九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

   よくぞ口にしてくれました、津島佑子さん        只今

2012年12月19日 18時39分01秒 | Weblog
    ●実はこのところ毎日のように、基準値を超えるセシウムが摘出されており、
       厚労省発表によれば、最近の出荷停止食品は次の通りです。
         12月14日 ソバ(宮城県)。シイタケ(千葉県)
         12月11日 ナメコ(栃木県)
         12月6日  イワナ(宮城県)
         11月30日 ソバ(岩手県)
         11月29日 シイタケ(栃木県)     
             11月15日 米、大豆(福島県)→野田首相、解散決意

●このような状況になっていることを、マスコミはちらりと報じるだけです。
          こうした事態を招いているのは
   「風評被害」とか「混乱の責任を持つ気があるか」といった恫喝では?と思う中で
 津島佑子さんは「人情と放射能」と題するエッセイを発表してくれました。(『中日新聞』夕刊12/19)。
           
             〔そのエッセイの大要〕
 =【文京区の友人宅の放射線量が毎時0、8マイシークロベルト、つまり年間7ミリシーベルトになり、
   従来でいえば放射線管理区域に匹敵する値だった。
   汚染の拡散は防がなければならない、と厳しく法律で定められており、これは放置しておけないと、
   夏になって土を5㌢ほどはぎ取った。
   秋になり、さぁどうだ、とどきどきしながら計測するともなんと以前と変らない。

   3、11以来、ふしぎな抑圧がこの日本では働き続けている。
   東京の線量如きで騒ぐとは、これと比較にならない線量の場所に生きる人たちを苦しめる
   だけの心ない行為ではないか、と責められているような気がして、口を閉ざしてしまう。
   除染の効果の問いは、それに期待する農家のひとたちを踏みにじることになりそうで口にしにくい。
   放射能汚染に苦しめられているひとたちに対する「人情」と、目に見えない放射性物質へのおそれと
   さぁねどちらを採るかと責め立てられているような気がしてならない。
  
   けれどそうした現状に危機感を覚え、「人情」ではなく「人間としての倫理」を求める人も確実に
   増えている。
   絶望することはない、希望は、ほら、ここにある、と多くのひとたちが力強く叫びはじめた。
   この地道だけどすばらしい変化に、励まされている】=
       ※津島佑子=読売文学賞はじめ多数の文学賞受賞、太宰治の次女。
 
  
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いよいよ9条が争点に     らくせき

2012年12月18日 10時36分58秒 | Weblog
このブログ、9条をテーマに生まれたもの。
いよいよ9条が俎上に。
私は9条をそのままに、変更しないようにと考えていますが、
世の中、変えても良いじゃない、いや変えるべし、という声が大きい。

極東の政治状況も9条を変える方向に風が吹いている。
それでも変えないという考えは、説得力があるのだろうか?

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随筆 「生還」   文科系

2012年12月16日 08時39分05秒 | 文芸作品
  生 還

 十一月二十一日の夜、ここにも書いてきた孫のはーちゃんが大やけどを負った。高い所にあった加湿器のお湯をかぶってしまった。その電気コードを引っかけて倒したのである。すぐに全身に放水を続けた「寒い、寒い!」から、大学病院救命救急センターへの搬入、即入院という修羅場になったようだ。この通報から三週間両じじばば同伴の闘病生活が始まった。まず、火傷について学んだ知識などを描いてみる。
一 火傷は軽度、中度、重度とあり、体表に占める%と、浅い方からⅠ~Ⅲ度の傷の深さとで決まる。中度火傷が例えば、「十五~三十%のⅡ度」、「十%以下のⅢ度」というように。ただ、乳幼児は十%でもショックを起こす場合もあって重傷度が増し、深度も判りにくい。
二 直後の「流水で五分以上冷やす。服、靴下など衣類はそのままで」が、きわめて重要。
三 以降に怖いのは、血液に細菌が入る菌血症、低下した体力がそれに負け始める敗血症が起こりやすこと。細菌を防御する皮膚がないから、体中に注射をしたその日に汚い風呂に入るようものなのだ。これへの手当てが遅れると、治りかけた傷口もすべて内側からぶり返し、ケロイドが酷く残ったり、抗生物質が効かない細菌が入って衰えている体力の命を落とす場合もある。
四 対策、治療は、何よりも傷口の殺菌、二週間とか速やかに皮膚再生に努めること。感染予防のためには、個室隔離、看病者の限定と手洗い、うがいなどの徹底。本人の体力増強にも努め、水分、栄養、睡眠が特に大切になる。

 まさに絶望の宣告、心境を体験した。
「血液に何かの菌が検出されて、敗血症が起こっています。三十九度の高熱がその証拠」
 さらに週末を挟んだ数日後には、
「検出されたのは、黄色葡萄状球菌です」
 抗生物質が効かない黄色葡萄状球菌なら大変だがなどと、この頃がどん底の底だったと思う。耐抗生物質性でないと確認できた時までは、僕自身食事ものどを通っていなかった。あんな数日の気分は人生でも初めてのことだ。若夫婦二人のためにも僕がはーちゃんと入れ替わってやりたい、よく語られるそんな表現が我が身にどれだけリアルだったことか。

