九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ナンバー、この愚かな記事!  文科系

2013年05月06日 09時14分47秒 | スポーツ

 ナンバーウェブに偏っているという意味で大変愚かな記事が載っていた。
【2013年5月5日 14:01 (Number Web)マンUの“便利屋”にはまだ早い!主役を奪われたルーニーの未来は?】
 スポーツとしてのフットボールを誤解させるという意味で腹が立って仕方なかった。一種の義憤からやむにやまれずこの記事を書いている。スポーツグラフィック・ナンバーを1年ほど買うまいと決意したほどだ。いや、こんな編集部の水準では、しばらくもう買う気も起こらないだろう。

 記事内容はこういうものだ。今期アーセナルから来たファンペルシーによって、マンUの「顔」・ルーニーの影が薄くされた。そこから、こんな小見出しの内容が続いていく。
『今季のルーニーを「過去最悪の出来」と評価した国内メディアも』
『「MF転向説」さえ囁かれるシーズンに』
『ファーガソン監督は既に「潮時」と判断しているのか?』
『有力選手を獲得候補としてリストアップするファーガソン』

 最悪の出来も何も、今期これまでのルーニーは、アシストではファンペルシーよりも3つも多いのだし、得点でさえリーグ得点王が確実視される最前線のファンペルシーの半分も取っている。これでどうして、「悪評が流れる」??
 また、最前線の選手だけでフットボールが出来るというような書き方に、強烈な違和感がわいた。現に監督ファーガソンは、ファンペルシーと並べて中盤セントラルミッドールダーのマイケル・キャリックを今季ぶっちぎり優勝最大の功労者に上げているとも聞いている。また、ファンペルシーがクリロナよりも遙かに高く評価されているように見えるが、その理由はこういうことだと思う。スピードに乗った集団で流れるように得点するチーム作り、その一員として価値もあるファンペルシーと。彼はアシストも多いのだ。ルーニーも(香川や、有望選手扱いされているクレバリーも)まさにそんな選手だと僕は見ている。これからのこのチーム、レギュラー全員がシュートもアシストも長短の繋ぎも守備も、その他何でも高速スピードに乗って出来る選手たちになるはずだ。香川がいたドルトムントをもっと高度にしたような。

 FWだけを見るのは、日本フットボール記者の(多分世界で最も多い)典型的悪癖。ホームラン打者に眼が行く野球記者経験の名残でもあるのだろうかと思ってきた。それにしても酷すぎるではないか。そもそも日本のサッカーは中盤でやるサッカー。ナカタ、ナナミに藤田、小野、俊輔、小笠原に、現代表では異能・遠藤とキャプテン・長谷部。中心選手は常に中盤選手だったではないか。そんな意味でも、何か「ために書いた」ような気がする記事だ。
 怒りついでの八つ当たりを、暴言との批判覚悟で、少々。オーストラリア滞在旅行でクリケット(隆盛の名残)を観た思いがした。南アとかも含めて、旧イングランド植民地にはこれと共に必ずラグビーが「残っている」はずだ。野球もアメフトも、アメリカ「植民地」の名残。やがて世界から消えていく運命だろう。アメリカの時代は旧イングランドのそれよりも遙かに短いだろうからね。栄枯盛衰! でも、フットボールは世界に最後まで残る旧スポーツのはずである。青少年よ、フットボールに転向、転向! 今、クリケットやっててもしょうがないだろ!

 かくて、ルーニーが「潮時」?? ファーガソン他チーム首脳がルーニーをおろそかにするわけなど、全くないではないか。このチームは中盤の功労者をこそ最も大事にしてきた。そんなことも知らぬげに、何をほざくのか。ライアン・ギグス、ポール・スコールズは、マンUにおいては「サー」が付く人物である。FWであるクリロナやファンニステルローイを差し置いてでも、そうのはずなのだ。
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【 背番号96!!】の政治    文科系

2013年05月06日 07時45分49秒 | 国内政治・経済・社会問題
 昨日のらくせきさんの記事、「韓国、日本の右傾化を懸念」という内容は、実に時宜にかなっているとの実感。そうだろうともと、改めて今朝、頷きながら読んだもの。関連して、いろんなことが頭をかすめていった。

