九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

世界の非武装国家/保守系さんへ        千里眼

2006年10月14日 07時44分08秒 | Weblog
 このブログで、保守系さんが何度か「軍隊を持たない国があったら教えてほしい」という問いかけがあったようです。誰も答えていないようなので投稿という形で答えます。コメントでなく投稿にしたのは、皆さんにも知って欲しいからです。
 2つの国については承知していましたが、それだけでは足らないと思って、インターネットで外務省の「世界の国々」を閲覧したら、わずか30分で次の内容が分かりました。非武装国家の数が多いので逆に驚いたしだいです。

 有名なのは次の2国である。アイスランドは2006年3月に、アメリカとの合意に達し、米軍は撤退しその基地は閉鎖されました。軍隊を持っていなかったアイスランドは、その非武装を貫くことにした。
 コスタリカも非武装で有名である。憲法で国防を目的とする軍隊を持たないことを規定して非武装を貫いている。沿岸警備隊・空港警備隊・麻薬取締部隊を約4000人持っているが。
 その他の非武装国家を挙げていくと、太平洋の中の国々はほとんどが軍隊を持っていない。キリバス、ミクロネシア、ソロモン諸島、マーシャル、ツバルなどである。トンガは歩兵部隊・近衛部隊・沿岸警備隊を持っているが、国防というよりも治安維持を目的としている。つまり本質は警察である。
 ヨーロッパではリヒテンシュタインが国是として非武装中立を貫いている。モナコ公国はフランスに依拠し軍隊を保持していない。ルクセンブルグは形ばかりの軍隊、陸軍を900人保持している。サンマリノも非武装である。
 中米では、ドミニカ、グレナダ、セントルシア、アンティグア・バーグーダが軍隊を持っていない。
 保守系さんは非武装の国はありえないと思ってみえるようだが、以上のとおりである。私の見落としもあって実数はこれより多いはずである。

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「胃癌」と宣告されないために へそ曲がり

2006年10月13日 22時50分23秒 | Weblog
 手術のための検査が終わり、2日ほど休みになったため、自宅へ戻ることが許可されました。
 宣告を受けると、こんな検査がありますよということををお知らせしながら、みなさんには、こんな体験をされないようにと願っています。

1 正式な病名:進行癌
 すべてについて隠さず知らせてほしいと告げていたことから、入院初日に上記のように通告を受けました。

2 事前検査について
 下記のようにおよそ2週間続けられました。目的は2つです。1つは、他の臓器に転移していないかを調べること、もう1つは、手術に耐え得るだけの体力があるかどうかを調べることです。 

3 入院後の経過
・ 10月02日・・・・入院。正式な病名と今後の検査日程を知らされる。
・ 10月03日・・・・入院時採血・心電図・レントゲンなど。
・ 10月04日・・・・胸部・全腹部CT:単純と造影。
・ 10月05日・・・・心臓エコー・負荷心電図。
・ 10月06日・・・・注腸造影。
・ 10月07日~10月09日・・・・祝日などのため検査なし。一時帰宅。
・ 10月10日・・・・胃十二指腸造影。
・ 10月11日・・・・肝臓MRI・腹部超音波検査。
・ 10月12日・・・・クレアチニンクリアランス(尿に関する検査)・肺機能検査。
・ 10月13日・・・・前日夕刻より帰宅許可あり。14日正午までに戻る予定。
・ 10月14日・・・・午後、検査結果の判定と手術の方針などについて、医師より報告される予定。
・ 10月15日・・・・手術へ向けての事前準備。
・ 10月16日・・・・AM10:30より全身麻酔による手術開始。
・ それ以後・・・・・・約1カ月の入院予定。当初より2週間ほど延びる。
  
 ※ その他、検温・血糖値検査などなど、毎日あり。

 ざっとこんな具合です。殆どの検査は短時間で終了するし、あまり負担を感じなかったのですが、11日の検査だけは参りました。
 息を20秒も止めることが何回も繰り返されるし、約2時間半の間、殆ど身動き出来ないという状況でした。そのせいかまたはその夜に寝違いをしたためか、腰痛になってしまいました。

 とにかく「胃癌」という宣告を受けると、これだけのことをしなければならないようです。

 こんな目に遭わないためにも、「胃カメラ」の検診を頻繁にされることをお薦めします。年に1回では「進行癌」の発見は困難と言われました。せめて半年に1回は必要とのことです。また現在では「大腸癌」の発生がとても多くなっているとも言われました。

 これから「癌」との戦闘が始まります。必ず勝って、このブログへ帰ってくるつもりでいます。みなさんのご健康を祈ります。では、再見!!  
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保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その3       千里眼

2006年10月13日 04時39分58秒 | Weblog
 「この日本批判(満州国についての)の根底にあるのは、かつて満洲と呼ばれた土地は、当時(満州国建国時)もそれ以前も中国の一部であった、という考えであるが、これは歴史的に言って正しくない。これについて反論するときは、次のように言うのがよい」として、「現在、中華人民共和国の国土である満洲は、太古から中国であった、としなければ現政権の支配の正統性に疑問を表明することになる。だから、ローマ法王庁をはじめ、十五の国家が承認し、事実上承認した国を含めると二十三もの国家と関係があった満洲国を、中国では『偽満洲国』と呼ぶのである。これは中国側の事情にすぎない」 
「中国人人口がいかに増えても、満洲人やモンゴル人の土地に漢人農民が流入したのであって、中国政府が統治していた中国、という観念はあてはまらない」

