九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「昭和九条の会一周年のつどい」に三百数十人が集う。

2006年07月17日 14時25分15秒 | Weblog
 昭和区九条の会は7月九日で結成一周年を迎え、記念のつどいを開きました。
 
 会には三百数十人の皆さんが集まり、「昭和区在住の声楽家夏目さん石黒さんの歌曲」や「市内私立高校生の群舞」「元ドラゴンズ社長の佐藤さんの講演」などで一周年を祝いました。

 参加された方に感想をお聞きすると
  「ビラ見て、孫みたゃーな高校生の人が出やーすと聴いたで、来てみたがね。
  いーしょおけんめえ、元気でやってみえたで 涙が出たがね。」とか

  「こわい会かも知れんと思っとつたけど、歌も若きゃあ人の踊りもあってえー
  会だったがね。 こんなら、向かえの人も誘やよかったわ。」と夫婦で参加された方。

  「戦争はいかん。忘れてはいかんで頑張ってちょーだい。」とカンパをされて行く方も多く、やってよかったとしみじみ思いました。
                          まもる
 
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ブッシュさんブレアさんに感謝  

2006年07月17日 10時40分09秒 | Weblog

国連安保理の決議案は、よい着地点を見つけたと思っていますが、
興味深い記事を見つけました。


まず、中日の朝刊の記事。

「トニー、ありがとう。北朝鮮の決議の
全会一致のために、いい仕事をしてくれた」
サミットでブッシュ大統領はブレア首相に
こう話しかけた。

ミサイル発射問題に関する国連安保理の北朝鮮決議採決で、
直前に折衷案を示して解決への道筋をつけてくれたことへの
お礼だった。

    


次は、赤旗の記事です。

安保理で決議案採択後の各国代表の発言要旨を紹介、
ロシアの発言を次のように載せています。

「・・・誰もが受け入れられる公正な解決を探求した議長(フランス)と、
合意をもたらした英国大使に感謝する」


これらの記事を読むと、どこの国が今回の決議案の合意に、
外交的な努力をしたのかが、読めてきます。

    


日本国内では、同じ中日の次の記事が興味を引きました。

積極外交で孤立回避、という中見出しのある記事の最後です。

安倍官房長官周辺は今回の外交戦をこう意義づける。
「中国は当初、報道陣向け声明で十分だと言っていたが、
議長声明、非難決議ときて、拘束力のある決議がとれた。
日本が強く主張し続けて成果だ。
日本が米国を引っ張る形も初めてだろう。
今後、こういう主体外交の方向に持っていく必要がある」


    

               落石





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私も産経新聞の記事を・・・(保守系)

2006年07月17日 02時51分53秒 | Weblog
・・・博多で各国の政治学者が集まって世界政治学会が開かれたのだが、そこに国連代表部次席大使が姿を見せたのには驚いた。日本が提出した北朝鮮制裁決議案を巡って、各国が必死の工作を続けているの真っ最中に持ち場を離れたことになる。
大島賢三大使を支え、各国の根回し、マスコミ対応など仕事はヤマほどあったのでは・・。学会に不義理をしても誰も文句を言わなかった。不在でもたいしたことがないのなら、自らお飾りであると認めたようなものだ。「チーム日本」の結束のためにも、あえて苦言を呈したい。TVのワイドショーウも「チーム日本」の足を引っ張っている。敵基地攻撃能力という単語に「自分の父は赤紙一枚で軍隊に引っ張られた」「戦争に巻き込まれる」などとヒステリックに反応している。日米はミサイル防衛(MD)の整備を急いでいるが、完成しても全てのミサイルを打ち落とせる保証はない。
敵基地攻撃能力とは、凶器悪犯を検挙する際に警察官が棍棒ではなく、ピストルを携行するようなもんである。厄介なことは米国に任せて、北にコメでも送って機嫌をとっておけば、暴発は避けられるという「平和主義者」は、歴史を学んだ方がいい。第二次世界大戦は、戦争を避けようとした、英国のチェンバレン首相がミュンヘン会談でヒットラーに甘い対応をした結果はどう出たか。朝から晩までTVに出ずっぱりの「みのさん」、ちょっと休んで、歴史の勉強でもされたらいかがですか・・・。
という内容です。これはへそ曲がりさんや文科系さんにも当てはまるものでしょうね。
すこしありきたりな内容でしたでしょうか?
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愛国心と靖国参拝⑥ 落石 小泉さんの登場 

2006年07月16日 10時11分58秒 | Weblog

ブログが活況なので、連載を忘れていました。
でも、私の問題意識も必要かな?と思い続けます。
問題意識は両方とも、同じ土壌に咲く花では?
というものです。


小泉さんの登場 空白感を埋める魔術師? 


1993年、日本の政治は細川政権の誕生で大きな転換期を迎えました。
半世紀近く続いた、いわゆる55年体制も崩壊しました。
(自民党は、この危機を乗り切るために、選挙制度を中選挙区制から
小選挙区制に改定することに成功、いまだに自民党を中心とした
連立政権が続いています。)

93年に自民党が敗北した原因は金権体質にありました。
政・官・財の三位一体による癒着システムが批判の対象になりました。
たしかに、天下り、談合に象徴される土木建設国家システムは限界に
きていました。
(この三位一体のシステムは、戦前の満州国建設の際、ソビエト社会主義
などから学んでつくられたものとも言われています。)
経済成長の時代が終り、経済発展に役立ったシステムが時代に
そぐわなくなったのです。

そしてバブル経済が崩壊、日本は不況の時代へ突入していきました。
(当初、自民党を中心として政府は、不況対策として、公共投資策を
続行しましたが、財政赤字を増やすだけに終ります。)

