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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

浪漫活劇『るろうに剣心』_楽しかったでござる(5)

2019年01月12日 22時49分17秒 | ミュージカル・舞台・映画
 11月6日(火)、『るろうに剣心』二度目の観劇でした。帰郷前に観劇した最後の舞台。もう一回観たくなったらチケットと休みさえあれば気軽に観劇することはもうできなくなるのだと思うとさみしい気持ちもあり、大切な時間でした。3階席は手すりでみづらく、2階席ロビーで休憩していたとき補助席もあるのかあ、チケット代をケチらず2階席にすればよかったかなあとも思いましたが四乃森蒼紫が下りる準備をしているところをばっちりみることができたからいいかな。東宝エリザのキャスト発表。三浦涼介さんルドルフですっかりイケコファミリーの一人になった感、植原拓也さんエルマーとはすごい。なかなかに楽しみな舞台ですが主役のシシィのキャスティングに対しては気持ち複雑すぎることは、2016年『エリザベート』の投稿で書いたとおり。ヅカも東宝さんも利潤追求の企業体と思えば仕方ないのかなあとも思い正うけどね。まあ夢のない話はやめにしてもう少しだけゆっくりと思い出し日記。


 雪組『るろうに剣心』の舞台ダイジェスト動画をみると早霧せいなさんの歌唱が格段にあがっているとあらためてわかりました。声量が豊かだし、何か大きなものから解放されたような自由度がある剣心。原作読んだことありませんが、中性的なバランスが原作の剣心とかぎりなく近いのだろうなと思います。




断片的な思い出し。

一幕、人気の牛鍋店「赤べこ」の場面、赤べこで働く関原妙の五條まりなさんと三条燕の田村芽実さんによる赤べこの歌とダンスも楽しいものでした。「赤べこ」で酒を酌み交わした早霧せいなさん演じるゆるゆるの剣心と植原拓也さん演じるすっかり酔っぱらった相楽左之助が肩を組んで店を出る場面、もうそれぐらいにしておくでござるみたいに左之助にいう剣心の可愛さ絶妙。左之助の朴訥な感じもよかったです。

五條まりなさんと田村芽実さんが二幕の阿片の間では阿片を吸わされると可愛く色っぽくなっているところも何気に見どころでした。

一幕で登場した阿片中毒者の男女、アンサンブルさんのどなたが演じていたのかわかっていないのですが体の震わせ方がリアリティありました。

一幕では瓦版売り、二幕ではセバスチャンの遠山裕介さん、ほんとにいい声でした。さすがシカネーダー、笑いの間も絶妙。これからも舞台で拝見するのが楽しみ。カトリーヌは一幕では朱音太夫を演じた彩花まりさん、ドレス姿はさすが元ジェンヌさんだと思いました。

山県有明は宮川浩さん、こうした重鎮の役を演じられていることに歳月を感じました。すっかり貫禄。

プチ・ガルニエで振る舞われたお菓子や洋食がほんとに美味しいにみえて細かいところまでこだわりのある舞台でした。

四乃森蒼紫が御庭番衆に「散れっ!」っていう声色、素敵でした。



二幕のプチ・ガルニエ、”蜘蛛の巣”をさがしまわる斎藤一が「ああ、こっちかあ」っていう声色も素敵でした。



「ガトー・ガトー・ガトー」で舞台をもっていった武田観柳、メガネのかけ方とか声色に明治成金のいやらし存分でした。すごく歌がうまかったし、ガトー砲から引き離されようしたきの引きずられ具合も最高。



剣心が頬に十字傷ができた人斬り抜刀歳の過去を回想する場面、思い出すと胸あつ。



 映像化を希望する声、ツイッターでずいぶんみかけましたが映像化はされないのかな。公式ツィッターのツィートも終わりました。ちょっとさみしい。心に刻み込み大切に引き出しにしまっておきます。この世を旅立つときのお土産がまたひとつできました。楽しい舞台をありがとうございました。画像をもう少し整理できるといいかな。観劇日記はひとまずこれでおしまい。備忘録、自分でも読み返して思い出します。

 楽しい思い出振り返り、息抜き投稿でした。


カウンセリングスクールのつぶやきメモより(10)

2019年01月12日 15時51分26秒 | 祈り
「2004年10月8日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。


(精神分析の)防衛機制の話はわかりやすくて面白かったです。
自分が今会社で働いていることは、社会的な勉強になっている、と一生懸命思うようにしていることは、心のバランスを保つための合理化なのですね。」


 今日も車にひかれそうになりながら、外でパソコンを立ち上げるため自転車に乗って病院へ。お昼を食べたあとまたド〇ール。家から通勤できませんが興味をもった求人に応募するべく書類作成。仮想の事例検討課題に対する作文と志望動機を記載する申込書のドラフトを作成。一番要となるところで頭を使いました。ネットで検索した資料などを読みながら考えこんでしまうとつらくなってきました。私にはこんなもんしか書けないよ、っていうところで適当にやめてあとはハロワでアドバイスをもらうことにします。そのためにはまたコンビニでプリントアウト。ひとつひとつ手間はかかります。やれることからやっていくしかないという気持ち。わたしが家でごはんを食べると、それだけお米の減りが早いし、電気代などもかかってきます。今のところ仕事が決まってからでいいと弟は言いますが、わたしのなかにだんだんとうしろめたいような気持ちと社会から孤立している感が生れてきています。自分がさぼり人間のような気持ちも生まれてきています。転院した先のドクターに、真面目な人ほどそういう気持ちになると言われました。ちっそくしそうな部屋で孤立していたときよりはいいですが、日中の居場所としての仕事はやっぱり必要なんだなあとしみじみ。また社会復帰できるのだろうかと不安の波が押し寄せてはひいていくこの頃。総合病院にくると、二か月前までは自分もこういう場所に何度も来ざるを得なかったし、わけわかんないまま医療関係者ともやりとりしていたのに、とか思ってしまいます。またやれるはずですけどね、そのためにはまず書類を提出するというハードル、その次に面接というさらに高いハードルを超えなければなりません。ここ3年の間何度も超えてきたハードル。そこに家へ帰ってきたら7時台一時間に一本のバスで通える所、乗り遅れたらあとはないという第一関門が加わりました。どうすればいいのか、本当に社会へ戻れるのか、不安。

 昨日は燃えるゴミの日でした。妹の遺品を整理していて一度はゴミ袋に入れたキャンディキャンディの小銭入れ。結局捨てきることができずにゴミ袋から取り出して、眼鏡と共に遺影の前にお供え。妹の体温が沁みついている小物たち、可哀想過ぎてお別れできません。一緒に旅立つことはできないので、場所をとるものではないし、わたしがこの世での旅を終える間際までもっていることにしますか。

 家にいるとふとよぎってしまう気持ち。父親が仕事を辞めさせなければ、ごたごたしたけれど社会とのつながりを断ち切ってしまわなければ、日中の居場所がそのままあれば、もしかしたら妹は今も生きていたのではないか。働く場所があるということは、日中の居場所があるということでその場所からモノ扱い同然に絶たれた辛さをなめつくした自分だから思ってしまうこと。父も母もこの世からいなくなった今そんなことを思ったところでなにがどうなるというものでもありません。成仏しきれていないわたしの想い。

 モバイルパソコンのバッテリーの持ちが悪くなってきた気配。充電にも時間がかかるようになりました。そろそろ寿命かな。書類のドラフト作成が終わったところで、家では書きたくない想いを走り書き。成仏しきれない想いのつぶやき日記でした。