僕としても初めての珍しいことをやったので報告したい。
先日、ギター教室の発表会で初めて知り合った同世代の方お二人と、「ギター遊びの会、兼、飲み会」を我が家で行った。わずか2度目のご対面が、そこは同好の士、旧知の間柄のようにギターを弾きあい、ビールを飲み、舌鼓をうちあった。これからも時にほかの方もお呼びして春夏秋冬各1回づつやろうということで、次回を初夏の6月28日と約束し合って、終わった。
以下は、教室のブログに僕と全く同年齢の「のぶりんさん」が書いてくださった報告文である。
「発表会&打ち上げ会で知り合い意気投合した、トモちゃん、マサちゃん、のぶりんの初老のオジさん達。昨日はトモちゃん宅で第一回「ギター遊び兼飲み会」が開かれ、それが楽しいのなんのって、どうしても皆さんに話したくて投稿したいので読んでチョ!
昨日は驚きの連続、(中略) 次はトモちゃん自作の料理、『牛肉の赤ワイン煮』『フランス・ブリーチーズ』『メチャ旨サラダ』、メインが『鶏肉腿のマスタード焼き』。この味と量が半端じゃない! メタボ心配のマサちゃん『こんなに沢山食べられないよ』と言っていたが旨かったのか殆ど残さず。トモちゃんのギターはマニアックだが、料理も負けずにマニアック。あとはギター演奏、ギター談義、ギターレッスンと3人でしっかりと楽しむ、こんなに楽しかったのは何年ぶりかなぁー? 私が必死になって練習中のアルハンブラのトレモロも、アドバイスをもらって少しは自信がついたようで嬉しい。最後に私の伴奏でトモちゃんが『枯葉』をフランス語で唄ってくれて、名残惜しかったが中締めとなりました。トモちゃんの古い楽譜を見たがこの努力には、とうてい勝てないと感じた次第、でも私も頑張るぞー! トモちゃん、いろいろとお世話になりました。のぶりん」
僕にとってはなんだか面はゆい文章だが、これでももっと嫌みになりそうな箇所を「中略」にしているから、ご了承を。その他の料理とか、歌とかのことは、雰囲気を伝えるためにどうしても必要だったということで、許されたい。
さて、僕としての最大の実感は、「同じような人がいるものだな」ということ。のぶりんさんは、若い頃相当フォークなど主として伴奏を弾き込んだらしいし、マサちゃん(僕より1歳上の68歳)のハードワークは、教科書を注意書きで真っ黒に汚しているその「実績」から推察できた。
さてそして、何よりの産物は「それぞれに宿題ができた」こと。のぶりんさんは文中にあるようにトレモロ、「アルハンブラ宮殿の思い出」に挑戦することに決めたようだ。いや、何のことはない。彼ならばすぐにマスターしてしまうだろう。左手の柔らかさなどはとうてい僕がマネできるようなものではないのだから。若い頃に身につけた物は、この年齢になってみるといかに凄いことか分かる。若さという物の大事さをこそ、若い人々に教えるべきだろうなどと、考えていたくらいだ。
のぶりんさんのこの左手の柔らかさ、これに何分の一かでも近づくこと、これが僕自身の宿題になったのは、言うまでもない。
マサちゃんは、かなりショックを受けたようだった。彼は、ギターに熱中してきた期間が3人の中で最も長かったからだ。そのショックを打ち消すべく、もう一度基礎のアルペジオからやり直し始めたようだ。「上手くいかないときの悲しみ」が僕にも痛いほど分かるだけに、なんとも言葉のかけようがない。でもギターがこの上なく好きで、大変な努力家でもある彼のことだ。立派なアルペジオを身につけて、大きく飛躍し直していくことだろう。
なお、料理のことだが、付け合わせのジャガイモをゆでることだけを連れ合いに頼んだが、他のいっさいは僕一人で行った。今後心おきなくこの会を開くことができるようにしておく深慮遠謀である。こういう場への料理は、買い出しから何から一切、全く苦労を感じないだけではなく、浮き浮きと楽しいのだから、これは全く不思議なことだ。
先日、ギター教室の発表会で初めて知り合った同世代の方お二人と、「ギター遊びの会、兼、飲み会」を我が家で行った。わずか2度目のご対面が、そこは同好の士、旧知の間柄のようにギターを弾きあい、ビールを飲み、舌鼓をうちあった。これからも時にほかの方もお呼びして春夏秋冬各1回づつやろうということで、次回を初夏の6月28日と約束し合って、終わった。
以下は、教室のブログに僕と全く同年齢の「のぶりんさん」が書いてくださった報告文である。
「発表会&打ち上げ会で知り合い意気投合した、トモちゃん、マサちゃん、のぶりんの初老のオジさん達。昨日はトモちゃん宅で第一回「ギター遊び兼飲み会」が開かれ、それが楽しいのなんのって、どうしても皆さんに話したくて投稿したいので読んでチョ!
