九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

イスラム風刺漫画掲載へのおかしな論調  文科系

2015年01月22日 00時03分34秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 仏誌のマホメッド戯画化に対して、近ごろこんな批判が多い。「異文化を尊重する節度」という論点から、マホメッド偶像崇拝を排するイスラム教徒を尊重していないことになるから誤りないしは行きすぎの面があるのではないかと。さて、僕はこの論理はおかしいと思う。日本知識人らしい誤りではないかとも。

 西洋では、政治とキリスト教との近代以降長い摩擦の歴史から、政教分離の原則が生まれた。信教の自由を尊重するためにも、政治と宗教は相互に介入し合わないという約束、原則のはずだ。この決まりができるまでに、十字軍戦争なども含めてどれだけの命と血涙が供されたことだったか。因みに近代日本は宗教心が薄かったようで、政教分離受け入れに抵抗感は少なかったのではないか。

 他方イスラム教国家に政教分離という論理が存在するだろうか。シャリアという宗教原則が法制、準法制、「公序良俗」に多く入り込んでいる。一例を挙げれば、女性に教育は不要というような「公序良俗」も多くあるはずだ。そういう相手と政治や経済などの取引をする場合に、政教分離は無視されることも多いはずである。
 さて、百歩譲ってイスラム国家は政教分離をしないけど、そういう相手にもやはり「異文化を尊重する節度」を持って臨むべきであるということになるのであろうか。これは日本人らしい誤りではないかと言いたい。日本人らしい「人間関係だけ論」の謝った適応であり、稚拙な論理とさえ思うのだが、どうだろう。
 そもそも、コーラン114章の規則をほとんど体現したくない日本人には多いはずの政教分離論者が現在のイスラム国家に住めるのかと考えてみたらよい。先ず、村八分というか、そんな目に遭うのではないか。こうして、政教分離論者ならば、具体的な政治世界にコーランの言葉を持ち込んでくる相手と論争になる場合は多いだろうし、そうなったらマホメッドにもその神の言葉に対しても、文句の一つも必ず言いたくなる事であろうに。それがシャルリであって、これも言論の自由と、僕は思うのである。

 そもそも言論の自由という思想そのものが、政教分離が生まれてからの近代民主主義国家の産物ではなかったか。そしてこの思想には、「どんな神も関係なく人間個人が国家の主権者として尊重される」という思想が入っているはずだ。そしてこういう国家、政治は、政教分離を認めないイスラム原理主義とはどうしても相容れないところがあると思う。政治世界で何も具体的対立が出されていない時に相手の宗教を侮辱するなどは論外であって、それは別問題である。しかしながら、イスラム国家にも世俗主義と原理主義との大別があるようで、シャルリが戯画化せざるをえなかったイスラム国は世俗主義ならぬ政教一致原理主義の典型なのであろう。素人考えだが、世俗主義国家の方が近代国家により近いということなのでもあろう。政教一致原理主義を言論で批判しようとすれば、当然マホメッド批判も出てくるはずだ。
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新聞の片隅に載ったニュースから(184)   大西五郎

2015年01月21日 19時15分32秒 | Weblog
裕福な1% 世界資産5割所有 来年さらに貧富の差拡大(15.1.21 毎日新聞)

【ロンドン共同】国際非政府組織(NGO)のオックスファムは19日、世界で貧富の差が拡大しており、この傾向が続けば、来年には最も裕福な上位1%の人々の資産合計が、その他の99%の資産を上回ると予測する報告を発表した。
報告によると、上位1%の資産は2009年に世界全体の44%だったが、14年には48%に増え、1人当たりで270万㌦(約3億2000万円)に達した。一方、下位80%の庶民の平均資産は、その約700分の1に当たる3851㌦で、合計しても世界全体の5・5%にしかならないという。
また、世界人口のうち下位50%が保有する資産の合計は、10年には最富裕層388人の資産に相当したが、今は最富裕層80人分と等しくなったとも指摘。富める者が、ますます豊かになっていると強調した。
世界では9人のうち1人に十分な食料がないといい、オックスファムは21日からの世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)を前に、富裕層や法人による租税回避の阻止など是正措置に取り組むよう世界の指導者らに呼び掛けた。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

この調査を発表したオックスファムというのは、世界の人々が貧困から抜け出し、自らの力で豊かになるのを援助している団体で、1942年にイギリスのオックスフォードで設立され、今では世界17の国と地域に拠点を置き、90ヶ国以上で活躍し、緊急人道支援や調査に基く提言を行なっています。日本でも2003年にオックスファム・ジャパンが設立されました。
貧富の差が拡大していることについてはOECD(経済協力開発機構)も昨年10月に富裕層と貧困層の格差が急速に拡大し、過去200年で最も憂慮すべき状態だという報告を発表しました。
200年前というとイギリスから始まった産業革命(1760~1830年)の完成期で、手工業から工場制生産に移り、資本主義が確立されていった時期です。特にグローバル化が進み始めた1980年以降所得の不均衡が急速に進んだと報告書は指摘しています。
またフランスの経済学者トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本論」という経済学術書がベストセラーになる現象も起きています。ピケティ氏は、資本収益率は経済成長率より大きく、その結果富の集中が起きる。格差を是正するために富裕税を導入すべきだと説いています。
省みて我が国では、大企業が利益を挙げれば、その恩恵が中小企業や労働者にも「したたり落ちる」というアベノミクス理論が政府によって打ち出されていますが、毎日新聞が今月17~18日に行なった世論調査では、「アベノミクスの効果は地方に十分浸透していると思いますか」という質問に「浸透していない」の答えが86%、「日本社会の格差は広がっていると感じますか」
では70%の人が「感じる」と答えています。それなのに、企業減税が具体化されようとしていたり、残業代ゼロの労働時間制が導入されようとしています。日本の政治はますます格差を広げる方向に向っています。
                                                  大西 五郎
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日本の表現の自由     らくせき