 今朝連れ合いと交わした第一声がこれ。
「長嶋・松井国民栄誉賞関連で、審判はアベだったって!」
 打者長嶋・投手松井の審判をアベがやったそうだ。しかもその背番号が96と来た。記者団に問われて、答えがとぼけている。
「私は第96代首相なんです」
 また、今朝の新聞に載っていた、有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」のこと。座長は元駐米大使・柳井俊二氏だそうで、もうげんなり。
 今朝の中日新聞に載った憲法9条と96条と、集団的自衛権とを巡る歴代の論議も、憂鬱さに輪をかけてくる。

 こんなことを思いつき、連れ合いに声をかけてみた。
「私は96代首相ですというのは、すっとぼけ。聞かれること覚悟で、答えのリハーサルまでやっていたに違いないよな?」
 対して連れ合い。「後ろに電通とか、広告会社が付いてるんでしょう。ちかごろの選挙でもそうなんだから。電通首相担当者が何人もいたりして」
 政治も、どんどん民営化されていくのだろう。会社が社運ならぬシェア、株価をかけて自民党を当選させ、首相担当者は花形職に違いない。そこに任命されたとあっては、社内台頭に燃えに燃えないわけはない。出世コースに乗った事を十二分に自覚しつつ、こんな難職、上手くやりおおせたら将来は重役だ。それよりも、自民党との関係で大臣かそれとも慶応辺りの学者がよいか?!

 人間個人と個人の間では、二人の意見はまず対等である。70歳とか20歳とかの年の差も、金持ち貧乏も、性差もまず関係ない。その間に厳しい論争が起こっても、その間に暴力を想定し、そのための準備をする人などがいたら、これはもーその筋の人ということになる。それが国と国の間となると、すぐに「攻めてくる」とか「自衛」とか、「集団的自衛権」??それも、強大武力を持った強い国とか、北のように首脳部に不安、問題を抱えた国ほど、率先して騒ぐのだからたちが悪い。しかりしこうして、「経済の軍事化」、不景気時代へのこれが一つの対応なのだから、まことに困ってしまう。こんな流れが、どんどん自己増殖していく理屈だろう。またここには、防衛官僚とか外務官僚とか、兵器会社・商社・広告会社・学者などなど、不景気・競争時代の世に出る機会と権力の拡大を狙っている輩、集団がうようよしているということなのだろう。

 これはもう、俗物の祭典、集団の狂気。人間疎外ここに極まれりというように僕には見える。彼らにしてみれば、傍らのこれらはあっさりと「自己責任」!世界的な若者失業者と、結婚も出来ない不安定雇用者の大群! かくして、ギリシャ、スペインの若者失業5割とか、アフリカの貧困や独裁を根っことする集団殺人とかなどなど、こんなことを見つめる日本人もどんどん少なくなっていく。「我が国だけ」の熱狂など、ロクな事はないはずだ。
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韓国・中央日報の社説です。    らくせき

2013年05月05日 19時15分47秒 | Weblog
日本の右傾化現象がますます加速している。その背景には、保守右翼の人々が結集した“日本会議”の存在がある。政財界、文化界など日本全体の右翼活動に連帯感や理念的論理を提供する団体だという。この団体が究極的に目指すところは、改憲を通じて天皇制を復活させ、自衛隊を海外攻撃が可能な一般の軍隊に変えて東アジアの覇権を掌握することだ。

慰安婦の否定妄言、日本の侵略の歴史を謝罪した村山談話・河野談話の否定、教科書歪曲、独島(ドクト、日本名・竹島)問題の浮上、靖国神社参拝などますます露骨になっている極右化の動きの主役が、まさにこの団体の会員たちだ。日本の右傾化現象に対する警戒心を高め、これをけん制するための韓国政府と民間の活動が一層強化されなければならない状況だ。

日本会議は、47都道府県に本部を、330の地方自治体に支部を置く全国組織だという。会員数が3万人に達し、傘下の右翼団体まで含めれば仲間意識を持つ人員だけで800万人だ。安倍晋三政権の閣僚19人のうち13人が日本会議に所属しており、国会議員数は与野党を含め252人、地方議員数は2000人超だ。“日本会議国会議員懇談会”の最高顧問がまさに安倍首相でもある。彼らはデモを行ったりインターネットで活動したりする通常の右翼団体などとは別に国家政策を主導している。どの政党よりもさらに強力な影響力を持つのだ。

私たち韓国は、日本の右傾化現象に対して漠然とした警戒心を持ち、事件が起きるたびに鬱憤を爆発させるやり式で対応してきた。しかし昨今の日本の右傾化現象は、より根本的で組織的な対処を要求している。韓国政府は、日本の右翼の活動が波紋を起こすたびに批判すること以上の対策を模索しなければならない。日本の良心ある知識人、政治家たちとのきずなを強化する体系的な努力がなされなければならない。一般の日本国民はもちろん国際社会全体の世論が右翼勢力に対して批判的な立場をとるような環境づくりをする努力も強化されるべきだ。

日本では、こうした動きに対する危機感が弱いように感じますが・・・
どうでしょう?


