たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『オン・ユア・フィート』(3)

2019年01月05日 23時50分10秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年12月17日、ミュージカル『オン・ユア・フィート』https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cc4a6f6873af806c09a2ee635fa9a409

2018年12月18日、ミュージカル『オン・ユア・フィート』(2)https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cdd29e1ef0c349caeafde72ac9a801ce

グロリア・エステファン

https://ja.wikipedia.org/wiki/グロリア・エステファン


 『オン・ユア・フィート』思い出し日記。

 ラテンのリズムがノリノリの舞台でしたが物語としてはかなり切なかったと思います。グロリア・エステファンの半生を描いた物語で史実にもとづいているというところに重みがあります。栄光の裏にこんな史実があったのかと驚きました。誰の人生にも葛藤と苦悩がある、そんなところが等身大で共感できる物語でした。結婚に迷ったグロリアがベッドに寝たきりの父の体をさすりながら、言葉を発することのできない父に、答えてくれたらいいのに、心の中の声をきくことができたらいいのに、という内容の歌を歌っているとき、父は天国へと旅立ちました。ベッドに横たわっていたのは父ホセを演じた栗原英雄さんではなく、他の役者さんが後姿だけみせていて、旅立った父ホセが軍服姿でグロリアの前に現れ、グロリアを励ますという演出でした。なかなかに泣けました。

 予備知識なしに観劇したのでグロリアが「有名になんかなりたくなかった」「famous~♪」と歌った後、場面が切り替わり、酸素マスクをつけてベッドに横たわるグロリアの姿が舞台上に現れた時にはどうなってしまうのだろうと固唾をのみました。脊髄を損傷し大手術に成功したあと車椅子から立ち上がろうとリハビリに励むグロリア。舞台復帰が決まったことを夫から告げられると人前に立つことをこわがるグロリアに夫エステファンがファンからの手紙がたくさん届いていることを伝えます。ファンからの手紙が次々と読まれる場面、残念ながらわたし歌はわからなかったのですがゴスペルの衣装に身を包んだ役者さんたちが一人一人手紙を歌い上げていくという演出でなかなかに胸あつでした。歌うまの方ばっかりでぐっとせまってきました。手足の長い朝夏まなとさん演じるグロリアが車椅子に身をゆだねたまま体を震わせている姿がたまらなく愛しく思えました。鮮やかな青いドレスに身を包んだグロリアがアメリカンアワードで歌う姿が素敵でした。手足の長いまあ様が歌い踊る場面がどこを切り取ってもかっこよかったですが、はじめてエステファンの前で曲を披露するときは長い手足を持て余し気味にピアノを弾く姿はお茶目で可愛らしかったです。

(舞台写真は全て東宝公式ツィッターよりお借りしています。)
















母ファハルトを演じた一路真輝さんの舞台を引き締める存在感と華、すごかった。



Wキャストの相葉裕樹さんが休演することとなり、シングルで夫エステファンを演じる渡辺大輔さん。グロリアとすれ違いがうまれながらもどこか楽天的でへこたれない、明るさを失うことなく事故にあったグロリアにあなたのせいだと責めらながらもグロリアを支えていく感じが素敵でした。



 終演後は一路さんのトークショーに、「すごく楽しそうだから」とまあ様が登場。20年の違いがあるとのことで、一路さんの20年上は汀夏子さん、OG公演の舞台で会った汀夏子さんに、「あんた歌うまいなあ」って声かけられたと話す一路さんの姿はきびしい表情の舞台から一転、素はお茶目ないっちゃんに。チャーミングでした。まあ様が披露した天然ボケのエピソード。舞台でエステファンがカセットテープに録音した曲を流す場面、稽古場で音源が流れた時自身の携帯の着信音が鳴ってしまったと勘違いした一路さんがすごい勢いで携帯を捜し始めたとか。まあ様「自分の携帯の着信音、知らないんですか?」いっちゃん「娘が時々勝手に携帯をいじって着信音を変えるので知らない間にまた変わっていたのかと焦った」みたいなやりとり。エピローグのノリノリの場面、いっちゃん「わたしはみえないように隅の方で歌っています」まあ様「いやいや、稽古場ではウィンク飛ばしてくれたじゃないですか」みたいなやりとりもあったかな。どこまでも太陽のような笑顔のまあ様と、自身のファンの年齢層を心配してペンライトの振り大丈夫でしたかと気づかってくれるお茶目ないっちゃん。楽しいトークタイムでした。最後は一路さんと客席で写真撮影。