2015年01月21日 09時35分48秒 | Weblog
南京事件を描いた「ジョン・ラーベ」は日本未公開。
2007年に制作されて、もう8年。

この2月14日に名古屋で初公開されるという。
なぜ長い間、公開されなかったのか?
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スティグリッツ国連報告・要約 3  文科系

2015年01月20日 12時49分12秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今回は、『第1章はじめに』の『第2節 危機への多様な対応』を要約をする。この節は4つのセクションに分かれ、それぞれの題名は、こうである。
①機関による危機への対応
②危機への政策対応
③世界的な危機には世界的な対応が求められる
④いくつかの基本的原則 

 この4セクションそれぞれについて、抜粋、要約を行っていく。

①機関による危機への対応

 初めに、各国当面の景気刺激策とともに、危機を起こしたその原因を取り除いていく長期的変革も急を要するとした上で、こう述べていく。
『強力な政治勢力が活動しており、現行の取極めから、或いは最近の変更から利益を得ている勢力が根本的変革に抵抗してくるであろう。しかし、これらの利益を許すことは危機の再発をもたらすことになる。これも、1997-1998年のアジア通貨危機から学んだ教訓である。そこでは比較的早く景気回復ができたために、金融システムがそのまま残されてしまった。そしてそれが今回の危機の舞台になったのである』
 次いで、『(G20などではなく)世界の全ての国によって……
つまりG192』が強調され、国連の下の早急な長期的変革が呼びかけられている。

②危機への政策対応

『危機に対し持続可能な形で対応して行くためには、危機を分析してその要素を特定し、なぜこれほど早く世界中に拡がったのか、その理由を特定していく必要がある。そこにはミクロ・マクロ双方での政策的誤りがあった。緩慢な通貨政策、不適切な規制、弛緩した監督、これらが相互に作用し合って金融の不安定がつくり出された』
『世界的レベルでは、いくつかの国際金融機関は金融部門の規制緩和や資本市場の自由化といった、今では危機をつくり出し拡散した原因と認識されている政策を、今尚勧告している』
『不適切な金融規制の原因の一部には市場メカニズムの限界について不適切な理解があった。経済学者のはやり言葉で、「市場の失敗」と呼ばれているものである。「市場の失敗」はいろいろなマーケットで起こるが、金融市場での失敗は特に重要で、一旦、実体経済活動に影響が及ぶと不釣り合いなほどに大きな影響を与えることになる』
『今回の危機は、経済政策や金融規制を越えたところにある問題を反映している。それは、市場機能について理解するに当たって幅広い誤りにさらされていたことにある。「自由な市場は、自分自身ですばやく軌道修正ができ、かつ効率的である」という信念が広く信じられていた。
 このことは、IMFや世界銀行、地域開発銀行、そしてWTO等の国際金融機関により今日支持されている政策を見直す必要があることを示唆している。また、これらの前提に基づく多くの国際的取極めについても同様である』

③世界的な危機には世界的な対応が求められる

 このようなことが述べられている。
 大国の金融市場の失敗が、世界や特に中小国の実体経済と雇用とを損なったこと。その大国に対しては経済政策調整の努力がされず、中小国の資金の流れをよどませる調整になってしまったこと。G-20が率先して保護主義的政策に走って、危機からの回復の妨げになっていること。大国の競争的通貨切り下げ、関税、補助金などには、途上国は全く太刀打ちできないこと。ここから、こんなことが強調される。
『危機の原因となった国際的格差を拡大するリスクがある』
『発展途上国の銀行システムを救済し、貿易与信を含む信用を供与し、社会保障を強めるための資金が供与される必要がある』 
『発展途上国を支援するために国際金融機関からしばしば課せられるコンディショナリティーは非生産的である』
 これらの指摘の最後は、『国際経済機関のガバナンスの変革』で結ばれている。

(『④いくつかの基本的原則』に、続く)
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スティグリッツ国連報告・要約 2  文科系

2015年01月18日 12時23分57秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 前回に引き続いて『第1章はじめに』の『第1節 危機:その原因、影響、そして世界的な対応の必要性』の要約を続ける。以下この節の終わりまでのキーワードは、こんなところであろうか。

 まず、金融危機・(実態)経済危機・社会危機。危機からの回復をめざす短期的景気刺激策と、長期的構造変革。全ての国が参加したより良い地球のための国際経済システムというグローバルな観点。10数年前に起こった同じようなアジア通貨危機に対して国際機関が全く何も出来なかったということから、支配的経済理論の再評価と、より公平で安定した世界金融システムの必要。

『ILOによれば、危機の影響に対抗する行動がすばやく行われない場合、2億人ほどの労働者が貧困に追いやられるという。いくつかの先進国では、何百万もの持ち家保有者が家を失い、職を失い、健康保険を失う脅威に直面している。経済の非保障と不安が高齢者の中に拡がっている。資産価格の暴落で、彼らが一生の間に蓄えた預金が消えてしまったのである。ILOの予測によれば2009年の失業者数は、2007年比で3千万増加すると見込まれている。そして引き続き状況に改善が見られない場合には、その数が6千万人近くに達することもあり得るという』

『先進国は事態に対処し、景気を刺激し、倒産しそうな金融機関を救済し、信用を供与し、社会保障を強めることのできる財政の弾力性を持っているが、多くの途上国は厳しい財政支出削減を行っており、危機の影響を相殺するための予算は開発目的の予算から振り替えられている。拡大する社会保障のために使用される資金は将来の経済成長を犠牲にして行われているとも言えるのである』

『国際的システムを将来の危機を回避するのにふさわしいものにして行くために、その構造変革に取り組むことは重要なことである。しかし、現在の危機から回復するための短期的施策をかなり実施しないと、これらを実現することはできない。これらの短期的手段は、できる限り、長期的構造改革の推進に資するように行われるべきである』