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 「よたよたランナーの手記」(2) 一歩一歩   文科系

2013年05月05日 07時04分33秒 | 文芸作品
 走れるということに、僕がなぜこれほどに拘るか。有酸素運動能力の諸効能を重く見ているからだ。酸素摂取能力の高さが僕の身体にもたらしてきたと考えられるものとして、こんなことがあげられる。ギターを3時間弾き通すような毎日でも、肩、肱、手首などどこもほとんど痛めたことがない。ブログを4時間やり通しても目が疲れないし、肩こりも腰痛もない。乳酸などの疲労物質を酸素が自然に運んでくれるのだろう。お酒も弱くなっていないし、毎日飲んでいても肝臓も悪くしたことがない。酒の毒であるアセトアルデヒドは、酸素で分解するということだ。あちらの方の能力も、血流というか酸素摂取力が関係するらしく弱くならないとは、ランナー仲間では周知の事実である。とにかく、人間にとって酸素摂取能力の威力は絶大なのだ。これらの効能を考えると、ランナーはどうしてもやめられなかったのである。ランナーを止めれば、僕の基本的生活スタイルを変えねばならぬと理解しているのである。それで、10年の2回手術後も、未練たらしく粘ってきたというわけだ。
 さて、その後どうなったか。

手術後初のランニングマシンは、前回に書いたように15分で1.6キロに過ぎなかった。12年9月23日のことである。次いで、その3日後には30分走れて、その走行距離は3.3キロになった。体と相談しながらおっかなびっくりでマシンの時速を上げていった僕としては、望外の結果だったといえる。平均時速7キロ弱であり、最速時には7.5キロ時まで行ったと思う。まだまだ速歩に近いよたよたではあったが、とにかく3年ぶりほどで30分走れたのだ。その日、なんと良い気分だったことか。光明が見えたというのが、その時の実感である。
 それからは、階段往復とジム・マシン・ランニングとの併用、時々ロードレーサーというやり方が今日まで続いている。やがて、平均心拍数も1分に150ほどは問題なしとも分かってきた。ただ、なるべく140台に納まるようにはしている。僕のような心臓既往症持ちがランニング・マシンで走るというのは、いつも時速が分かっているから良いのだ。これによる客観的運動強度と、心拍数とをいつも確認しつつ走るということだ。心拍数は、不整脈があると分かった昔から心拍計を付けて、常時分かるようにして走っている。
 さて、以降は30分の走行距離でこうなっていった。11月24日には3.7キロ、12月8日には3.9キロ、同15日には4キロである。風邪を引いたり、どこかが痛かったりして中断した時期もあって調子の波はあるのだが、とにかく今日まで心臓の変調はない。その結果が最近のこういう数字になる。4月11日、4.05キロ。5月2日、4.07キロ。この速度になると、最高時速は9.5キロほどになり、やっと走っていると実感できる。でも、今の所は時速9キロを15分続けるのが難しい段階と言える。何せ僕の場合、この速度だと心拍数が155になるのだから。苦しくはないのだけれど、僕の心臓としては限界に近い。ただ、こんな希望的数字もある。同じ時速8キロでも、少なくとも1日おきくらいで走り込むと心拍数が減っていき、最初155であったものが今は145を切っている。時速9キロでも同じ事が起こりうると考えている。
 72歳でも、3年ブランクがあっても、人間結構できるものだ。階段往復だけはいつも絶やさなかったのが良かったのかも知れない。
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「よたよたランナーの手記」(1) まだ走っています  文科系

