九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

世界スポーツクラブの値段   文科系

2013年07月19日 08時12分54秒 | スポーツ
『 レアルが「世界一価値のあるスポーツクラブ」に選出 サッカークラブが上位独占   ISM 7月16日(火)12時41分配信

 現地時間15日(現地時間)、レアル・マドリー(スペイン)が米経済誌『フォーブス』の選ぶ「世界一価値のあるスポーツクラブ」に選出されたことが明らかになった。ロイター通信が報じている。
 『フォーブス』の発表によれば、9度の欧州制覇を誇るレアルの価値は昨年の18億8000万ドル(約1876億円)から大きく上昇し、33億ドル(約3294億円)。『アディダス』社や、『エミレーツ航空』との契約による収入増加が大きな要因となっている。
 トップ50に30のNFL(アメリカンフットボール)のクラブが入るなか、サッカー界からはレアルのほか、昨年同ランキング首位だったマンチェスターU(イングランド)が2位に選出された。また、バルセロナ(スペイン)は昨年の8位から3位へと大きく順位を上げ、トップ3をサッカークラブが独占した。このほかアーセナル(イングランド)が10位にランクインしている。

 以下、「最も価値のあるスポーツクラブ」トップ10
1.レアル・マドリー(サッカー):33億ドル(約3294億円)
2.マンチェスターU(サッカー):31億7000万ドル(約3164億円)
3.バルセロナ(サッカー):26億ドル(約2595億円)
4.ニューヨーク・ヤンキース(MLB):23億ドル(約2294億円)
5.ダラス・カウボーイズ(NFL):21億ドル(約2094億円)
6.ニューイングランド・ペイトリオッツ(NFL):16億4000万ドル(約1635億円)
7.ロサンゼルス・ドジャース(MLB):16億2000万ドル(約1615億円)
8.ワシントン・レッドスキンズ(NFL):16億ドル(約1595億円)
9.ニューヨーク・ジャイアンツ(NFL):14億7000万ドル(約1466億円)
10.アーセナル(サッカー):13億3000万ドル(約1328億円)』

 トップ50では、サッカークラブは3チーム以外に10位アーセナル、12位バイエルン、37位ミラン、40位チェルシーと計7クラブがランクインした。
 競技別では、アメリカ・プロフットボールのNFLから30チーム、欧州サッカーとアメリカ・プロ野球のMLBから7チーム、アメリカ・プロバスケットボールのNBAから3チーム、自動車レースのF1から2チーム、アメリカ・プロホッケーのNHLから1チームが入った。

 アメリカって、やっぱり金持ちなんだ。それにしても、トップ50クラブの内30がアメリカンフットボールとは、僕は全く知らなかった。ただ、現在同じ7クラブの野球をサッカーが間もなく抜くだろうけどね。マンCもいるし、リバプール、シャルケ、レバークーゼンもいる。

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随筆  「あそび心」   文科系

2013年07月18日 07時38分39秒 | 文芸作品
 ここに何度か紹介してきた孫のはーちゃん、この九月で三歳になる。今回は、いろんな言葉を拾ってみた。この観察の焦点は、彼女のあそび心ということになろうか。ただし一言、この年齢の言葉をけっして大人流に一般的解釈をしてはいけない。第一、それでは面白くもなんともない。

 我が家へ駆け込みつつの第一声は、決まって「遊ぼーよ!」。パソコン席から僕が離れそうもないのを確認すると、すぐに駆けだして「ばーばっ、遊ぼーよ!」。「チックン」というのは注射のことだし、「アーン」で口を開けさせ棒状のもので喉を調べたり、検温までするのは、お医者さんごっこ。「チックン」は念入りに時間をかけ、こんな時必ず言うのが「痛いーっ?」。顔をしかめてみせるほどに、その目がにやりと歪んでくる。二つのソファを向かい合わせるのは、このくそ暑い中の彼女には大作業。がそれもなんのその、なんせ出来上がるのはプールである。近くの大人の尻を押した後から、自分も入ってくるのだから、そのプールの熱いこと。遊びに燃えた体で、バシャーンとか、バシャ、バシャとかやっている。プールにはいろんなものを持ち込んでいるが、こんなこともあった。「あっ、亀さんがウンコしました!」。大変大変というわけで、トイレに連れて行ったのを目で追うと、一生懸命紙で拭いている。

 僕がパソコン席から離れない先日、こんなことも起こった。新聞紙を細めに長く丸めて「はい、ビールですよ!」。見れば自分も小さ目のやつを持っていて「乾杯しょ!」と申し込んで来た。僕の好物で僕を遊びに釣り出そうと企んだとしたら、相当な知能犯だが。乾杯してから「後で遊んであげる」と応えると、「楽しみー!」といいつつ離れて行った。
 アソビ心の先にいたずら心があるのも、既に人並と言えようか。家へ飛び込んできたとたんに何を思ったか、「ジイジ、大好きーっ」と脚にしがみついてきた。悪い気はしない。ところが、その三十分ぐらい後に、関連して起こったのが、これ。しばらく離れていてまた向かい合った時に僕の目を見てこう告げる。「好きって言って」。僕は、当然そう言った。と、こんな答えが返ってきた。「あんまり、好き(じゃ)ないの」。この時の「好きって言って」とは、「好きかと質問してくれ」という意味だったのである。この時も例の「イジワル」表情だったのは、言うまでもない。
 僕のお茶専用のお盆を遊び場の方に持って行ったから、貸してと申し出に行った。何度か頼んでも返してくれないどころか、自分の身体の後に「隠している」。と突然、その体勢のままで、こんな返事が返ってきた。「まっ、いいか!」。僕は初め、返してくれるのだと思い、ちょっと待った。が、一向にその気配はなく、お盆は体の後に隠したままで、顔は例の歪んだにやりである。突然僕は気づいた。僕にこう語っていたのだ。「(お前が)『まっ、いいか』と言え」と。つまり、諦めろとイジワルをしているのだ。

 最後に、あそびならぬ大変なリアル語を一つ。机の上に彼女の大好物・さきイカ燻製。ちょうど僕がそれに手を出そうとしたときのことだ。「みんなで、みんなで!」との叫び声。叫ぶ間もあらばこそ、手と体は既にモノを覆っている。彼女の「みんなで」とは、「私こそ欲しい」の意なのである。好物で対立が生じやすい保育園の連絡帳にそう書いてあったこれは、遊びならぬリアル語そのものだろう。「みんなでみんなでと叫ぶ時には、既にちゃっかりと物を握っております」。
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「規制の虜」の復活(5) 廃炉には、これだけの困難  文科系

2013年07月18日 04時59分04秒 | 国内政治・経済・社会問題
 とんでも無い高濃度な放射能汚染水漏れが続いています。これにできるだけ有効に対処してきたとも思えない深刻な事態です。この対処と並行して進められるべき廃炉への工程は、さらに大変。これを説明した文章にであいました。阿修羅掲示板に載ったラジオ放送の紹介記事です。フクシマの廃炉がどれだけ困難な事か。そのことを、小出さんと広瀬さんが対談で明かしています。

【 ラジオフォーラム 第27回放送
・ラジオ放送日 2013年7月13日(土)~19日(金)
・ゲスト    広瀬隆さん(作家、反原発活動家)
・パーソナリティ  今西憲之(ジャーナリスト)
・テーマ 脱原発・ドイツの廃炉事情レポート

(前略)
小出:いま進行している事故というのは、人類が初めて遭遇した事故なのです。これまでの最悪だと言われていたのは旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故でしたが、そこで溶け落ちたのは、原子炉が一つなのです。今福島では3つの原子炉が溶け落ちてしまって、さらに4号機という、溶け落ちてはいないけれども、建屋が壊れかけて膨大な死の灰を抱えたままの使用済み燃料プールが宙ぶらりんになっているというような、大変な、いま事故が進行しているわけで、簡単に「どうこう」言えるような事態ではないのです。

今西:なるほど。広瀬さんはそのあたりどのように見ておられるでしょうか?

広瀬:ま、いま今西さんがおっしゃった燃料をね、メルトダウンした燃料がそもそも、ま、最悪の場合コンクリートの下にめり込んでいます。原子炉を突き破ってね。それはもう、これは取り出すとか取り出さないとか、そういうような話じゃないです。それと原子炉の、おそらく壁の中にもへばりついたような形で、いろんな形で、まァ細切れになっている可能性も非常に高いし、そんなものをですね、仮にロボットをつくったからって取り出せませんよ。

今西:そうですよね。それにメルトダウンしたその燃料というのはですね、私も実際原発で作業しておられる専門家の方にも聞いたんですが、「かなり重いんだ」というふうに聞いたんですが、
広瀬:そりゃ重いですよ、ウランですから。ね。
今西:感じとして100kgとか200kgとかそういう単位なんでしょうか?
広瀬:いえいえ、これは小出さんに聞いた方がいいです。
今西:小出さん、いかがでしょうか?
小出:ウランの塊は100トンあります。
今西:100トンですか…すみませんキロじゃなかったですか。
小出:それも、セトモノ状に焼き固めてあって、もともとはあったのですが、そのセトモノは比重が20というモーレツに重たい物なのです。ウランというのはもともと重金属の一種で重たいもの。だからこそ、劣化ウラン弾という形の、超優秀な砲弾にもなるわけですけれども、その重たいものが100トンも溶け落ちてどこへ行ってしまっているのか、今でも分からないというそういう状態なのです。いま広瀬さんもおっしゃって下さったけれども、それがもう、塊になっているというだけではなくて、もうそこらじゅうにあちこちにへばりついてしまっているという状態にありますので、それをいずれにしても全量回収するなんていうことはできませんし、わずかな物でも回収しようと思えば大変な被ばくになってしまいますので、私は多分、作業自身が実質的にできないと思っています。

今西:なるほど。けどいまの廃炉作業のやり方をみておりますとですね、まぁまぁ建屋を一定のところまで潰しまして、その上に覆いをかけ、そしてメルトダウンした燃料を取り出すという方向で首尾一貫やっておるんですけれども、これが、そうすると、全く無駄な作業に終わってしまうという可能性もあると言う事なんでしょうか?

小出:今やっているのはまずは使用済み燃料プールの底に眠っている、これ以上燃やせない、つまり核分裂生成物が目いっぱいたまったという使用済み燃料が、プールの底に眠っているのですが、それを少しでも危険の少ないところへまずは移さなければいけないという作業をしているのです。私はその作業は絶対にやらないといけないと思いますし、東京電力にも急いでやってほしいと願ってもいますが、その作業自身が大変困難な作業で、これから何年かかるのか、それすらが分からない。

今西:そうするとあれですね、溶け落ちた燃料を取り出す以前の問題ということになりますね?