 三つ目の抗生物質が効き始めた。熱が下がり始め、顔など傷の赤みも日々見違えるようにとれていく。健康になった子どもの皮膚再生力は、魔法を見ているようなもの。敗血症の目安・血液炎症反応数値も瞬く間に下がって、負傷後二週間が過ぎた頃には一般の平常値よりも低くなった。後遺症関係も二週ほどで判明してきた。
「面積は十%を超えているが、酷い部分でも深度Ⅱの深浅両様で深い方が一%もなく、顔はもちろんほかの部分にも酷く掻かない限り傷跡はほぼ残らないでしょう」
 この全員本当にほっとした時を、今もよく思い出す。若い夫婦二人の気持ちを考えたら、事実泣けてきた。

 こうして、負傷日から数えてちょうど三週間の十二月十二日、退院となった。それから今日も含めて二日間、じじばばとイーオンへ行って遊び回り、リハビリと体力増強に努めてきた。二歳児がきれいな広いフロアーを走り、転げ回る姿は、まさに弾けていた。火傷を洗う悲鳴や退院直前まで続けた点滴針取り替えなどが思い出されて、「雪国の春」。
 小原庄助の僕が朝五時起きで娘と付き添いを代わった2週間など、両じじばばもいかに君の命を大切にしてきたか。はーちゃん、君もどうか自分を大事にしていってほしい。
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映像から見る自民党安倍総裁の実像

2012年12月16日 01時08分23秒 | Weblog
     

 これは、昨夜の自民党安倍総裁の街頭演説打ち上げの写真です。
 
 私のように、戦中を少しだけですが知っている者には、この日の丸の林立する中での歓呼の声は脅威と戦慄をもたらすものです。
 自由主義者、民主主義者、平和主義者たちは、愛国婦人会、在郷軍人会、隣組などによって監視され、告発され、特高警察が飛んできました。
 
 ここに出入りするUnknwonさんたちには麗しい光景に見えるかも知れませんが、戦前、まさにこのように日章旗が打ち振られる中、300万人の日本人が命を落とし、2,000万の諸国の死者が生み出されたのです。
 
 そして、これはぜひとも言いたいのですが、当初、日章旗を打ち降っていた人たちの中からも、時局に合わない言説だとして多くの犠牲者を出したのでした。Unknwonさんたちも、さしずめ公の場で発言したい人たちでしょう。その人たちの発言ですら保証されない時代だったのですよ。
 
 この光景はそれを彷彿とさせます。
 繰り返しますが、日本はいつの間にこんな醜い様相を呈するようになったのでしょうか。

  
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新聞の片隅に載ったニュースから(67)  大西五郎

2012年12月15日 16時29分00秒 | Weblog
新聞の片隅に載ったニュースから(67)

 9条あるから同胞殺される 石原氏、拉致問題巡り発言(2012.12.13 朝日新聞)
 日本維新の会の石原慎太郎代表は12日、福岡市内の街頭演説で「憲法9条があるからこそ、私たちは、多くの同胞をさらわれて殺されても抗議して取り返すことができない」と訴えた。石原氏は憲法破棄を持論とし、自主憲法を制定する必要性を強調したものだ。
 石原氏は日本人拉致問題について「北朝鮮にすれば、日本の憲法を見たら『あいつら絶対に戦争しない』と思っていると指摘。「世界に約束しているから、(北朝鮮は)勝手気ままに日本人を連れて行って殺されている」と語った、
 これに対し、維新幹事等の松井一郎大阪府知事は12日夜、記者団に「まず憲法96条を変えないと、9条は変えられない」と説明。改憲要件の緩和を優先させる考えを示すにとどめた。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