こうした時代閉塞への処方箋として政治改革とともに、
構造改革の必要性が叫ばれ、経済改革として新自由主義経済方式が
採用されます。
三位一体システムを壊そうという試みで、規制緩和の実行です。
金融と労働分野での規制緩和が急速に進み、村上ファンドを生み出し、
株式市場を活性化させました。
また労働分野での緩和は、低賃金の労働者を多数生み出し、
企業の利益向上に大きく貢献しました。

こうした改革は、本来は野党の側から指導者が現れて、
政権が交代して行われるという順番でしょうが、
日本では、野党にそれだけの力がないという悲劇的な状況があります。

改革は、自民党をぶっこわすと叫んだ男が首相となって本格化したのです。
小泉さんの登場です。

国民の多数の支持を集めた小泉さんは、抵抗勢力という敵を設定、
財政支出の削減が実行されます。
公共投資の削減がようやく実現しました。
構造改革を実施、社会保障費は削減され、公務員も削減されようとしています。
そして増税が待っています。

小泉さんの「敵」をつくって中央突破を図る政治手法にも限界はあります。


その限界が、こんにちの日本の状況を悪くする方向に進みそうな気配がします。

                          続く






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ジャップ!   へそ曲がり

2006年07月16日 09時16分22秒 | Weblog
 戦時中、子どもたちが集まって戦争ゴッコをよくやりました。指揮するのはガキ大将です。彼はもちろん日本軍です。子どもたちはふた手に分かれるのですが、勝手には出来ません。
 グループ分けはガキ大将が決めます。何しろ日本軍は勝たなければいけません。大将は強そうな子を自分の部下にします。残った弱い子は「シナ」軍になるのです。戦いの結果はもちろん日本軍の勝利です。
 勝った「日本軍」は『日本勝った、「シナ」負けた!』と凱歌をあげます。さらに、『シナ・チャンコロやーい!』と囃し立てます。
 「シナ」軍の子たちはもうやりたくありません。でも、それは許されません。別のことでの「いじめ」が待っているからです。ですから、彼らはいつも従うしかありません。

 そうです。「シナ」の後にもうひとつ「チャンコロ」という言葉が加わるのです。この2つはセットで使われました。子どもたちが考え出した言葉ではありません。大人たちが使っていた言葉を知らず知らずのうちに取り込んでいたのです。
 戦争ゴッコの中での使われ方を見ればわかるように、この言葉は中国に敬意を表して使っているのではありません。明らかに侮蔑した言葉です。だから、石原慎太郎が意図的に「シナ」・「シナ」と連呼した時には、強い嫌悪感を持ったものです。『ババア』発言と同質のものだと思っています。

 同じことは朝鮮についてにも言えます。『馬鹿・チョン』カメラという言葉がひところ大流行しました。現在でも使っている人がかなりいます。意味も知らないで。
 日本の政府やマスコミなどが『北朝鮮』の代わりに『北チョン』と呼んだら、どうなるでしょうか。世界中から非難されることは間違いないでしょう。そんな時、“これは日本中が理解を深めることに役立たせた政府やマスコミの功績である。”なんて論評が出来るのでしょうか。

 インターネットで検索すると、これらの用語には確かに歴史的な根拠を持っていることも判ります。しかし、「中華民国」という呼称は1920年代からあったのです。なぜこの名前があるのに、敢て「シナ」と呼称したのか、歴史的背景を考える必要があるかと思います。

 アメリカにも日本を蔑視した『ジャップ』という言葉があります。日本にも『アメ公』という言葉があります。
 『シナ』でいいじゃないかとおっしゃる方に提案します。日米二国間の共同声明や国連の制裁決議案などに『ジャップ』・『アメ公』・『北チョン』という用語を適用するよう呼びかけたらどうでしょうか。また、『日本海』の呼称でいま紛糾しているようですが、いっそのこと、これをを『ジャップ海』と呼称するよう、世界に働き掛けたらどうでしょうか。
 日本人は果たしてどんな反応を示すでしょうか。


 「保守系」さん、14日の私の投稿およびコメントについてのご批判を戴きました。有難うございます。
 ところで、“「読売」や「産経」、あるいはそこからの刊行物を読め”と言われますが、せめて、“雑誌『全貌』やそこからの刊行物を読め”と言って欲しかったですね。記事のネタ元を読んだほうが、その狙いなど、もっとよく判ります。
 また、「軍備の規模」についてのあなたの見解、私がこれまでに聞いた見解と全く同じ感を受けます。しかも、武装に伴う経費の問題について触れようとしないこともそっくり。もっと掘り下げた見解を求めているのです。

 “過去の行動について反省出来ないものは、今度は、人が自分と同じことをやるのに違いないという不安感に陥る。”と聞いたことがあります。私にもそのような体験がありますが、あなたの論述を読みながら、そのことを思い出しました。
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再掲、掌編小説 「『日本精神』エレジー」  文科系 

2006年07月16日 08時44分52秒 | Weblog
「貴方、また『勉強』? 伊都国から邪馬台国への道筋だとか、倭の五王だとか」
 連れ合いのこんな苦情も聞き流して、定年退職後五年ほどの彼、大和朝廷の淵源調べに余念がない。目下の大変な趣味なのだ。梅の花びらが風に流れてくる、広縁の日だまりの中で、いっぱいに資料を広げている。
「そんな暇があったら、買い物ぐらいしてきてよ。外食ばっかりするくせに一日中そんなことばっかりやってて」
「まぁそう言うな。俺やお前のルーツ探しなんだよ。農耕民族らしくもうちょっとおっとり構えて、和を持って尊しとなすというようにお願いしたいもんですな」

