イヤホンガイド5の絵のお話、公式カタログからの引用です。ご興味があれば・・・。
「エマニュエル・デ・ウィッテ(アルクマール1617-1692年頃アムステルダム)
《デルフト新教会の内部》1655年頃、ウィンタートゥーア、ヤコブ・ブリナー財団美術館所蔵
本作品には年記がないが、おそらくデルフトの教会室内画を試みたデ・ウィッテの初期作品の1つである。見えているのは、デルフトの新教会の北側回廊から眺めたウィレム沈黙公の廟墓である。あたかも実景の描写のようだが、絵の周辺部には、装飾の施された三角小間とロッド(カーテンレール)が取り付けられるなど、トロンプ.ルイユ(だまし絵)による部分が描かれている。ちなみにロッドの右側からは、緑色のベルベッドのカーテンが下がる。大勢の見物人たちは、女性と2匹の犬を伴う赤いマントの優雅な紳士の一家をはじめとして、皆、手前のすぐ前景に集まり、その他の人々は廟墓の周囲に押し寄せている。照明は、明るく照らされた通路、長い影など、実に劇的である。空間の醸し出す雰囲気もとりわけ表情豊かにとらえられている。
本作品がデ・ウィッテ作品であることには疑いが持たれてきた。一方、近年では、マンケによって最初に示されたように、デ・ウィッテ作品であると一般に受け入れられ始めている。絵の具表面が剥離し、状態の悪かった本作品も、修復が施され、元々の署名の痕跡が明らかになって、作者の特定に関して正当性が立証されたのである。
デ・ウィッテは、(ほとんど同じ情景を描いたマウリッツハイス王立美術館所蔵の1651年の年記が入ったハウクヘーストの《デルフトの新教会とウィレム沈黙公の廟墓》と比較すると)、独特の手法で仕上げられたハウクヘーストの情景が現実の建築にかなり忠実であるのに対して、デ・ウィッテが、自由度の高い取り組みをしていることが判明する。たとえば、表現性を高めようと、情景のいくつかの要素、なかんずく廟墓とその見物人を目立たせたりしている。そのために、建築物を巧みに操作もしている。たとえば、デ・ウィッテは、カーテンの右後ろにあるはずの(ハウスクヘーストの作品には見受けられる)手前の柱を削除しただけではなく、左側の2本の柱を互いに近接させた。その結果、この角度からこれらの柱越しに眺めたときより、はるかに廟墓が見やすくなった。デ・ウィッテはこのように、風俗画の熟練した技法、人物の効果的な空間配置など、おのれに備わったものを余すところなく用いた。
デ・ウィッテは、建築物に加えた修正をそれらしく魅力的に見せようと、光と影を劇的に楽しく演出した。
デ・ウィッテは、オタワやロサンジェルスのカーター・コレクションにある初期デルフト時代の作品で、見事なまでの錯視的かつ表現的な効果を狙って、カーテンを用い続けていくことになる。というのも、この仕掛けを用いている絵画は5点しかないが、それらはすべて初期デルフト時代に描かれているからである。」
「エマニュエル・デ・ウィッテ(アルクマール1617-1692年頃アムステルダム)
《デルフト新教会の内部》1655年頃、ウィンタートゥーア、ヤコブ・ブリナー財団美術館所蔵
本作品には年記がないが、おそらくデルフトの教会室内画を試みたデ・ウィッテの初期作品の1つである。見えているのは、デルフトの新教会の北側回廊から眺めたウィレム沈黙公の廟墓である。あたかも実景の描写のようだが、絵の周辺部には、装飾の施された三角小間とロッド(カーテンレール)が取り付けられるなど、トロンプ.ルイユ(だまし絵)による部分が描かれている。ちなみにロッドの右側からは、緑色のベルベッドのカーテンが下がる。大勢の見物人たちは、女性と2匹の犬を伴う赤いマントの優雅な紳士の一家をはじめとして、皆、手前のすぐ前景に集まり、その他の人々は廟墓の周囲に押し寄せている。照明は、明るく照らされた通路、長い影など、実に劇的である。空間の醸し出す雰囲気もとりわけ表情豊かにとらえられている。
本作品がデ・ウィッテ作品であることには疑いが持たれてきた。一方、近年では、マンケによって最初に示されたように、デ・ウィッテ作品であると一般に受け入れられ始めている。絵の具表面が剥離し、状態の悪かった本作品も、修復が施され、元々の署名の痕跡が明らかになって、作者の特定に関して正当性が立証されたのである。
デ・ウィッテは、(ほとんど同じ情景を描いたマウリッツハイス王立美術館所蔵の1651年の年記が入ったハウクヘーストの《デルフトの新教会とウィレム沈黙公の廟墓》と比較すると)、独特の手法で仕上げられたハウクヘーストの情景が現実の建築にかなり忠実であるのに対して、デ・ウィッテが、自由度の高い取り組みをしていることが判明する。たとえば、表現性を高めようと、情景のいくつかの要素、なかんずく廟墓とその見物人を目立たせたりしている。そのために、建築物を巧みに操作もしている。たとえば、デ・ウィッテは、カーテンの右後ろにあるはずの(ハウスクヘーストの作品には見受けられる)手前の柱を削除しただけではなく、左側の2本の柱を互いに近接させた。その結果、この角度からこれらの柱越しに眺めたときより、はるかに廟墓が見やすくなった。デ・ウィッテはこのように、風俗画の熟練した技法、人物の効果的な空間配置など、おのれに備わったものを余すところなく用いた。
デ・ウィッテは、建築物に加えた修正をそれらしく魅力的に見せようと、光と影を劇的に楽しく演出した。
デ・ウィッテは、オタワやロサンジェルスのカーター・コレクションにある初期デルフト時代の作品で、見事なまでの錯視的かつ表現的な効果を狙って、カーテンを用い続けていくことになる。というのも、この仕掛けを用いている絵画は5点しかないが、それらはすべて初期デルフト時代に描かれているからである。」