9条があるからこそ、これまで一人も殺さず、殺されたりせず
 すごい論理の飛躍です。石原氏は「日本国憲法はアメリカが占領に都合のいいように日本に押し付けたものだ。だから破棄しなければならない」と主張しています。ならば、アメリカがイラク戦争を始めた時、ブッシュ大統領(当時)の呼びかけがあったにもかかわらず、日本は自衛隊を戦闘要員としてではなく、民生支援の活動に限って派遣しました。もし戦闘要員としてイラクへ派遣していたら、何人かのイラク兵や市民を殺していたかもしれません。あるいはイラク軍と戦火を交え、その結果として何人かの犠牲者を出していたかもしれません。PKO法は武器の使用は正当防衛の時などと厳重に制限しています。9条があるからこそ、世界は日本を平和国家だとして付き合ってきてくれました。こういう事実を石原氏はどう考えているのでしょうか。
日本国憲法は日本人の手で作られたもの
 石原氏はアメリカからの押し付け憲法だといいますが、原案は東大教授の高野岩三郎氏、広島大学学長から文部大臣になった森戸辰男氏、後に愛知大学教授になる鈴木安蔵氏らの憲法研究会が作った「憲法草案要綱」が元になっています。GHQはこの案を高く評価してGHQ案を作り、日本の国会が現行の日本国憲法に仕上げました。
日本国憲法は世界の叡智と経験の結晶
 今年のノーベル平和賞にEUが選ばれました。戦禍の絶えなかったヨーロッパで宿敵同士のフランスとドイツが共同で鉄鋼・石炭公社を作ったことがきっかけで、ECCができ、EUにつながり、国の垣根を無くすことで平和をもたらしたことが受賞理由です。第一次世界大戦の後、パリ不戦条約ができましたし、国際連盟、國際連合という機構もできました。戦争の経験に学んで、武力を行使しないで平和を追求するという人類の知恵が、日本国憲法の基礎になっています。
 石原氏の「力で相手に撃ち勝つ」という主張は、戦争を招きます。今世界中に九条運動が広がっています。アメリカで9条の会が、カナダのバンクーバに、韓国に、スリランカに。パリの学生の間でも検討されています。スペイン領カナリア島で9条の条文を刻んだ碑が立っています。
「9条があるから殺される」のではなく、「9条こそが平和の基礎」なのです。
                                       大西 五郎
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戦前の戦争「勢力」  文科系

2012年12月15日 10時46分49秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 表題のこととして、東条英機首相への国家社会の熱狂ぶりを写した拙稿を再掲させていただきます。こうした雰囲気の元に戦争が作られていくという一つの例として。戦争は、誰か諸個人の悪巧みが作り出すというようなものではなく、世界恐慌から始まったかろうじて生きていくためだけで人々、諸団体、諸国家などが抱えるいろんな諸困難の「解決方向」が特に対立を繰り返したりして重なり合って、「気づいてみたらそこに来ていた」というようなものだと思ってきました。そういうときの人間って、なんと愚かなものかという、以下はその見本になると思います。

 
 ”東条英機首相への熱狂ぶりと、その源泉”  文科系
   2010年11月24日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
はじめに
 本日ネット虫さんが興味深い記事を載せて下さった。41年12月8日、この日を当時の子どもがどう覚えていたか。これを一気に読んで、すぐに表記の記事を書こうと、僕は思い立った。当時の子どもたちの心にさえ深く刻み込まれた「戦争への感動」、その象徴的存在であった東条首相への熱狂ぶりについて書いてみようと。僕の同人誌にも軍国少年、軍国少女がお一人ずついらっしゃる。お二人とも、その後の人生はなかなか優秀だったろうとお見受け出来る方々である。今は多分、その正反対の人生観をお持ちのはずだが。
 東条英機は、A級戦犯の象徴的存在。41年12月8日開戦時の首相にして内相であって、陸軍大臣までを兼務した、現役の陸軍大将である。また、陸軍参謀総長も兼任していたから、大元帥・天皇の大本営の幕僚長でもあった。彼の前歴には、関東軍憲兵隊司令官というものもあった。満州国の治安の要に位置する機関であって、35年9月から37年2月のことである。娑婆、「地方」(軍隊は軍隊の外の世界をこう呼んだのでした)、世相にも、よく通じているのである。
 彼は、天皇の信任は篤く、水戸黄門まがいの「民衆査察」を行い、ラジオ、新聞を上手く使って民心を躍らせ、掌握した。ヒットラーにも劣らないその掌握術を、ご紹介したい。種本は例によって、岩波近現代史シリーズ10巻本の第6巻「アジア・太平洋戦争」。この巻の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授である。【 】がほとんどであるが、ここからの抜粋を示している。 

1 人々の東条支持熱
 その人気は、一時の小泉旋風などという次元のものではない。戦争の英雄たちの、そのまた大元締、空前絶後の国民的大英雄なのである。そういう大英雄が、マスコミによって実に身近な存在に描かれるところがまた、お見事というほかはない。
 【 東条首相は、各地で国民に熱烈に歓迎された。42年7月27日、大阪の中央公会堂で開催された「大東亜戦争完遂国民総力結集大講演会」の折には、講演を終えて退場する東条首相を熱狂した群衆がとりかこんだ。28日付の『朝日新開』は、その場の状況を、「熱狂した数千の聴衆は帽子、扇子を打ち振り打ち振り、〃万歳々々″と歓声をあげ、(中略)あつといふ間に東条さんを取り囲む。「しつかりやります、やりますとも」「米英撃滅だ、東条閣下お願ひします」「東条首相万歳」と群がる市民は熱狂して全く感激のるつぼだ」と報じている。これが誇張でないことは、同日の首相秘書官の記録に、「公会堂発」、「総理自動車会衆の圧倒的歓迎に取り囲まれ約十分、会衆の中を徐行す」とあることからもわかる(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)。
 さらに、東条に関するすぐれた評伝をまとめた作家の保阪正康も、この頃の東条について、「東京・四谷のある地区では、東条が毎朝、馬に乗って散歩するのが知れわたり、その姿を一目見ようと路地の間で待つ人がいた。東条の乗馬姿を見ると、その日は僥倖に恵まれるという〈神話〉が生まれた」と書いている。東条は、一般の国民にとって、「救国の英雄」だった(保阪『東条英機と天皇の時代(下)』) 】