 彼の趣味、一寸前まではもう少し下った時代が対象だった。源氏系統の家系図調べに血道を上げていたのだ。初老期に入った男などがよくやるいわゆる先祖調べというやつである。その頃はたびたび、夫婦でこんな会話が交わされていたものだった。
「源氏は質実剛健でいい。平氏はどうもなよなよしていて、いかん」
「質実剛健って、粗野とも言えるでしょう。なよなよしてるって、私たちと違って繊細で上品ということかも知れない。一郎のが貴方よりはるかに清潔だから、貴方も清潔にしてないと、孫に嫌われるわよ」
 こんな夫に業を煮やした奥さん、ある日、下調べを首尾良く終えて、一計を案じた。
「一郎の奥さんの家系を教えてもらったんだけど、どうも平氏らしいわよ」
「いやいやDNAは男で伝わるから、全く問題はない。『世界にも得難い天皇制』は男で繋がっとるんだ。何にも知らん人だな」
「どうせ先祖のあっちこっちで、源氏も平氏もごちゃごちゃに決まってるわよ。孫たちには父親のが大事だってことにも、昔みたいにはならないしさ」
 これに対して一応の反論を試みてはいたが、彼の「勉強」がいつしか大和朝廷関連へと移って行ったという出来事があったのだった。
 広縁に桜の花びらが流れてくるある日曜日、この夫婦の会話はこんな風に変わった。
「馬鹿ねー、南方系でも、北方系でも、どうせ先祖は同じだわよ」
「お前こそ、馬鹿言え。ポリネシアとモンゴルは全く違うぞ。小錦と朝青龍のようなもんだ。小錦のがおっとりしとるかな。朝青龍はやっぱり騎馬民族だな。ちょっと猛々しい所がある。やっぱり、『伝統と習慣』というやつなんだな」
「おっとりしたモンゴルさんも、ポリネシアさんで猛々しい方もいらっしゃるでしょう。猛々しいとか、おっとりしたとかが何を指すのかも難しいし、それと違う面も一緒に持ってるという人もいっぱいいるわよ。二重人格なんてのもあるしさ」
 ところでこの日は仲裁者がいた。長男の一郎である。読んでいた新聞を脇にずらして、おだやかに口を挟む。
「母さんが正しいと思うな。そもそもなんで、南方、北方と分けた時点から始めるの」
「自分にどんな『伝統や習慣』が植え付けられてるかはやっぱり大事だろう。自分探しというやつだ」
「最近の風潮にちょっと腹が立ってるから喋るよ。世界の現世人類すべての先祖は、同じアフリカの女性だという学説が有力みたいだよ。ミトコンドリアDNAの分析なんだけど、仮にルーシーという名前がつけられてる。二十万年から十二万年ほど前にサハラ以南の東アフリカで生まれた人らしい。まーアダムのお相手イヴとかイザナギの奥さんイザナミみたいなもんかな。自分探しやるなら、そこぐらいから初めて欲しいな」
「えーっつ、たった一人の女? そのルーシー、さんって、一体どんな人だったんだ?」
「二本脚で歩いて、手を使ってみんなで一緒に働いてて、そこから言語を持つことができて、ちょっと心のようなものがあったと、まぁそんなところかな」
「心のようなもんってどんなもんよ?」
「昔のことをちょっと思い出して、ぼんやりとかも知れないけどそれを振り返ることができて、それを将来に生かしていくのね。ネアンデルタール人とは別種だけど、生きていた時代が重なっているネアンデルタール人のように、仲間が死んだら悲しくって葬式をやったかも知れない。家族愛もあっただろうね。右手が子ども以下に萎縮したままで四十歳まで生きたネアンデルタール人の化石もイラクから出たからね。こういう人が当時の平均年齢より長く生きられた。家族愛があったという証拠になるんだってさ」
 横合いから妻が口を出す。
「源氏だとか平氏だとか、農耕民族対狩猟民族だとか、南方系と北方系だとか、敵を探し出してきてはケンカするのが男の人たちってホント好きなんだから。ルーシーさんがきっと泣いてるわよ」
「そんな話は世間を知らん女が言うことだ。『一歩家を出れば、男には七人の敵』、この厳しい国際情勢じゃ誰が味方で誰が敵かをきちんと見極めんと、孫たちが生き残ってはいけんのだ。そもそも俺はなー、遺言を残すつもりで勉強しとるのに、女が横からごちゃごちゃ言うな。親心も分からん奴だ!」

 それから一ヶ月ほどたったある日曜日、一郎がふらりと訪ねてきた。いそいそと出された茶などを啜りながら、意を決した感じで、二人っきりの兄妹のもう一方の話を切り出す。
「ハナコに頼まれたんだけどね、付き合ってる男性がいてさー、結婚したいんだって。大学時代の同級生なんだけど、ブラジルからの留学生だった人。どう思う?」
「ブ、ブラジルっ!! 二世か三世かっ?!」
「いや、日系じゃないみたい」
「そ、そんなのっつ、まったーくだめだ。許せるはずがない!」
「やっぱりねー。ハナコは諦めないと言ってたよ。絶縁ってことになるのかな」
「そんなこと言わずに、一度会ってみましょうよ。いい人もいるはずでしょうし」
「アメリカから独立しとるとも言えんようなあんな国民、負け犬根性に決まっとる。留学生ならアメリカかぶれかも知れん。美意識も倫理観もこっちと合うわけがないっ!!」
「あっちの方は黒人とかインディオ系とかいろいろいらっしゃるでしょう?どういう方?」
「全くポルトガル系みたいだよ。すると父さんの嫌いな、白人、狩猟民族ということだし。やっぱり、まぁ難しいのかなぁ」
「私は本人さえ良い人なら、気にしないようにできると思うけど」
「難しいもんだねぇ。二本脚で歩く人類は皆兄弟とは行かんもんかな。『日本精神』なんて、二本脚精神に宗旨替えすればいいんだよ。言いたくないけど、父さんの天皇大好きもどうかと思ってたんだ」
「馬鹿もんっ!!日本に生まれた恩恵だけ受けといて、勝手なことを言うな。天皇制否定もおかしい。神道への冒涜にもなるはずだ。マホメットを冒涜したデンマークの新聞は悪いに決まっとる!」
「ドイツのウェルト紙だったかな、『西洋では風刺が許されていて、冒涜する権利もある』とか言ってた新聞。これは道徳の問題かも知れないけど禁止はできないと言ってるんだと思う。ましてや税金使った一つの制度としての天皇制を否定するのは、誰にでも言えなきゃおかしいよ。国権の主権者が政治思想を表明するという自由の問題ね」
「私はその方にお会いしたいわ。今日のところはハナコにそう言っといて。会いもしないなんて、やっぱりルーシーさんが泣くでしょうからねぇ」 
「お前がそいつに会うことも、絶対許さーん! 全くどいつもこいつも、世界を知らんわ、親心が分からんわ、世の中一体どうなっとるんだ!!」
 と、男は一升瓶を持ち出してコップになみなみと注ぐと、ぐいっと一杯一気に飲み干すのだった。
 