『先進国と発展途上国の繁栄は相互に依存している。変革プロセスに全ての国が参加することの重要性を認識し、真に民主的な対応を作り上げる以外に世界経済の安定性は回復できない』

『国際システムの変革が目指すものは、国際経済システムをより良い地球のために、より効率的に機能するものにして行くことである。例えば持続的で公平な経済成長としての雇用の創出、天然資源の責任ある利用、グリーンガス排気量の削減や、解決が急がれる関心事(食糧・金融危機そして世界各地での貧困への対処等)である』

『10年以上前、アジア金融危機の頃、再び大きな危機が起こるのを避けるためには世界金融の仕組みを急速に変革していく必要がある、と言う議論が盛んに行われた。しかし変革はほとんど実行されなかった。いや、今となっては、全くされなかったことが明らかになった。(中略) 目標は、将来の世界的危機を回避することである』

『グローバル化に伴い繰り返し発生する危機は、一国での問題がすぐに溢れだし他の国に問題を発生させ、国際金融システムの変革の必要性を示唆している。ますます相互依存的になってきている世界経済のニーズに対応できる国際金融機関が必要になっているのである。これらの危機の影響の大きな部分が貧しい人々と発展途上国に向けられていたという事実は、世界市場と非市場メカニズムに金融リスクを管理する上で問題があることを明らかにした』

(続く)
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「よたよたランナーの手記」(101) 常用時速10.5キロに・・(2)   文科系

2015年01月18日 12時02分34秒 | 文芸作品
この7日に1時間に10キロを8年ぶりで越えて、以降はLSD中心に悠々と走ってきたが、17日には久し振りにスピードを上げてみた。その結果はあっさりと記録更新、10.1キロを越えた。2回の30分がそれぞれ、4.9キロと5.2キロになって。今年5月で74歳になるこの身体が8年ぶりの記録更新を重ねられるって、自分でもちょっと不思議。この間に慢性心房細動に対するカテーテル手術前後3年間の完全ブランクもあったのだから。

 前後半それぞれの最高速度も11キロを越えて、今まではおそるおそる走っていたこの速度も10分ほどなら楽に出来るようになった。17日の後半30分が5.2キロになったというのは、こういうことを示している。30分は確実に続けられる常用速度も、10.5キロ時を越えた、と。筋肉痛も残らないし、僕が弱い足首、アキレス腱もかなり鍛えられてきて、11キロ時を続けても何の異常も感じられなくなった。

 でも、ここら辺りがそろそろ限界なのかなと、17日に走りながら初めて感じていた。どう言うか、筋肉でも心臓でもないが、何処か疲れるのである。汗が出るまでのウオームアップに時間がかかるようになったし、いったん出始めるとかなり大汗になる。大汗というのは、運動強度が高いということなのだろう。
 それでもなお、あれこれ目論んでいるのがスポーツと汗大好き人間のサガなのだろう。顔と吐息をもっと死にそうにさせるようなランナーズハイをさらに奥まで届かせてみようと。そのためにも入り口、繰り返しウオームアップなど、あれこれもっと大事に扱ってみよう、と。このように自然と、次の日への思いを、あちこちいろいろと楽しく巡らしている日々である。
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スティグリッツ国連報告・要約 1  文科系

2015年01月17日 10時48分45秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 この報告の正式名称は、『国連総会議長諮問に対する国際通貨金融システム改革についての専門家委員会報告──最終版2009年9月21日』。言うまでもなく07~08年に起こった「100年に1度の世界経済危機」を国連の英知を集めて分析し、今後世界の改善策を提案したものである。
 委員会メンバーは20名で、米、独、仏や、南アフリカを除いたBRICS諸国代表など、日本からは榊原英資が参加し、総会議長特別代表も2名加わっている。当委員会委員長がノーベル経済学賞受賞者であり、クリントン政権の大統領経済諮問委員会委員長などを経て1997年~2000年に世界銀行の上級副総裁およびチーフエコノミストを勤めたジョセフ・スティグリッツであるところから、この文書が彼の名前を冠してこう呼ばれている。

 全6章がA5版本文240頁ほどで、目次はこういうものである。
①はじめに 
②マクロ経済学的問題と視点
③国際的規制の改革により、世界経済の安定性を高める
④国際機関
⑤国際金融の革新
⑥結論

 全てが具体的内容なので、要約がとても難しい。リーマンショックによる世界的危機の分析と今後の対策という実務的な報告であるから、こうならざるを得ないのであろう。第1章「はじめに」(21頁)だけでも先ず紹介したい。これは「導入章」とも呼ばれた総論に当たるもののようだが、3つの節から成っていて、それぞれタイトルは
『1危機:その原因、影響、そして世界的な対応の必要性』
『2危機への多様な対応』
『3発展途上国への影響』
 細かい抜粋文章という形で少しずつ紹介していく。先ず初めは、第1章第1節の『1危機:その原因、影響、そして世界的な対応の必要性』を2~3回に分けて抜粋、要約する。この部分は、表題が示す通りに最も大切な部分なので特に要約が利かないのである。

 初めにお断りしておくが、100年に1度という世界的経済大事件の分析、対策国連採択文書が日本ではこれだけ話題になってこなかったということに驚く。むしろこのこと自身にこそ、この国連総会決議に対する日本政府・官僚たちの立場が示されているのだと思う。日米が共謀して、マネーゲーム、金融グローバリズムの暴力的利益をなお享受していたいという立場なのではないか。そう考えれば、日本の民主主義的人士は「アベノミクス」をこう見なければならないはずなのだ。世界の弱小国を犠牲にした世界的誤りの上に、さらに大きな誤りを積み上げていくものと。   