小出:そうです。溶け落ちた燃料は広瀬さんが今おっしゃって下さったように、そんなものをつかみだすことはまず「出来ない」のです。でも、今のところまだ溶け落ちていない使用済みの燃料というものは、どうしてもプールから移さなければいけないという仕事があるわけで、それをいま何とかやろうとしている訳ですが、それだけでも大変な作業で、10年かかるか、20年かかるか分からないという、そういう仕事なのです。

今西:それでまァ、日本より前にですね、チェルノブイリ原発で大きな事故が起こりました。その際にはコンクリートで原子炉自体を固めてしまう「石棺」という方法がとられました。福島第一原発の時も、今回の事故でも、当初そういう方法を取るのではないか?
というような話もあったのですが、現状のところは燃料を取り出す所にかなり固執しているような気がするのですけれども、

小出:燃料を取り出さない限りは石棺で覆う事が出来ないのです。石棺で覆ってしまうと、使用済み燃料プールの底に今眠っている使用済みの燃料を取り出すことすらできなくなってしまいますので、まず、作業の優先順位としては使用済み燃料プールの底に眠っている使用済み燃料をまずは移す。その次に国や東京電力が言っているように、溶け落ちた燃料を何とか掴み出せるかどうかという作業が、始めて考える事ができるようになるのですが、
それは私は多分出来ないと思いますので、その段階で諦めて「石棺」というものをつくるという事になるとおもいます。

(中略)

今西:そうなんですね、小出さん、そういう現場をよく分かっておられない方が陣頭指揮をとり、いま、廃炉作業が進んでいるという現状を聞くとですね、もう言葉もないんですけれども、いかがお感じになられますでしょうか?

小出:確かに広瀬さんがおっしゃったように、今はとにかく日々悲惨な作業を続けるという事に追われているのですね。でもやはり仕方がないのです。もう事故がここまで来てしまっていますので、とにかく何とかこれ以上汚染をひどくさせない。事故をこれ以上進行させないという事をやらなければいけませんので、それに追われているという状態なのです。私が心配しているのは、若い人たちも含めて、殆ど被ばくに対して知識のない人達が、下請け孫請け構造。1次、2次3次…何か10次にまで及ぶというような、そういう下請け構造の中で、毎日被ばくを強要されて働いているという、そういう事が一番心配です。

今西:わかりました。小出さんありがとうございました。 
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ザックジャパン(97) 「本田を外せ」と、聞くべき意見  文科系

2013年07月17日 07時02分53秒 | スポーツ
 代表改善について、聞くべき意見を見つけました。チームコンセプトそのものから入っているという意味で、なかなかオーソドックスな意見と読んだもの。論者は、ブンデスリーガに最も詳しい日本人・鈴木良平氏。世界で活躍する日本人が最も多く、かつ世界一の上り坂リーグの同伴者です。チームコンセプトから入る論考が少なすぎる日本です。 それだけに「本田外せ」など極論も出てきますが、これすらも聞くべき面があると読みました。「webスポルティーバ」の、賛否は大きく分かれようが本格的な記事だと、思います。

『 世界と戦えるサッカーを実践するためには、本田圭佑はいらない
 webスポルティーバ 7月16日(火)14時18分配信  識者が語る「ザックジャパン改造計画」(2)
 鈴木良平氏

 コンフェデレーションズカップの惨敗を踏まえて、日本代表が1年後のW杯で結果を残すためにはどうすればいいのか。今回は、ブンデスリーガのS級ライセンスを持ち、世界のサッカーに精通している鈴木良平氏が分析する――。
 コンフェデレーションズカップ(以下、コンフェデ)を終えてはっきりしたことは、今の日本代表は「世界の頂点を目指す」なんて、とても言えるようなレベルにはないということだ。
 もちろん目標を高く持つことはいい。だがその一方で、現実もしっかりと見なければいけない。しかも、W杯までに残された時間はあと1年しかないのだから、もっと現状を直視して、グループリーグをどう戦い、決勝トーナメント(ベスト16)に勝ち上がるにはどうしたらいいか、ということを真剣に考えるべきだろう。
 ただし、前回の南アフリカW杯と同じようなサッカーでベスト16入りを目指すのでは、意味がない。あのときは、超守備的サッカーで、ひたすら守りに徹して何とか勝ち点を拾っただけ。今回のW杯では、それよりもひとつ上のレベルのサッカーをして、ベスト16を狙いにいかなければいけないだろう。そもそも、ザッケローニ監督を呼んだ背景には、そういう目的があったはずだ。

 実際、彼が監督に就任した直後のサッカーは、ある意味、日本サッカー界に衝撃を与えた。サッカーはゴールを目指すスポーツなんだ、ということがシンプルに伝わってくるスタイルで、見ていてとても面白かった。
 ザッケローニ監督にはもう一度、その原点に立ち返ってもらいたい。
 それを踏まえたうえで、今のチームの修正点を考えると、コンフェデを通して浮き彫りになったディフェンス面の問題が、いちばんにクローズアップされる。
 もともと日本の選手は、強豪国の選手と比較すると、どうしても高さや強さといった個の能力で劣ってしまう。そのまま個の力を前面に出して勝負を挑んでも、まったく太刀打ちできないというのが現実だ。
 そこで、重要になってくるのが、チームプレイ。つまり、組織的ディフェンスである。
 取り組むべきは、やはり前線からのプレッシングサッカーだ。高い位置からのプレッシングで相手に自由を与えず、中盤をコンパクトにしてボールを奪う。そこからの素早いショートカウンターで攻撃に移行するスタイルだ。

 これは、今の最先端のサッカーであり、クラブチームならドイツのバイエルンやドルトムント、代表チームならドイツ代表あるいはスペイン代表もやっていること。個の能力で彼らに劣る日本であれば、なおさらこの組織的サッカーにトライしない限り、世界では戦えないだろう。
 今のザックジャパンのサッカーは、プレッシングになっていない。誰かががんばってボールを追っているだけで、残念ながら組織的でもない。大切なことは、チーム全体の連動だ。選手個々の意思統一を高めて、前線の選手が高い位置からプレスをかけたら、中盤と最終ラインがもっと連動して動かなければいけない。
 それをきちんと実践していくためにも、各ポジションで改善すべき点がある。

 ひとつは、プレッシングサッカーの土台となるセンターバックだ。これまでザッケローニ監督は吉田麻也と今野泰幸をベースにチームを作ってきたが、このポジションに適した人材をもっと探し出す必要があるだろう。
 というのも、センターバックに求められるのは、何より高さと強さだからだ。世界を見渡しても、スピードやテクニックで劣るセンターバックはいるが、高さと強さがないセンターバックはほとんど見かけない。1対1で勝てることが、このポジションを務める選手の最低条件なのだ。
 日本がセットプレイで失点が多い理由も、この部分が関係していると思う。とりわけ日本は、中盤と前線にも高い選手がいない。その分、余計にセンターバックには高さが要求される。ならば、今野に代わる人材発掘は急務と言えるだろう。

 もうひとつは、ボランチ。本来ボランチは、試合の流れの中で、汚れ役を果たせなければいけないのだが、日本の場合は遠藤保仁と長谷部誠ともに、その役割を満足にこなせていないからだ。本当はもっと汗かき役にも徹して、相手のチャンスメイカーや司令塔を潰すなど、敵が嫌がるようなプレイをしてほしい。
 翻(ひるがえ)って、世界のボランチは違う。ブラジルのボランチ、ルイス・グスタボとパウリーニョがいい例だ。彼らは、地味ながら攻守に渡ってハードワークして、最終ラインの前でしっかりと相手の攻撃の芽を潰している。しかも、点を取ることもできる。日本も、できるだけ最終ラインで苦しい状況に作らないためにも、彼らと同じような仕事ができるボランチが求められる。
 ドイツでプレイしている細貝萌などは、その候補のひとり。彼はドイツで、プレッシングサッカーにおけるボランチの役割をしっかり勉強している。もっと出場機会を増やしてあげれば、代表でも十分に力を発揮できるのではないだろうか。
 その点は、ザッケローニ監督の課題でもある。センターバックを含めて、今後はいろいろな選手を試していくべきだろう。

 最後に、前線からのプレッシングサッカーを実践するには、英断しなければいけないことがある。本田圭佑を外すことだ。
 確かに、本田はボールをキープして取られない力がある。しかし、早い流れを生み出せる選手ではないし、早いパス回しができるわけでもない。それに、最後のところで得点に絡みたいという意識が強いためか、積極的にディフェンスをしようとはしない。
 そういう選手が前線からのハイプレスをこなせるはずはなく、本田は日本が目指すべきプレッシングサッカーに向いていない。にもかかわらず、日本は彼を中心にしてこれまでチームを作ってきてしまったばかりに、世界から後れを取ってしまった。当初面白かったザッケローニ監督のサッカーがつまらなくなったのも、それが原因だろう。
 本田の代わりは、香川真司がいる。ボールの速い流れを構築し、最先端のプレッシングサッカーを実現するためにも、トップ下のポジションは香川が務めるべきだ。香川は、ドルトムントでも、マンチェスター・ユナイテッドでも、そのスタイルのサッカーを経験している。特にドルトムント時代は、クロップ監督が香川をトップ下に固定して大成功を収めた。
 ザッケローニ監督がどういう考えで本田中心のチームを作ってきたのかはわからないが、コンフェデでそれが通用しないことは明らかになった。世界を相手にして、W杯でベスト16以上を本気で目指すなら、本田依存から脱却し、世界指針のサッカーを実践するべきだろう。ザッケローニ監督はもちろん、真面目でひたむきな日本の選手なら、それが実現できるはずだ。』

 この文章が非常に論理だって進んで見事なところから、省略や要約ができませんでした。僕の意見ですが、本田をチームコンセプト通りに「改心させる」事はできると思います。彼は、パス力もあるし、広い視野もありますから。コンフェデ・ブラジル戦はちょっと「コンセプト外し」が酷すぎましたが、イタリア戦では持ち直しています。
 
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「規制の虜」の復活(4)「海へのだだ漏らし」で読売も  文科系