 当時、東条報道を新聞がどう行ったかもなかなか興味深い。【例えば、42年8月18日付の『読売報知』は】として、こんなことが抜き出されていた。
【 「忙中忙を求める東条さん」、「割引市電で街の視察 鋭い観察力と推理力の種は正確なメモ 拾った民情必ず”決済”」という見出しの記事を掲載し、「キビキビした政務の処理、そして電撃的な民情視察・・・国民は曾てこれほど”首相”を身近に感じたことはなかった。・・・とにかく、そこに新しい一つの”指導者の形”が打ち出されているのは確かだ」と論じている 】

2 民心操縦術
【 総力戦の時代は、多数の国民の積極的な戦争協力を必要不可欠なものとする。そうした時代にあっては、力強い言葉と行動で、直接国民に訴えかけるタイプの指導者が求められる。東条は、そのことをよく理解していた。43年9月23日、東条は側近に次のように語っている(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)
  国民の大多数は灰色である。一部少数の者が批判的言動を弄するものである。そこで国民を率いてゆく者としては、此の大多数の国民をしっかり摑んでぐんぐん引きずつてゆくことが大切である。大多数の灰色は指導者が白と云へば又右と云へばその通りに付いてくる。自然に白になる様に放つておけば百年河清を待つものである。
 東条の芝居がかったパフォーマンス、特にたびかさなる民情視察は、識者の反発と顰蹙をかった。特に、東条が住宅街のゴミ箱をチェックしてまだ食べられるものや再生可能なものが捨ててあると非難したことは多くの国民の失笑をかった。首相として他にやるべきことはないのかという批判である 】

3 政治的力の源泉、宮中工作など
 マスコミ総動員で作ったこういった東条の「表の顔」の他に、政治家としての裏の顔があるのもまた当然。
 【 政治資金の面でも、東条首相は有利な立場にあった。陸相として陸軍省の機密費を自由に使うことができたからである。この点については、いくつかの証言がある。例えば、元陸軍省軍務局軍事課予算班長の加登川幸太郎は、「何に使ったかわからんけど、東条さんが総理大臣になった時、(中略)三百万円という機密費三口を内閣書記官長に渡せ、と来るんだね。(中略)あの頃二百万円あったら飛行機の工場が一つ建ったんだから」と回想している(若松会編『陸軍経理部よもやま話』)。 (文科系による中略)
 なお、臨時軍事費中の機密費の支出済額をみてみると、42年段階で、陸軍省=4655万円、海軍省=2560万円、44年段階で、陸軍省=1億2549万円、海軍省=1865万円であり、陸軍省が機密費を潤沢に使用していたことがわかる。
 東条首相の政治資金の潤沢さについては、44年10月15日に、反東条運動の中心となっていた政党政治家の鳩山一郎が、近衛文麿と吉田茂(戦後の首相)との会談の中で語っている内容が参考になる。同席していた細川護貞は、その内容を次のように記録している(『細川日記』)。
  一体に宮内省奥向に東条礼賛者あるは、附け届けが極めて巧妙なりし為なりとの話〔鳩山より〕出で、例えば秩父、高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物、衣服等の御土産あり、中に各顧問官それぞれのイニシアル入りの万年筆等も交りありたりと。又牧野〔伸顕元内大臣〕の所には、常に今も尚贈り物ある由。
 この後、鳩山は、「東条の持てる金は16億円なり」と語り、近衛は東条の資金源は、中国でのアヘンの密売からあがる収益だと指摘している。アヘン密売との関係については確証がないが、46年7月の国際検察局による尋問の中で、近衛の側近の富田健治が、東条はアヘン売買の収益金10億円を鈴木貞一陸軍中将(興亜院政務部長)から受けとったという噂があると指摘している。興亜院は、アヘンの生産と流通に深くかかわった官庁である。皇族への「附け届け」については、史料的に確認することができる。42年12月月30日付の「東久邇宮稔彦日記」に、「この度、陸軍大臣より各皇族に自動車をさし上げる事となれり」とあり、この日、東久邇宮のところには、陸軍省関係者から、アメリカ製の自動車が届けられているからである 】 


 イラク戦争直前のアメリカもこうだったということを思い出す。「世界的暴力集団への正義の味方アメリカの鉄槌、いよいよ繰り出されんとす!」と、国中が沸き立っていたのだ。何年か後のこの結末がこうだ。しょぼんとしたブッシュ大統領がこう語っていたのをテレビで見たことがある。「大量破壊兵器がなかったなんて、私は全く知らなかった」。この二つ、何という落差だろうか。ブッシュの言葉もおそらく真実なのだろうと思われて。
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大人の選択を     らくせき

2012年12月15日 10時11分35秒 | Weblog
朝鮮日報がこんな記事を載せています。

「私は幸い戦争で死なず、今も生きている。
(日本が極右化する中)私が何もせずにこのまま死んだら、
戦友たちに対する罪を犯すことになる」

 16日に投開票を迎える衆議院議員選挙に、
参戦経験のある94歳の男性が自身の葬儀費用をつぎ込み、
無所属で立候補した。
AFP通信が14日報じた。
今回の立候補者のうち最高齢で、戦争を禁じる平和憲法を
守るために出馬したという。

戦争を体験した人がこんな危機感を持つほど
今の日本はヘンなんでしょうか?