2013年05月04日 17時52分38秒 | 文芸作品

「不整脈ランナーの手記」という連載を09年11月2日から11年2月26日まで、25回にわたってここに書いてきた。最後の25回目は「ランナー断念」という題名で終わっている。そこまでの内容はこんな風だ。
 不整脈を抱えても、走れることの「酸素吸収力に起因すると思われる様々な効用」が捨てがたく、医者と相談し、脈拍数を管理しながら走ってきた。不整脈はやがて慢性心房細動へと進み、即カテーテルアブレーションという手術を決断。こんな結末になるとは、この手記を書き始めた時には全く予期しないことだった。07年の西春マラソン10キロの記録54分18秒を超えてやろうと思いつつ、手記を書き始めたのだから。
 10年の2月と10月にこの手術をやった。右大腿付け根を切開して、そこの静脈からカテーテルを心臓内側まで入れ、心臓内壁の余分な電気伝達経路を低温焼却するというものだ。さて、その後いろいろあったけれどまだよたよたとでも走っている。その後今日までの経過を記してみたい。まず、前回の手記最終回の様子。11年2月26日のエントリー一部を再掲する。

【 随筆 不整脈ランナーの手記(25) ランナー断念 文科系  2011年02月26日

 突然のことだが、「ランナー断念」ということになった。2月初旬までは少しずつ運動量を伸ばし、時には1キロほど走ったりして、きわめて順調に来ていたが、突然こんなことが起こったのである。
 16日水曜日夕刻、いつもの階段登りをやり始めて10往復ぐらいで、不整脈が突発。それもきちんと脈を取ってみると、最悪の心房細動である。ここまで順調にやれて来て、11日にも階段110往復を何の異常もなくやったばかりだったから、全く寝耳に水の出来事であって、青天の霹靂、気分は暗澹。

 翌日も何の改善もないから掛り付け医に行く。すぐに「(カテーテル手術をした)大病院の救急病棟に予約を取ったから、今行ってください」とのこと。そこでは、ちょっと診察してこんな宣告。「全身麻酔で、AEDをやります。多分治ります」。このAEDで事実治った。そして、もの凄く嬉しかった。なんせ、前日の「青天の霹靂」、「暗澹」の一日後のことだったから。が、以降普通に生活しているのに、どうも怪しい。そして24日木曜日昼頃、ギターを弾いているだけなのに「期外収縮」発生。これは、僕の今までの経験上「今ちょっとした運動をやると慢性心房細動になるよ」という前兆、サインとも言える。25日金曜日、掛り付け医に行き、「今後の心臓相談」とあいなった。いろいろ質問し、改めて学び、考え、合意の上で決めてきたことが、これだけだ。
・年齢並みの心拍数に落とす。最高120、できたら100~110まで。
・突発性の期外収縮だけなら、トンプク的に薬を飲む。
・心房細動が起こったら、以前の薬を常用の上、AEDか再手術か。
・お酒は今までの通常範囲ならばよい。アルコール換算で、ビール1本程度まで。

 さて、最高心拍数120までとするならもう走れない。速度にもよるが130~150は行っていたからである。僕も今年で70歳。走るのを断念して、少しでも細く長く生きる道を選ぶしか無くなったと覚悟した。走るのをほぼセーブしていて体質がどんどん変化していると感じるが、それも仕方あるまい。ランナーとして年貢の納め時なのである。(以下略) 】

 その後のざっとした経過はこうだ。11~12年は、細々と散歩、ロードレーサー転がし、家の18階段往復などを続けていた。往復数の初めは50往復ほどまで、秋にはやがて100往復へと伸びていった。せめてその程度の体力はという未練から出発したものだが、やがて、心拍数で130~140程度は問題ないと気づきはじめた。そこから、散歩途中などでちょくちょく走ってみた。そのすえに12年9月23日、再度ジムに通い始めた。最初の日の手帳には「15分で1.6キロ。および15分バイク」と書いてある。つまり、時速6キロという、まー速歩き程度だ。
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随筆 人がものを主張するということ  文科系

2013年05月03日 12時45分33秒 | 文芸作品
 こんな文章もあって良いと考えて、僕の覚え書きメモを随筆風エントリーにしてみました。人がものを主張し、討論的に語ること自身には、案外複雑な方法、理屈があると思うのです。以下の最初は、ここにコメントしたものですが、そのコメントの補足修正から入ってみます。