 第1章第1節「危機:その原因、影響、そして世界的な対応の必要性」

『米国に始まり、欧州に拡がった今日の金融危機は、今や世界的なものとなった。少数の先進国から発した金融危機が急速に拡がり世界経済を飲み込んでしまった。このことが、21世紀に入っての変化に対応した国際貿易・金融システムへの大きな改革が必要となっていることを示している。今回の危機は金融に影響を与える国内監督システム、競争やガバナンス(企業統治)の分野だけでなく、国際機関と、金融・経済の安定を確保するための取極めといった、基本的問題を明るみにだした。これらの機関は、危機を回避できなかったばかりでなく、適切な対処方針を企画、実行することにおいても遅れてしまった。まさに、これらの機関が進めていたいくつかの政策は世界の危機を拡げて行く要因ともなったのである』

 冒頭のこの文章に次いで、日本ではほとんど話題にならなかったリーマンショック最大の悪影響、今後長きに渡る後遺症が述べられていく。この日本ではもう、日米の高株価を前にして、リーマンショックの後遺症など語られもしないのに。
『危機は中心部で発生し、外周の最も遠いところまで行き着いた。発展途上国と、特にそこに住む貧しい人々は、その危機の発生に何の役割も果たしていないにも拘わらず、危機の犠牲者の中でも最も悲惨な目に会うことになった。(中略) 危機のコストを負担するには貧しすぎる人々が、危機が去ってからも長くその結果に苦しめられる。栄養失調の子どもたちは一生の間、成長阻害に悩まされるであろう。学校を退学した子どもたちは恐らく復学はしないであろう。そして彼らは、潜在寿命まで生きて行けないであろう。もし小企業が倒産に追い込まれたら、将来の経済成長と雇用見通しは弱められよう。経済政策は特にこれらのヒステリシス効果(非線形的で不可逆的であること)に対して気をつけなければならない』

(続く)
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琉球新報・社説より    らくせき

2015年01月16日 09時32分35秒 | Weblog
沖縄の「今」に通ずる「外交交渉の闇」がいくつも明らかになった。外務省が15日公開した沖縄返還をめぐる外交文書のことだ。
 中でも興味深いのは、1965年の佐藤栄作首相来沖の際、米側の圧力で日本側が首相の演説を急きょ変更し、在沖米軍基地の重要性を強調した点だ。
 米側から圧力がかかると急に弱腰になり、そのまま受け入れる従属外交ぶりがよく分かる。そしてその結果として沖縄の基地被害が続く。復帰後も一向に変わらない、そんな経緯が象徴的なのである。
 返還交渉が本格化した後の外務、大蔵両省の協議も示唆的だ。復帰に伴う米軍基地の削減割合をめぐり「(多くの軍用地が返還されても)わが国の防衛力から無用の長物になる恐れがある。費用もかかり、かえって迷惑」との発言がある。基地を大幅に減らす「核抜き本土並み」を願う沖縄の切実な要望に対し、あまりと言えばあまりの冷淡ぶりだ。
 那覇空港の米軍P3B哨戒機をめぐり、米側が当初、岩国(山口)や三沢(青森)への県外移設を検討したのに対し、当時の福田赳夫外相が県外移設を拒み、「沖縄にとどめてほしい」と求めた事実、米海兵隊丸ごとの沖縄撤退を米側が打診したが、日本側が引き留めた事実も既に判明している。
 通底するのは、沖縄の基地負担軽減が本土の「迷惑」になりそうだと分かると、途端に負担軽減に背を向け、沖縄を犠牲に差し出す構図だ。96年のSACO(日米特別行動委)合意時の交渉でも、2005年の辺野古新基地建設案に至る交渉でも、それは繰り返された。常に沖縄を犠牲にし続けるというシステム。「『今』に通じる」というのはそういう意味だ。
 現状の沖縄の基地固定化の弊害を考えると、その後の日米交渉の検証は不可欠である。政府は、返還時にとどまらず、その後の在沖米軍基地をめぐる交渉の一切を明らかにすべきだ。
 沖縄への米軍の毒ガス持ち込みを70年に知った日本政府が、沖縄側に知らせなかった事実も今回、明らかになった。
 沖縄に持ち込まれた化学兵器の総量はいまだに明らかになっていない。71年以降に移送された1万3千トンが、持ち込まれたのと同量か、依然不明だ。米側は統治下の資料一切を公開すべきであり、日本政府もまたそれを要求すべきだ。

情報公開が民主主義にとって生命線であることを感じさせます。
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「よたよたランナーの手記」(100) 人間の身体って・・   文科系

2015年01月15日 20時53分10秒 | 文芸作品
 この7日に1時間に10キロを8年ぶりで越えて1日置いた9日は、9.5キロ。2回ともそれぞれ前半は9キロ時以下に抑えて走っているのだが、今の僕にはこれがLSDなのだ。今なら9キロ時だと、おそらく2時間でも走れると思う。12月下旬に入って蹴り脚の弱さを発見してこれを強化、復活させ始めてから、それくらい急に脚が強くなったと感じる。

 9日は最後の方に11.1キロ時で10分近く走ったが、その心拍数が155を切る時も多くなっていた。次いで、12日が8.8キロ、14日には75分で11キロ近くを走った。蹴り脚が復活した分ピッチ数が減ってきて11キロ時を1分160歩でも走れるようになったせいか、この速度を15分は続けられるようになった。半月前ならばこの速度だと、ピッチ数は常時180歩を越え、1分の心拍数も170にはなったはずだ。この速度で走っても、僕として高速で走った日に事後も残ったアキレス腱の痛みは今はもうほとんど残らなくなっている。どんなスポーツにも我慢して続けていると急に進歩していく時期があるものだが、僕のランニング再開後2年数か月の今が、3回目ほどのそんな時なのだろう。