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またまたトンデモ発言!?   へそ曲がり

2006年07月14日 17時52分09秒 | Weblog
 またまたトンデモ発言!?

 
 別に新聞記事そのものが「トンデモ」というのではありません。そこに書かれている中身が「トンデモ」ということです。報道によれば、当事者も発言を認めているということですから、これは事実だろうと思います。

 9日付の「デイリー・スポーツ」や「スポーツ報知」など、スポーツ系新聞に掲載されているものの、一般新聞ではどこにも掲載されていないと言われているものです。これを知って、近くの新聞販売店や新聞社の中部支社に問い合わせて手に入れたものです。

 前置きが長くなりました。以下、記事の内容を紹介します。


       タイトル:麻生外相「金 正日に感謝」
       サブタイトル:関心高まり、直後に冗談と弁明も

 麻生太郎外相は8日午後、広島市内で講演。北朝鮮のミサイル発射で主要国の北朝鮮問題に対する関心が高まったとし、「金 正日(総書記)に感謝しないといけないのかもしれませんが」と発言した。直後に「冗談は抜きにして」と言い直したが、緊張感が高まっている中での発言だけに、今後物議を醸す可能性もある。麻生氏は、自ら出席した先月のモスクワでの主要国(G8)外相会合では「(日本以外の)G8の関心はイランで、(麻生氏が)北朝鮮の拉致、核、ミサイルが緊急だと言ったが、反応は鈍かった」と指摘。「約10日たって、いきなりテポドン(2号)発射ときたから、『日本の言ったのはこの話か、結構えらいことになっていたんだ』と、(北朝鮮自身に)如実に証明してもらった」と述べた。

     
      以上が「麻生発言」の内容です。


 すぐ横に、次のタイトルの記事が掲載されています。

       タイトル:経済制裁強化賛成は80%に
       サブ・タイトル:緊急電話世論調査

 北朝鮮のミサイル発射を受け共同通信社が7、8両日に実施した全国緊急世論調査によると、送金停止や輸出入規制など北朝鮮に対する経済制裁強化の是非に関し、「経済制裁を進めるべきだ」とした人が80.7%で、「強めるべきではない」とした人は12.6%。世論がミサイル発射を深刻に受け止め、厳しい姿勢で臨むよう政府に求めていることが浮き彫りになった形だ。


 以上が記事の全てです。私なりの感想はありますが、それはさておき、ここで討論されることを願っています。


※ なお、「スポーツ報知」は、14日現在、手に入っていません。近くの販売店 に片っ端から電話を入れたのですが、どこも通じません。どうも販売店と自宅と が別々に分れていて、特定の時間にしか応答しないようです。やむを得ず「読売 新聞中部支社」に電話を入れたところ、料金と送料を「郵便小為替」で送ってく れたら、到着次第発送するとのことです。すぐに郵便局へ出掛け、手続きしてき ました。到着には2~3日かかりそうです。また「中日スポーツ」には掲載され ていませんでした。


 まずは、紹介まで。

 
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差別意識の改革は生涯の課題       まもる

2006年07月14日 14時47分31秒 | Weblog
潜在下の差別意識というのはどのように作られ、取り込まれて、どんな形で現れるのかとても難しい問題だとは思います。しかし 心理学などではかなり解明されているのではないでしょうか。
 
 孫兄弟の発育ぶりや小学校など体験から考えると、差別は発達の過程なのではないかとも思えます。小学生の集団では差別意識や行動は日常的に見受けられ、人間の本質の一つではないかと思うほどです。
 男女、障害、体形、容姿、生活習慣、学力、体力、貧富、生育環境、門地、両親、兄弟、言葉、etc 
 子ども達は数え切れないほどの「差別」を訴えてきます。子ども達は差別の海を泳いでいると言ってもいいくらいです。家庭に恵まれ教育環境も生活環境も整っている三分の一の子どもはそれほど辛くは無いでしょうが、恵まれない三分の一の子ども達にとっては、毎日があっぷあっぷの差別の海です。だから彼らはそれなりに反撃し差別し返します。差別は差別を生み再生産します。
 差別とは「正統な理由なく劣った者(優れた)として不当に扱う事。」でありこうした態度や考え方を発達段階に合わせて是正し差別意識や態度の無い人間に育てていくのが教師の仕事の一つであるとされます。しかしそれは並大抵の事ではありません。いじめや児童犯罪はむろん学級崩壊、家庭崩壊児童の自殺などにも差別意識が深く関わっています。
 差別意識を作ったのは、社会であり直接には家庭であり、さらには保育者・教師ですらあります。
 多くの子ども達は日々の教育によつて「差別」のいけないことは教えられ知っています。
 しかし それを身についた考え方、態度にまで高めるのは並大抵ではありません。
 高学年になると教室での無差別状態が建前であることを知っています。教室と言うかなり無菌の世界では無差別状態が成り立っても、ほんとうはソレが理想で世間では成り立たないと感じています。
 差別意識を克服する手立ての第一は教育であることは確かです。
 しかし その教育は生涯にわたってはなされません。でもそのこと抜きには差別意識の払拭は出来ないし、そうした社会を作る事も出来ません。
 差別意識を無くそうという行政の呼び掛けもあるようですが、やはり「建前」的な感じがぬぐえません。