 人がものを語るということ (文科系) 2013-04-25 01:52:28
 人がものをなにか主張し、討論的に語るということ自身には、案外複雑な理屈があると思う。
 最も初歩的・原始的なのは、俺にこれこれのものをよこせ。あるいは、俺のそういう主張だけが正しいと(無自覚であっても、また、何の根拠も示さず)主張すること。次に、ちょっと人間に成り始めると、こうなるのだと思う。「対立するあの意見もこれも(同等に)主張して良い」。これは単に「並列・相対主義」とも言うべき段階に過ぎぬと少しでも考え、気づいた人は、次にはこうなる。法律なり人倫なり、歴史的賢人の言葉なりなどなどから、自己の主張がより普遍性を持つものと主張し始める。

 相手を劣った者のように罵倒するだけというのは当然第一のやり方であって、まーちょっと賢い幼児のようなもんだろう。3歳児ともなれば要求のきつい子なら泣きわめいてでも自己主張を続けるものだ。大人がこういうやり方しか知らないときに、暴力とか脅迫で主張を通すということも起こる。これを常套手段としているある種の人々も存在し、これを世論工作のために活用している政治勢力も存在する。
 第二のやり方は、他人と自分が同等だと初めて見えてきた若者のようなもの。単なる自己主張だけでは虐められ、無視されるだけと知り始めるのである。さて、人がものを真に考え始め、人らしい主張をし始めるのは、ここから先のことだろう。
 どんな「AはBである」という主張にも、なんらか人類的普遍性のようなものを付け加え始める。すると、いろんな普遍性の形があると知り始めるのである。そして、人間らしいものを語るってそういう世界のことであって、それが分かっていないような主張は、普通なら無視されてよいようなものと思う。
 ただ、対立する相手の主張を暴力で社会から抹殺することを通して、自己主張を貫くこともあったから自体はややこしい。「奴隷は主人が殺しても良い存在だ」とか、「ユダヤ人は死ぬべき存在だ」とかが、事実として存在したその例だろう。「奴隷もユダヤ人も他の人間と同等である」という主張を暴力で抹殺していくわけである。でも、この主張の否定が誤りだというのはまた、これはこれで今の世界的な法律的・人倫的・賢人遺産的知恵に属することだ。が、今までの世界のどこの国にもこういう知恵を無視して、対立意見に半ば暴力的に対処しようとする人々がいたし、現にいるものだ。(暴力的)行動右翼・左翼はどこの国にもいる。戦前の治安維持法など、国家が時にそうすることも多かった。ある思想・表現を国家が暴力的に抑えるわけだ。
 このように、彼らが幼児のように見えるというだけでは済まないから難しい。「言論の自由」という知恵も通じない輩である。

追加 (文科系) 2013-04-25 02:14:00
 アメリカのどの学校にもディベートという習慣があるらしい。ある命題の賛否に分かれて、討論し合うというものだ。例えば「女性は男性よりも弱い存在である」という正しいと僕が全く思わない主張の側にその僕が属したり、もっと馬鹿馬鹿しい意見を支持する立場に身を置いたりして討論させられることもある。人間の論理としての立場が弱ければ弱いほど、それを支持する側に立つ討論では努力工夫が必要であって、討論手法がより磨かれていくというわけである。
 こういう経験をまじめに経ていれば、上の1や2の子ども的認識・討論段階は大学生ともなれば当然誰もが認めていて、知っていることになる。そんなことも踏まえない議論が、日本人の例えば会社人間などには多すぎると思うのだが、それは当然議論と名付けるには値しないものだと思う。会社の外へ出てもこうならば、恥ずかしいことである。


 さらに追加として、討論にはそもそも最低次の2種類、側面があったと追加したい。ある物事を成し遂げることについてどっちのやり方が現実にあって合理的・能率的で的確かというのと、それは人倫的に正しいことかどうかという2種類といえばよいだろうか。前者は実験・実証も絡んだりしつつやがては自ずから明らかになっていくだろうという感じもあるが、後者は宗教の数以上に「人倫」があるというようなもので、大変難しい問題だと思う。この二つの前者を語っているつもりの人で、彼の語りの動機、出発点が実は案外後者だったということが、人間には多い。これも討論を難しくする。普通の人の討論は常にこういう困難に直面するもののようだが、学者の世界にさえ真に公平な立場など無いということなのかもしれない。
 なお討論の領域と時間、つまり空間・時間を長くとった視野の問題というのもあるだろう。今のことだけとかこの国のことだけとかを語るのは比較的容易だが、これは誤りとか偏りも多いはずだ。世界の10年後20年後を正しく語れて初めて今を正しく語れるのだろうし、今の日本のことは何年後かの世界が見えなければ正しい答えは出ないだろうからだ。つまり、世界と未来を語る人の中からしか、現日本情勢を正しく語りうる人は出てこないということだと思う。もっとも、そんな社会理論もないからこそ、今の世界が混迷しているのだろう。
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最近気味が悪いこと                  あんころもち

2013年05月02日 14時10分33秒 | Weblog
1、「主権回復の日」(それ自身問題含みなのだが)に出席の安倍晋三首相や麻生太郎副総理が壇上で「天皇陛下バンザイ」を三唱したこと。
 「主権回復」って、主権在民ではなくて天皇の主権が回復したってこと?
 