耳にここちよいフレーズには落とし穴があるのは
消費社会の常識。(政治も消費化されているので同じ)
そんな言葉に騙されないくらいの判断力は
今の日本国民にはあると思います。

あの世でマッカーサーに笑われない選挙を。







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とりあえず事実だけ                    あんころもち

2012年12月15日 01時45分33秒 | Weblog
 以下は時事通信が伝えたものです。

 《日本未来の党の小沢一郎氏は14日夜、国会周辺で毎週金曜日に行われている原発再稼働に抗議するデモに参加した。
 未来は衆院選の公約の柱に脱原発を掲げている。小沢氏は国会正門前に集まったデモの参加者を前にマイクを握り、「この総選挙において脱原発の声は必ずしも広がっていない。私どもは多勢に無勢の中で一生懸命、脱原発で頑張っている」と語り、未来への支持を訴えた。》

 「未来」は、小沢氏を選挙戦の真正面に据えることをついにしなかったようだ。
 彼に付与された「ダーティなイメージ」のマイナス効果を恐れたのだろうか。
 私としては、彼の今回の選挙に際しての明確な言明を聞きたかった。

 何故かメディアもそれを伝えようとしない。
 二度にわたる強制起訴がボディブロウのようにきいているということだろう。
 起訴を強行したメンバーの中に、「在特会」の有力者が入っていたのもそのせいか。

 在特会といえば、民主党候補の演説に動員をかけ、韓国旗を持って、一言ごとに「マンセー」、「マンセー」を連呼する悪質な妨害行為を行なっている。
 これは違反にはならないのだそうだ。
 その背後に、日本会議のメンバーがいて、彼らは安倍ー石原ラインの政権登場を切望している。

 日本はいつの間にこんな嫌らしい状態になったのだろうか。「つくる会」などとは逆のベクトルで、戦後民主主義、そして戦後教育の問題を検証しなければならないだろう。


 
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朝鮮日報の記事2つ     らくせき

2012年12月14日 19時12分59秒 | Weblog
中国共産党機関紙・人民日報系の「環球時報」は11日、
フィリピンの外相が南シナ海で領有権をめぐり対立する
中国の軍事力増強をけん制するため、
日本の再軍備を歓迎する姿勢を示したことに対し
「(第2次世界大戦当時に日本に侵略されたという)歴史を忘れ
(日本を巻き込み)中国に圧力をかけようとしている」と批判した。
「中国への恐れが、日本による戦時の野蛮な行為に対する記憶を抑圧し始めたようだ」
という中国外務省スポークスマンの発言も伝えた。

中国は13日、南京大虐殺から75周年を迎え、江蘇省南京市で午前10時(現地時間)
から大規模な追悼行事を開催した。
同じ時間、中国国家海洋局に所属する海洋監視用の航空機と海洋監視船4隻が
編隊を組み、日本と領有権を争う尖閣諸島(中国名・釣魚島)海域に入った。
中国機が釣魚島の上空に入ったのは今回が初めてだ。

この2つの記事の裏にある中国の姿勢が興味深いです。
石原さんは寝た子を起こした、寝た子じゃなくて寝た龍を起こしてしまった。
そして今、石原さんと中国はお互いに利用しあっているという
なんとも皮肉な関係にあるようです。

日本を右へ右へと押しやっている一番大きな力は中国では?
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より悪くない政党に      らくせき

2012年12月13日 10時01分07秒 | Weblog
新聞やテレビは、自民党の圧勝を予測。
「ああーあ」です。
あの顔だけは見たくない。

こうなったら仕方ない、より悪くない選択ですか。
少なくとも自民に対抗する力がありそうな民主にでも
投票しますか・・・

民主が自民とひとつになる可能性もありますが、
自民が圧勝すれば、政界再編も起こる可能性が小さくなるとして。

投票日まで迷うばかりです。



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       「名乗らず」クンと覚しき人と逢いました    只今

2012年12月11日 16時47分58秒 | Weblog
         彼は開口いちばんこう私に訊ねました。
         “只今さんは年金、どのくらい貰ってるんですか?”
【私】厚労省がモデル夫婦所帯年金(※1)と発表している金額に近い額。
              (※1)平均的サラリーマンが40年働いた場合の月額16万7千円と、専業主婦の妻の月額
                  6万6千円の合計23万3千円(年額280万円)。