 やはり我々個人個人が絶えざる意識改革をし、その輪を広げるしか方法はなさそうですし、宗教的な力に頼らなければ無理かもしれません。

 「人類みな兄弟」の達成は気の遠くなるような道のりが必要なのでしょう。
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潜在意識下の差別意識  落石

2006年07月14日 09時34分45秒 | Weblog
差別意識ってとても根深い。
昔、ソビエトに旅行した時、いつもは
一緒に行くといっていた2人の子供が
怖いから行きたくないと、拒否したことがあります。

我が家でも、おそらく学校でも、ソビエトは怖いと
いう教育はしていなかったと思います。

なぜ、子供は怖いと思っていたのか?
本人たちに聞いても、自覚していないでしょう。

世の中で言われていることが、知らず知らずのうちに
刷り込まれて、行動の際にモノサシとなって
現れるのではないでしょうか?

極端にいえば、グループをつくった時、
グループ以外の人々を差別するという枠組みが
生れるわけです。
ここをかなり意識しないと、無意識の差別行動が
顔を出してきます。
ある人々に対して差別のない人でも
その他の人々には差別意識を持つことはあるようです。

自覚していない差別意識は、指摘されても
差別意識と思わないと思います。

 
 日本外交の顛末は?

新聞・放送などによると、
安保理は中国のリーダーシップによって
一定の方向に纏まりそうです。
日本外交は中国にとてもかないません。
言ってはいけませんが、どうも単純ですね。
強硬路線一本。
アメリカ以外の友人はいないことが明らかに。
一方、中国は友人を増やしました。

結果は、まずまずの着地点ですから、
日本外交もそれなりに寄与していますが・・・

もう少し見守っていましょう。

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「ジダンの愚行」を原理的に考えてみた  文科系

2006年07月13日 00時38分05秒 | Weblog
まず、「切れてしまい、トロフィーをフイにした愚か者」、「相手の狙いを百も承知で応えてしまった大馬鹿野郎」、「何があっても暴力はいけない」には違いない。しかしジダンは大会最優秀選手にも選ばれているし、フランスのアンケート調査で「彼の行為は理解できる」が51%という結果も出ている。背景に人種差別問題があることはヨーロッパでは常識だからだろう。頭突きの相手の言葉は正確にはまだ分かっていないが、ジダンがアルジェリア系移民2世であるということと、最近のヨーロッパサッカー界の常態から総合判断した結果でもあるらしい。そこでこの背景を改めて調べてみた。確かに酷いようだ。

フランス守備陣の要、センターバックのテュラムはイタリアでプレーしているのだが、猿の鳴き真似ヤジの連発に退場で応えたことがあった。スペインの監督が、フランスとのゲームで今回ワントップを張ったアンリ選手に「黒いクソ野郎」と叫んで、FIFAから制裁措置を受けたという事件もある。良い選手ほどやられるらしい。味方がゴール寸前まで入り込んだのにあっさりカットされてしまった、その敵に対して。接戦の最後に、余りにも優雅に取られてしまった1点に対して。移民が多く、超一流チームの超一流選手が多いフランスチームには特に怨念がほとばしりでるらしい(以上、主として毎日新聞などの拾い読みから)。
こうして見ると、ことは重大になる。「人種的偏見嫌悪」の方がジダンにとっては国やチームの勝利よりも、トロフィーよりも強かったのではないか。単一民族で、朝鮮の方の被害意識にも疎かったように見える日本人には、分かりづらいことのようだ。同じような例を今思い出す。オシム監督が「これでおしまいだ! 私のサラエボが戦争にあるのに、サッカーなどやってられない」と、ユーゴ連邦代表監督とチーム・パルチザン(旧ユーゴ首都ベオグラードの世界的な一流チームだ。この2チームへの監督在任中にユーゴ連邦軍によるサラエボ包囲戦が起こった)監督とを同時に辞任した出来事を。

さて、僕はこれほど強い人種的アイデンティティーを持っているだろうか。ふとそんなことを考えていた。すると「コスモポリタンなんだけど、やっぱり持ってるよ」、そう思った。偏見の強いボストンのホテルでおなじような目にあって非常に腹が立ったし、テポドンが我が国に飛んで来たなら怒り心頭だろうと気づいたから。でもそれだけに、「我が身をつねって人の痛さを知れ」。「日本人のことだけじゃなく、ジダンの痛みも、オシムの怒りも、我が身と同じように分かりたい」。これがコスモポリタンの心だろうと主張したいと考えた。
そういうことを「瞬間に感じてしまった」からなのだろう。ジダンの行為を実況中継で見ていたとき、僕は何の抵抗感もなかった。まして、アホなどいう感じ方はゼロだった。それどころか、レッドカードに文句一つ言わずに、厳つく広い肩幅がショボンと退場していく姿は、何か「確信犯的で」可愛いくすらあった。

問題のこの場面、マテラッティ選手に歩み寄っていく瞬間、ジダンの頭に「あっいかん! これで終わりだぞ。でもまっ、抑えられない」と閃いたには違いないのだと思う。積年の問題がかかわる夫婦げんかの際に、数は少ない決定的な「言」動に及んだ瞬間の自分を振り返ってみたら、これが実感だった。すると、ふと思った。逆に、僕から見れば「日本主義者」の方も、僕などにはこう言いたいのではないだろうかと。
「俺だって、できるものなら世界、他民族を信じたいよ。だけどなー、民族、部族、宗教、そして利害。これだけ酷いいさかいを相も変わらず現に見せつけられると、親和よりも対立、それが現実だと思うしかないじゃないか。コスモポリタンなんてやっぱりお坊ちゃんの幻想だと言うしかないね。世間並みの世事を経てくれば、軍備論者になるはずだ」
こう考えるに至った時、やはり考え込んでしまった。僕の信念は変わらないが。
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再び、新聞記事について   へそ曲がり