2、福井の「ピースアート展 憲法と平和」で、憲法の条文をイラスト風に描いた作品が「政治色が強い」との理由で撤去させられたこと。
 「憲法と平和」展で憲法を描いたものが撤去ってこれ何?
 
 http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/42163.html

 それ自身、気味が悪いのですが、それらがあたりまえのこととしてほとんど問題にならず看過されているという現実、これがもっとも不気味。
 戦前の日本でも、ドイツでもそうだが、翼賛体制への下り坂は思ったよりも急です。
 気がついた時にはもう後戻りできない泥沼の中です。
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ストイコビッチ、退団?  文科系

2013年05月02日 08時13分23秒 | スポーツ
 サッカーキング・サイトでこういう記事を見つけた。この記事と共に、今年のグランパスはもう終わったろう。思えば、3年前の優勝が良い思い出である。それにしても今のJリーグ監督は難しい。一昨年のネルシーニョ・柏、昨年の森安・広島、今年のベルデニック・大宮や横浜マリノス。上位陣の入れ替わりの、なんと激しいことか。森安はペトロビッチの遺産を見事に継いだのだろうし、近年のマリノスは元々失点が少なくなっていた上にトップ下に戻した中村俊輔絡みの得点力が大きいようだ。ベルデニックって、その昔はグラの監督だったこともあるのでは?そう言えば、ネルシーニョも。二人ともグラでは良い成績を上げられなかったのに、外国人監督には時代に合わせて監督能力を養い直す人がいるものだと、驚いている。
 ともあれ、ピクシー退団のニュースは、以下である。

『 2013年5月1日 15:58 (SOCCER KING)
ストイコヴィッチ監督が今季限りでの退団示唆…母国メディア報じる

 名古屋のドラガン・ストイコヴィッチ監督が、母国セルビアメディア『zurnal』のインタビューに応え、今シーズン限りで指揮官を退任する可能性が浮上した。

 ストイコヴィッチ監督は、「私は休養を必要としている」とコメント。続けて、「シーズン終了後に、他の可能性について話し合うことになるだろう」と、今季限りでの退団を示唆した。

 ストイコヴィッチ監督は現役時代、レッドスター・ベオグラードやマルセイユでプレー。1994年に名古屋へ加入すると、2001年の現役引退まで7年間にわたり在籍した。その間、チームを天皇杯やFUJI XEROX SUPER CUP優勝に導き、個人としても1995年にMVPに選出、ベストイレブンにも3度選ばれている。引退後は、古巣レッドスターの会長などを務め、2008年から名古屋の監督に就任。2010年にはチームを初のリーグ優勝に導き、Jリーグ史上初めて最優秀選手と最優秀監督に選ばれた人物となった。今季で名古屋を率いて6シーズン目となっている。 』
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僕のスポーツ哲学(再掲載)  文科系

2013年05月02日 02時09分01秒 | スポーツ
 以下のエントリーを改めて再掲載させていただく。ちょっと古い話になるので、改めてちょっとだけ前置きを変えて、ということだ。

 僕のスポーツ哲学  文科系 2010年10月01日 | スポーツ

 僕はここに、スポーツの記事をいろいろと書いてきた。見るスポーツとして以上に、やるスポーツということでも。これに関して述べてみる。この稿は、近くに始めたい新たな「やるスポーツ談義」の予告編のようなものというつもりだ。
 
 もちろん、第一に好きだからスポーツ随筆などを書いてきたわけだ。が 単にそれだけの小さな扱いだという積もりは、全くない。もっと遙かに大きな人生的意義を与えたい。スポーツは先ず、以下に見るように人生に潤いを与える文化・芸術だと考えている。そしてさらに、他の芸術よりも人生にとって遙かに大きな意義があるとも考えている。健康や、どんな美容・高価な服装、装飾品よりもはるかに価値が高い「自分自身の美」に繋がるものだとも考えている。そして、こんなスポーツ哲学を持っている。以下は、ここにも載せた中編小説から抜き出したものである。所属同人誌に掲載した小説だ。