 こうして田舎に引っ込んでしまうと日比谷が遠い。2月にラブネバ観劇にいきます。ベルばらOGコンサート、一番高い席ならまだ少しあるみたい、どうしようかな・・・。

できることから少しずつ・・・

2019年01月05日 17時25分55秒 | 祈り
 極寒の1月、郷里をもどってからはじめて髪を切りました。2カ月ぶりぐらい。ネットから予約したお店はまずまず正解だったようです。ようやくまた一歩前進。慣れていくのに時間はかかります。少しずつ、できることから少しずつ。せっかく繁華街に出たのでド〇ールでひといきつきながら色々と頭の中を整理・・・。

 お見苦しいかぎりですが、成仏しきれないでいる過去の自分をまたここに綴ってみようと思います。ここに綴ることで想いは成仏し、次の一歩へと・・・。


「2005年1月21日(金)晴

金曜日の夜、今週はわりと仕事が楽だと思っていたがやっぱりつらい。
会社に心理的にまきこまれて、ストレスを抱えながらの(カウンセリングスクールの)授業。私の回りはストレスの要因だらけだ。
自分がやっていることの意味がわからず、他では役に立たないことの連続なのだと思い知る時の、ことばにしようのない虚しさ。
それでも、自分を食わせるために働かなければならない。
本格的に専門学校へ行きたいと思った時の仕事と勉強の両立。たえず不安にさらされ、心を揺さぶられながら自分の動向を見極めていかなければならないことの難しさ・・・。
生きていくってすごい大変なことだ。
誰もが一人の人として自分の足で幸福に向かって歩いていけるような、何かしらの社会的なことが私にできないだろうか。
自分がこんなに不安定なのに、できるのかどうかわからないけれど・・・。

今頭の中にはいろんなものがつまっていて、うみそうだ。
うつ病の話をききながら妹を思い、精神病ということばをききながら母を思う。母が入院していた精神病棟の横を車で通った時の、自分の淋しさを思う。
身体が疲れるように、心だって疲れ、病気になる。
病気にならない人はいない。
心の病気は、赤の他人だからこそ治療できる。
私も誰かの援助者にならなければ、自分が燃え尽きてしまうかもしれない。今の会社でストレスに耐えることにエネルギーを消耗して、神経をすり減らし続けたところでこれ以上何の意味もない。
今やっていることの先には何もないのだから、もうがんばろうという気はない。
まだまだ霧の中だね、自分。
今日はもうがんばらなくていいよ。
一週間お疲れ様でした。

                       22時28分、PURE CAFEにて。」


 金曜日の夜、疲れ果てた心身を引きずってカウンセリングスクールを受講したあと、近くのカフェでしたためた日記。こんな想いをしながら勉強を続けて、結果的に合格することができた精神保健福祉士の国家資格。それから10年ほどを経て、回りまわって縁があり、結果的に経験の入口に立つことができた援助職。現実のすさまじさに圧倒されてしまい、どうしてもまたやりたいのかとたずねられると自分でもわからず、ハロワの人に勧められた自己PR文をまだ作成することができていません。さりとてもう会社で働く自分に戻ることはできません。会社に傷つけられすぎました。やっと会社ということばをきいてもぞっとしなくなりました。こうなるまでにはハードな仕事をすることによって過去を忘れる時間が必要でした。おかげさまで歯はぼろぼろになり、膿がひどくって大変なことになっていますが、立ち直るためにはハードな仕事が必要でした。ほんのわずかですが対象者から生きるエネルギーをもらったこともあるんですよね。この方々のためにほんの少しでも自分にできることをさがして手を差し延べたい。なにもできないけど限られた中で何ができるのかを一生懸命に考えたいと思えた出会い。もしかしたら自分が去ったあとすでにこの世から旅立たれている可能性もあります。余命宣告は過ぎているのでもう無理だったかもしれません。限りある命の時間を一日でも長く生き延びていただきたい。そう心の底から願った出会いもありました。一日一日を生きる姿を応援していました。そういうことを自己PR文に書けばいいのか・・・。

 仕事内容の前に、まずはせめて自転車に乗れるようにならなければ社会復帰できないという強迫観念にかられているこの頃。ネットで大人のための自転車教室はないものかと調べてみましたが残念ながらこのような田舎にはありません。これもまたネットで調べてみると、練習の手順として、自転車にまたがったら次は両足をついたままスピードを出してバランスをとる練習をした方がいいとありました。ある程度スピードが出せないとバランスを崩す、ペダルを踏むのはその次と。そりゃそうですね。今日は帰ったらスピードを出す練習をしようと思います。自分を信じて少しずつ、少しずつ・・・。

 帰りも一時間に一本のバスを逃してしまうと足を痛めながら徒歩30分。遅れたらもうあとがないという状況に慣れていくのはしんどい。なんとかせめて自転車・・・。

 つまらないひとり言、お読みくださり、ありがとうございました。