2006年07月12日 11時37分33秒 | Weblog
 12日付「朝日新聞」朝刊第1面に、次の記事が出ていました。

『歴史と向き合う 第2部 戦争責任』とあって、見出しが「パル判事の真意は?」となっています。次に、以下の記述があります。

 “東京裁判で全被告に無罪を主張したインド代表判事パルは、日本の戦争責任を否定する論者にとって、ほとんど神格化された存在だ。彼の意見書は「日本無罪論」とまで言われる。しかし、故郷インドでの彼の歩みをたどってみると、異なる姿が浮かび上がってきた。
 パルは、国際法を厳密に適用しようとする学問的良心と、自分たちの植民地を手放そうとしない西欧帝国主義に対する批判精神をともに抱えた理想主義者だった。彼の本意は、日本の軍国主義の正当化にはなかった。
 戦後歴史認識を問い直す年間企画「歴史と向き合う」は、きょうから始まる第2部で、パルを皮切りに戦争責任の問題を取り上げる。
 引き続き、史実解明が進みつつある昭和天皇の責任問題、戦時下メディアとして戦争遂行に協力した朝日新聞の報道を検証する。”

 この記事の後、13・14・15の3面にわたって、パル判事について詳しく紹介しています。

 パル判事の名前はこのブログの投稿の中にも出てきますね。賛否は別として、この記事をぜひ読まれるようお奨めします。
 
 店頭からなくなっても、新聞販売店に行けば、2~3日の間は手に入れることが出来るかと思います。

 まずは紹介まで。
 
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孤立した日本外務省

2006年07月12日 10時33分37秒 | Weblog
中日朝刊の記事。

日米両政府は北朝鮮のミサイル発射問題で
10日に予定していた国連安保理事会での
制裁決議案採決を土壇場で延期した。」

「中国などに拒否権を行使されても構わない」と
早期採決を目指した日本にストップをかけたのは
米国だった。

米国の後押しを頼りに強硬路線を走った日本は
米中両大国の駆け引きのはざまで、強硬論に
一人取り残される形となった。

さらに記事のなかで経緯をこう説明している。

 5日、日本が想定していたのは非難決議案だった。

 6日、「日本が制裁決議案を作成している」と
 アメリカのテレビが報道。
 制裁を加えるように主張していたのはアメリカのはずだった。
 アメリカに抗議すべきという声もあったが
 これを節目にアメリカ主導の制裁決議案に走らざるを
 得なくなった。

 7日、日米英仏で制裁決議案を提出。

 8日、麻生外相は日本は譲らないと強硬路線を強調。

 10日、中国は外務次官を平壌に派遣。
    米国は中国の外交努力を見守ると日本に通告。
    英仏も同調。



この経緯のなかで、眉に唾と思ったのは、6日の出来事。
日本は制裁案とテレビが報道。
あわてて日本政府は方針を変更。

これって変だと思いませんか?


邪推すれば、日本は最初から制裁案だった。
それがアメリカのテレビにすっぱ抜かれた。
それは事実でしょう。アメリカも同じだった。
(案外、日本主導だったかも。
記者会見する時の、大島大使とボルトン大使の歩き方から
なんとなく、これまでと違うものを感じていました。)

安保理が、制裁に進めば、問題はなかったが、
事態は想定外。制裁案の日本は孤立してしまった。
誰の責任だ!!!

そこで外務官僚が考えた苦しい口実。
私にはそう読めますが・・・
そうだとすれば、誰がシナリオを書いたのか?
是非、続報を期待したいものです。

   単なる邪推であって欲しいと願う邪推の好きな落石






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保守系さんに提案   落石

2006年07月10日 16時09分04秒 | Weblog

これまでにお互いの意見は、一応、分かりあったと思います。
これ以上、論じても進展はなさそうですよね。

そこで提案。お互いに立場を、より理解するために
役割を交代して論じませんか?

大東亜戦争は正義だった  落石
不正義だった         保守系


     
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雑感    へそ曲がり

2006年07月10日 15時43分20秒 | Weblog
 「森 光子さんの半生」についての投稿をしたのはよいのですが、「本文」に打ち込むべきところを、誤って「概要文」のところに打ち込んでしまいました。皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。

 さて、7日に初めて投稿したのですが、その内容をめぐってブログの中が大騒ぎになってしまった感を受けます。
 戴いたご批判については、ひとひとつ応えなければならないのですが、浅学な上に豊富な資料を持ち合わせていないため、全てにわたって述べることが出来ません。そこで、その中の特に気になることについて述べたいと思います。

 
1 戦前の日本の朝鮮に対する行為は、感謝されこそすれ、非難されるような謂れ はないというような内容、および、証拠を示せということについて。 

  以下の2つの資料で十分でしょう。

 ① 日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与  えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持  ちを表明した。(以下 略) 
             2002年 「日朝平壌宣言」第2項の冒頭より

 ② 北朝鮮側は「過去の清算」について、「歴史的、道徳的に必ず解決されなけ  ればならない問題だ」としたうえで、経済協力だけでなく、〈1〉在日朝鮮人  の地位向上〈2〉戦前、戦中に現在の北朝鮮の地域から日本に持ち込まれた文  化財の返還と補償―などを求めた。

   このうち、在日朝鮮人の地位問題では、「政治・社会、文化の面で差別的処  遇を受けている」とし、文化財に関しては、「原状復旧が必要だが、痕跡がな  くなった文化財は補償すべきだ」と訴えた。