 以上のように、満州の地が一度も「中国の一部」、つまり領土であったことはないとして、満州国建国の正当性を主張するのである。古代中国王朝以来、満州の地がどうなっていたのか次に示す。
 ・春秋・戦国時代の北方漢人国家の「燕」は現在の中国東北部遼寧省の主要部分を領土にしていた。
 ・秦は遼東半島を含む中国東北部遼寧省全域を支配下に置いていた。
 ・漢はさらに領土を拡大し、朝鮮北部にまで支配を伸ばして楽浪郡を置いた。北九州の日本の小国家が楽浪郡に使を出していたことが漢書地理誌に見える。
 ・三国時代の魏はさらに朝鮮南部に帯方郡を置いていた。日本の卑弥呼の時代である。
 ・元は満州全域を支配下においた。清も同様である。
 ・明は満州からさらに、黒竜江を越えて現在ロシア領の沿海州まで支配下に入れていた。
 元・清は蒙古人・満州族が作った王朝なので、中国の支配に満州が服していたとは言えないのだと著者は言いたいのだろう。それを除いても中国人の王朝の統治下に満州の地域がおかれていたことは、上記のとおりである。これが歴史の真実なのである。
 元・清が中国史のなかで歴代王朝の一つとして扱われていることは、中国史の常識である。征服王朝である元も清も、政治を担当する官僚は最高級のほんの一部を除き、その大半は漢民族が登用されていたことも周知の事実である。しかも蒙古民族の約半分と満州系民族のほとんどすべては、現在中国国民となっているのである。

 「中国人人口がいかに増えても、満洲人やモンゴル人の土地に漢人農民が流入したのであって、中国政府が統治していた中国、という観念はあてはまらない」と、満州国成立前の清王朝末期の満州について述べている。後に軍閥地方政権に成長する張作霖が頭角を現してくる清王朝末期には瀋陽に東三省総督が置かれ満州地域の統治にあたっていた。この「東三省」という名称に注目して欲しい。つまり、清王朝は中国の東の3つの省として、満州の地域を意識していたのである。保守系の論者はこうした事実もわざと見落としているのである。宮脇氏自身がこの「東三省」という語句を使っているのに、それに注意を向けていないのも驚きだ。袁世凱政権時の満州についても触れたいが、長くなるので省略する。

 パターンNO.5.事実否定・無視のレトリック 無知または意図的に歴史事実を否定する。

 インターネットで調べると、竹内義郎氏の作成した「帝国電網省」の中の満州関連のコラムと、この論文のほぼ内容は同じなのである。さらには、「満州は中国の一部であったと問われたら」という「問い」に答えるという論述の仕方も同じである。竹内論文のほうが文体にまとまりがあるので、宮崎氏が模倣したのではないかと疑った。が、両方とも同じ「種本」を使ったのではないかと私は結論を下した。

 これ以外にも随所におかしな部分があるが、長くなるのでその分析は次回にまわす。                               
                                                 <続く>
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”発達論をちょっと”その4、最終回 文科系

2006年10月13日 01時08分27秒 | Weblog
さて、「その2」の③、抽象的言語を使った内言的思考になって初めて、ちょっと複雑な目的、望みを「成し遂げる」ということができるようになります。何かの望みを諦めるというのではなく「成し遂げる」ってこんなことでしょうか。自分の望みだけではどうしようもなくて、自分の外に法則というものがあり、それをつかみ、それに沿って物事を進め、改善していくということです。そして、こういう経験を積み重ねてきた子は、次のような感覚が深いものです。「周りの誰かがやれている普通のことなら、きちんとやればうまくいく。うまくいかないのはキチンとやれていないからだ。きちんとやるって、ぱっとひらめくような単純な事じゃない。根気よく観察して、色々試してみて、やっとわかる。法則的なことは一度分かれば後は簡単」。小学生では、(それまでの豊かな感覚運動的知能を踏まえた上で)この「きちんとやって、上手くいった経験」の量と言葉によるその方向付けやまとめが、基礎学力の高い子を作るのだと思います。教育ということでこれを語るならば、周囲がほんのちょっと援助して、本人が大事にしていることでこういう経験を積ませる事が大事だと言うことができるでしょう。以下、僕の一つの「特別授業」の体験を報告してみましょう。