【彼】公務員になる前、日雇いしていたというにしては、やはりいい(※2)ですね。
              (※2)2008年の年金受給状況(厚労省統計)
                 年額 120万円~180万円=21%
                     180万円~240万円=28%
                     240万円~300万円=32%
                     300万円 以上 =9、8% 
【彼】どうしてそういうこと 言うかというと…
   女房が言うには、女房の田舎の役所勤めの人には寺の住職とか半農の家の人が多かったと言うんです。
  これは休みたい時に休め、その上、給料以外の余録も手にしてなんと恵まれていることか…
   同じように学校の先生も恵まれている。
   今でも選挙になると電話やハガキをくれる高校の時の先生は、奥さんも先生だったから
   年金は併せると月に50万円以上と聞いた。

          ボクが腹立つこと、言いたいことは!
   9条守れ、とか公平・平等といったことをよく口にする人は、こういう公務員や教員に多いこと。
   恵まれた所にいるから、そうしたことを気楽に言える、
   せめて、そのことに気がついた上で言ってほしいんですよ。9条守れとか、あれこれは…
 
【私】5年程前、31歳のフリーターと名乗る人(赤木智弘)が、
   「丸山真男をひっぱたたきたい。私の希望は戦争」という言い分を『論座』に発表。
   「何を言うのか」という非難と、「判る、しかし」という弱り顔に分れ、私は今も困惑のままだが、
   あんたのいうことが全く分らないわけではない。

【彼】じゃあ今、何をいちばん考えてる?
【私】私も八十路目前、あぁ、面倒! と思わないでもないが、孫の世代のことを思うとそうもいかず…
   一つは福島の4号機のこと。
   先日の余震は震度5弱。それ以上の震度の余震あり、と気象庁も予告警戒しているが、
   震度6までは大丈夫と言っている東電もさすがにこのままではと、
   先日の政府・東電の対策会議で4号機の燃料取り出し計画を前倒し。
   燃料プールが余震で崩壊すればヒロシマ型原爆の4千倍の放射能が飛散し、風向きによっては
   東京を含む4千万人が避難、居住不能になる。
   二つ目は、総選挙の結果のこと。
   年金が50万円の人が二割を超えたという厚労省発表を聞いて、
   安倍総理が採る経済政策の行く手に待っているハイパーインフレになったら、
   この二割の人のみならず、恵まれているといわれている層も…
   どうなるだろう、雇用も非正規雇用が半数超えるのではないか? と。
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太平洋戦争と天皇(2)  文科系

2012年12月10日 15時09分18秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 昨日書いた太平洋戦争決定経過は、天皇こそこれを決定したと示している。統帥権者が陸海軍両方の最高責任者に対して「外交よりも戦争準備を優先するべし」と命令を下したのであるから。この命令は、陸軍大臣、海軍大臣はもちろん、首相も内閣全体も一切口を挟めないものであった。これが統帥権の独立というものである。大元帥である天皇の軍への統帥権は絶対ということなのである。なおこの決定は、1941年9月5日のことであって、翌6日の御前会議の原案が決定された瞬間である。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」はこうなっている。「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)。
 この御前会議以降、太平洋戦争に向かって日本はさながらまい進してゆくことになる。外交交渉を優先していた近衛内閣の解散(10月18日)と主戦派・東条内閣の誕生。そして、以降真珠湾開戦の12月8日までの経過は全て、「秘密裏のしゃにむに開戦」に向かう辻褄合わせにしか過ぎない。たとえばハルノート。「このあまりの無理難題!堪忍袋の緒が切れた」というがごときは、その最たるものである。そもそも、国務長官に過ぎないものの文書を最後通告のように扱うという話自身がおかしなことなのである。アメリカはまだ交渉をしようとしていた。が日本帝国は、密かな不意打ち開戦を準備していて、交渉はこの不意打ちのカムフラージュに過ぎなかった。そのことを示す経過を末尾に、過去ログから抜き出しておく。
 ただ次のことは断っておきたい。ここで述べているのは、どっちが悪いという単純な結論などではない。こういう断面の「歴史の事実経過」をそのまま語っただけのことだ。戦争に対する断罪は、もっともっと長いスパンの、総合的な話になるだろう。

『 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。』

 一国の開戦を決定できる者こそ主権者と言わずして誰をそう名づけられるか。しかもその権限が、例えば議院内閣制の首相のように国民から与えられたようなものではけっしてなかったのである。そんな「形」は、大日本帝国憲法のどこにも存在していない。絶対君主が持つ「統帥権の独立」。これこそが最高の「法」だったのであるが、現在から見れば「無法」の形としか言えぬものだろう。敢えて言うならば「王権神授説」がこれに近いだろうか。帝国憲法初めの「万世一系の天皇これを統治す」が、そういう法思想を示しているのだろう。
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太平洋戦争と天皇   文科系