2013年07月17日 06時43分05秒 | 国内政治・経済・社会問題
 前回第3号で書いた標記のことに関わって、読売にもこんな記事がありました。

『 南側井戸で高濃度検出、汚染拡大…福島第一原発 (読売新聞

 東京電力は12日、福島第一原子力発電所3、4号機近くの井戸水から、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質を1リットルあたり1400ベクレル検出したと発表。
 「3号機近くの配管用トンネルからも汚染水が土壌に漏れ出した可能性がある」との見方を示した。
 一連の地下水汚染は、1、2号機周辺の井戸で、法定許容限度(1リットルあたり6万ベクレル)を超える三重水素(トリチウム)などが検出されたのが発端。東電は当初、2号機近くの配管用トンネルを汚染源だと推定した。しかし、今回の井戸はこのトンネルから南に約200メートルも離れており、推定への疑問が強まってきた。
 二つのトンネルからは一昨年、高濃度汚染水が海に流出した。トンネルの汚染水は、周辺土壌へも染み込んだ可能性がある。
 原子力規制委員会は、原子炉建屋などからも汚染水が漏れている可能性を指摘している。』

 それにしても今何でこんなに高い線量が。それが今後の対策方向における最大問題だ。それは、誰しもの最も心配な事。ただし、この高い線量の根拠を考えると、もっと恐ろしい事が浮かんできます。地面にめり込んだり、爆発で飛散したりの核物質がどこにあるのかが問題なのです。この点で、小出さんと広瀬さんの対談がありました。次回はそれをご紹介します。
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小説  「人・走る」 (その3)    文科系

2013年07月15日 00時38分58秒 | 文芸作品
 こういう経過を経た二十歳の頃の中田の主な特長をあげてみよう。ちなみにこの二十歳とは、フランスワールドカップアジア予選で日本が苦戦を強いられていた年であり、その苦しい連戦の大詰めにさしかかってチームの柱になっていった中田が、日本ワールドカップ初出場に向かって救世主と呼ばれた年でもある。
 ある記者は、当時称えられ始めた中田の一つの特長を「神の視座を持っている」と表現した。常にフィールド全体を鳥瞰しているような広い視野のことを指している。この能力は、その瞬間瞬間のプレーを人よりも速く、意外かつ最も的確な方向に展開していく土台となるような力である。ちなみにこれとは逆に、ドリブルが得意であるがゆえに目線を自分の周囲のみに限りがちだという選手は、現代サッカーでは大成しないというのが定説だ。この視野の確保は想像以上に難しいものらしい。常時不断にコート全体に目線を走らせることができるように、足下のボールをできるだけ見ずに操作するトレーニングを根気良く重ねた末にやっと得ることができるもののようだ。そう言うと何か非常に高度な練習法を取り入れていたように聞こえるが、中田の場合ことはいたって単純で、こう語っている。
「シンプルに二人一組で向き合って、頭の中にあらゆるシチュエーションを描きながら、パスを繰り返す。俺って無駄なことは嫌いだから、身にならない練習はしないんだよ」
そんなやり方らしい。
 また彼は、十六歳のナイジェリア体験以来、日本人離れした体力を目指してきたようだ。「日本人が小さいから外国人にはじき飛ばされるなんて、それは言い訳だよ。(中略) 当たり負けしない体力ってことが、プロの基本でしょう」、さりげない二十一歳当時のインタビュー回答である。そして彼はこう語るだけではなく、すでに二十歳前にしてこの「基本」を体現した肉体を作りあげつつあった。当時初めて彼にであった頃を振り返って、二年後輩の中村俊輔(横浜マリノス)は証言している。
「中田さんはちょっとでも、体半分でも抜ければどんどん前に行って、追っかけてきたやつを弾き飛ばしてまだ前に行って、で、誰かが裏に出たときにスルーパス。これがすごいなと。(中略)みんなが足が止まっても前に行くスピードと、そのなかで周囲を把握してる視野と、ボディバランスが違う。日本人っぽくない」
「当時でも中田さんは他の人と違ってた。毎日、全体練習の後に一人でどこかへ消えちゃった。自分用に作った体力トレーニングメニュを毎日消化してたんだよね」
 このように中田は、ナイジェリアに出会った十六歳の頃から、サッカーというものを広く整理して考え、世界水準の要素の分析、抽出に努めていたと分かる。人よりも若くして多く世界を体験したということがあるにしても、その戦略的な着眼、賢さ、執着力というような点で、非常な早熟さを示したと表現することもできるだろう。また、こういう早熟したやり方は、けっして人に教えられてできるものでもないらしい。


 さて以上は、数日間かかって慎治がまとめあげた二十歳までの中田のプロフィールである。そして彼はある日、スポーツジムで山本にこのまとめを聞いてもらうことになった。この間もせっせと続けていたいつものジム・ランニングを終えた後のことだ。
 二人の頭上のスタジオから届いて来るのは、相変わらずのエアロビクス音楽、フットワーク音、時折の喚声や拍手。目の前のプールからはクイックターンの水音、水泳教室の指示の声。少し離れた受付嬢からは、入退者への丁寧な挨拶がと切れなく続いている。それらに取り囲まれながらもそこだけが閉ざされた世界のように、一人は語り、一人は聞いていた。一気に語り終えた慎治はやっと二口目のビールを口に運び、山本がゆっくりと話し出す。
「村木君、よく調べたねえ、立派なノンフィクションができると思うよ。この前の本当に凄い中田の話が、こんなふうに生きたんだねぇ」
 しばらく沈黙。慎治は山本の次の言葉を待っていたのだし、山本は何かを考え込んでいるらしい。運動後の二人の体はシャワーくらいでは焼け石に水で、飲んだビールが汗になって吹き出し放題といった様子だった。
「一つ聞いていいかな一」と山本。慎治が二、三回うなずくのを確認したのかしなかったのか、とぎれとぎれに話しだした。「スポーツの練習や試合のやる気に関わって、モチべ-ションという言葉があるんだけど、まぁ言ってみれば動機付けとでも訳される言葉らしいんだけど、中田がナイジェリアの身体能力に『サッカーやめたくなるよ』というほどに圧倒された時、どうしてもう一度モチべ-ションを持続できたんだろう。しかも、基本のきに戻るような感じでね。彼らに当たり負けしない体力もなんてまあ、とんでもない野心だと思うけど、十六歳の子どもが夢じゃなく、そんなふうにできてくもんかねぇ?」
 この疑問は慎治の頭にもすでに浮かんだことだったので、自分なりの答えがすぐに口をついて出た。「体力強化の方は『おいつけないんじゃないか』と不安だったはず、それも彼はとことんがんばりましたけどね。他方その不安を何かで補えなきゃ展望は開けない。そこで苦労して見つけたのが『神様の視座』なんじゃないですか。『日本の取り柄は組織力』なんて、当時でも言われてましたしね。『神様の視座』って、チームとしてのこの組織力を高めることに個人が貢献できてく最大の武器だと思うんですよ。中田はそういう形で辛うじて自分を奮い立たせた………」
「うんうん、彼の事実としては確かにその通りだと分かるんだけど、それにしても、そのモチベーションが三年続いたんだよな。世界の最先端を、それもいろんな国の長所ばかりを目標にして、諦めないで初志を三年間貫くことができた十七、八歳の志って、どんなものなんだろうかとね」
 それから暫く話し込んで、山本はいつもより早目に帰っていった。その後慎治は、ビールを飲みながら先程までの会話の周辺にあれこれと思いを巡らしていく。
〈確かにそうだ。山本さんはそんなことを言った訳じゃあないけれど、そもそも中田の目に見えた成功史だけ書いたって小説になるわけないよ。中田の心が書けなきゃ安っぽい劇画、常套のドラマだ。そんなこと、当然知ってる俺が、なんで?……中田が俺を興奮させるくらい面白いからだけど、俺は一体中田のどこに興奮するの? これは意外に難しい問題だよ。………当たられても倒れない強靭なバランスカ? 大舞台での幾つかのゴール? そこへパスするかという素速く正確な展開力? 行く先々での大成功? 日本を飛び抜けた唯一のサッカー選手? 世界選抜メンバーに選ばれた時?………、ちょっと待てよ、マジに。……こんなもんじゃあ、スポーツビジネスの宣伝文句やサッカーフーリガンの「感動」と変らんぞぉ。それで悪いかとは言えるけど、小説にはならんよなぁ………。読み物としちゃ、観戦記にオノマトペみたいに使われた感動用語くっつけるだけのスポーツライター、それと同類のドキュメンタリー程度のもんだ。かと言って彼の心を描こうにも、当時の中田の野心、認識、悩みなんかを聞き取るなんてことは、夢だしなあ)


 創作活動が振り出しに戻り、秋に入った。今日もいつものように夜九時過ぎ、慎治はジムのベルトを走り始めている。この頃は短時間ではあっても、ほとんど一日置きに通って来る。創作が進まないことの憂さ晴らしでランニングに熱が入っているという気がしないでもなかったが、こちらの方の成果は上々、それも急激な上昇期に入ったらしい。開始一年過ぎのこの夏以降通い詰めた成果が出たのか、その頃から体重がはっきり減り始めたからなのか、涼しくなって呼吸が楽になってきたことによるのか、いずれにしても急激なタイムの上昇であった。もっともスポーツには長い停滞あるいは後退の時期があっても年齢なりに急上昇する時が来るものであり、ランニングの場合は特別で、一定の筋力トレーニングをしつつ距離を走り続けるかぎり練習時間に比例して力がついて行くものだとは、慎治が山本からよく励まされた話であった。こんな知識もまたさらに、慎治を熱くさせてきたものだ。
 ランニング日誌八月分で既に、急激な上昇を改めて振り返ることができる。
 七日、十キロを五十四分十秒。九日、同じく五十二分三十秒。十一日、五十分四十秒。その後暫くゆっくり距離を走ったり、五キロのタイムトライアルをしたりして、二十五日、五十分二十秒。二十九日、四十九分十秒。
 九月に入って最近熱を入れているのは、五キロのタイムトライアル、スピード練習である。この日の目標は二十二分二十秒、山本の記録を抜こうというものだ。夏の初めが二十五分前後だったことを考えるなら、大変な進歩と言える。もっともその頃までは距離を伸ばすことに熱中していたのだったが。

 タイムトライアルは苦しい。どれだけ深くまた規則正しく呼吸しても、吐き出し足らぬ感じに悩まされ、加えて脚全体の違和感が耐えがたいものになってくる。それでもベルトスピードを緩めずに続けると吐き気に似たものが襲ってくることももう体験済みだ。そんな場合は走るのを止めるべきであるが、最近はさすがにそこまでの無理はしなくなっている。
 肘を後方に大きく突き出すように、低目に構えた腕を振る。その振幅で脚を前へ前へと引っ張って、大きく走る。意外に腿に疲れが溜ってこない今日のような日の、脚が大きく伸びても柔らかく着地できていくといった感触は、ランニングの醍醐味だと慎治には感じられる。自分に合った走り方で、それに相応しいリズムだと体全体が示してくれているらしい。しかも、適度に力強いとも実感できるこんな日の一歩一歩自身が、自分の体の節々に無理なく蓄積されていくといった手応え、こういった快感である。ちなみに、この感じの象徴として使おうというある文章を、中田についての書きかけの作品用に創り、用意してあった。シャワーの後、十時半前に外の夜風に当たった時、今日もこれを己に語って聞かせるようにつぶやいてみる。
〈ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根差したものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ〉
 そして慎治は今夜初めて、この言葉をさらに自分流儀のこんなつぶやきで引き次いでみる。
「徒に緩み、弛んだ尻・腿は、禁断の木の実を食べた人というものの、原罪を象徴した姿である。システィナ礼拝堂の天井絵、最後の審判を下す神に帰るべきなのだ! いやあ-、我ながらお洒落、お洒落!」