ある子どもが小学校4年の初めての5段階評価で1、1、2、2、2、2、3という成績を取ってきました。その子がその2学期にオール3になりました。夏休みに僕がある特別なことをしたのですが、以下はその体験の報告です。
夏休み前後6~7回、1日2時間ほど水泳に付き合いました。なぜ水泳かというと、その時これのグレイド試験が学校で行われており、「速く泳げるようになること」が彼の「現在の最も大きな望み」だったからです。水泳自身の結果では、初め50秒かかった25メートルが僕との「授業」の最後には27秒に縮まったというだけのことです。問題はこの狙いとやり方にありました。
全く特訓ではありません。彼が泳いでいる時間より、僕と彼とが「話し合っている」時間のが長かったくらいですから。僕が質問して彼が答える。質問は控えめ、その都度最後の答えはなるべく彼自身で出すようにというのが注意点です。そして、その答えた通りに「また泳いでみやー」というわけでした。彼が初め遅過ぎたぐらいだから、これですぐに僕が取ってやるタイムがどんどん上がっていきます。こういう話し合い、「そういうようにやってみやー」が、浮き方、全身姿勢、脚、手へと進んでいくたびに、タイムが上がっていきました。後半は、僕の質問も随分少なくて済みました。彼の方からいろいろ言い出すからです。初め彼が遅すぎたから良かったのですけど、泳ぐ度にタイムを上げるように考える僕の方は、なかなか大変だったんですよ。いろんな本も読みました。なお、僕は脱力して、普通に長距離を泳げはしますが、水泳専門ではありません。
こうして2学期の彼の授業態度が全く変わったということ、ここが狙いであって、大事なことなんです。「(法則に沿った)コツがあり、それをキチンと聴いていて、それを踏まえればなんとかなっていくもんだ」と授業にも臨み始めたということでした。
この「特別授業」には小学生教育のいろんな着眼点が含まれています。子どもが好きで執着していることを授業科目・対象に選んでいます。基礎的スポーツや水泳には他の科目にないこんな特徴があり、それらは小学校中学年以前の「法則理解」にとって極めて理にかなったものです。改善点が自分の身体に関わることで分かり易いし、進歩が点数という抽象的なものではなく、自分の身体で直に感じられ(泳ぐ感じ、水をかいている感じ、水が速く流れていくなーという感じなどなど)、タイムで確認できます。問題が自分の身体の動かし方、感じのことだから、そういう改善点を自分で言葉(内言)にし易いということもあります。教える方の注意としては、事実として少しずつでも成果が上がるようにすることと、その度に子どもの凄い熱意が生まれてくるということが大事で、その様子も手に取るように分かりあうことができるでしょう。この「特別授業」の場合は実は、水泳自身を教えているのではなく、物事にキチンと取り組むそのやり方というものを教えているんだということ、それを指導者はいつも忘れないようにしていたいとも思います。だから特訓や命令調も、教えすぎも駄目なんです。
なおこの児童は、幼い時の病気とか、3歳ぐらいまでは保育園に適応しにくく孤立しがちだったこととかが重なって感覚運動的知能で言えば普通の子、ないしはやや遅めで、幼な目の子であって、加えていわゆる「注意力散漫」で脱線し易い子でした。その注意力を授業では集中させたいと、そんな狙いが最初から第1にあったのです。勉強自身を少々教えるよりも(勉強はこの時までも周囲の大人が結構教えていました)、こういう事の方が彼には大事だろうと、いつかそういうことが必要だと、そう考えた末の「特別授業」だったのです。水泳、それも25メートルを速くするという目標を選んだのも、当時のこの子と発達の法則となど、以上全てを見通した上のことでした。

本当に一つのコツ、「成し遂げる態度」が大きな喜びとともに身に染みて分かった時には、こどもの変化って凄いものです。僕がこのことを改めて学べた体験でもありました。

                               (終わり)
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やはり、19世紀・20世紀は戦争の世紀です。(保守系)

2006年10月12日 00時45分43秒 | Weblog
私達の世代は、プラハの春やブタペストへのソ連の侵略を記憶しています。
ウイーンでは、第一次世界大戦で、ハプスブルグ家は崩壊しました。またドイツも帝国として終わりました。
さて19世紀は、フランス革命の余燼が煙っていました。
イギリスは、その革命の恐怖を理解していました。エドモンド・バーグがそれらを指摘しています、私は、19世紀は、フランス革命の恐怖と共産主義革命の恐怖にヨーロッパの国々が恐れた世紀だと思います。そして20世紀は、まさに民族主義と共産主義の脅威にさらされた世紀でした。
私は、何故、オーストリアもハンガリーもこの王家を守りきれなかったのかと思案しましたが、よく理解できませんでした。
神権王授は、その統治する支配者に権威を与えるものです。
統治するには、やはり権威が必要です。日本では、天皇に権威があり、天皇から歴代の内閣は、統治するという権力を与えられています。
これが、イギリスではないのですが、歴史的な知恵です。
ここが、日本の統治を進める上で極めて大事な視点です。
北朝鮮が核実験をしたことを、ブタペストのTVで知りました。
帰ってきたらそれが本当かどうかを相変わらずの左派の筑紫哲也が困った顔をして言っていましたが、北が核実験をしたのは事実でしょう。
私は、核を日本が持つと言ってみればいいといいましたが、核の保持は、抑止力にもなるからです。核兵器は、最終兵器ですが、まあこれで人類が滅亡するまでには至らないでしょう。
どこかで手打ちがされるでしょう。アメリカやヨーロッパなどで今後、日本を始めとして核兵器を持つのではないのかと危惧する論調があるようですが、それは当然の論調でしょう。相手がある殺戮兵器を持てば、こちらも持つ事、それが世界の常識ですから・・。私は、文科系さんに絶対にアメリカは、イランに核兵器を持たせないと断言しました。アメリカは、北に対してもそういう姿勢で臨むでしょう。
既得権益を核保有国は、手放さないのです。
これで北朝鮮の民はますます窮乏していくのでしょうね。へそ曲がりさんも文科系さんもこの北朝鮮の民の生活に思いを致しているのでしょうか。
共産主義に世襲制はないのですが、北はアジア的な共産主義なんでしょうね。
一杯オメカケさんに子供を産ませて、まだ権力の座に座り続けるというのが、欧米社会には判りにくいのでしょうね。
とにかく北問題への日本の対処が世界から見られています。
守るさんも辛いですね。シナや北朝鮮を擁護しかねないへそ曲がりさんも辛い所ですね。
アメリカは絶対に北との二国間協議に応じないでしょう。
余程、北がアメリカに譲歩しない限りしないでしょう。アメリカという国を舐めてはいけないのです。
それにしても東欧(政治的な用語)・中欧での食事はまずかったです。さすがイタリア・フランス料理は、世界の料理ですが、ハンガリー・チェコ・オーストリア料理は、グローバルな料理ではありません。
ジャガイモ・ソーセージ・スープなど不味いです。
でもハンガリーでもチェコでも第二次世界大戦で空爆を受けた町並みを復活させている意思に驚きます。
ドナウ川クルーズでは、ブタペストの宮殿・国会議事堂・教会などがライトアップされていて綺麗でした。
その国の歴史を記憶する易しい事は、生々しいソ連からの銃弾の痕跡を残して置くことです。
私は、一体この地球上に、軍隊を持たない国を教えて欲しいと言ってありますが、誰からも反応がありません。
帰ってきたばかりで疲れていますのでこれ位で・・・。
たかが北朝鮮のけちな実験ごときに恐れている目下の日本の有り様に悲しみを覚えます。