 そんなこんなで、人間の身体ってどこまで隠れた力があるのかと、これが今の実感。そして、とても楽しく、興奮している。さらにまた、これから当面のランニングにおける僕の楽しみはこんなことになっていくはずだ。
 11キロ時で走っている間の心拍数がどこまで落ちていくか。これが150になれば、その時に心拍160まで行く新たなスピードで走ることが出来る。するとさらにまた、その高速での心拍数がまたどれだけ落ちてきて、次の心拍160ではどこまで走れるのか。こうして、こんな今までのやり方でどこまで行けるのだろうかということだ。こういう楽しみが持てているのはこの十年以上心拍計を付けて走ってきたからだが、これはこれでまた、心臓に不整脈があったからこうなったこと。人生何が幸いするか分からないものだ。自分の心臓とその都度相談しながら、循環機能や筋肉の次の目標を合理的に探っていけるのである。
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アギーレジャパン(21) 前半戦MVP投票、内田が2位 文科系

2015年01月14日 20時34分47秒 | スポーツ
 ブンデスリーガ公式HPにおいて、ユーザーによる前半戦MVP投票で、内田篤人が2位になった。観客数もイングランドと同様に多くって、目が高いドイツにおけること。凄いことだと思う。こんな投票率順位が付いていた。三年前だったかにはベストナインにも選ばれた内田だが、それにしても地味なサイドバックがMVP投票2位って、得点ばかりを見ているような日本では先ずあり得ないことだ。なぜなんだろうか。意外なことだが、ドイツ人が大好きな「1対1」に負けていないこと。ロッベンやリベリーにも抜かれない内田なのである。ついで、攻め上がりの頻度も多くクロスが多様で、正確なこと。それなのに守備に穴を空けることもないということ。こういう万能サイドバックがドイツに少ないのかな。

1位:アレクサンダー・マイアー(フランクフルト) 57.27%
2位:内田篤人(シャルケ) 25.07%
3位:ケヴィン・デ・ブライネ(ヴォルフスブルク) 4.94%
4位:アリエン・ロッベン(バイエルン) 2.78%
5位:マヌエル・ノイアー(バイエルン) 2.40%
6位:シャビ・アロンソ(バイエルン) 2.32%
7位:カリム・ベララビ(レヴァークーゼン) 1.31%
8位:フアン・ベルナト(バイエルン) 1.28%
9位:トーマス・ミュラー(バイエルン) 1.26%
10位:ナウド(ヴォルフスブルク) 1.19%
11位:ジェローム・ボアテング(バイエルン) 0.18%

 ここに岡崎がいないのが残念だが、なぜなんだろう。おそらくまー、順位が低いからだろう。

 他方、同じ本日にこんな記事もあった。国際サッカー歴史統計連盟が2014年の世界クラブ・ランキングを発表したが、日本代表・本田圭佑が所属するミランが159位となったというものである。僕はここで、「本田はミランへは行くな」と何回も書き続けてきたが、その内容が証明された形になってしまった。年も年だし、本田は明らかにチーム選択を誤ったと思う。何でなんだろう、未だに疑問である。
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反米保守さんへのお応え(3)  文科系

2015年01月14日 14時15分16秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 はじめに
 貴男の経済論議は、何よりもマクロ経済学的ではなさ過ぎると思います。つまり、29年の世界大恐慌とか、08年の「百年に一度の世界経済危機」(元グリーンスパンFRB議長)とかによって問われている百年などというスパンの長期的・世界的大問題への答えにはなっていないということです。もちろんアベノミクス自身も同じですが。その景気対策が、従来通りの竹中平蔵式規制緩和理論の延長みたいなものですから。
 さて、百年単位のようなスパンで今、「世界が」問われていることは何なのでしょうか。貴男は次のように語りましたが、こんな日本だけの視点で良いはずはないのです。
『 日米独なんかは南米諸国の失業率まで考えて貨幣供給量や金利などを決定すべきなんでしょうか。そんなわけはありませんね。周りの国々が豊かになれば、日本の失業率が改善し、賃金も上がる――なんてことがないのは・・・・』
 また規制緩和理論の元祖を持ち出したようなこんな話もどうしようもありません。
『現在曲がりなりにも調子がよいのはアメリカやイギリスで、それは過去調子が悪かった時期にサッチャーやレーガンが新自由主義に傾いたからよくなった部分もあるので、それを全否定しても仕方がありません』

  格好のマクロ経済的世界分析
 これへの回答として現在の世界で最も相応しいものは、国連スティグリッツ報告でしょう。正式名称はこうです。『国連総会議長諮問に対する国際通貨金融システム改革についての専門家委員会報告──最終版2009年9月21日』。これを読めば、今世界経済にどういう観点が最も必要かがよく分かるのですが、この輪郭については、昨年11月12,14,17日の拙稿もお読み頂くとして、今日は本報告に付されたデスコト国連議長(当時)による序文を抜粋、要約しておきます。
 なお、この報告は日本では全く無視されている感があります。この理由は、報告準備段階から最後まで激しく抵抗したアメリカに、日本が同一歩調を取っているからだとしか思えません。これを翻訳したりすると、日本政府や官僚たちから憎まれる? これへのアメリカの敵意は、以下要約の最後にデスコト議長自身の言葉で紹介されています。この言葉、表現だけを見ても、今の世界の敵対関係の厳しさが分かるという感想を持ったものでした。アメリカのやり方に対する、国連の圧倒的多数国家の不快感ということでしょう。こういうスティグリッツ報告が国連で採択されているのですから。

