三月中旬の日曜日夕方、娘のマサから彼に、興奮した、早口の電話。
『セイちゃんがねー、体操クラブの連合運動会の跳び箱で一番になった。一四段跳んだんだよ。二年生の新記録だって! 今動画を送ったから、すぐに観ておいてよ!』
二人しかいない彼の孫のうち下の方、セイちゃん男児が通っている名古屋市昭和区スポーツセンターの子ども体操クラブも参加した名古屋東部各区スポーツセンターの体操クラブ連合競技会のことなのだ。あわててすぐに電話を切って、その動画を見た。横向きに置かれたセイちゃんの背よりも三十センチは高そうな跳び箱の向こうからゆっくりと走って来る。悠々とやってきたと見る間にバーンッと鋭い踏切から、そのジャンプと箱を手で突き放す動作とをバッチリと合力させて、いっぱいに広げた脚で箱を跳び越していた。よくあるようにしゃかりきになって走るのではなく、やわらかく脱力しているのに大きく入る力強い踏切だけに注力しているのが、とてもよく分かった。嬉しかった彼は、すぐにマサに感想の電話をかけ直したものだ。
さて、このセイちゃんは、全身筋力があって脚も速いが、スポーツは苦手だと彼は思っていた。硬い身体に力が入り過ぎるせいか、上の女の子のようにちょっと教えるとどんどん先へ進んでいくというような子ではないと。ところがこの時の彼は、すぐに思い出したことがあった。二年生二学期にセイちゃんはこんな作文を書いている。与えられたテーマが「最近できて嬉しかったこと」というもののようで、彼が選んだその対象はこんな題名通り「二年生になってできたあやとび」。最近読んだこれを多少省略して原文のまま書いてみよう。
『ぼくは、二年生二学きになってあやとびができるようになりました。
火曜日に体そう(クラブ)があってその、体そうでなわとびをれんしゅうしました。じいちゃんと来てたので、じいちゃんに、
「どこをどうやってやればいいの」
て言ったら、
「とんでからのばってんをしっかりするといいよ」
て言ってくれました。ぼくは、くせを直すために、れんしゅうしたけれど、どうしても小さいバツにしかなりません。だけど何回もれんしゅうしたら、だんだんわかってきて、一回やっとできました。
一週間がたってまた火曜日に、なって、なわとびをやる時が来ました。あやとびができるか心ぱいだったけれど、おじいちゃんの、言うことをやってみたら、できました。なわとびをやる前は、心ぱいだったけれどもうやると心ぱいがふっとびました。
それで、ぼくはあやとびのバツをしっかりやることを思いだして、あやとびは、さいこう六回できたので、つぎは七回をめざして、とんでみたいです』
こういう繰り返し努力というのは、セイちゃんの大変苦手だったこと。それを知っている彼は、これを読んだ時にはちょっと驚いたものだ。この作文を彼が読んだのはもう三学期の終わりに近いころだったが、「半年前に、こんなに成長していたんだ」と。ただ、彼の方は、この当時に「綾跳びのバツ」を教えていたというのはほとんど忘れていたことである。それを、〈この子は、これだけ大事にして、育んできた!〉と、ちょっと感動した。自分がやっているスポーツの身体のあるこなし方、作り方を「バツ」と表現し続けつつ、その言葉でもって身体技能を導いてきたって、もう立派な小学生中学年段階に入ってきたんだなーと、そんな感動だった。
他人を真似て、あとは試行錯誤を繰り返し、偶然出来るのを待つだけだから複雑なことは無理という幼児の段階から抜け出したのだ。出来ない原因部分を言葉で表現しつつ、その点に集中して己の身体を導いていくという力を持ったのだ。これは九~十歳頃から身につき始め、伸びていくもの。綾跳び成功をもたらしたこういう言葉の力が、あの跳び箱にも生きているに違いないのである。
〈体操クラブの先生が言った言葉のうちの何か、たとえば「高さなんて怖くない。とにかく踏切に力を入れろ」とかを拠り所にしたのかも知れない。伸びる時の子どもって、やっぱり凄いのだ〉。
その時、彼はまたこんなことも思いだしていた。
〈セイちゃんって、保育園時代からおしゃべりが得意だったよなー。「おしゃべり大好きセイちゃんは、語彙も豊富です」って、これ確か卒園文集にも先生が書いてくださっていたことだ〉。