 慎治は最近、自分らのランニング自身を小説にしようと決めた。そしてその取材も兼ねて、山本さんと二人で数か月後のあるシティマラソンに出ようとも、決めていた。十キロ部門だが、もちろん二人とも初体験である。次回の同人誌には作品提出なしとなるが、それもやむをえないと納得している。エアロビクス教室の「背中が曲がってるあの子」は、今ではしっかり顎を引いた姿を見せている。慎治の腹もいつの間にかもう目立たない程度に引っ込んでいた。この調子だと初マラソンを走る頃には、ほとんど目につかなくなっていることだろう。

(完)
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朝鮮日報より    らくせき

2013年07月14日 19時10分12秒 | Weblog
韓国銀行(中央銀行)が12日、関係機関の資料を基に分析した
「2012年北朝鮮の経済成長率推定結果」で明らかにした。

◇2年連続成長 製造業は4年ぶりに増加に転換


昨年北朝鮮の国内総生産(GDP)ベースの成長率は1.3%であると推定された。
2008年には農業生産の好調と国際社会の重油支援で成長率が一時急上昇したが、
2009年はマイナス0.9%、2010年にはマイナス0.5%とマイナス成長を記録し、
2011年に0.8%成長した。

韓国銀行は「昨年に農林漁業が好調を示した上、製造業も増加に転じ、
成長率がさらに高まった」と説明した。

産業別でみると、名目GDPの23.4%を占める農林漁業生産が3.9%増加した。
畜産業の生産は12.3%増加し、農作物の生産も増えたため。

製造業(GDPの21.9%)生産は1.6%増えた。
製造業の生産は2008年に2.6%増加して以来、3年連続でマイナスを記録したが、
今回再び増加に転じた。

食料品とたばこなどの生産増加で軽工業が4.7%増え、重化学工業も0.2%増加した。

鉱業(GDPの14.0%)も石炭増産で0.8%増加した。
電気・ガス・水道業(GDPの3.5%)も水力および火力発電拡大で1.6%増えた。
サービス業(GDPの29.4%)も0.1%増加した。
ただ、建設業(GDPの7.8%)は道路など土木建設が減り、1.6%減少した。

◇南北の所得格差は依然大きく

昨年北朝鮮の名目GNIは33兆5000億ウォン(約3兆円)と推定された。
韓国と比べれば、約38分の1で前年と同水準だった。
これを人口で割った1人当たりの国民総所得は137万1000ウォンだった。
韓国の約19分の1となる。
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「新聞の片隅に載ったニュースから」100号    大西五郎

2013年07月13日 19時03分38秒 | Weblog
春闘妥結額平均5088円県内企業賃上げ前年比167円減(2013.7.12 中日新聞)

 (愛知)県は、県内企業の今年の春闘の賃上げ要求に対する妥結額をまとめた。平均では前年比百六十七円減の五千八十八円で、賃上げ率は1.65%だった。
 県内の労働組合がある三百八社を対象に調査した。妥結額が下がるのは二年連続。
 業種別の妥結額の平均では、自動車関連産業などの「輸送用機械器具」が六千三百十八円でトップ。情報通信業の六千ニ百六十三円が続いた。一方、最も低かったのは、鉄鋼業の三千百五十四円。
 組合側の要求額は平均で五千三百五十六円で前年比百三十一円の減。県労働福祉課の担当者は「景気が上向きの雰囲気はあったが、先行きに対する警戒感もあり、要求自体が慎重な数字になった」と話している。

 同じ日の中日新聞にはこんな記事もありました。

    春闘賃上げ微増 経団連、大企業最終集計

 経団連が十二日発表した二〇一三年春闘の賃金回答最終集計によると、大企業の定期昇給を含む賃上げ率(加重平均)は、前年の最終集計時と比べ0.02㌽上昇の1.83%と三年ぶりに増加した。妥結額の加重平均は五千八百三十円(前年は五千七百五十二円)。
 今春闘で大手企業はベースアップを要求するところが少なく、業績向上分は一時金に反映させる傾向がある。経団連は「前年とほぼ横ばいで、アベノミクス効果があったかどうかはわからないとしている。

 さらにこういう記事もありました。

 非正規雇用2000万人超す 過去最高、就業者の38%

 総務省が十二日発表した二〇一二年の就業構造基本調査によると、非正規労働者の総数(推計)は二千四十二万人と〇七年の前回調査から百五十二万人増加し、初めて二千万人を超えた。雇用者全体に占める割合も38.2%と〇七年の前回調査から2.7㌽上昇し、過去最高を更新。過去二十年間では16.5㌽増え、正社員を中心とした日本の雇用形態が大きく変化している実態が鮮明になった。(以下年齢別、性別統計略)

 さらに、さらに
 報酬1億円以上301人 上場企業役員
□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□
 もうコメントするまでもありませんね!

                                       大西 五郎
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ネット中継討論会中止時事通信社主催自民候補が欠席   大西五郎

2013年07月13日 13時36分04秒 | Weblog
ネット中継討論会中止時事通信社主催自民候補が欠席(2013.7.12 毎日新聞)

 参院選の4選挙区で予定されていた時事通信社主催のインターネット中継による候補者討論会が中止になったことが12日分かった。いずれも自民党の候補者が欠席を決めたためで、野党からは批判が上がっている。
 討論会が予定されていたのは、三重(11日)▽愛媛(13日)▽滋賀(14日)▽岩手(15日)の4選挙区。「Yahoo!みんなの政冶」などが協力して、討論会の模様をネット中継し、ネット上から質問も受ける予定だった。時事通信社は「出席者がそろわず、討論会の形式を満たすことができなくなった」と説明した。
 討論会の司会者は元内閣審議官の下村健一氏と元NHKアナウンサーの堀潤氏の予定で、堀氏は11日、ツイッターで「主催者側からの説明によると、下村氏が菅(直人)内閣で内閣審議官を務めており不公平だと、自民党が参加を当日になってキャンセルした」と説明した。
 民主党の細野豪志幹事長は12日、東京都内で記者団に「自民党候補者が出席しないことで中止に追いこまれている。自民党がさらに権力をもって圧力をかけるのは、日本の民主主義にとって極めて問題だ」と自民党を批判。自民党報道局は「党本部が中止や欠席を指示した事実はない」と説明したが、党内に司会者の人選が「民主党寄り」との懸念もあった。官邸関係者は「偏った場に行くことはないという判断だ」と述べた。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

 またまた(№97と№98に続いて)政権与党とメディアとの関係の問題です。
下村健一氏は民主党菅内閣で内閣広報室審議官を務めていましたが、もとはTBSでアナウンサー・記者・番組司会者を務めた人です。オームの問題で、マスコミ全体が松本サリン事件の犯人と疑っていた河野義行さんについて粘り強い取材で河野さんが犯人でないことを明らかにするなど、ジャーナリストとしても優れた仕事をした人です。1999年にTBSを退社してフリーのジャーナリストとしてラジオ・テレビの番組のレポーターや司会者の仕事をしていました。
その経験を買われて以前から親しかった菅直人元首相に請われ、内閣広報室審議官になり、内閣のやろうとしていることを国民に説明する仕事をしていました。政権交代で内閣審議官を退任後はフリーのジャーナリストの仕事に戻りました。そのフリーのジャーナリストの仕事として時事通信社のネット討論会の司会を引き受けたのだと思います。
 そういう経歴の下村氏、報道の不偏不党ということを心得ている彼が自民党に不利になるような歪めた司会・進行をするとは思われません。自民党はTBSの報道が気に入らないと取材拒否をしましたが、自分に気に入らない報道は許さぬという性向を持っており、インターネット中継を通じて党としての考えや政策を国民に説明することよりも、選挙で不利になるかもしれないことは許さぬという強権的態度を示したのだと思います。

                                       大西 五郎
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小説 「人・走る」 (その2)    文科系

2013年07月13日 01時36分01秒 | 文芸作品
 慎治は初め、山本の流儀に抵抗を覚えたものだ。「遊びだよ、むきにならなくても」、そんな感じの抵抗だった。しかしこれが、山本のように「勉強みたいにやる」のもけっこう面白いと変わってきた。始まりは、彼のこんな言葉だ。「僕らみたいな素人はもっと上半身を立てて走らないと疲れるよお」山本からたまに言われたこの言葉を、慎治はある日気まぐれのように真面目に取り入れてみた。時間にしてわずか十分ほど。彼としては背筋が張るのを我慢した試みだったが、確かに速くなり、体の他の部分が楽にもなったと感じたのだ。これ以降、慎治のランニングがどれだけ大きく変わっていったか。歩幅が幾分伸びるようになったのに呼吸はかえって楽になったようだ。だから当然スピードが上がった。それも平均時速にして一キロ以上である。その速さで刻み続けているメーターをちらちら確かめながら、さらに脚が軽くなっていくような気がしたものだ。この改善以外にも、前足は意識して踵から下ろすこと。前脚の膝下を膝より前加減に振り出して着地すると膝を痛めなくてすむということ、最低二十分以上走ってはじめてフィットネスにもなっていくということ、だから「そもそも二本脚動物の人間が過食するなら、長く走れないようになると太るしかない動物だ」ということ。これらの知恵を自分なりに取り入れていくと、すぐその日のうちに、結果が計器に現れることも多いのである。「自分の最高時速の持続時間を三分更新したよ」とか、「体重が一キロ近く絞れた! 頑張ったもんだ」とか、「六百カロリー消費したぞ-!」とか、それは確かな手応えであった。
 走行距離が常時五キロを越えた頃から、慎治の体重が少しずつ減り始めた。すると走り続けるのが急に楽になっていくようになった。こんなある日には、成長期の自分をあれほど悩ませたスポーツコンプレックスを、無知のままにただやっていたことの結果に過ぎなかったのではないかと振り返りもした。「知は力なり」という言葉が何か新鮮に思い出されたものだ。