『 週に複数回走ることを続けてきたほどのランナー同士ならばほとんど、「ランナーズハイ」と言うだけである快感を交わし合うことができる。また例えば、球技というものをある程度やった人ならば誰でも分かる快感というものがある。球際へ届かないかも知れないと思いながらも何とか脚を捌けた時の、あの快感。思わず我が腿を撫でてしまうというほどに、誇らしいようなものだ。また、一点に集中できたフォームでボールを捉え弾くことができた瞬間の、体中を貫くあの感覚。これはいつも痺れるような余韻を全身に残してくれるのだが、格闘技の技がキレタ瞬間の感じと同類のものだろうと推察さえできる。スポーツに疎遠な人にも分かり易い例をあげるなら、こんな表現はどうか。何か脚に負荷をかけた二、三日あと、階段を上るときに味わえるあの快い軽さは、こういう幸せの一つではないか。
 これらの快感は、たとえどんなに下手に表現されたとしても、同好者相手にならば伝わるというようなものだ。そして、その幸せへの感受性をさらに深め合う会話を始めることもできるだろう。こういう大切な快感は、何と名付けようか。イチローやナカタなどこのセンスが特別に鋭い人の話をする必要があるような時、このセンスを何と呼んで話し始めたらいいのだろう。音楽、絵画、料理とワインや酒、文芸など、これらへのセンスの存在は誰も疑わず、そのセンスの優れた産物は芸術作品として扱われる。これに対して、スポーツのセンスがこういう扱いを受けるのは希だったのではないか。語ってみればごくごく簡単なことなのに。
 スポーツも芸術だろう。どういう芸術か。聴覚系、視覚系、触覚系? それとも文章系? そう、身体系と呼べば良い。身体系のセンス、身体感覚、それが生み出す芸術がスポーツと。スポーツとは、「身体のセンス」を追い求める「身体表現の芸術」と言えば良いのではないか。勝ち負けや名誉とか、健康や体型とかは、「身体のセンス」が楽しめるというそのことの結果と見るべきではないだろうか。そういう理念を現に噛みしめているつもりの者からすれば、不摂生のためすっかり体型がくずれてしまったかに見える体協の役員の方などを見るのは悲しい。勝ち負けには通じられていたかも知れないが、「身体のセンス」はどこか遠くに置き忘れてこられたように見えるから。その姿で「生涯スポーツ」を説かれたとしても、「言行不一致」を免れることはできないだろう。 』 
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新聞の片隅に載ったニュースから(88)   大西五郎

2013年05月01日 19時33分30秒 | Weblog
口  名東署が誤認逮捕 窃盗事件、男性に謝罪 (2013.5.1 中日新聞)
 名古屋・名東署は30日、窃盗容疑で逮捕した名古屋市中区の美容院店員の男性(22)を釈放したと発表した。逮捕後、男性が犯行の時間帯に職場にいたことが分かった。名東署は誤認逮捕だったと認め、男性に謝罪した。
 名東署によると、3月10日午後3時15分ごろ、客を装った男が名東区内のリサイクル店を訪れ、店員の隙を見て高級ギターと部品(計26万5千円相当)を持ち去り、盗んだ。店内の複数の防犯カメラに写った男が男性に似ていたほか、男性を含む数十人の顔写真をリサイクル店の店員二人に見せたところ、「男性が犯人」と答えたため、4月26日に逮捕状を請求。30日朝、男性に任意同行を求め、午前10時5分ごろに逮捕した。
 男性は「全く知らない。仕事をしていた」と否認していた。その後、署が男性の勤める美容院に確認したところ、犯行時間帯には勤務先にいたことが分かり、同日午後零時15分ごろ釈放。その後、署の刑事課長が電話で男性に謝罪した。
 上村武志署長は「誠に遺憾。今後は緻密な捜査を進め、再発防止に努める」とコメントした。