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体制崩壊の引き金を引いた北朝鮮       千里眼

2006年10月11日 14時12分15秒 | Weblog
 北朝鮮は、強硬な姿勢をとり相手の妥協と援助を引き出すという瀬戸際外交手段をとり続けてきた。これは北朝鮮の常習的な外交手段であった。その北朝鮮にとって、この核爆弾の爆発実験は「最後の切札」と一般的に思われてきた。
 国連憲章第7章にもとづく制裁措置を含めた非難決議が採択され、様々な制裁措置が取られるでなか、北朝鮮の取るであろう政策はもはや一つしかない。再度、再々度の核実験実施の嚇しをかけながら、北朝鮮にとってアメリカとの直接交渉に持ち込み、有利な条件を引き出す道である。しかも、その嚇しのなかで武力衝突をも辞さないのだという態度を言外に匂わせながら、アメリカを含めた6カ国交渉の相手国に、迫ってくるのではなかろうか。

 ここで思い起こすのは、1968年のブエプロ号事件である。今年のNHKの特集番組(何月何日かは忘れたが)で、金日成が北朝鮮の指導者となり権力を掌握していった経過、親ソ派を政権から排除しソ連の統制を排除していった経過、およびそのなかで起こった諸事件を、公開されたソ連のかつての秘密文書を駆使しながら克明に描いた。これは見応えのある番組だったので、内容は詳細に覚えている。この番組のなかで、ブエプロ号事件についても触れていた。アメリカ海軍の情報収集船ブエプロ号を領海侵犯したとして、北朝鮮が拿捕し乗組員を逮捕した事件である。アメリカの謝罪と賠償を要求したが、当初アメリカはそれを拒否していた。この時、ソ連の秘密文書によると、北朝鮮はソ連に対し、対米戦争を決意していることを伝えソ連の援助を要求したということである。ソ連のブレジネフはひそかにアメリカにリークしたそうである。アメリカ大統領ニクソンは就任したばかりのなかでこの難問に取り組まざるをえなかった。ベトナム戦争継続中のアメリカは妥協する決意を固め北朝鮮に特使を派遣し、謝罪するとともに軽水炉型原発の建設援助を約束し乗組員の解放をさせたのであった。が、船体は今にいたるまで返還していない。(このアメリカの動きについては、NHKの特集番組は触れていないので、記憶に頼った内容である)

 この時の教訓を受け継ぐ形で強硬な態度を取れば相手国の妥協を引き出せる、という外交政策を一貫して取ってきた北朝鮮は、核実験後のシナリオを安易な形で描いているとしか思えない。今度は、核実験を続けるぞと脅しながら、核戦争の危険を言外にちらつかせれば、特にロシアと中国がアメリカを動かし、北朝鮮に有利な形での妥協を取れると踏んでいるのであろう。
 北朝鮮が核実験に踏み切った背景の中には、国内情勢も働いていたと私は思う。経済の破綻、それをさらに促す今年の大水害、さらに政権内部の経済開放を求める意見の高まり(あくまでも私の推定ではあるが)、こうした国内情勢の引き締めが必要であった。さらに、どうしても外国の食糧援助、経済援助をこれまでを上回る規模で引き出す必要に迫られていた。今回の核実験は北朝鮮の体制維持のための最後の賭けとしか思えない。友好国である中国とロシアに核実験実施の通告をわずか20分前にしているが、これでは最後通告に等しい。北朝鮮はもはや後戻りのではない危険な賭けに突入したのだ。
 国際情勢はブエプロ号事件の時と大きく異なる。中国はミサイル発射前の準備段階に特使を派遣して発射を止めようとしたが、無視して北朝鮮は発射した。もう北朝鮮は中国の意見・助言も拒否するようになっている。したがって、7月15日の北朝鮮ミサイル発射非難の国連決議に中国は賛成したのである。今回の核実験に対し、中国は「制裁は必要だ。しかし話し合いによる解決が重要」という態度を取っている。しかも北朝鮮との物流を制限する措置を取っているようだ。ロシアも「無条件に非難する。‥‥世界の大量破壊兵器の不拡散体制への打撃だ」と非難している。(これらの内容は中日新聞による)

 では、国連の国連憲章第7章の制裁決議はどのようになるのであろうか。第42条の「軍事的措置」はアメリカ自身も望んでいないだろうし、中国・ロシアは絶対に反対する。したがって第42条の「非軍事的措置」に留まることは明らかである。しかも話し合いの余地を残していたい中国とロシアは「北朝鮮船舶の臨検」などの厳しい措置には反対するであろうから、一定の経済封鎖と金融制限程度、援助の停止の措置に留まるであろう。
 