『2009年6月26日、驚くべきことが起こった。「国際金融経済危機とその開発への影響」についての幅広く意義深い声明を、192ヶ国で構成される国連がコンセンサス方式で採択したのである。分析と勧告は痛みの短期的軽減から深い構造変革まで、危機への対応策から世界金融経済構造の変革まで全域に及んだ。』
『6月の決議は2007年8月以降、大恐慌以来最大の世界経済不況を記録した長きにわたる国内と地域の危機から集積した知的資本を引き出した』
『蓄積された経験は、彼らの今度の仕事は10年単位でなく100年単位で評価されるだろうということを示していた』
『彼らはこの最終報告「結論」に書いてあるように、活気づかせ大胆に考えるように支援してくれた。
「この危機は、経済に何かが起こった、何か、回避は勿論、予見さえできなかったことが起こったというような、単なる『百年に一度の事故』ではない。我々はその逆を考える。危機は人間がつくったものであると。これは民間セクターによる過ちと、誤って適用され失敗した公的政策の結果なのだ(第6章第1項)」』
『我々の世界経済は故障している。ここまではだれもが認めるところである。しかし、では正確に言うと、どこが故障していて修理する必要があるのか、ということになると大論争になってしまうのである』

『これらの危機は、この35年間世界に適用されてきた支配的な経済観によってしっかりと相互に関連づけられ、結びつけられていた』
『この点についての本報告の下記の部分は力強い。「過剰生産力と大量失業が同居する世界の中で、地球温暖化や貧困の撲滅という挑戦に応えて行くことを含めて、未達成の地球的課題が残されている。このような状況は受け入れ難い。(第1章第11項)」』
『本報告の基本的視点は、我々の複合危機は失敗或いは制度の失敗の結果ではなく、制度そのもの(組織と原則、歪められ損なわれた制度の仕組み)がこれら多くの失敗の原因だということにある』
『米国の代表は決議採択後の発言で、「国連は…… 今回の文書で述べられている多くの問題について、意味のある対話の方向を提起したりふさわしい場を提供したりする専門知識もマンデート(権限とか委ねられる力量とかの意味ー文科系)も持っていない、というのが我々の強い意見である」と述べた』
『私はマハトマ・ガンジーの生涯と教えからもインスピレーションを得た。彼は嘗てこう述べている。「最初彼らはあなたを無視する。次いで彼らはあなたをからかう。そして彼らはあなたと戦う。そしてあなたは勝利する。」』
『専門家委員会の報告と6月の決議文書は、我々の国連を通して真実のために戦い続けようという、招待状或いは勧告である』 】

  予告編です
 以下ここで順に、約束させていただいたようにこのスティグリッツ報告の全6章を要約紹介していきたい。ただ、なんせA5版240頁の長文。連日紹介というわけにはいかない事もお断りさせていただきたい。なお、各章のタイトルはこうなっている。
①はじめに 危機:その原因、影響、そして世界的な対応の必要性
      危機への多様な対応
      発展途上国への影響    
②マクロ経済学的問題と視点
③国際的規制の改革により、世界経済の安定性を高める
④国際機関
⑤国際金融の革新
⑥結論
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「戦前」のようだという場合に   文科系

2015年01月11日 10時43分39秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 「今の世界は戦前と似ている」とこのごろよく語られます。その場合の僕流の「戦前」についてを、昨日コメントに書き込んでみました。現在の世界と文字通りの戦前との共通性に目を付けてみたということです。ちょっと書き直しましたが。


①先ず、29年の世界大恐慌のこと。これに関わっては、リーマンショックを明記することだ。FRB議長のグリーンスパンが「100年に一度の危機」と語ったのは、どうでも良い比喩ではない。1929年の世界大恐慌よりも大きいということだろう。日米などは、必死にこの影響を打ち消しているのだが、相変わらず以下のような不況とバブルとが続いている。この面での、29年と08年と二つに共通する諸現象は何か。

②まず、膨大な失業者の群れ。現在も南欧、アフリカ諸国などは30%とかの失業者がいた上に、日米などには20世紀にはいなかった膨大な非正規労働者の群れも大量生産されている。こんな世界を放置しておいて日米、あるいはBRICS諸国だけの繁栄、好景気なんてあり得るわけがない。ケインズ経済学が最重視した有効需要が世界から消えているということなのだから。今では、アベでさえが「賃金上げてくれ」とか、麻生も「内部留保ばかり貯める会社は守銭奴だ」と述べている始末だ。でもこんなこと、ボンボン政治家の声だけに終わる運命だと言いたい。世界のマネーゲームや金融横暴やが規制されないどころか、これによって実体経済が傷つけられるままの世の中であるならば。

③次にこのこと。失業者、非正規労働者の群れによって「世界の一般消費」が下がり、何を作っても売れない事だ。つまり、大変な不景気。ちなみに、日米や、おそらく中国なども、国家資金を投入して株や債権を必死に「値上げ」、支えている。日本などでは、日本生命を抜いて、政府自身が最大の株主になってしまった。国家が実態離れした株価を作り続けている世の中なのである。信用というものがそれほどに実体経済から離れてしまったのだろう。そもそも国家資金投入ということがなければ、今頃世界の銀行があの時以上に潰れて、1929年以上にむちゃくちゃな世界になっていたのである。国家資金によって救われた銀行、社会。これは自由主義などというものではなく社会主義経済というものである。竹中平蔵に言いたい。なにが自由主義か!?
 こうして、官民挙げて必死に景気回復を図ろうとするが、一般消費がこれだけ世界的に死んでしまっては、回復は難しいばかりということだ。世界一斉に労働時間を何割か減らせなどという理論まで出て来ている。それで人がもっと雇われて、ある程度物価が上がった社会の方が、国家に救われた株主だけが儲ける今よりも、どれだけ良いことか。これはまー、今の「世界の正反対」ということなのでもあろう。

④こういう時の政府は何をするか。ヒットラーがなぜ超短期に人気が出たかを調べれば分かることだ。軍隊を増強し、軍事生産に励んだ。そこに国家資金をつぎ込んだ。失業は解消し、大人気が出たが、こういう流れはもう後戻りが出来なくなるから怖いのである。いったんこうなってからは、軍や兵器産業を縮小をしたらたちどころに不景気になるからである。