『セイちゃんがねー、体操クラブの連合運動会の跳び箱で一番になった。一四段跳んだんだよ。二年生の新記録だって! 今動画を送ったから、すぐに観ておいてよ!』
二人しかいない彼の孫のうち下の方、セイちゃん男児が通っている名古屋市昭和区スポーツセンターの子ども体操クラブも参加した名古屋東部各区スポーツセンターの体操クラブ連合競技会のことなのだ。あわててすぐに電話を切って、その動画を見た。横向きに置かれたセイちゃんの背よりも三十センチは高そうな跳び箱の向こうからゆっくりと走って来る。悠々とやってきたと見る間にバーンッと鋭い踏切から、そのジャンプと箱を手で突き放す動作とをバッチリと合力させて、いっぱいに広げた脚で箱を跳び越していた。よくあるようにしゃかりきになって走るのではなく、やわらかく脱力しているのに大きく入る力強い踏切だけに注力しているのが、とてもよく分かった。嬉しかった彼は、すぐにマサに感想の電話をかけ直したものだ。
さて、このセイちゃんは、全身筋力があって脚も速いが、スポーツは苦手だと彼は思っていた。硬い身体に力が入り過ぎるせいか、上の女の子のようにちょっと教えるとどんどん先へ進んでいくというような子ではないと。ところがこの時の彼は、すぐに思い出したことがあった。二年生二学期にセイちゃんはこんな作文を書いている。与えられたテーマが「最近できて嬉しかったこと」というもののようで、彼が選んだその対象はこんな題名通り「二年生になってできたあやとび」。最近読んだこれを多少省略して原文のまま書いてみよう。
『ぼくは、二年生二学きになってあやとびができるようになりました。
火曜日に体そう(クラブ)があってその、体そうでなわとびをれんしゅうしました。じいちゃんと来てたので、じいちゃんに、
「どこをどうやってやればいいの」
て言ったら、
「とんでからのばってんをしっかりするといいよ」
て言ってくれました。ぼくは、くせを直すために、れんしゅうしたけれど、どうしても小さいバツにしかなりません。だけど何回もれんしゅうしたら、だんだんわかってきて、一回やっとできました。
一週間がたってまた火曜日に、なって、なわとびをやる時が来ました。あやとびができるか心ぱいだったけれど、おじいちゃんの、言うことをやってみたら、できました。なわとびをやる前は、心ぱいだったけれどもうやると心ぱいがふっとびました。
それで、ぼくはあやとびのバツをしっかりやることを思いだして、あやとびは、さいこう六回できたので、つぎは七回をめざして、とんでみたいです』
こういう繰り返し努力というのは、セイちゃんの大変苦手だったこと。それを知っている彼は、これを読んだ時にはちょっと驚いたものだ。この作文を彼が読んだのはもう三学期の終わりに近いころだったが、「半年前に、こんなに成長していたんだ」と。ただ、彼の方は、この当時に「綾跳びのバツ」を教えていたというのはほとんど忘れていたことである。それを、〈この子は、これだけ大事にして、育んできた!〉と、ちょっと感動した。自分がやっているスポーツの身体のあるこなし方、作り方を「バツ」と表現し続けつつ、その言葉でもって身体技能を導いてきたって、もう立派な小学生中学年段階に入ってきたんだなーと、そんな感動だった。
他人を真似て、あとは試行錯誤を繰り返し、偶然出来るのを待つだけだから複雑なことは無理という幼児の段階から抜け出したのだ。出来ない原因部分を言葉で表現しつつ、その点に集中して己の身体を導いていくという力を持ったのだ。これは九~十歳頃から身につき始め、伸びていくもの。綾跳び成功をもたらしたこういう言葉の力が、あの跳び箱にも生きているに違いないのである。
〈体操クラブの先生が言った言葉のうちの何か、たとえば「高さなんて怖くない。とにかく踏切に力を入れろ」とかを拠り所にしたのかも知れない。伸びる時の子どもって、やっぱり凄いのだ〉。
その時、彼はまたこんなことも思いだしていた。
〈セイちゃんって、保育園時代からおしゃべりが得意だったよなー。「おしゃべり大好きセイちゃんは、語彙も豊富です」って、これ確か卒園文集にも先生が書いてくださっていたことだ〉。