   これに対し、日本側は過去の植民地支配について改めて遺憾の意を表明し   た。戦後、日本が韓国、フィリピンなどに実施した経済協力や賠償などの具体  例を引き、各国の経済発展に日本からの資金が大きく貢献したことも説明し   た。
     2006年2月 北京 国交正常化のための日朝政府間協議についての    「読売新聞社」のコメントの一部より


2 わたしの戦争体験は、「災」であって「場」ではないことについて。
  

  事実であっても事実でないと言い張る。否定出来なくなると規模を矮小化しよ うとする。言葉の不十分さを取り上げて文章全体を否定しようとする。「自虐史 観」の論者がよく使う手法とそっくりな言い方ですね。
  確かに狭義の意味では「戦災」でしょう。しかし、なぜ敢て「戦場」という表 現をしたのか。
  あの当時の日本はいたる所が戦争を鼓舞するスローガンで覆い尽くされていま した。「鬼畜米英」・「一億火の玉」・「欲しがりません勝つまでは」・「贅沢 は敵だ」などなど。
  当時、私は国民学校の1年生でしたが、学校の先生からいやというほど叩き込 まれました。“いいか、お前たち少国民も戦地の兵隊さんたちと同じ気持ちにな らなければいけない。よいな、ここは銃後ではない。戦地だ!”などと。
  日本の国土は「戦場」であると認識させようとする、戦意向上のためのプロパ ガンダが溢れていたのです。
  戦争体験のない方には実感出来ないでしょうね。
  
 (閑話休題) 
 ① 「贅沢は敵だ」というポスターが電柱に張られていました。そのポスターに  落書きがありました。「は」と「敵」の間に小さな文字で「素」と書かれてあ  ったのです。これ、特高警察の資料に残っています。 
 ② わたしの学校での体験です。ある日、受け持ちの先生の用で、上級生の先生
  の教室へ伝言用紙を持っていくよう命じられました。教室の開き戸を開けて中  へ入ろうとしたとたん、大声で怒鳴られました。ノックしなかったからではあ  りません。何度やっても怒鳴られます。立ち往生しているうちにやり方を教え  られました。まずノックして戸を開ける。そこで「礼」をする。腰を曲げる角  度も決まっています。出来るまでやり直しです。次に申告する。“1年〇組   〇〇〇〇 用があってまいりました。”“ 声が小さい、もとへっ!”何度も  やり直し。最後は絶叫してやっと合格。先生の前でまた一礼して、伝言用紙を  渡します。“ようし、帰れ!”。ここでまた一礼し、開き戸の前で申告しま   す。“1年〇組 〇〇〇〇 用が終わったので帰ります。”“ようし!”。   戸を閉めて、やっと任務終了です。
   これって、映画やテレビのドラマで似たような光景を見たことがありません  か?軍隊そっくりですね。
   こんなこと授業で習ってはいません。でも、こうやって軍人精神を叩き込ん  でいくわけです。軍国主義教育の一場面です。

 ③ 祝日には登校します。講堂で式典が行われるのです。でも児童の多くは式に
  意義を感じて登校するのではありません。式が終わると紅白の饅頭がいただけ  るのです。甘いものに飢えている子どもたちにとって、こんな嬉しいことはあ  りません。
   式典のクライマックスは校長による「教育勅語」の読み上げです。ゆっくり  と壇上に登ります。この日だけ舞台の背面は真っ白な幕で覆われています。静  かに幕が開きます。後ろから天皇の写真が現れます。でも、見てはいけませ   ん。幕が開く直前、声がかかります。“黙祷!”。鼻水をすする音の中、校長  がゆっくりと重々しく「勅語」を読み上げます。後に知ったところによると、  一字読み間違えたために自殺した校長もいたそうです。
   この私はうっかり顔を上げてしまったのです。どうしてかは記憶していませ  ん。だから、舞台のようすがわかったのです。でも、後からこっぴどく叱られ  ました。“目が潰れるぞ、罰があたるぞ。”とまで言われました。
   天皇は神様なのです。見てはいけないのです。


3 飢餓と白旗降伏について。

  驚きました。こんな新説(珍説?)初めて知りました。

  まず、「飢餓」についてですが、栄養学者によれぱ、「飢餓」には2通りある そうです。1つは食物を全く口に出来ないために起こる「完全飢餓」、もう1つ は栄養の不足や失調などによって体力を消耗し、病気に対する抵抗力をなくし、 マラリア・アメーバー赤痢・デング熱などによって死亡するという「不完全飢  餓」。
  わたしはこの意見に賛成します。さらに、この意見はどうでしょうか。
 
  “五ヶ月以前、大本営直轄部隊として、ガダルカナル島に進められた第十七軍  の百武中将以下約三万の将兵中、敵兵火により斃れた者は約五千、餓死したも  のは約一万五千、約一万のみが、救出されたのだ。”

  これは、第十七軍のガダルカナル撤退を指揮したラバウルの第八方面軍司令官 「今村 均大将」が、戦後の回顧録で書いたものです。
              『私記・一軍人六十年の哀歌』  美容書房

  さらに、彼は、自決して責任をとると申し出た百武軍司令官を押しとどめた言 葉の中でも、次のように言ったと述べています。

 “今度のガ島での敗戦は、戦によったのではなく、飢餓の自滅だったのでありま す。この飢えはあなたが作ったものですか。そうではありますまい。日本人の横 綱に、百日以上も食を与えず、草の根だけを口にさせ、毎日たらふく食ってる米 人小角力に、土俵のそとに押しだされるようにしたのは、全くわが軍部中央部の 過誤によったものです”と。