2012年12月09日 20時26分51秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 訳の分からないコメントがあったので、過去ログから以下の拙稿を再掲する。戦前日本についてこんな内容を持ったコメントである。
『専制主義や独裁主義が民主主義の反対概念なのである。歴史上、日本には専制国家、独裁国家であった期間がほとんどない。第二次大戦中も決してそうはなっていない。』
 歴史的事実のことは歴史学者に、それもその時代の専門家に聞くのが一番と思う。反論するなら以下の「歴史的事実」をきちんと否定するような、「この時代専門の歴史学者」の文献による反論を期待する。専門以外なら、どんないい加減な売文、狂信文を書いても名を落とすことはない時代らしく、なんでも書けるのだ。裁判などを見ても分かるとおりで、最近起こった事実の確定ですら恐ろしく難しいもの。ましてや歴史的事実の確定は、膨大な資料を漁ってもなお難しいのであるから。


【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編 その2)  文科系  
  2010年11月22日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

太平洋戦争と天皇
 表記のことについて、右翼の方々はこのブログでもこのように語られてきた。天皇の統治権は形式的なものであって、戦争政策においても実際に何かを決めたというわけではない、と。そのことについてこの本(岩波新書日本近現代史シリーズ10巻のうち、その6「アジア・太平洋戦争」、著者は、吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はどう書いているか。それをまとめてみたい

1 軍事法制上の天皇の位置 「統帥権の独立」
『統帥権とは軍隊に対する指揮・命令の権限のことをいうが、戦前の日本社会では、大日本帝国憲法(明治憲法)第11条の「天皇は陸海軍を統帥す」という規定を根拠に、この統帥権は天皇が直接掌握する独自の大権であり、内閣や議会の関与を許さないものと理解されていた。
 明治憲法上は、立法権、行政権、外交権などの天皇大権は、国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使されることになっており、統帥権だけが国務大臣の輔弼責任外にあるという明文上の規定は存在しない。それにもかかわらず、天皇親率の軍隊という思想の確立にともない、制度面でも統帥権の独立が実現されてゆく。1878(明治11)年の参謀本部の陸軍省からの独立、1893(明治26)年の軍令部の海軍省からの独立、1900(明治33)年の陸海軍省官制の改正などがそれである』
『一方、参謀本部と軍令部(統帥部と総称)は、国防計画・作戦計画や実際の兵力使用に関する事項などを掌握し、そのトップである参謀総長と軍令部総長は、陸海軍の最高司令官である「大元帥」としての天皇をそれぞれ補佐する幕僚長である。この場合の補佐は、国務大臣の輔弼と区別して輔翼とよばれる。国務大臣は、憲法に規定のある輔弼責任者だが、参謀総長・軍令部総長は、憲法に明文の規定がない存在だからである。
 軍事行政と統帥の二つにまたがる「統帥・軍政混成事項」については陸海軍大臣が管掌したが、国務大臣としての陸海軍大臣も統帥事項には関与できないのが原則であり、参謀本部・軍令部は、陸軍省・海軍省から完全に分立していた。以上が統帥権の独立の実態である』

2 「能動的君主」としての天皇
9月6日決定の「帝国国策遂行要領」
『統帥に関しては、「能動的君主」としての性格は、いっそう明確である。天皇は、参謀総長・軍令部総長が上奏する統帥命令を裁可し、天皇自身の判断で作戦計画の変更を求めることも少なくなかった。また、両総長の行う作戦上奏、戦況上奏などを通じて、重要な軍事情報を入手し、全体の戦局を常に把握していた(山田朗『大元帥 昭和天皇』)。通常、統帥権の独立を盾にして、統帥部は首相や国務大臣に対して、重要な軍事情報を開示しない。陸海軍もまたお互いに対して情報を秘匿する傾向があった。こうしたなかにあって、天皇の下には最高度の軍事情報が集中されていたのである』
 そういう天皇であるから、重大な局面ではきちんと決断、命令をしているのである。本書に上げられたその実例は、9月6日御前会議に向けて、その前日に関係者とその原案を話し合った会話の内容である。まず、6日の御前会議ではどんなことが決まったのか。
『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)、そして(中略)、が決められていた』
 さて、この会議の前日に、こういうやりとりがあったと語られていく。

前日9月5日、両総長とのやりとりなど
『よく知られているように、昭和天皇は、御前会議の前日、杉山元参謀総長と水野修身軍令部総長を招致して、対米英戦の勝算について厳しく問い質している。
 また、9月6日の御前会議では、明治天皇の御製(和歌)、「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗読して、過早な開戦決意を戒めている。
 ただし、天皇は断固として開戦に反対していたわけではない。海軍の資料によれば、9月5日の両総長による内奏の際、「若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という永野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(下)』)。
 御上[天皇] よし解つた(御気色和げり)。
 近衛総理 明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
 御上 変更に及ばず。
 永野自身の敗戦直後の回想にも、細部は多少異なるものの、「[永野の説明により]御気色和らぎたり。ここに於いて、永野は「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」を奏聞せしが、御上は「それでは原案の順序でよし」とおおせられたり」とある(新名丈夫編『海軍戦争検討会議議事録』)。ここでいう「原案」とは、翌日の御前会議でそのまま決定された「帝国国策遂行要領」の原案のことだが、その第一項は戦争準備の完整を、第二項は外交交渉による問題の解決を規定していた。永野の回想に従えば、その順番を入れ替えて、外交交渉優先の姿勢を明確にするという提案を天皇自身が退けていることになる』
 こうして前記9月6日の「帝国国策遂行要領」は、決定された。つまり、対米交渉よりも戦争準備完整が優先されるようになったのである。続いて10月18日には、それまで対米交渉決裂を避けようと努力してきた近衛内閣が退陣して東条内閣が成立し、11月5日御前会議での開戦決定ということになっていく。この5日御前会議の決定事項とその意味などは、前回までに論じてきた通りである。】
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新聞の片隅に載ったニュースから(66)    大西五郎