 山本のスピードがまた上がった。肘を後に突き出すようにして、腕を低い位置で強く振ってストライドをさらに延ばそうとしている。呼吸もいっそう深く、激しくなってきた。顎のさきからベルトに落ちる汗の間隔がどんどん狭くなっていく。スピード練習の最後の仕上げに入ったらしい。そうして突然、ベルトスピードが緩められた。五キロを過ぎたのだろう、クールダウンの速歩に入った。慎治はまだ続けている。今日は、ゆっくりでも十キロ以上は走る日と決めていたからだ。

 「山本さん、今日の練習テーマは何だったんですか?」
 「えーっと、……… 膝を前に速く出すこと、腕をしっかり振ってね、そんなことかなあ」
「五キロを、今日は何分でした?」
「初め遅く入ったから二十三分ほど。ちょっと頑張ったよ。ところで村木さん、ローマの中田がまたやったけど、新聞見た?」
 練習を終えた二人が、談話コーナーでいつものように缶ビールを飲みながら始めた会話であった。中田というのは、イタリアに渡った現在二十四歳のサッカー選手、中田英寿のことで、山本が特別に入れ込んでいる人物である。彼がいかに特異な日本人であるかなどと山本は折に触れて話してきたが、慎治も一種独特な気分で付き合うようになった話題だ。山本は中田のことをこんなふうに語ってきた。
 今、ベースボールのイチローらアメリカへ渡った何人かが騒がれていてそれも当然だろうと考えるが、あえて比較するなら中田は彼らと比べてもまるで突然変異のような日本人である。まず、日本は、世界で二番目の野球先進国で、イチローはここで既にずば抜けたオールラウンドプレーヤーだったが、ことサッカーに関しては四十番目前後の遅れた国であるから。次いで、こんな事情からか、中田以外のサッカー輸出組のほとんどが成功しなかったにもかかわらず、彼だけが世界のサッカー先進国イタリアでまる四年間もトッププレーヤーであり続けているから。さらに彼は、イタリアナショナルチームの司令塔選手とたまたま同一チームにいて、その役割も重なるのだが、チーム内でその相手と張り合うほどの力を近ごろますます示し始めているのだから。

「今日の新聞もテレビもよく見ましたよ。ところでね山本さん、昨日のもそうですけど中田の話は、世界を股にかけたサクセスストーリーというヤツで、なかなかないようなまー劇画の世界ですよね。だけどー、何と言えばいいかなあ、……劇画じゃなくて本当に凄い中田って、変な言い方で済みませんけど、一体彼のどこ見たらいいと思います?」
 吹き抜けの一階、ロビー兼談話コーナーに坐った二人の会話は、続いていく。目の前、透明プラスティック隔壁の向こうにはプールを縦に見る、その全景。同じ二階、全面の透明ガラス越しには、エアロビクス教室の十数名、今は上級者コースらしく、行き来も振りも一段と激しいし、区切りに発される声も決然として乱れがない。同じ二階の、今は見えない奥の方には、様々な機器を置いたトレーニングルーム、二人が走っていた場所である。これらを眺めているような面持ちで、慎治が期する所あって発した問いだった。これに対して山本は、身体を揺すって前に乗り出しながら、応えた。
「スポーツ劇画ねぇ。確かにスポーツマスコミはこの頃『感動』をヤラセしていると感じるね。上り詰めていくヒーロー、これだけ鍛えた彼の技、困難を乗り越えてどんでん返し。そういうもんじゃない本物の中田って、なんか本格的な質問だなー。ちょっと考えてみるから、待っててよ」
 山本のこれらの表現に慎治は、期待できるという予感のようなものを感じていた。

〈 このジムの、三つのコーナーのメンバーたち、それぞれ何が欲しくてここへ通って来るんだろうか。十代から七十代くらいまでみたいだけど、男女どっちが多いかな。プールは女性、初心者教室などに中年女性が多いから、これまでの人生折々に悩まされた水へのコンプレックスを払拭中で、浮き浮きと通ってる。雰囲気全体がそんな感じで、見てるのも楽しい。だけど、ご希望の減量にはまだなかなかかなぁ。強めの運動の持続時間がもう少し増えてかないと、脂肪は減ってかないよ。減り始めるまで我慢できるかどうか、それが問題だってね。
 こっちの泳げる人たちはまあフィットネス。みんな綺麗な体だし、「ブランド物よりよっぽどオシャレだね」って声かけたいくらい。
 スタジオのエアロビクスは、若い女性に、若者から五十くらいの男が少し、あれはまあ「楽しがってる自分を観てる」というやつかなぁ。三壁分の全面鏡に囲まれてるから。みんなスタイル良いし、それに何よりも、あんなフットワーク持ってたら人生ウキウキだってね。「会談も四段跳びで上がってく」ってやつ。それにしちゃあ、背中が曲がってるあの子、なんとかならないかなぁ。自分で気づかないのかなぁ、顎をちょっと引いたらすっごい美しいのに。そんなことぐらい、周りの人をちょっと見ても分かるけどなぁ。きれいになりたいと一生懸命なはずなのにぃ。人それぞれって言えばそうだけど、近づいてって直してやりたいよ。
 それにしても俺ももお、イジワル婆さんみたいになったもんだ。山本さんに俺が名付けた「スポーツオタク教」そのもので、それでもって回りを一刀両断しとる。スポーツオタク教って言えば、山本さんの神様は間違いなくミケランジェロの天井画のあの神様か、ロダンの考える人かってね。「一神教の神様があんなごつい体だなんて、日本にはなかった感じ方だと思う」とか言ってたなぁ。ローマのシスティナ礼拝堂の最後の審判だったかな。「ああいう肉体にこそ、神性が宿る。これがルネッサンスの考え方だ」山本さん、こんな解説付けてた。
 こっちは、いっつもすぐに眼が行っちゃう子! まず姿勢がきれいだし、上下にも左右にも大きい動作のその中で、脚も腕もすくっと伸びるように動いて止まって、なんか一人だけ全く違う。手足の関節全部や指の先っぽまで、初めから意識して習ってきた感じ。習い始めの頃に、自分の身体を観察し自覚するやり方を教えとくというそういう入門の仕方が、そんなやり方を取り入れてる教室がどっかにあるんだろうな、きっと。それにあの子、筋肉で身体が締まってるというふうで、だらんと痩せてるんじゃない。ただだらんと痩せてる人って、中年に近づいて身体の張りがなくなって来ると、おなかだけポコンと出て来ちゃうんだったよなぁ。まあ、俺はいつ見てもあの子に惚れ惚れしてるこった。顔はそれほど見なくって、身体の動きばっかり見てなんだけど、なんかおかしいくらい。ストーカーと見られないように注意しないと。ああ、そうか! 顔を見たことないというのは、鏡の中の顔を見るのも避けてるというのは、そう見られるといけないから目を合わせないように意識してるって? 〉

 前触れもなく、山本が語りだした。十代後半の思い出を語った中田の言葉を紹介していく。
「最近の本で中田が言っていることだけど、『俺は九三年に十七歳未満のワールドユースでナイジェリアと戦っているでしょう。その時の衝撃は一生忘れない、と思う。あの運動神経や体力や筋力を目の当たりにしたら、サッカーやめたくなるよ。現にFWのカヌーを見て、とても同じ人間がサッカーやっているようには思えなかったから』(注3)。この三年後、十九歳の中田がさらにこういう体験を重ねたと言うんだね。『十六歳の時、このまま強くなったらどうなるんだろうと考えていたナイジェリアは、三年後にアトランタ(オリンピック)で対戦したときは普通のチームになっていた。もちろん、強いよ。だけど、俺の想像する強さじゃなかった』
 この間三年、中田は一体どう過ごしてたのか。彼のいろんな伝記全ての中で、僕が最も興味深いところがここなんだよ」
 慎治は、見据えていた山本の顔から上半身を起こして視線を中空に逸らせていきながら、一度大きくゆっくりと頷いたようだ。
〈予感通りだ。一つの小説で言えば最良の山場を、山本さんは間違いなく示してくれた。ここを、中田の後の場面のいくつかとシンクロさせられれば、最高の読み物になるなぁ〉
 十六歳で中田は一度アスリートとして絶望的な体験を味わった。それからは日本の誰をも素通りしてただナイジェリアのカヌーらだけを思い描いて、三年。それも、自分と同じ速さで伸びているに違いないカヌーの姿を傍らにイメージし「やっぱり駄目だろうなぁ」という気持も過ぎりつつの、そういう三年! そうして再会。「何とか、まぁ、追いつけたのか?!」、この嬉しさは、中田自身に頼んでも表現に困るようなものだったはずだ。展開小説、劇画の全てが入った三年とその結末ではあるが、これは事実である。それも早生まれの中田にとっては高校二年間とプロで一年、そういう三年だ。
〈俺がスポーツにこれだけ興奮するなんて?!〉、よどんだ朝の気分が頭の一方に蘇ってきて、慎治は悩み抜いてきた小説のプロットがもう決定したと、舞い上がっていたものである。
「中田の生い立ちのそういう肝心なところを、きちんと追った本なんかないんですか?」
「意外にそれがないんだよ。この二つのナイジェリア体験は中田があちこちで述べてることだけど、この三年の中身は誰にも追及されてない。彼関連の単行本は十冊じゃとても済まないはずなんだがね。スポーツマスコミにはどうも現在の大成功の周辺だけが大事ってことかと思っちゃうよ」
「観るだけの人って……… 応援するチームの勝ちや、その日お手柄のヒーローのことしかあんがい観てないんですよ。それも、無意識の劇画的観戦法。マスコミは観るだけの人を増やせば良いんでしょうし」
「中田はもちろん、野茂もイチローもみんなマスコミ嫌いで、それぞれ一度は絶縁状を叩きつけたことがあるらしいけど、そういうことかも知れないね。やる人にとって命みたいな所を聞かないで、馬鹿な質問を連発するらしい」
「テレビ育ちの鑑賞力なんて、そんなもんじゃないですか。それで制作者の方もその力に合わせて番組を作る。こういう悪循環の果ては自分の体験で裏付けるということが本質的に欠けた一過性の感じだけが残ってく。ある小説家が昔、映画育ちの鑑賞力なんてそんなものだよと言ったらしいですけどね」
 

