《社説①・01.20》:戦後80年 憲法のこれから 国民が議論を取り戻す時
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・01.20》:戦後80年 憲法のこれから 国民が議論を取り戻す時
戦後日本の政治と社会を形づくったのが1947年施行の日本国憲法だ。民主化の旗印となる一方で、連合国軍総司令部(GHQ)の占領下に制定された特殊な経緯もあり、平和主義の象徴である憲法9条を巡る与野党の政治的対立が続いた。
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衆院憲法審査会で本格的な議論が始まり、議事を進行する枝野幸男会長(中央)=国会内で2024年12月19日午前10時4分、平田明浩撮影
昨年の衆院選で自民党が大敗し、改憲勢力は改正の発議に必要な3分の2の議席数を衆院で維持できなかった。改正の動きがやや沈静化したようにみえるいま、議論のあり方を改めて考えたい。
憲法を巡る戦後の議論の特徴は、制定過程を「押しつけられた憲法だ」と批判する立場から、保守勢力を中心とする改憲論が提起され続けたことである。
55年に保守勢力が合同し、自民党が誕生した。初代総裁となる鳩山一郎首相は、結党直後の国会で「わが国を真の独立国家に立ち返らせるためには何よりもまず、憲法を作りかえることが大切だ」と改憲を目標の筆頭に掲げた。
だが、翌56年参院選で改憲派は参院において発議に必要な勢力の確保に至らず、時代は高度成長期に移る。自民党に護憲勢力の野党・旧社会党が対抗する「55年体制」と経済重視路線の下で、改憲は実質的に封印された。
GHQによって現憲法の土台が整えられたことは事実だが、毎日新聞が46年5月に掲載した世論調査は示唆に富む。知識層から抽出して草案について聞いたところ、象徴天皇制に85%が賛成し、戦争放棄条項の制定に7割が賛意を示した。戦禍を経験した国民に憲法の理念は受容されていた。
9条が戦力不保持を定めることと自衛隊の整合性を巡る論争は続いた。だが、戦後50年を控えた94年、それまで自衛隊違憲論を主張していた旧社会党の党首、村山富市首相が「自衛隊合憲」を表明し方針転換した。自衛隊の存在が国民に定着する中で、改正せずとも合憲とする政治的合意が形成されていった結果といえよう。
2012年から8年近く続いた安倍晋三首相(故人)の在任時はひとつの節目だった。
改憲論者である安倍氏は憲法について、「GHQの人たちが、たった8日間でつくりあげた代物だ」と語っていた。改正手続きを定める96条の見直しや安全保障環境の変化を掲げ、改憲に結びつけようとした。
憲法改正を巡り、各種世論調査が示す国民の意識は複雑だ。一般論として是非を問うと、肯定派が若干多い傾向が近年は浮かぶ。
ただし、改憲は優先度の高い課題とみなされていない。毎日新聞による昨秋の世論調査でも石破茂内閣に取り組んでほしい政策(複数回答)に「憲法改正」と答えた人は16%にとどまる。「物価対策」(72%)、「社会保障」(51%)などに比べてかなり低い。
◆古い殻を脱却すべきだ
戦後の保守勢力を中心とする改憲論議は、革新勢力への対抗や結束の維持など、政治目的に主眼が置かれてきた。その結果、国民にとっての必要性や納得感は置き去りにされてきた。「押しつけ」を理由とする改憲論はすでに破綻している。
現在、自民党や改憲派の政党は緊急事態で選挙の実施が困難になった場合に備え、国会議員の任期延長を可能にする改正を優先すべきだと主張している。憲法には参院の緊急集会を定める条項があるため、野党には慎重論も根強い。
改憲の実現を急ぎ、ハードルが低そうな条項から改正を図る発想は「お試し改憲」と呼ばれている。求められるのは、もちろんそんな安直な議論ではない。
社会の変化に応じた国の将来像を構想する必要がある。基本的人権を巡っては、ジェンダー平等やLGBTQなど性的少数者の権利保障のように、多様性の尊重が課題となっている。
戦後に設置された参院の現状はどうか。行政に加え、衆院をチェックする独自性の発揮が期待されたが、衆院との同質化が進んだ。しかも、ひとたび与野党勢力が衆参両院で逆転する「ねじれ」が生じると、政争による政治の混乱を招くリスクも抱える。
「改憲VS護憲」という古い対立構造を引きずる論争から脱却する時だ。国民の手に議論を取り戻す契機としたい。
元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年01月20日 02:03:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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