昨日は驚きの連続、(中略) 次はトモちゃん自作の料理、『牛肉の赤ワイン煮』『フランス・ブリーチーズ』『メチャ旨サラダ』、メインが『鶏肉腿のマスタード焼き』。この味と量が半端じゃない! メタボ心配のマサちゃん『こんなに沢山食べられないよ』と言っていたが旨かったのか殆ど残さず。トモちゃんのギターはマニアックだが、料理も負けずにマニアック。あとはギター演奏、ギター談義、ギターレッスンと3人でしっかりと楽しむ、こんなに楽しかったのは何年ぶりかなぁー? 私が必死になって練習中のアルハンブラのトレモロも、アドバイスをもらって少しは自信がついたようで嬉しい。最後に私の伴奏でトモちゃんが『枯葉』をフランス語で唄ってくれて、名残惜しかったが中締めとなりました。トモちゃんの古い楽譜を見たがこの努力には、とうてい勝てないと感じた次第、でも私も頑張るぞー! トモちゃん、いろいろとお世話になりました。のぶりん」
僕にとってはなんだか面はゆい文章だが、これでももっと嫌みになりそうな箇所を「中略」にしているから、ご了承を。その他の料理とか、歌とかのことは、雰囲気を伝えるためにどうしても必要だったということで、許されたい。
さて、僕としての最大の実感は、「同じような人がいるものだな」ということ。のぶりんさんは、若い頃相当フォークなど主として伴奏を弾き込んだらしいし、マサちゃん(僕より1歳上の68歳)のハードワークは、教科書を注意書きで真っ黒に汚しているその「実績」から推察できた。
さてそして、何よりの産物は「それぞれに宿題ができた」こと。のぶりんさんは文中にあるようにトレモロ、「アルハンブラ宮殿の思い出」に挑戦することに決めたようだ。いや、何のことはない。彼ならばすぐにマスターしてしまうだろう。左手の柔らかさなどはとうてい僕がマネできるようなものではないのだから。若い頃に身につけた物は、この年齢になってみるといかに凄いことか分かる。若さという物の大事さをこそ、若い人々に教えるべきだろうなどと、考えていたくらいだ。
のぶりんさんのこの左手の柔らかさ、これに何分の一かでも近づくこと、これが僕自身の宿題になったのは、言うまでもない。
マサちゃんは、かなりショックを受けたようだった。彼は、ギターに熱中してきた期間が3人の中で最も長かったからだ。そのショックを打ち消すべく、もう一度基礎のアルペジオからやり直し始めたようだ。「上手くいかないときの悲しみ」が僕にも痛いほど分かるだけに、なんとも言葉のかけようがない。でもギターがこの上なく好きで、大変な努力家でもある彼のことだ。立派なアルペジオを身につけて、大きく飛躍し直していくことだろう。
なお、料理のことだが、付け合わせのジャガイモをゆでることだけを連れ合いに頼んだが、他のいっさいは僕一人で行った。今後心おきなくこの会を開くことができるようにしておく深慮遠謀である。こういう場への料理は、買い出しから何から一切、全く苦労を感じないだけではなく、浮き浮きと楽しいのだから、これは全く不思議なことだ。