 この夜、帰宅した直後から慎治は、十六歳から十九歳までの中田の取材に己の創作活動を集中していく。主要な伝記物は購入し、部分引用が必要と考えたものは書店で立ち読みもした。山本もいぶかった通りに、この三年前後の情報はなるほど極端に少なかったが、これらをつなぎ合わせていくと、当時の中田英寿像が一応の形を成して現れて来た。
 十六歳の中田は、ユース全日本チームの大黒柱で今は消えていったZからあからさまにこう言われていたという宮本恒靖(元日本代表キャプテン)の証言がある。「お前、トラップ(注4)止まらへんなぁ」。その宮本は、一年後に会った中田の急変に驚いている。パスの受け手から出してに変わっていたという。そういう技術が急に伸びていて唖然としたと宮本は言うのだ。
 とはいえ、アトランタオリンピック当時十九歳の中田は、まだ中心選手とは見られていなかった。当時のオリンピック制限年齢上限の多くの選手たちよりも三歳も若い最年少だということもあってか、レギュラーに定着しているとはいえないが、自己主張が強烈という点で風変わりな選手だったらしい。この点では、アトランタオリンピック・ナイジェリア戦の一つのエピソードが、当時の新聞などを大騒ぎさせて有名になったものだ。守備的に戦うチーム戦略を指示した監督に反抗するようにして攻めに出ていた中田らが、ハーフタイムの時にある主張をした。「勝てるから攻めを厚くして欲しい。僕らが前のゲームでブラジルを破ったせいか、ナイジェリアはびびっている」。ここから監督との激しい言い争うが始まって、中田が次の試合以降はベンチに下げられたということである。三年越しの恋人ナイジェリアに〈予想外に伸びてない。これは闘える!〉高ぶった気分を抑えられないでいる彼が目に浮かぶような事件ではないか。彼らが伸びていないのではなく、それ以上に伸びた中田の目からは相対的に彼らが伸びていないと見えた、これが真の事態だったはずだ。
 そうしたアトランタオリンピック以降に十九歳で彼が行った自己評価は、こういうものであった。
「自分が一体世界のどの辺りにいるのか、それを知りたいからサッカーを続けているようなものかな。大きな舞台での楽しみのひとつには、そういう判断を自分でできるということも含まれている。オリンピックの後、対戦した選手のことを気にしていたら、自分がマークについて決して負けていないと思っていたはずの選手たちが欧州に移籍し、ブラジルにもハンガリーにも勝ったのに、自分にはオファーが一件も来なかった」
〈このサッカー後進国で世界に負けたくないと三年やってきて、これだけやり切れたと自分で分かったその時に、誰ひとり相応しい評価をしてくれる人がいないんだ〉
 何か、鳥になることに青春をかけた最初のコウモリ。そんな心境が伝わってくる。

(その3に、続く)

注3 これ以降の中田英寿関連のカッコ付き引用は、以下の文献からのもの
 小松成美 文藝春秋社「ジョカトーレ」
 小松成美 幻冬舎「中田英寿 鼓動」
 中田英寿 新潮社「nakata.net」
 村上 龍 光文社「奇跡的なカタルシス」
 本條強他編 同朋舎「日本代表マガジン」
注4 「トラップ」 自分の所へ来たボールを、身体のどこか一部で衝撃吸収して、思うところへ思うように置く技術。近くの敵がボールをどう奪いに来るかとか、敵との関係で次にボールをどう動かして攻めていくかなどをいろいろと予測、想定しつつ行う。中田はこれの重要さをたびたび、こう表現していたものだ。「シンプルな1対1のパス交換を凄く練習したが、あらゆる次場面を想定しながらやったものだ」
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今、民主党政権発足時を振り返る(後編の③)  文科系

2013年07月12日 03時56分28秒 | 国内政治・経済・社会問題
⑥改めて、「検察、もう一つの暴行!」  2011年01月11日
⑦ウィキリークス(15) 官僚「核密約」でも、売国  2011年05月07日
⑧ウイクリークス(16) 「自治共和国・官僚」   2011年05月09日
⑨保安院の大罪(13)「官僚」は大暴力制度?  2011年06月26日
⑩保安院の大罪(24) 「体制側にも大亀裂」①②  2011年07月21日
⑪官僚主権国家 民主党政権へのやり口を振り返って  2011年12月29日


⑥改めて、「検察、もう一つの暴行!」  2011年01月11日
 小沢問題関連の「女性秘書、監禁、恫喝事件」として世を騒がせた奇っ怪な事件であった。週刊朝日のスクープだが、検察がここまでやるか読んだ、非常に暴力的かつ陰険な事件である。結局無罪になった小沢代表への、何度無罪になってもあくまでも続行された捜査がどれだけ執拗なものだったかが分かる。

⑦ウィキリークス(15) 官僚「核密約」でも、売国  2011年05月07日
10年2月4日付の東京発の公電によると、同日に開かれたキャンベル国務次官補らと梅本北米局長らとの協議でも、密約が話題になった。同次官補が、日米で対処すべき課題として「拡大抑止」、「核をめぐる歴史(日本で『密約』として知られている)問題」を挙げ、「米国の航空機と艦船が、核兵器の搭載を肯定も否定もせずに立ち寄ることができること」が必要だと求めた。

⑧ウイクリークス(16) 「自治共和国・官僚」   2011年05月09日
『外務官僚「日米の対等求める民主政権は愚か」 米公電訳2011年5月7日11時35分 発信地:東京 日付:2009/9/21 分類:極秘  キャンベル国務次官補と斎木昭隆アジア大洋州局長が会合』。これが文書名だが、そのさわりはこうなっていた。
『(新政権と官僚機構)
2. 新しい民主党政権について、斎木局長は、新しく外務省を率いることになった岡田克也外相について「大変知的」として、「諸問題について理解している」ため、就任をうれしく思っていると伝えた。斎木は、岡田は自分の担当する分野(北朝鮮、韓国、中国)では何の問題も引き起こしていないと説明した。民主党政権が官僚機構の力を弱めようと脅しをかけてきたことについて心配している官僚もいるが、民主党がプロの官僚のプライドを打ち砕こうとしているなら、それは成功しないだろうと斎木は述べた。
(中略 ただしここは、北朝鮮の部分)
(民主党政権下での日米関係)
9. 民主党の指導者たちの「対等な日米関係」を求める動きについて、斎木は「すでに両国関係は対等なのに、何が鳩山由紀夫首相や岡田外相の念頭にあるのか分からない」と告白した。斎木は、民主党はまだ経験のない政権与党であるだけに、自分たちが日本の強力な官僚機構を抑えて、米国に対しても強く挑戦する新しく大胆な対外政策を行う責任があると示すことで、力と確信にあふれた党というイメージを広める必要性を感じているのだと理論づけた。斎木はこうした考えは「愚か」であり、「彼らもそのうち学ぶだろう」と述べた。 』
新政権の頭越しにと言うよりも、新政権へのスパイもどきの行動を官僚達が米国に対して取っていたことが分かる。小沢事件、長妻厚労相ボイコット行動などと並べられる、越権的な反内閣行為というべきだろう。「政権が替わっても、外交と防衛はころころ替わってはいけない」と言うと聞こえはよいが、こうした⑦⑧のようなスパイもどきの行動はこんな意味のはずだ。自分らの慣れ親しんだ活動領域を守りたいという一種の利権行為だけ、それを新内閣方針に逆らって行う売国行動だったと。

⑨保安院の大罪(13)「官僚」は大暴力制度?  2011年06月26日
⑩保安院の大罪(24)「体制側にも大亀裂」①②  2011年07月21日
まず、毎日新聞東京版夕刊記事の抜粋になるのだが、財界人の原発見直し発言を拾っている。
 元三井住友銀行頭取で日本郵政社長も務めた西川善文氏。「脱原発は可能か」と題した日本経済新聞電子版掲載のブログ(5月26日付)で「一定の時間軸をおいて、国を挙げて様々な対策に取り組めば、脱原発は十分可能」と述べている。さらに「国民生活の安心、安全が第一義であるから(中略)我が国のエネルギー政策の舵(かじ)を大きく切っていくしかない」と指摘し、
 菅直人首相が中部電力に浜岡原発の運転停止を求めた際は、スズキの鈴木修会長兼社長が「国の最高決定権者として正しかったのではないか。自分がもしそういう立場だったら同じようなことをしたと思う」と話し、
 大橋忠晴・神戸商工会議所会頭(川崎重工業会長)も「専門の学者が福島と同様の危険性を指摘している。国民の生命を守る観点から(停止は)当然」と支持を表明した。
 震災前から、浜岡原発即時停止を求める署名運動の賛同者に加わっているのは、日本航空の再建を担う稲盛和夫・京セラ名誉会長だ。
⑪官僚主権国家 民主党政権へのやり口を振り返って  2011年12月29日
これについては前回全文をご紹介した。

(これで終わりです。長らく読んでいただいた方、有り難うございました)
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小説 「人・走る」    文科系

2013年07月11日 16時49分15秒 | 文芸作品
 大きな木の机だが、中央にあるパソコンの脇や後には、本や、いくつかの小説執筆プランが書き込まれた文書類、強調したい主張に関わる統計なども含んだ資料の群れ、その他の雑多なメモ、黒赤青などの筆記具、文鎮、大小の辞書など、隙間もない乱雑さだ。机の外、部屋全体も、ある種の生活破綻者の寝床を連想させる混乱である。ここの主、村木慎治のどろんとした目線は机の上を見ているのかいないのか、前の椅子に座って間もなくそうなってから、どれだけの時が過ぎていただろう。ゴールデンウイーク週末の早朝、所属する同人の年一回、来年一月に出す作品集に向けた創作活動中なのである。
 たった30枚程度の小説プロットを半年考えても、いくつかの中からどれを選択するかがまだ決められなくて、稼ぎ時の連休がもう終わりかけている。今朝も四時に起きたのだ。頭が比較的冴えている朝を選んで、今日こそどれかに決めようと意気込んできたというのに。

