らせつつ消えて行った。
良平はそこまで一気に様々な最近の経験を思い浮かべながらひとまず考えるのを止めた。お金を払い、みぞれが落ちる寒空の下を傘もささずに小走りで家に帰った。
三、世間を見渡して
ソファーに寝ころびながら、良平は相変わらず降り続ける外の風景を眺めた。先ほど考えていた記憶の断片が浮かんでは消えた。
高齢者はみんなそれぞれの固有の成育歴の中でそれぞれに生きてきた。そして今人生の終末に向かっている。人生に正解がないように、各自が好きなように自由に生を全うすればよいのだ。周りの人々や環境が、それぞれの人生に寄り添うような世間であってほしい。
あの古びた近所の喫茶店でコーヒーを飲みながらお年寄りの群像の中の一人でいたい。あの公園の落ち葉を自分よりずっと人生の先輩だちと掃除することの落ち着くことよ。
〈この土地で生まれ育ってきた。だからこの土地で死にたい〉
あの喫茶店のママだってきっと死ぬまでその仕事を続けていたいに違いない。仕事を続けることがボケずに長く生きることだと信じているのだろう。喫茶店に集まってくる人々もいつもコーヒーを黙って飲みながら、みんな心で繋がっていたいと思っていることだろう。だから毎日三百五十円を握りしめて通ってくる。
かつてあったことのない超高齢者社会の中を私たちは生きている。私たちは毎日手探りで老いをより安楽に楽しく生きてゆく実験をしているのだ。
この先は誰にも分からない。ドクターだって老いをどう生きるべきかを教えてはくれない。ならば老いの私たち自身が日々生活する中でまさぐるように生きてゆかねばならないのだ。
したがって、今私たちの生きているこの社会は(施設のようにコンクリートで取り囲まれているわけではないが)高齢化社会の実験施設と見立ててよいのではないか。喫茶店にしたって、この地域だって。
この世間という世界の中で、物忘れに戸惑ったり、暇を持て余したり、孤独にさいなまれたりしながらも何処かで誰かと繋がって生きてゆく。
〈ここで最後まで生きる〉
雨の中、蜜柑の木の下で、水仙の群生が天に向かって一斉に伸びていた。