⑤こうして昔は結局、「遅れて世界経済競争に参入した」日独伊が戦争を始めたわけだ。結果はご存知の通り。今のアメリカがまた、完全にそうなっている。それまでの軍備の「理由」、東欧が崩壊しても軍備拡大が続いたのだ。そして、嘘の理由を作ってイラク戦争まで。
 ここに関連して、アベは武器輸出をおおっぴらに認め始めた。これは怖いと思う。後戻りが出来なくなるから。

 この世界、どうなるのだろう。これでもアベみたいに「この道しかない」って言って良いのか? 今のアベでも、「戦争を起こしたい」とは考えていないと僕は思う。それでも上に見たように、気付いてみたらもう戦争以外に後戻りが出来なくなっているということもありうるのではないか。失業を無くすためなら何をしても良いと、ヒットラーへの期待に似たものも今の日本にも世界にも存在するかに見えるのである。

 以上全てが、第一次大戦後の戦争違法化の流れ以降の(大国が絡んだ)世界の戦争の起こり方だと僕は理解してきた。
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朝鮮日報より    らくせき

2015年01月11日 10時00分14秒 | Weblog
K-POPのシステムに関する本を紹介していました。面白いので紹介します。

人形のようにかわいい少女たちを集める。ほとんどは、歌手よりもスターになりたい子たちだ。金を出す事務所側は、売れっ子の作曲家から受け取った曲に合わせて、少女らを厳しく訓練する。耐えられずに、何人かが逃げ出したり放り出されたりして、その穴を新しい子が埋める。ついに少女たちは「9人の音楽の女神」を意味する「Nine Muses」という名のガールズグループとしてデビューしたが、反応は期待をはるかに下回るものだった。事務所は、彼女たちを各種のフェスティバルや軍部隊の慰問公演に送り込む。疲れ果てた数人がまたもグループを辞め、そこにまた別の子が入ってくる。


 新聞記者にしてドキュメンタリーの監督でもある著者は、1年間マネージャー生活を送りながら、少女たちと、少女たちを取り巻く人々をカメラに収めた。それを基にドキュメンタリーを作り、そこに収め切れなかったエピソードを文章にまとめた。


 細部を通して全体を見通そうという著者は最終的に、K-POPのシステムは「圧縮型の成長をした韓国の経済システムに似ている」と結論付けた。有名になりたいという子どもたちと、その子たちを育てて金を稼ごうとする芸能事務所、そしてK-POPスターの華麗さに慰めを求めようとする人々の欲望が一固まりになってもつれ合い、転がっていくK-POP市場は、結局のところ韓国社会の自画像というわけだ。

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新聞の片隅に載ったニュースから(183)   大西五郎

2015年01月10日 20時09分03秒 | Weblog
村山談話と別表現に 首相新談話で菅氏が認識(15.1.10 中日新聞)

菅義偉官房長官は九日のBS番組で、戦後七十年の節目に合せ、安倍晋三首相が出す首相談話に関して、過去の植民地支配と侵略に痛切な半生と心からのおわびを表明した戦後五十年の村山談話と同じ表現にならないとの考えを示した。
菅氏は番組で、戦後六十年の小泉談話でも引き継がれたおわびの気持や、植民地支配と侵略に対する反省という言葉は残すのかどうかと問われた。これに対し、「同じものをやるなら、新たに談話を出す必要はない。安倍首相は戦後のおわびを含めて、全体として引き継ぐと明言している」と述べた。
新たに盛り込む内容としては「戦後七十年で、日本は世界に例のない平和と自由、経済成長を成し遂げた国で、そうした歩みはアピールすべきだ。これから未来志向で日本の将来をどうするかということも含めた談話になる」と述べた。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

菅官房長官の「(村山談話や小泉談話と)同じものをやるなら、新たに談話を出す必要はない」という表明は重要な内容を含んでいると思います。
安倍首相は「全体として村山談話、(従軍慰安婦問題についての)河野談話を引き継ぐ」と言っています。「二つの談話を引き継ぐ」ではなく、わざわざ「全体として」と付け加えるのはどういう意味でしょうか。「そっくりそのままではありませんよ」と宣言しているように思えます。
安倍首相は「侵略の定義は定まっていない」と国会で答弁しました。つまり中国やアジア諸国への侵略はなかったと言いたいのが本心です。
ところが、新聞の記事でも、テレビのニュースでも、この「全体として」が何を意味するかを、安倍首相や菅官房長官に直接問い質していません。取材をした記者はどう受け取っているのでしょうか。疑問を感じていないのでしょうか。読者、視聴者としてもどかしさを感じています。
菅官房長官の説明からは、戦前・戦中の反省・謝罪よりは安倍首相の言う「積極的平和主義」を前面に押し立てたいようですが、アメリカからは「村山談話や河野談話は日本が近隣諸国との関係改善に努める上で重要な一章だった。歴史に関する懸念を解消するため対話を通じた友好的方法で近隣諸国と協力し続けてほしい」(国務省サキ報道官)と、反省と謝罪を明確にするよう求められています。
新しい談話については有識者会議を設置して検討するといわれますが、どのような有識者を集めるかも問題です。安倍首相は集団的自衛権の行使を検討ために安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会を設置しました。北岡伸一国際大学学長、中西寛京都大学教授、葛西敬之JR東海会長ら安倍人脈といわれる人が委員になりました。集団的自衛権の行使容認の結論が出ることは最初から分かっていました。談話の有識者懇も安倍首相の意に添うような意見の“有識者”が集められるのではないでしょうか。公正な結論が出るのでしょうか。
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反米保守さんへのお応え(2) 天皇の戦争責任も   文科系