 慎治にはこの頃、馬鹿になったのかと思い当たることもいくつかある。「総じて前年より良くなければ、出さない方がましとする」、これはみずから決め、拘ってきたポリシーだが、今年そう断定するのはまだ早すぎるし、こんな予感だけで生きる気力が削がれるような何とも嫌な自己嫌悪だ。それを打ち消すように他方でいつも、こんな思いも浮かんで来る。
 〈 自分の要求するものが年々増えて、高度にもなっているから、こんなに苦しいのではないか。さらに、今年望む水準に届くかどうかが自分の場合このプロット作りの段階で八、九割がた決まってしまうと考えているから、今が特に苦しいんじゃないか 〉
 たかが三十枚の小説に慎治は毎年、まる一年かけてきた。数か月で一応の完成を見た後でも、また数か月、間を置いてえんえんと推敲し続ける。構成に関わるような補足修正は言うまでもなく、一行二十字ほどの加除さえ見出しがたくなってからもまだ、〈語句とかテニオハとかの感じを嵌め換えてみる〉のである。部分部分までを楽しみ味わうことに、一種狂気のようだと思えるほどの充実感を覚えるからできることらしいのだが、、この膨大なエネルギーは一体どういう正体のものだろうかと、慎治は自分でもよく不思議に思う。〈アマチュアだからできる執筆の醍醐味、ここまでやるから後で楽しい〉と開き直っていることは確かなのだが。
 書き始めてまる七年、何か文学賞のようなものを目指そうと考えたことはない。それが目指せるかと考えてみたことも、おそらくない。他人に読んでもらうことは多分人一倍嬉しいのだが、返ってくる批評に過不足なくピタリと来るものが少ないとは、もはや分かってしまったことだ。当然の話と思う。慎治のこんなに膨大な書くパワーに見合ったエネルギーで読んでくれる人などはいるはずもない。そもそも今どきのプロでも、己の最愛の著作の一つでさえ彼のように読む者は少ないだろうという妙な自信さえある。それでも、テーマ、モチーフが一作ごとに替わっているから、今度は望みの読者がいるかもしれないという期待は、やはりどこかで持ち続けているのだろう。けれどもやはり、書いている自分をあちこちから覗いてみてもとにかく、主として他人に向けて書いているわけではないようだ。逆に、自分が老いて記憶力も定かではなくなった頃にこれを読むのが途方もない楽しみになるのではないかと、密かに期待し始めた節さえあった。執筆一年あとに自作を読んでいてさえこれほど一喜一憂できるのであるから、こういう期待を持つのはまた無理もないことだという気もする。そして、その時の楽しみに傷がつかないようにと考え及んだら、この膨大なエネルギーもさらにパワーが増してきたというように感じられた。こんな執筆動機は、他人の目で見るならば〈もう、一人でやってろ〉と言うしかないが、「それで悪いか」と既に開き直っているようだ。

 〈 もう一度整理してみよう。なぜプロットさえ決まらないのか。まず第一に、嘘っぽい話が嫌だというのがある。大笑いしながらうなずいてるもんなあ、あんな文章を読まされると。ええーっと、あーこれだこれだ。「いばりくさった主人公に全部都合よく運ぶ『スリリングな物語』、フェミニストなんか絶対出てこず奴隷のような美女達にはヒステリーも水虫もない『気持ちのいい恋愛』、何ひとつ頭を使わなくても最後まで読める『安心な展開』、それだけが彼らの『面白さ』というわけです」、芥川賞作家、笙野頼子の文章だ。(注1)事実を描いてさえ、部分を強調しすぎたり、筋を劇的に進め過ぎたりするとこうなっちゃうって訳だ。虚構を混ぜた方が真実に近づけるとは、例えば近松門左衛門の「虚実皮膜論」(注2)とかいうものでも言われてるそうだけど、俺はもっと「自分にリアルで、かつ大切なこと」じゃないと嫌で、やる気もなくなってくるんだろうなあ。すると、自分のことを書くか、取材を徹底するしかないけど。……… 笙野がちょっとやってるように、あちこちに潜入なんてことはアマチュアじゃ時間に限界あるし、太宰治のように女に日記を書かせてそれに筆加えてというような愛人たちなんかもいない訳だし、結局、私小説ということになっちゃう。だけど今どき私小説なんて、本当の事を書いてても「自己顕示的でうさん臭い」とすぐ見られちゃうんだよな。なにしろ、目立ちたがりときちんとした自己主張との区別もつけないような世の中だ。それに、私小説で自己主張にしっかり突っ込むというのも、またなんか作り物めいてくるというのもあるし。
 だったらやっぱり、このプロットか。
 「一般には、こっちの『展開』のが面白いんじゃない?」
 誰かがこう言ってくれたけど。でも、俺は「展開」はすぐに自制しちゃう。こんな具合だ。小説はやはり主張だから、読んでもらうために書くものだと知ってはいるつもりだけれど、他の人の目に入りやすいような『感動』や『趣向』を『展開』させるだけなんて、何か楽しさが減るようでいつも禁じてきたじゃないか。第一、自分自身があとで読んで楽しく感じないものに何でこんな苦労ができる? ああっ今、俺もまた「読んで楽しい」とか「面白い」とか言っとる! どうでもよい所で言ったんじゃなくて、そもそも何を書くのかという大事な文脈の場所でだ。面白い?、楽しい?、こんな言葉に何か意味があるんかね?こんなもん「私は引かれました」というだけの意味であって、それ以外の事は何にも語っとらんのだぞ! 例えば、前はモダンを言っとった奴が、今はポストモダンを叫ぶとかいうことも時節がらいっぱいあるみたいだけど、これは前と後とで「私が引かれた」という点じゃ同じことをやってるつもりなんだけど、だから自分自身は変わってないつもりなんだけど、モダンとポストモダンという中身は、私が引かれている対象そのものは、前後で全く違うわなあ。つまり、引かれたというだけが大事なら、何に、どのように、どうしてなどは必要ないってことかね。引かれた内容がころころ替わっても、混乱ってやつだ。まるでテレビのバラエティ番組みたい、何でもあるようで、何もない。だからだろうか、観る方もチャンネルをどんどん替えてく。そのくせ、他ならぬバラエティ番組のなかだけで次に観るものを選んでる。こういう最近の若者流儀を見ると、こんな混乱は先刻ご承知、いや自明の自然な世界なんだろうなあ。バラエティ番組はなんか、ポストモダンを象徴してるみたいなもんか。
 こんなのは、自分が引かれ続けるものを一生究めれないということにもなる。「自覚」の道を探さない奴は、一生混乱してろってか? それが「面白い」って奴だ。ご本人は、「自分が」面白いものを選んだのだからという訳で、素面で「主体的」なつもりが、その内実は全く何かに振り回されとる「受動性」そのもの。「面白い」って奴だけだとそうなる 〉

 こんな朝は、頭脳は一応覚めているのだ。が、ただ頭のあちこちを、しかも大小構わず次元の違う事項をごちゃごちゃにして、脈絡なくつついているというだけのことで、何かが産まれてくる予感というものが全くない。そう思うとまた、目の焦点が合わなくなってくるようだった。のったりと起こした体を椅子の背にもたせかけたら、慎治の両手が自然に腹に触れた。腰の曲がりが常態より一段と前にせり出しているそれを左右に動かし、質量感を確かめてみる。するとどういうものか、この質量感のせいで、頭脳が支離滅裂になっているのだというような気がしてきて、臍の上辺りを人指し指でピーンと弾いていた。
 そのままのたのたと立ち上がって、北の窓を開け、東の方を見る。朝日に活気を注いでもらおうというように、こうした早起きの朝によくやってみることだ。〈正面の家の、春に赤くなる紅葉? あれは赤銅色というのか、小豆色というのか。そんな色に、白っぽい黄緑の竹とんぼを小さくしたような新芽がぱらぱらとのっている〉。次に目に飛び込んで来たのは、さらに小さい芽をびっしりと付けた手前のツゲの生け垣だった。

 ふっと窓辺からきびすを返して、電話口へと歩いた。そして、山本さんを呼び出すと、スポーツジムの十時オープンからの待ち合わせを約束しあった。一年ほど前に、二人が知り合った場所である。自分がそこに通い始めた訳というものを、慎治はよく振り返ってみるのだが、こんなことに行き着いたように思う。
〈 四十をかなり越えた。もう一つ何かしよう。さしあたって、この重くなった体と突き出た腹をなんとかできないもんか………〉
 あ初めは、こんな軽い動機だったのだ。

〈 山本さん、また速くなったみたい。ストライドを伸ばしているのにピッチが落ちてないようだし………短い距離のスピード練習なのか、緩急つけたインターバル練習か───〉それと分かるほど大きめにしたストライドでトレッドミルのベルトを突き進む山本を左隣に見ながら、慎治は思う。〈 時速十四キロは出てるんじゃないか。近ごろどんどん速くなってる。ランニング経験一年のはずなのに、ほんとに六十の人なのかなあ〉機械のモータ音が高く響く割に、もっと大きくなるはずの山本の足音は柔らかく、代わりに規則正しい呼吸の音が慎治にも強く届いて来る。山本の走行距離メーターに目をやると既に四キロ。
 一年ほど前に、偶然彼と同じ頃にここでランニング入門をした慎治は、いつとはなしに彼に歩調を合わせてきたものだった。それも、自分が一回り以上も若く、中学時代にランニング経験がいくらかはあったということも意識させられて、ずい分無理をしてしばらくついていった。やがてある時期から山本のストライドが広がり始め、ついていくのを諦めざるをえなくなった。若いころに比べて十数キロも重い体を恨んだものである。ちょうどその頃、山本と隣りあわせて鏡の前に立ったとき、慎治は二人の腹と尻を密かに見比べてみたことがあった。自分の方は、腹は前にせり出し、その横は太い筋のような弛みが浮き出ることもあるいわゆるズンドウで、尻がいかにも小さく見えた。よく見ると、山本の尻が彼のよりさほど大きいわけでもないのである。〈尻が実際よりも大きく見える男は全て、腹が出ていない〉とは、何か不思議な発見をした思いだった。もっとも、後になるとこの思いは、違う認識に変わっていく。尻や大腿が締まった人間だけが、腹を引っ込めることもできるらしいと。

 こんな情けない比較もジム通いのバネに加わって、自分なりに距離が伸びていると認められる日々が続いていった。そして、ことスポーツで過去に良い思いがない慎治だが、走るという単調な行為を、いつしかこう思い始めていた。〈ジムは、修正の結果がすぐにその場ではっきり分かるからいい。手応え、質量感が大違いだ〉
 通いつめ方にも熱が入った。

(その2,3まで、続く)

注1 笙野頼子 講談社 「ドン・キホーテの『論争』
注2 虚実皮膜論 芸術の真実というものは、虚と実との被膜の間、虚構と真実との中間にあるとする説
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橋下さんの沖縄に関する発言      らくせき

2013年07月11日 09時21分24秒 | Weblog
アメリカ軍の乱暴狼藉から身を守るための防波堤を、という発想は
敗戦直後の日本政府が米兵に慰安婦を、というと同じもの。

あの時は日本は負けたのだから、仕方ないとしても、今の日本は建前では、独立国。

「維新」を名乗るのなら、沖縄・日本を奴隷状態に置いている
地位協定の改定を掲げて欲しいと思います。ドイツ並に。

石原さん、中国や韓国にはコワモテだけれど、アメリカには何も言わない。
どうなっているんだろう?

言えない事情があるんだろうか?