 国連憲章第7章にもとづく制裁措置のもとで、北朝鮮は再度・再々度の核実験を武器に、しかも核攻撃の威嚇を言外に匂わせながら、6カ国交渉の相手国、特にアメリカを嚇した最後の瀬戸際交渉に臨むであろう。この交渉でアメリカなどの妥協を引き出すことはできないのは、もはや明らかであると私は思う。
 そうなるともはや、戦争の道しか残されていないのではないのか。追い詰められた北朝鮮政権は何をするか分からない不気味さを持っている。日本の保守系論者が日本の侵略戦争を欧米の経済封鎖に対する自衛の戦争としているのと、同じ論理で「自衛の戦争」と称して戦争に踏み切る恐れは多分にあるのだ。

 非核三原則の立場に立つ日本にとって、本来なら世界平和・東アジアの平和のために指導的な役割を果たす絶好のチャンスなのだ。しかし、残念なことにアメリカの核の傘の下にいる日本はそのような指導力は発揮できない。残念なことである。
当面は、中国・ロシア・韓国・アメリカと危機感を共有して、日本としては緻密に互いの意見を調整して、北朝鮮を交渉の場に引き出し、粘り強く交渉する以外に道はない。

 私は、「禍を転じて福となす」ことは可能であると思っている。この機会に核兵器廃絶へ向けての大きな一歩を進めるチャンスにできないかと思っている。
 核兵器不拡散条約(NPT)は、インド・パキスタンの核実験があったものの、多くの日本人が知らない形で発展してきている。1991年には南アフリカが保有していた核兵器を廃絶して加入したし、1994年前後にベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンが核兵器をロシアに返して加入している。1995年にブラジル、1998年にアルゼンチンが加入している。
 このNPTとCTBT(包括的核実験禁止条約)を実効のある仕組みと内容を変革していくチュンスであると捉えたい。次のような政策提案をしたいものだ。
 ①すべての国の原子力の平和利用(原子力発電)の燃料としての濃縮ウラン、発電後の核廃棄物、それから抽出されたプルトニウムをすべて国際管理下に置き、必要に応じて査察する。
 ②未加盟国をすべて加盟させる。
 ③インド・パキスタンの加盟は可能である。廃棄させての加盟が困難ならば、規定を一部改正して、国際機関による核兵器の封印の上加盟させる。現に核兵器を保有するイスラエルの加盟は上の両国よりはるかに困難だが、この交渉を進めることで、イスラエルの核使用の手足を縛ることになろう。
 ④アメリカの小型戦術核兵器開発のための臨界前核実験を禁止する。
 ⑤核兵器を多量に保有している国々の核兵器削減のための新たな国際条約を結ぶ。
 ⑥リビアは核兵器の開発を断念したので、中近東ではイランが問題であるが、①~⑤の追求のなかで解決できる。

 北朝鮮の核実験をチャンスとして捉え、核の脅威を騒ぎ立て「日本の核武装化」を唱える議論が高まることは予測できる。最近チラホラとそうした論文が出てくるようになったが、つい先日、ついに、まとまった書物として中西輝政氏編「日本核武装の論点」がPHP研究所から刊行された。この書物の紹介は後日に譲るが、彼らはちょうど良い時期に北朝鮮の核実験があったと判断していることだろうと思う。


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北朝鮮とアメリカの違い  落石

2006年10月10日 18時13分41秒 | Weblog
アメリカが核を持ったのは、
どういう理由からだったのか?
第二次世界大戦後の世界で
圧倒的な優位に立つことにこと。
そのために敗戦直前の日本に2個も
投下しました。

北朝鮮の核保有の目的はなんでしょうか?
これは良く分かりませんが、
少なくともアメリカと同じ動機ではなさそうです。

この核保有の動機をきちんと把握することから
事態への処方箋が生れるはずです。
その処方箋に九条が本当に必要なのか?
それを検討することをしないと
九条は守れないのではないでしょうか?



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核実験は残念。でも九条は世界を救う。   平 和平 

2006年10月10日 17時57分10秒 | Weblog
 北朝鮮が地下核実験行ったとの報道がありました。極めて残念な事です。
 核の危険を更に増やすものであり、あらゆる手段を使い、抗議の声を届
ける必要があります。街の声には「たたけ」「なめられてる」「軍拡も」
というものまでありました。
 しかし、アメリカはどうでしょう。反対を押し切って「臨界核実験」重
ね、「実用核兵器」の開発を続けています。また、他の核保有国も核実験
を続けています。日本国民は、アメリカの核実験に北朝鮮ほどの勢いで抗
議したことはありません。どこかおかしく思われませんか。
 私は、核の危険をいうのであれば、アメリカの実験も、その他の国の実
験も、北朝鮮の実験(本当に核実験か?は別にして)も同様に国民は抗議
するのが筋だと思います。
 核の脅威という点では、アメリカは日本に核を持ち込み(政府は否定)
原子力潜水艦や空母を入港させ(質の悪い原子炉のようなもの)、事故の
危険を振りまき、日本国民にとって一番危険だと思います。そのことをマ
スコミが殆ど報道しないから知る機会は少ないのですが、そのように思い
ます。
 世界の脅威で言えば、現段階ではアメリカに優る国はないと思います。
次にイギリス、今後、相当の脅威になるかもしれない国としては日本が
あげられると思います。