2012年12月09日 09時30分04秒 | Weblog
新聞の片隅に載ったニュースから(66)

    旧太陽の党に2900万円 政党交付金(2012.12.8 日経新聞)
 総務省は7日、日本維新の会に合流した旧太陽の党に、政党助成法に基づく特定交付金として2896万3909円の交付を決めた。特定交付金は政党要件を満たさなくなった政治団体に、政党だった期間の分の政党交付金を配る制度。
 旧太陽は11月13日、石原慎太郎前東京都知事を代表に、たちあがれ日本を衣替えして結党、4日後に維新と合流した。
 政党交付金は4、7、10、12月に交付する。旧たちあがれは今年、10月交付分(7~9月)まで受取っていた。政党交付金は月割りで計算するため、今回は旧たちあがれと旧太陽が政党要件を満たしていた10~11月の2カ月分を受取る。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

 政党交付金(助成金とも呼ばれる)はリクルート事件やゼネコン汚職事件などで、企業などから政治家への資金提供が問題視されたため、企業・労働組合・団体などから政党・政治団体への政治献金を制限する代わりに政党助成法が制定され、それに基づいて支給されるものですから、政党の政冶活動を円滑に行なえるようにするためのものです。
 各政党への政党交付金の額はその政党の国会議員数と直近の国政選挙の得票率によって算出されます。太陽の党は橋下大阪市長が主宰する日本維新の会と合流したのですから、太陽の党のメンバーだった議員は12月分からは日本維新の会の交付金算出の基礎となる党員数に数えられます。
しかし、たった4日間しか存在しなかった政党(太陽の党)に3000万近い政党交付金が支給されるとは!? また旧太陽の党は交付された金をどのように使うのでしょう?まさか旧メンバーの5人が頭割りでポケットに入れるんじゃないでしょうね。
今年4月に決められた2012年度の政党交付金の総額は320億円です。このうち一番議員数の多かった民主党に165億430万円が、自民党に101億5400万円が割り当てられました。民主党は議員の離党が相次ぎましたが、その分は減額されるのでしょうか。
交付金の財源は国民が納めた税金から国民1人当たり年間250円分が振り向けられます。どの政党を支持していようが、支持していまいが(最近の世論調査では「支持政党なし」層が増えています)、強制的です。このため思想信条の自由を侵すという批判もあります。
また、政党交付金は、企業などからのひもの付きやすい献金を減らす目的でもうけられましたが、政党への企業・団体献金は一向に減らず、議員の政冶パーティーも従来通りです。
今度の選挙では、「消費税を増税する前に、議員自らが身を切る覚悟を示せ」ということが云われ、議員定数の削減、それも国民の意思を民主的に反映しやすい比例定数を減らすことが論議されていますが、議員や政党が身を切るならば、政党交付金の返上こそが身を切ることを国民に示す一番分かりやすい方法だと思いますが、議員の皆さんはどう思いますでしょうか。
太陽の党への3000万円近い特別交付金のニュースを見てこのようなことを考えました。
                                       大西 五郎
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     なんだか おかしいな? と思うこと     只今 

2012年12月08日 18時26分33秒 | Weblog
●花火を怖がって大砲は見ぬふり
 この国の右旋回を助けるかのような北朝鮮のミサイル発射予告に対して、またも大騒動。 
 発射準備に一か月もかかるものが軍用といえるのだろうか?
 本当に危険なのは、五分もあれば発射できるムスダン(飛距離3千キロ)ではないのか?
 野田首相は、ジャンバーに着変えて防衛省の敬礼を受け、
 デモンストレーションなんだから「さっさと打ち上げくれ」と正直にいった藤村長官に、
 安部晋三氏は嬉しい顔して「直ちに辞めろ」と怒る。

●民主党のビラが立派になった理由
 新聞を開けば一面買い切り、テレビからは野田首相が登場する民主党の宣伝は、
 かっての自民党以上。
 その理由を『日刊ゲンダイ』が次のように教えてくれる。
 政権交代後、懐にした政党交付金は総額500億円以上。機密費の支出はこの3年間で35億円。
 だから、候補者はこれまでにない上質な紙とか故障すること少ないスピーカーを使用。
 3年前までは1,000円の激安チェーンで散髪していたはずの野田首相が公示前日向かったのは、
 カット基本料13,800円の高級理髪店。 

 
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