たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_子ども時代という「ユートピア」を去る

2019年01月15日 22時51分03秒 | 本あれこれ
「先日、映画監督の宮崎駿さんにお会いしました。宮崎さんによると、「五歳くらいの子どもが、人生の最高の地点にある」そうです。さらにこんなお話を伺いました。あるとき、知り合いのお子さんがスタジオジブリを訪ねてきて、帰るときに宮崎さんが車で駅まで 送っていかれたそうです。その車にはサンルーフがついていて、宮崎さんは、これを開けたらこの子はすごく喜ぶだろうなぁと思った。

 ところがちょうどその時雨が降ってきて、当然今開けたら雨でシートが濡れてしまうと、そういうことを考えて結局開けなかった。ところが宮崎さんは、そのことをその後ずっと後悔されたそうなのです。なぜなら、次にその子が来たときにまた開けてあげればいいと思っても、その子はもう二度と同じ「子ども」としては来てくれない。子どもはどんどん成長して変わっていってしまうから、まさにその瞬間を選んでサンルーフを開けなかったら、もう次に同じ機会なんてこない。子どもの黄金の時間というのはそれくらい一瞬にして過ぎ去ってしまうものだと。とても印象的なお話でした。しかし、そうはいってもやはり、日常的な感覚からすると、雨が降っている時にサンルーフを開けるというのは明らかに分別に反している。常識的な「大人」ならば、周囲の状況を判断して、するべきこととすべきではないことの区別を、どうしてもつけてしまうものです。つまりここには、自由な「子ども」の発想と、「大人」の分別・常識との緊張関係という問題が横たわつています。そしてこの緊張関係は、『赤毛のアン』の物語の中にも非常にうまく描かれている。

 子どもはいろいろな意味で、とても強烈な存在です。自分の子ども時代を思い出すとわかりますが、もうとにかく親のいうことは聞かないし、大人とは全く違う論理を持って行動している存在です。見るもの、聞くものすべてが彼らにとっては初めてのことばかりで、いつでも興奮状態。常にハイテンションで一 生懸命。強烈な新しい人間「ニューマン」としてこの世に出てきました。そうして彼らは、皆輝いています。一瞬一瞬がきらめいているのです。

 しかしいつの日か、その輝ける「ユートピア」を去らねばならない時がやってきます。成長して、次第にこの世の中に慣れてきた彼らは「大人」に近づくにつれて、社会の成り立ちや約束事を理解するようになる。知の林檎をえた彼らは、子ども時代という「ユートピア」を去り、大人の社会や規則の中で生活するようになるのです。『アンの夢の家』にこんなエピソードがあります。ギルバートと結婚したアンは、海辺の新居で暮らし始めます。子ども時代を暮らしたアボンリーの村を去り、誰も知る人のない新しいコミュニ ティで生活を始めました。そんなある日、アンは夕暮れ時の海辺にひとり降りていきます。嵐が去っ た後の海には、静寂と安らぎが満ちており、アンは岩と海と空だけに囲まれています。」


(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』より)

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社