  ただ、「病死」だったと決め付けるのでなく、その原因が何であったかまで掘 り下げて考えたいものですね。


  “日本軍が白旗を掲げたのに”。いったい大本営がそんなことを許したのでし ょうか。そうであるなら、必ず「命令書」があるはずです。ぜひ見せて欲しいも のです。敗戦の時に燃やしてしまったから残っていない、なんて言わないで下さ
 いよ。
  でも、念のため、古い本や雑誌を持ち出して調べてみました。

 ・丸 別冊 太平洋戦争証言シリーズ 22 最悪の戦場 ガダルカナル戦記
 ・丸 別冊 太平洋戦争証言シリーズ  2 地獄の戦場 ニューギニア・ビア                           ク戦記
 ・丸 別冊 太平洋戦争証言シリーズ  9 ソロモンの死闘 ガダルカナルを                           めぐる海空戦記
 ・丸 別冊 太平洋戦争証言シリーズ 10 悲劇の戦場 ピルマ戦記  
 ・丸 別冊 太平洋戦争証言シリーズ  1 空白の戦記 中・北部ソロモンの                           攻防戦
            以上 いずれも「潮書房」
 ・別冊歴史読本 戦記シリーズ 22 地獄の戦場 飢餓戦 ガルカナル/ニュ                         ーギニア/インパール
               新人物往来社
 ・大東亜戦史 1 太平洋編  第4章 ガダルカナル    
 ・大東亜戦史 2 ビルマ・マレー編  第7~9章  ジンギスカンの夢 コ                       ヒマ 死の盆地インパール
            以上  富士書苑

      まだまだありますが、きりがなのでこれぐらいにします。

  どこからも出てきません。当時の日本軍を縛り付けていた規範は何だったでし ょう。「戦時訓」でしょう。“生きて虜囚の辱めを受けることなかれ”。これを 破ったらどういうことになるでしょう。軍法会議にかけられて「銃殺刑」です  よ。だれが降伏命令を出したのですか。それとも、兵士ひとりひとりが「銃殺  刑」を覚悟で勝手にやったのだと言いたいのですか。そうではないでしょう。降 伏が許されないからこそ、突撃していったのです。こんなこと、いくらでも証言 があります。「玉砕」とはどういうことか、よく調べて下さい。
  戦争の終わりごろ、アメリカ軍の「蛙飛び作戦」により、南方の島々は孤立し ました。食料の救援は全くありません。兵士たちは畑を作り、自給自足の生活を しました。そうしたところで、飢えから開放されるわけでもありません。よその 部隊の畑から芋などを盗むということもありました。見つかったものは直ちに  「軍法会議」にかけられ、「銃殺刑」の運命が待っていました。なお、この人た ちは「靖国神社」には祀られていないのです。
  今でもアジアの各地には元日本兵だった人が残っています。報道関係者が調査 しインタビューしている番組を度々見ました。中にはこんな人もいました。重傷 を負って意識不明のまま、捕虜になってしまった。自分の意思ではない。でも、 帰れない。どうしてか。捕虜になったこと自体だ。帰れば家族・親戚が恥ずかし い思いをすることになるから。中にはまだ「軍法会議」が残っていて銃殺される かもしれないと思い込んでいる人もいたのです。
  
  これが戦争の実態なのです。


4 空襲の中で、また、それ以後、私がアメリカを恨まず日本を恨むようになった ですって?
 
  どこにそんなことが書かれているというのですか。よくそんな出鱈目が言える ものだ。腹が立つ前に笑ってしまいました。まあ、朝鮮の皇后「閔妃」は暗殺さ れて良かったと、平然と言えるあなたの品性ですから、平気で捻じ曲げることも 出来るのですね。
  
  猛火の中、雨のように降りかかる焼夷弾、火のない方へ逃げると浴びせられる 機銃掃射、そんな恐怖の中でアメリカがどう、日本がどうなんて考えていられま すか。いや、もっと後のことだとおっしゃりたいのでしょうが、私にとってはど ちらもダメなのです。「森 光子」さんのお話のように“絶対に戦争をしてはい けない”のです。
  
  だからこそ「9条」を大切にしたいのです。


5 大東亜戦争についてですって。

  論じる気にもなりませんね。上記の『大東亜戦争』の本でもお読み下さい。 

  
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やはりあの大東亜戦争は不義な戦争だったのか

2006年07月09日 00時15分50秒 | Weblog
あの東京裁判では、満州事変というか満州国建国からの日本を裁いたものです。
日本は、あのアメリカやイギリス・オランダ・中国国民党(毛沢東の共産党も)との戦争が、平和への罪、人道への罪、謀略への罪というもので、この日本が、戦勝国であるアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア・フランス(ここはおかしい)・ソ連(ここも裁く資格がない)によって日本が裁かれたものです。
もうご存知のように、インドのパール判事は、日本無罪論を展開しましたが、それが公になったのは、日本が独立を果たしてからです。
マッカサーもトルーマン大統領に解任されての上院委員会での証言で、「あの日本の戦争は、自存自衛の戦争であり、アメリカは共産主義の脅威に余りにも無防備だった」と証言しています。アメリカの弁護士も『原爆を落とすことを命じた責任者も私は知っている、それを落とした人も・・」と日本側にたった弁明をしています。
一度、新憲法の前文を読んでみて下さい。悪文そのものです。守るさんも先生でしたね。あれってマッカサーは日本の教育者ならんと思ったようです。ですから、何だか野蛮な日本人に、文明人のアメリカ人が教えを垂れている内容です。
それをマッカサーは、帰国後、反省しているのです。日本に、靖国・教科書であれこれと難癖を言っているのは、シナと韓国と北朝鮮しかないでしょう。そして朝日と毎日・中日新聞ですかね。これらの新聞社の報道姿勢は、利敵行為と言って良いのです。
皆さん方は、やはり勉強していないと思います。何だか狭いというか偏った本とかに染まっていませんか。そこから脱却しないといけませんよ。
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