2015年01月10日 10時47分12秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 アベノミクス反論の前に、もう一つ標記のこともお応えしておきたい。
 以下の資料によれば太平洋戦争は1941年11月5日の(秘密)御前会議よりずっと前、9月5日にすでに決まっていたのだ。以下のように天皇が重大な決断を下しているからである。9月6日の御前会議で決まった「帝国国策遂行要領」を、前日5日に以下のように原案内定をしていたのである。すると、これから12月8日までは全て、秘密・不意打ち開戦に向かっていかに敵を欺くかということにしかならなかったと言える。
 重ねて、これで戦勝国裁判だとか、「押し付け」憲法だとだけ、「被害」の方ばかりよく語れるもんだと、僕はネトウヨ諸君を見てきたよ。戦前日本って、国際法に無知だったというか、全く無視した暴力だけとか、そんな歴史学者たちの批判もある。まー、対内的にもファシズムだったのだから、理屈をかなぐり捨てた暴力だけということなのだろうが。


【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編 その2)  文科系
         2010年11月22日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

太平洋戦争と天皇

 表記のことについて、右翼の方々はこのブログでもこのように語られてきた。天皇の統治権は形式的なものであって、戦争政策においても実際に何かを決めたというわけではない、と。そのことについてこの本(岩波新書日本近現代史シリーズ10巻のうち、その6「アジア・太平洋戦争」、著者は、吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はどう書いているか。それをまとめてみたい

1 軍事法制上の天皇の位置 「統帥権の独立」

『統帥権とは軍隊に対する指揮・命令の権限のことをいうが、戦前の日本社会では、大日本帝国憲法(明治憲法)第11条の「天皇は陸海軍を統帥す」という規定を根拠に、この統帥権は天皇が直接掌握する独自の大権であり、内閣や議会の関与を許さないものと理解されていた。
 明治憲法上は、立法権、行政権、外交権などの天皇大権は、国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使されることになっており、統帥権だけが国務大臣の輔弼責任外にあるという明文上の規定は存在しない。それにもかかわらず、天皇親率の軍隊という思想の確立にともない、制度面でも統帥権の独立が実現されてゆく。1878(明治11)年の参謀本部の陸軍省からの独立、1893(明治26)年の軍令部の海軍省からの独立、1900(明治33)年の陸海軍省官制の改正などがそれである』
『一方、参謀本部と軍令部(統帥部と総称)は、国防計画・作戦計画や実際の兵力使用に関する事項などを掌握し、そのトップである参謀総長と軍令部総長は、陸海軍の最高司令官である「大元帥」としての天皇をそれぞれ補佐する幕僚長である。この場合の補佐は、国務大臣の輔弼と区別して輔翼とよばれる。国務大臣は、憲法に規定のある輔弼責任者だが、参謀総長・軍令部総長は、憲法に明文の規定がない存在だからである。
 軍事行政と統帥の二つにまたがる「統帥・軍政混成事項」については陸海軍大臣が管掌したが、国務大臣としての陸海軍大臣も統帥事項には関与できないのが原則であり、参謀本部・軍令部は、陸軍省・海軍省から完全に分立していた。以上が統帥権の独立の実態である』

2 「能動的君主」としての天皇
9月6日決定の「帝国国策遂行要領」

『統帥に関しては、「能動的君主」としての性格は、いっそう明確である。天皇は、参謀総長・軍令部総長が上奏する統帥命令を裁可し、天皇自身の判断で作戦計画の変更を求めることも少なくなかった。また、両総長の行う作戦上奏、戦況上奏などを通じて、重要な軍事情報を入手し、全体の戦局を常に把握していた(山田朗『大元帥 昭和天皇』)。通常、統帥権の独立を盾にして、統帥部は首相や国務大臣に対して、重要な軍事情報を開示しない。陸海軍もまたお互いに対して情報を秘匿する傾向があった。こうしたなかにあって、天皇の下には最高度の軍事情報が集中されていたのである』
 そういう天皇であるから、重大な局面ではきちんと決断、命令をしているのである。本書に上げられたその実例は、9月6日御前会議に向けて、その前日に関係者とその原案を話し合った会話の内容である。まず、6日の御前会議ではどんなことが決まったのか。
『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)、そして(中略)、が決められていた』
 さて、この会議の前日に、こういうやりとりがあったと語られていく。

前日9月5日、両総長とのやりとりなど
『よく知られているように、昭和天皇は、御前会議の前日、杉山元参謀総長と水野修身軍令部総長を招致して、対米英戦の勝算について厳しく問い質している。
 また、9月6日の御前会議では、明治天皇の御製(和歌)、「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗読して、過早な開戦決意を戒めている。
 ただし、天皇は断固として開戦に反対していたわけではない。海軍の資料によれば、9月5日の両総長による内奏の際、「若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という永野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(下)』)。
 御上[天皇] よし解つた(御気色和げり)。
 近衛総理 明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
 御上 変更に及ばず。
 永野自身の敗戦直後の回想にも、細部は多少異なるものの、「[永野の説明により]御気色和らぎたり。ここに於いて、永野は「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」を奏聞せしが、御上は「それでは原案の順序でよし」とおおせられたり」とある(新名丈夫編『海軍戦争検討会議議事録』)。ここでいう「原案」とは、翌日の御前会議でそのまま決定された「帝国国策遂行要領」の原案のことだが、その第一項は戦争準備の完整を、第二項は外交交渉による問題の解決を規定していた。永野の回想に従えば、その順番を入れ替えて、外交交渉優先の姿勢を明確にするという提案を天皇自身が退けていることになる』
 こうして前記9月6日の「帝国国策遂行要領」は、決定された。つまり、対米交渉よりも戦争準備完整が優先されるようになったのである。続いて10月18日には、それまで対米交渉決裂を避けようと努力してきた近衛内閣が退陣して東条内閣が成立し、11月5日御前会議での開戦決定ということになっていく。この5日御前会議の決定事項とその意味などは、前回までに論じてきた通りである。】
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