 次に、核保有国が自国では核を保有しながら、他国に持たせない『核
拡散防止条約』は本当に有効なんでしょうか。他国の核による『自衛権』
を侵害しているような気がします。だから、この条約は平和的に解消し
た方がよいと私は思います。
 私は、核廃絶が一番だと思います。新たな所有もダメです。過去も含め
核保有は世界平和に「百害はあって一利なし」です。従って、唯一の核被
害国である日本、広島、長崎だけでなく、政府が世界にむけて核廃絶を高
らかに訴えるべきだと思います。
 その場合、平和的な解決の指針になるのが「日本国憲法第9条」だと
私は考えています。アフガンでも、イラクでも・・・9条の存在を知っ
ている人(知った人)は、『世界的な平和の羅針盤』として自国の運動
の指針となるよう努力をしているそうです(知人からの話)。
 また、EU憲法にも9条の思想を入れようと政府や民間人がかなり努
力をされたと聞きます。残念ながら、現実の世界は戦争が頻発し、核戦
争も行われるかもしれない危機にあることは事実です。
 しかし、核の競争は何をもたらすでしょうか。アメリカのような軍隊
による制圧が、世界平和をもたらしたことがあるでしょうか。
 道は遠く、険しいと思いますが、平和が一番だと思います。武力によ
る抑圧で、みせかけの平和ができても歴史は『みせかけの平和』を必ず
崩壊させています。
 私は、核廃絶の運動と『九条の平和主義が世界を救う』と思います。
だから、微力ですが平和運動を続けていきます。こんな時代だからこそ、
理想を掲げ、足元を見つめるのが大切だとも思います。


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北朝鮮のおかげで首相になった方へ再度のプレゼント    まもる

2006年10月09日 17時41分25秒 | Weblog

<北朝鮮のおかげで首相になり>

北朝鮮のミサイル発射問題、日本人拉致問題で北朝鮮に強硬姿勢の安倍官房長官(当時)に日本の世論が喝さい

「安倍、いいぞ~」


<今度も北朝鮮の核実験のおかげで・・・>

中国・韓国との首脳会談の帰途の安倍首相
                       
「靖国はうやむやになるし・・・」

「もう金正日万歳!」


「10月9日 朝鮮日報の漫画の噴出し」より
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朝鮮日報の記事から  落石

2006年10月08日 14時46分42秒 | Weblog

朝鮮日報は、イギリス・ロシア筋の情報として、
北朝鮮の核実験が12月ころという報道をしています。
アメリカなどは、もっと早いとも。

そして、北朝鮮の核実験が成功すれば
日本国内右派の核武装の声が大きくなるだろう、としています。
韓国でも核武装をという声はありますが、
アメリカが強く反対するとしています。
一方、日本の核武装については、韓国に対すると同様ではなく
一部には容認するのでは、という観測もあるそうです。
これは、対北朝鮮対策ではなく、中国の核に対する抑止という
観点らしいと報じています。


核武装は反対ですが、するなら、日韓共同がいいかも。


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”発達論をちょっと”その3  文科系

2006年10月08日 00時09分51秒 | Weblog
1 先ず初めに、「その1」の「その子自身の能動的活動」のこと。3歳ぐらいまでは特に、自分の五体、五感を総動員して周囲の事物に積極的に働きかけるのが大事ということについて。まずなによりもこれが、感覚(「人間の内面の元素」)を豊かにするということをその1で述べました。ところで、この能動的活動を「その2」に関連させて語れば、こんなことも言えます。
まずそういう子は、周囲の事物、人などに働きかけ、その性質や反応を引き出すような子だということがあります。「その2」の「コップを倒せばミルクが流出する」を思い出してください。こんなことなら、周囲にいっぱいやってみることができますね。「紙はすぐ、くしゃくしゃになる。『新聞』というあれ、くしゃくしゃにしたら怒られた」、「おトオサンのタバコを食べると凄い味がして、怒られる。おなかが痛くなるらしい」、「お母さんの『あのブラウス』にジャムをつけたら、怒られた。『あのブラウス』はエプロンより大事らしい」などなど。これらをどんどんやってみる1歳の悪ガキは、「その2」の①②に見たように、思考力の基礎となるこういうものを自分で周囲に大いに作っているんです。逆に悪ガキではない、「大人の観念からの『躾のよい子』」は3歳までなら、先ず駄目ですね。泣かない、怒らない、汚さない、聞き分けがよいなどなどは、まず子どもとしての自然な感覚が不十分にしか育っていないし、そのままでは思考も定型的で、単純で、偏ってくるでしょう。
なお、能動的活動と、感覚の形成、上記の「事物を動かす」とに関わってはこんなこともあります。「周囲への面白さ、期待感」のようなものが同時に育つということです。悪ガキは悪さをすることによって、周囲の事物を変化させつつ、そこから喜びを引き出しているということです。つまり感情も育てているということ。周囲の人間との結びつきも深くなっていくはずです。ある能動的行動がますます能動性を育むということです。