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 「規制の虜」の復活(3)「海へのだだ漏らし」確信犯!  文科系

2013年07月10日 20時33分29秒 | 国内政治・経済・社会問題
 10日の中日新聞朝刊二面に「福島第一セシウム濃度上昇」という記事があった。「五日に同じ場所で採取した分に比べて、濃度は九十倍近く」という超絶の高濃度に変わったと。朝刊ではさらに、「今のところ、セシウム濃度が急上昇したのは一本の井戸だけ。他でセシウムはほとんど検出されず、ストロンチウムなどベータ線を出す放射性物質だけが検出され続けている」。
 それが夕刊ではこうなったのだ。事態が急で、かつ重大なせいか、今度は一面トップ記事だ。
「規制委は、土が吸着したとされるセシウムの濃度が高い▽3,4号機側でも放射性物質を検出した。▽海水中の汚染も1~4号機の取水口すべてで高い─ことから、東電の説明を疑問視」
 さて、濃度が五日から九日にかけて90倍になって、1本の井戸からだけ漏れていると東電が広報したその直後には、規制委が疑問になって調べたら、1~4号機とも漏れている?!! それもこんな高濃度が!

 この場のこの光景には、既視感がある。2011年5月にこういう拙稿をここに載せたことを思い出したからだ。この時はまだ、犯罪者達がメルトダウンさえ認めていなかった時であった。

【 原発、酷いニュース二つ 文科系  2011年05月13日
 今問題になっている1号機のメルトダウンは、小出裕章氏がずっと繰り返し指摘、警鐘してきたこと。この指摘は、ここでも何回かご紹介した。彼は今でも、1号機について再臨界発生を恐れているはずだ。
 ところが、昨日と今日、あと二つの非常に深刻と思われる記事が、中日新聞に載った。一つは昨日のもので、「高濃度汚染水 再び海に 福島第1 3号機立て坑から」。
 (中略)
 ともあれ今日は、3号機立て坑の高濃度汚染水問題を取り上げたい。漁民たちの遠い将来までがかかった、とても恐ろしい事実が、ここには含まれていると考えるから。
 以前2号機が高濃度汚染水を垂れ流しにしていたと、大問題になったことがある。ところが、その2号機の垂れ流し目視点検が、4月20日で打ち切りになったのだという。そして酷いことに、こんなことが書いてあるではないか。
 『福島第1原発3号機から11日、高濃度の放射能に汚染された水が海に流出していることが分かり、ほぼ同じ状況で流出した2号機の二の舞となった』
 『11日昼に作業員がこの立て坑に水が流れ込んでいるのを見つけた。水位は上がっておらず、近くの海に漏れ出していると判断した』
 そして、今回の何よりも唖然とした話が、こうだ。
『3号機の立て坑は開口部にがれきが積み重なった状態で、11日に取り除くまでそもそも目視確認を一度もしていなかったことも分かった』

 3号機って、恐ろしいモックス燃料を使ったものではなかったか。だから近寄れなかった、だから目視もできなかったと、そんな疑念さえ湧いてくる。それにしても、漏れ始めたのはいつのこと? 3月からずっと垂れ流しだったのだろうが、大変なことだと思う。こんな重大なこと、なぜロボットを使うかなにかしてでも、至急に確認しなかったのか。半減期が恐ろしく長く、かつ透過力が強い放射性物質だったかで、海、漁民への影響は計り知れないと思うのだが。

 東電の事故処理作業はもう、伏魔殿というしかない。今後も何が出てくるか分からなくって、恐ろしい。国民を何だと思っているのか! 】

東電って、一体どういう会社なのだろう。よほど政府・官僚達に甘やかされてきたとしか思えないのである。操業停止になっている漁民の方々のことを、一体どう考えているのだろうか。

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 今、民主党政権発足時を振り返る(後編の②)  文科系

2013年07月10日 14時06分58秒 | 国内政治・経済・社会問題
①検察審は法原理的に疑問  2010年12月01日
②日本記者クラブ、この暗黒の権力者(前後編)  2010年12月29,30日
③ニューヨークタイムズも「小沢国策捜査」と  2010年12月31日
④忘れまい、村木厚子冤罪事件の「国策」性  2011年01月02日
⑤転変の重要官僚が語る「官の巻き返し」(前後編) 2011年01月04,05日
⑥改めて、「検察、もう一つの暴行!」  2011年01月11日
⑦ウィキリークス(15) 官僚「核密約」でも、売国  2011年05月07日
⑧ウイクリークス(16) 「自治共和国・官僚」   2011年05月09日
⑨保安院の大罪(13)「官僚」は大暴力制度?  2011年06月26日
⑩保安院の大罪(24) 「体制側にも大亀裂」①②  2011年07月21日
⑪官僚主権国家 民主党政権へのやり口を振り返って  2011年12月29日

①は、裁判所や検察がこんな風に国会議員を裁くことが出来るなら、国権の最高機関の動向まで左右できることになるからその独裁国家と一緒だという議論を提起させていただいた。
②日本記者クラブ、この暗黒の権力者(前後編)
 政治に関わる記者クラブというものがいかに官僚のスピーカー、世論操作に徹した、偏向しかつ閉鎖的な世界であるかがわかる。記者クラブがあるから官僚独裁が可能であったとさえ見てもよいと思う。

③ニューヨークタイムズも「小沢国策捜査」
 この記事を紹介した僕の書き出しはこうだ。
『ここに、米ニューヨークタイムズの東京支局長である記者が、「小沢潰しは、官僚マスコミ連合軍による国策捜査である」旨の記事を書いていました。それも既に、民主党政権発足前の去年5月に書いていたのだから、驚きです。この国策捜査、その後はもっともっと執拗にだらだらと続いています。この動向が、民主党マニュフェストの勢いを弱める方向に働いていることも明らか。
 既に、裁判で決着がついた事件であって、推定無罪よりももっとハッキリした無罪になっている事件です。第五検察審査会なるものをめぐっても、怪しげな動きばかりで、それこそ情報公開して欲しいものと思わざるを得ません』
 そして、この記事自身の書き出しは、
『 東京検察官が3月に次期総理候補の野党党首小沢一郎の秘書を逮捕したとき、次期選挙で敗北するのが確実視されていた自由民主党 を延命させるかのごとく、民主党にダメージを与えるスキャンダルを誘発させた。多くの日本人が権力の不正行使に抗議したが、大手新聞社やテレビの報道が国民の真の声を覆い隠してしまった』
 さらに記事文中には、
『米国でも、どこでも、ニュースメディアは政府に近すぎるとの似たような批判に直面しているが、問題は日本でより大きなものとなっている。政府との居心地のいい絆が、「記者クラブ」という仕組みをつくり、一般に、大手メディアのメンバーだけが出入りできるようになっている。
 このシステムが、大手報道機関に政府報道を鵜呑みにした記事をかかせることにつながると、長い間批判されている。ジャーナリスト達は、「記者クラブ」にかかわらず、独立性を保っているといっているが、情報へのアクセスを失うことを脅しに、時々、政府寄りの記事を強制して書かせられているとも言われている。
先月、日本の大きな全国紙に比べて小さな日刊紙であるが、しばしば全国紙より政府に批判的である報道で知られている東京新聞 は、小沢氏に献金した同じ会社から寄付を受け取った与党議員についての調査の記事を載せた後、3週間、東京検察官と話すのを禁止された。』

④忘れまい、村木厚子冤罪事件の「国策」性  2011年01月02日
この異常な事件は「民主党シフト」、「小沢喚問」と同根のものである。この事件が初めに新聞に載った時、「政治案件」の語が紙面に躍り上がり、政治家の介在が、具体的には民主党副代表・石井一氏の名前が騒がれた。石井氏が村木氏を強引に動かして莫大な郵便料金詐欺を仲介したものという構図を、マスコミも書きたてていたはずなのである(なお、この詐欺事件は実際にあったものだ)。検察がマスコミを虚報で躍らせた責任は? 検察情報を鵜呑みにしたマスコミの「酷い書き方」、名誉毀損はそもそも一体どうなるのか。

⑤転変の重要官僚が語る「官の巻き返し」(前後編) 2011年01月04,05日
 この記事の僕としての書き出し。
『時事ドットコムに、興味深い記事をみつけました。題して、【改革派官僚に聞く『やりたい放題の「官の巻き返し」を憂う』】。野党が、民主党の官僚改革後退を批判すべく政府参考人として臨時国会に出席させた古賀茂明氏のことです。鳩山民主党がその出発に当たって彼を重用しようとしたが、一昨年の12月に仙石大臣に更迭されたという問題の人物です』
 民主党政権は、この人物を初め重用し、後に疎外した。ここに政権の変質を見るというのも興味深いことだ。古賀はこんなことを語っている。
『 古賀 民主党は政治主導のあり方について、2つのミスを犯したと思います。ひとつは総理主導を打ち出せなかったことです。
 憲法では、行政権は内閣に属すると規定されています。官僚はこれを「行政権は内閣にあるのであって、総理にあるのではない」「各省の事務を実施する権限は個々の大臣にあるのであって、総理にはない」と解釈します。これなら大臣ひとりコントロールしていれば行政の実権を握れるし、総理の“勝手なマネ”を抑止することができるからです。
 しかし、総理には大臣を任免できるという強い権限があるのです。方針に従わない大臣は罷免して自らが兼任するということも可能です。要は、総理の決意次第で、行政全般を動かすことができるのです。
 では、現実はどうだったでしょうか。長妻昭前厚生労働相のケースを見てみましょう。長妻さんはマニフェストに掲げたことを忠実に実現しようとしました。その一環として、役所の人事にも手を入れようとしたのです。大臣が仕事の目標を示し、それが達成できたか否かで信賞必罰を行なおうとした。天下りはまかりならんと宣言し、独法の役員を公募して、そこに官僚が応募してくると「これは天下り同然ではないか。ダメだ」と蹴飛ばし……。そういうことをひとりでやっていたのです。』

『 古賀 民主党は政治主導を掲げて勇躍、役所に乗り込んだものの、本気で官僚と対峙した大臣はサボタージュに遭って仕事が前に進まなくなった。長妻さんと厚労省がその典型です。しかし、役人を排除しては何もできず、長妻さんにいたってはその結果、更迭されるはめになりました。
大臣も、役所の振り付けどおりにしていれば、気分がいいうえに間違いを犯さずに済みます。仮にミスをしても弥縫策や善後策を官僚が講じてくれます。反対に、振り付けにないことをすると、長妻さんのようにサボタージュに遭う。なんとも怖い話です。繰り返しになりますが、鳩山総理、菅総理はやはり長妻さんを助けるべきでした。(中略)』

(続く) 注 前回で終わる予定でしたが、後編が3回めまで続くことになりました。
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