【皇室】:「国民を思い 憲法にのっとり 象徴としての責務果たす」 天皇陛下初のお言葉 即位後朝見の儀
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【皇室】:「国民を思い 憲法にのっとり 象徴としての責務果たす」 天皇陛下初のお言葉 即位後朝見の儀
天皇陛下は一日、皇居・宮殿の正殿「松の間」で、皇位継承儀式の「剣璽(けんじ)等承継の儀」と、国民の代表に会う「即位後朝見(ちょうけん)の儀」に臨まれた。午後からは皇后さまとともに、上皇ご夫妻の住まいの吹上仙洞(せんとう)御所を訪ね、ご夫妻にあいさつ。皇嗣(こうし)秋篠宮ご夫妻ら皇族や宮内庁職員から即位の祝賀も受けた。 (荘加卓嗣)
即位後朝見の儀でお言葉を述べる天皇陛下=1日午前11時14分 |
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陛下は、国事行為として行われた剣璽等承継の儀で、皇位の証しとされる「三種の神器」のうち、剣と勾玉(まがたま)(璽(じ))、国印の国璽(こくじ)と天皇印の御璽(ぎょじ)を受け継いだ。三権の長と閣僚ら二十六人が参列したが、前例に倣って女性皇族は出席せず、皇族の出席は皇位継承資格のある成年の男性皇族に限られた。憲政史上女性として初めて片山さつき地方創生担当相が参列した。剣璽などは陛下のお住まいの赤坂御所に移った。
同じく国事行為として行われた朝見の儀では、陛下は秋篠宮ご夫妻ら皇族や三権の長、閣僚、地方自治体の代表ら約三百人の出席者を前に「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓います」と天皇として初めてのお言葉を述べた。隣で皇后さまが見守った。
宮殿「松の間」で行われた皇族の祝賀には、成年皇族十二人が出席した。秋篠宮ご夫妻が陛下の前に進み出て、秋篠宮さまが「ご即位されましたことを心よりお喜び申し上げます」とあいさつ。陛下は穏やかな表情で「どうもありがとう」と応じた。秋篠宮さまは皇后さまにもあいさつし、皇后さまはにこやかな笑顔で応じた。ご夫妻の長女眞子さま、次女佳子さまらが続いてあいさつした。
◆お言葉全文
日本国憲法および皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば、上皇陛下にはご即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心をご自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯(しんし)に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします。
<天皇陛下>
名前は徳仁(なるひと)。1960年2月23日生まれで、幼少時の称号は浩宮(ひろのみや)。学習院幼稚園から学習院初、中、高等科を経て、学習院大文学部史学科を卒業後、同大大学院に進学。英オックスフォード大にも留学した。89年1月、昭和天皇の逝去に伴い皇太子となり、93年6月に元外交官の雅子さまと結婚した。学習院女子高等科3年の長女愛子さまと3人家族。ライフワークは水問題に関する考察で、2013年と15年、国連本部で開かれた「水と災害に関する特別会合」で講演した。趣味はビオラ演奏と登山。
<皇后雅子さま>
1963年12月9日、後の外務事務次官小和田恒氏と妻優美子さんの長女として生まれた。85年に米ハーバード大を卒業。学士入学した東京大を中退後、87年4月に外務省に入り、日米の経済外交に携わった。86年10月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎会で、天皇陛下と出会い、93年6月に結婚した。2001年12月に長女愛子さまを出産。03年12月から療養生活に入り、宮内庁は04年7月、病名を「適応障害」と公表。現在も療養が続いている。(東京新聞)
元稿:東京新聞社 主要ニュース 社会 【話題・皇室】 2019年05月02日 07:05:00 これは参考資料です。転載等は各自で判断下さい。