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 このニュースで思うことが二つあります。
 一つは、警察が誤認逮捕しておきながら、刑事課長が「電話で謝罪した」ということです。直接会って謝罪すべきで、仮に男性が警察署から帰った後だとしても、同じ名古屋市内です。刑事課長は男性が勤めている美容院にまで行って直接謝罪すべきでした。電話で済ませたということに、人権を軽く見る警察の習性がうかがわれるようで、恐ろしくなりました。
 しかしこの問題でもう一つ考えなければならないと思うのは、最近やたらに増えて、誰彼かまわず、善良なる市民を常時監視している防犯カメラの問題です。
 ボストン爆破事件の容疑者が防犯カメラの映像から特定されるなど、犯罪捜査に威力を発揮しているようです。日本でも、他人のパソコンに入り込んで幼稚園襲撃を予告した「遠隔操作ウィルス事件」で、江ノ島の防犯カメラの映像から首輪にデータをしのばせた猫と一緒にいたIT関連会の30歳の社員が逮捕されたりしました。しかしこの男性は犯行を否認しています。
 この事件でも、4月30日の午前10時5分に逮捕して、午後0時15分に釈放しています。犯罪捜査では、容疑者の犯行の可能性が確かめられてから逮捕するのが普通です。そのために犯罪が行われた時間に容疑者がどこにいたかを確かめるのが普通の方法です。アリバイ(不在証明)が無罪の決定的な証拠になります。ところがこの事件では、逮捕する前に犯行当日の所在を確かめれば犯罪と無関係とわかったのに、確かめたのは逮捕してからでした。防犯カメラの映像が「似ている」ということに寄りかかり、基礎的な捜査を疎かにしたと言えると思います。
 防犯カメラの映像から容疑者を捜そうとすると、カメラに写っている犯罪とは無関係な市民が、言葉は悪いですが行動を覗き見られているのです。防犯カメラとプライバシー権、人格権の問題を考えてみる必要がありますね。
                                       大西 五郎
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 巨泉、「朝日」をやめるって!   文科系

2013年05月01日 17時18分12秒 | 国内政治・経済・社会問題
 今日喫茶店で最新号の「週刊現代」(5月11,18日号)を読む機会があった。そこにあった大橋巨泉の連載「今週の遺言」に書かれていたのが、表記のことである。彼がある朝日新聞記事にそれほどに猛烈な反発を感じたと語っているのだが、その記事が憲法9条と自衛隊絡みなのである。
 
 記事内容は、こういうものだった。全国高等学校教職員組合が26都道府県・4政令都市144高校の生徒12,480名回収で9条、自衛隊関連の意見調査を行ったらしい。それによれば「憲法9条は変えない方がよい」63%、「変える方がよい」14.4%、「自衛隊は違憲ではない」45% という結果が出たようだ。このことが新聞でどう報道されたかが、巨泉が今回の記事で問題にしたところである。この三つ全ての数字を記事掲載したのは東京新聞だけであり、朝日新聞は三つの内で前2者には(ほとんど)触れずに「自衛隊は違憲でない、45%」を大々的に報道したということだった。これに対して巨泉が「朝日を止めることにした」と怒っているのである。

 朝日新聞は僕も10年秋に止めたのだけれど、僕の場合は小沢一郎関連の記事内容などのひどさに腹が立ったからだった。あの酷い記事に対して、無罪と決まったその後に朝日から一言でも反省が聞けたろうか。近年の朝日新聞の体制・官僚寄り、アメリカべったり姿勢は、目に余るものがあると思う。この僕の朝日新聞お断り経過については、当ブログ以下の記事で報告している。2010年10月18日「朝日新聞、強制配達は何故?」、および11月9日「朝日新聞をやっと止められた」である。これにいたるまでに感じたこの新聞への僕の違和感については、以下のエントリーがある。同年8月14日「大新聞、今の政治的立場」、17日「笑っちゃう朝日社説」、18日「朝日、自民持ち上げ連載」、21日「またまた朝日のとんでも論」、27日「朝日の星氏、ゲスの勘ぐり」、同年9月15日「当面のマスコミ論調を予測する」などがある。
 これらのすべてのバックナンバーについては、日にちが分かっているものはこうすればお読みいただける。右欄外中程の年月欄をスクロールして、2010年9月を出しクリックする。するとこの年月欄のすぐ上にある今月分のカレンダーが、その当該月のものに替わっているはずだ。そのカレンダーの例えば9月15日をクリックしていただけば、その日のエントリー全てに本欄が切り替わるはずである。そこから当該記事をお読みいただけるというやり方だ。よろしく。
 
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