さて、そんなわけで3歳ぐらいまではこんなことでしょうか。周囲の事物について、できるだけ指示、禁止を少なくして何でもやらせ、褒め、励まして育てるのがよい。感覚や感情やその2の①思考の原形のためにも。物事に向かっていき、動かしてみると、こういうものが育っていきます。
2 1の部分は感覚運動的知能と呼び、思考なら、まー試行錯誤の段階(「その2」の①)ですが、言語的知能に入るとちょっと事態が違ってきます。「その2」の②③を思い出していただきましょう。
「ミルクが全部こぼれて、机の下にコップが落ちている。何があったんだろう。兄さんなら、拭いて、隠すだろうし。母さんがあわてていたのかな?いや、違う。机の上に猫の足跡がある」などです。ここでは、体当たりの悪戯だけではだめで、逆に冷静な観察が必要になります。「眼前の結果への原因」について。過去の似た事例などを思い出しつつ、要所、ポイントに目をつけて、観察していく。兄さん、そのやりそうなこと。母さん、そのあり得る行動。猫、今までにこういうようなことではなにをやったかな? などなどをじっくりと反芻、検討しながら。原因の多くの可能性を、結果から逆に「推論」するんですね。
こうして、1の上にこういうものが育った子が、賢い小学生になれるというわけです。与えられた材料からあるものを製作するためなどに、この「観察」、「推論」、「原因・結果」などについての注意深い態度が生きてくる。またこういう態度って、「内言」で確認、点検、連想などしながら、進められていくんです。製作物の設計図、工程、要注意点などなどの原形ということでしょうか。
                               (続く)

閑話休題が長いですが、若い方々に当ブログを読んで頂けるようにとの、希望を込めてのことです。意見というよりも論文ですが、感想など是非ください。   
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キャンドル平和行進--プラン固まる.   九条ひかる

2006年10月07日 21時21分10秒 | Weblog
昭和・みずほ・千種の「九条の会」は、12月8日(金)の午後6時から阿由地通りを瑞穂の博物館から御器所、今池までキャンドルを灯し、行進して平和をアピールすることになりました。
 12月8日は太平洋戦争における「日米開戦」の日であり、日本が世界を相手に戦争を仕掛けた日でもあります。そのような日に『平和をアピール』することは意義あることだと思います。
 初冬ですから、寒いかもしれませんが多くの人々が参加され、平和をアピールされることをお願いします。

 また、10月22日(日)に『海上の森』への平和ハイキングを計画しています。
 乗用車の分乗で『海上の森』にいき、秋の里山を散策します。参加費は500円です。参加を希望される方は、事務局(TEL 731-2749・舟橋)までご連絡ください。参加者が25名になり次第締め切ります。

         



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”発達論をちょっと”その2  文科系

2006年10月06日 19時05分57秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
①6~7歳ほどまでの思考はこんなものです。「コップを倒せばミルクが流出する」など、ある法則的な行為・結果のイメージを結びつけたモノ。「雨が降れば地面が濡れる」など、ある状態の法則的変換の前と後をイメージする力もあります。ただしこういう制限がある。現状の物に関わって、それがこうなればということで結果が見えるだけで、これ以降のように「結果からいくつかの原因を類推する」のではないという段階の「思考」です。「僕がこうしたらこうなる」と、「これが起これば、あれはこう変わる」の一方通行です。つまり自然に「法則的に起こる」ような変化の前の場面から後を記憶する段階に過ぎません。この段階の思考はだから、試行錯誤(による調節)のみです。やってみて失敗して、またちょっとやり方を変えてみるというような。
②これが次の段階ではこうなります。「机にミルクがこぼれ、コップが床に落ちている。母さんがやったらしい。急いでいて、片づけられなかったんだ」とか、「地面が濡れている。さっき雨が降ったんだろうな」とかです。つまり、「ある状態に接して逆に原因を類推する思考」です。もちろん真実はこうかも知れません。「机に足跡があるから猫が落としたんだ」、「家の前だけ濡れているから母さんが水まいたんだ」。こういう類推が多くできるほど慎重で、賢いということでしょう。行動する前にどこをどう変えようかと、ちょっと考えてみるという段階になりますね。望む結果をもたらそうと想定した、それへの要因類推力を使って。
③さて、次の段階は9歳頃からこうなり初めていきます。ここで重要になるのが先回述べた「抽象的言語」です。今述べたような「ある状態に接して逆に原因を類推する思考」を抽象的な言語の世界でもできるようになることです。僕がここで貴女から「言語能力の発達を説明してくれ」と言われて応えているこの姿は、全く抽象的な操作ですね。「倒れたコップとミルク」とか「地面が濡れてる。雨かな?」という具体的に目に見えるような世界のことではありません。人は一般にこれが苦手なので、「具体的に説明してくれ」というのでしょう。例えば算数は半分以上は抽象的な思考ですが、特に割り算などは抽象性が高い。割り算にはそもそも、10の中に5が何個分あるかという意味と、5等分すると1個分はいくつになるかという二つの意味がある。だから割り算を使う、それこそ具体的な応用問題などは難しくて、子どもが苦労する。小学校の算数で子どもが最も躓くところですね。

さて、前回と今回の、これだけ難しい図式を覚えていただけば、応用はもう簡単でしょう。応用とは「これも大事、あれも大事」と必要条件をばらばらに暗記するだけですが、本質理解とは、「必要・十分条件」を大なり小なり自分で考えることができ、それぞれの子に応じたその大切さ順位なども自分で観察できるようにするもの。これでこそ、本日ご紹介した①や②ではなく、③のようなものですね。だからこそ人は、ピアジェは、それこそこんなに抽象的で、かつ難しい問題に挑んできたのでしょう。
それでも次回には、思いつく限りの応用をいろいろ書いてみます。それこそ自分の子育ての体験も入れて。僕は共働きで、二人の子の保育園、学童保育の送迎を基本的に僕がやった。4人で朝食を食べながら車に乗って連れ合いの職場まで1時間も通い、また自宅近辺に戻って園に送り出す。車の中で二人と色々やったことが、今はとても懐かしい。30歳を超えて独身の男女二人は今でも、僕とデイトして飲んでくれます。「自然に人間同士として付き合ってきた」。これが、僕の父親としての最大の自慢、喜びです。
                               (続く)
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北朝鮮の核実験について  落石

2006年10月06日 09時34分12秒 | Weblog

この難しい問題にどう対処していいのか?
みなさんの意見を是非、お聞きしたいと思いましたが、
私と同様、いい知恵は浮かばないようです。
これでは、保守系さんの意見が若い人達の間に浸透していくことを
止めることは不可能でしょう。

何故なのか?
コメントを読ませていただきながら数日、考えました。
そこで気づいたことがあります。
九条を絶対視しているのではないのか?
これには逆らってはならない。
この強迫観念が、自由な発想を妨げているのでは?

良い考えでも、目前の問題を解決する力がなければダメです。
ましてや、ある考えを絶対視するのは、思考の自殺行為では?
北朝鮮の核実験の問題を解決する方法を考え、
そのうえで、なお、九条が必要となった時にこそ
真に九条を守ったことになるのでは?
その辺りから考えてみることにします。
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保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その2     千里眼

2006年10月05日 14時44分30秒 | Weblog
「日本にとってポスト冷戦は、中国などとの民族的・人種的抗争を意味し、その勝敗は経済成長の優劣と共に、歴史解釈権をどちらが握るかで決まる」

 これは江崎道朗氏が執筆した「富田宮内庁長官メモの政治的利用は許されない」(雑誌「正論」9月号)のなかの一節である。この文章の部分は、彼の頭のなかで描いた「中国を仮想敵国とするイリージョンの世界」のことではないかと思う。それぐらい中国に対する敵視感情がこの文章には流れているようだ。具体的に分析していく。

・「中国などとの民族的抗争」とは何を指すのか。
 質問すれば、尖閣列島をあげるであろう。領土問題を抱えている国は沢山ある。それを民族的抗争とは言わない。例えばソ連と中国のアムール河流域の大陳島の領有を巡る対立のように、武力衝突に至れば「抗争」と表現できます。が、尖閣列島の問題は 決して「抗争」ではない。意見の対立である。日本語を正確に使って欲しいと思う。
 さらに「靖国」問題を取り上げることでしょう。これとて「民族的抗争」ではない。江崎氏の主張に反対する者は、日本国民のなかに多数いる。「日本の歴史解釈権」という用語を使って、彼らの「靖国史観」を日本国民の歴史観として主張し、「民族的抗争」として位置づけていくことが、可能であろうか。
 何故「抗争」という語句を使ったのか。そこに、この筆者の狙いが示されています。はっきり言えば、反中国感情を養成するという。そのことは、後の文章にも如実に示されている。

・「中国などとの人種的抗争」とは何を意味するのか。
 何か学問的な用語をたくさん並べた方が読み手に高いレベルの論文だという印象を与えるだろうという、さもしい根性から並べただけの用語だと思う。中国との間に人種的抗争など、誰が考えてもそんなものは存在しないからである。ましてや、中国は他民族国家であり、中心民族の漢民族とて周辺民族の血を大量に受け入れて成立しているのだ。

・「日本にとってポスト冷戦は、中国などとの民族的・人種的抗争を意味し」
 これも意味不明な表現である。「ポスト冷戦」が主語で、「意味する」が述語である。この筆者は日本語をまともに書けないくせに、概念的な語句を羅列して飾りたてる癖があるようだ。「外交関係の面では」とか「重要な課題になっている」という表現ならまだ分かる(その内容を認めることはできないが)。「ポスト冷戦」後の日本の課題はとでも記述するべきであろう。「ポスト冷戦」と「民族的・人種的抗争」がイコールのように表現しているのだ。

・「その勝敗は経済成長の優劣‥‥で決まる」
 ここでいう「経済成長」とは何であろうか。普通には国民総生産をさすのであろうが。しかも、この成長で「民族的抗争」の勝敗が決まると彼は主張する。これも、質問しても筆者からは的確な回答は出てこないだろう。
 これも、文章に重みをつけるための修辞的用語であろう。軍事力の優劣という語句がないのが、わずかな救いになっている。

・「その勝敗は‥‥と共に、歴史解釈権をどちらが握るかで決まる」
 この筆者の言いたいことは、ただこの一点に尽きているのだ。あとは、修辞的な概念的な語句が、この文章の格付けのために使われているのに過ぎないのだ。だから内容不明でも構わないのだ。

・「抗争」と「勝敗」
 何故、この言葉を使用しなければならないのか。どう考えても中国を敵と認識していることから、書かれている語句としか思えない。民族的抗争・人類的抗争に勝つということは、何を具体的に指しているのであろうか。
 「歴史解釈権」論者はそれぞれの国が歴史解釈権をもっていると言う。勝利するということは、この場合その国の「歴史解釈権」を奪うということになる。その国の権利を奪うことに対する罪の意識の無い恐るべき本性を示している。それぞれの国が「歴史解釈権」持つことを主張しながら、それを否定するという自己矛盾にまったく気づかないという、意識のあり方を私は恐れる。

パターンNO.2 一部の意見を全体の意見とするレトリック 過大評価のレトリック
      彼らの見解を支持する人は日本人の一部であるのに、それをあたかも日本全体の見解のように、「日本の歴史解釈権」とし
      て取り上げる。
パターンNO.3 誇張のレトリック
      歴史解釈権をどちらが握るかで勝敗が決まる。このように、いかにも大袈裟に表現する。
パターンNO.4 学術的・概念的語句を羅列して飾り立てる
      修辞的に飾り立て、いかにも立派なレベルの高い文章のように見せかける。


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