たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たちより_デルフト新教会の内部

2019年01月26日 22時41分31秒 | 美術館めぐり
イヤホンガイド5の絵のお話、公式カタログからの引用です。ご興味があれば・・・。


「エマニュエル・デ・ウィッテ(アルクマール1617-1692年頃アムステルダム)

《デルフト新教会の内部》1655年頃、ウィンタートゥーア、ヤコブ・ブリナー財団美術館所蔵

 本作品には年記がないが、おそらくデルフトの教会室内画を試みたデ・ウィッテの初期作品の1つである。見えているのは、デルフトの新教会の北側回廊から眺めたウィレム沈黙公の廟墓である。あたかも実景の描写のようだが、絵の周辺部には、装飾の施された三角小間とロッド(カーテンレール)が取り付けられるなど、トロンプ.ルイユ(だまし絵)による部分が描かれている。ちなみにロッドの右側からは、緑色のベルベッドのカーテンが下がる。大勢の見物人たちは、女性と2匹の犬を伴う赤いマントの優雅な紳士の一家をはじめとして、皆、手前のすぐ前景に集まり、その他の人々は廟墓の周囲に押し寄せている。照明は、明るく照らされた通路、長い影など、実に劇的である。空間の醸し出す雰囲気もとりわけ表情豊かにとらえられている。

 本作品がデ・ウィッテ作品であることには疑いが持たれてきた。一方、近年では、マンケによって最初に示されたように、デ・ウィッテ作品であると一般に受け入れられ始めている。絵の具表面が剥離し、状態の悪かった本作品も、修復が施され、元々の署名の痕跡が明らかになって、作者の特定に関して正当性が立証されたのである。

 デ・ウィッテは、(ほとんど同じ情景を描いたマウリッツハイス王立美術館所蔵の1651年の年記が入ったハウクヘーストの《デルフトの新教会とウィレム沈黙公の廟墓》と比較すると)、独特の手法で仕上げられたハウクヘーストの情景が現実の建築にかなり忠実であるのに対して、デ・ウィッテが、自由度の高い取り組みをしていることが判明する。たとえば、表現性を高めようと、情景のいくつかの要素、なかんずく廟墓とその見物人を目立たせたりしている。そのために、建築物を巧みに操作もしている。たとえば、デ・ウィッテは、カーテンの右後ろにあるはずの(ハウスクヘーストの作品には見受けられる)手前の柱を削除しただけではなく、左側の2本の柱を互いに近接させた。その結果、この角度からこれらの柱越しに眺めたときより、はるかに廟墓が見やすくなった。デ・ウィッテはこのように、風俗画の熟練した技法、人物の効果的な空間配置など、おのれに備わったものを余すところなく用いた。

デ・ウィッテは、建築物に加えた修正をそれらしく魅力的に見せようと、光と影を劇的に楽しく演出した。

デ・ウィッテは、オタワやロサンジェルスのカーター・コレクションにある初期デルフト時代の作品で、見事なまでの錯視的かつ表現的な効果を狙って、カーテンを用い続けていくことになる。というのも、この仕掛けを用いている絵画は5点しかないが、それらはすべて初期デルフト時代に描かれているからである。」


カウンセリングスクールのつぶやきメモより(11)

2019年01月26日 15時56分57秒 | 祈り
「2004年10月15日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

「自分に自信がもてない、自己嫌悪が強い」 
自分からこんなことを連想しました。それはつらいけれど、生きる力になっているのかな、
と先生におっしゃっていただいて嬉しかったです。神経症になりながらも、毎日葛藤しながらも日常生活をちゃんと営むことができている。
自分をほめてあげよう。
沈みこむことも、悩むこともとても大切な自分の力なのだ。」

 一昨日かかりつけ医として、転院した病院を受診。優しい女医さん。たぶんわたしが子供の頃風邪をひくとつれていかれたおばあちゃんDr.のお孫さん。町医者がいつの間にか大きな病院になりました。ハロワの求人に応募していること、今のところはここでなんとかやっていこうと慣れるのに必死になっていることを話しました。「後ろにさがってはいないですね、前に進んでいますね、なんとかなっていきもんですよね」って言われました。たしかにかかと一つ分でも前に進んでいるわけで後ろに下がってはいないはず。

 一週間前に内容を一読しただけで気力が失せてしまった求人の応募書類、もう少しのところで記入漏れをしてしまいました。せっかくカフェで書き始めたのに、これからまたコンビニでプリントアウトして書き直し。このご時世ですが全て手書き。デジタルだったらずっと楽なのにと思いながら手書き。全部そろったところでまたコンビニでプリントアウトコピーをとったらやっと郵便局から配達記録で発送。一回一回エネルギーが削がれる感。次の居場所を見つけるためには乗り越えていくしかありません。追い詰められている感が堪えがたいので大劇場遠征前にすませたい。だからこのあとがんばってコンビニに行きイートイン利用するつもり。見つかったところで毎朝一時間に一本の巡回バスを逃したら全てが終わるというプレッシャーとのたたかい。帰りのバスは6時台が最終なので寄り道して気分転換に食事できるだけの時間的な余裕もありません。考え始めたら不安しかありません。それでもやるしかないです。

 熊本でまた地震が起こったとの速報。3.11のあと阪神淡路大震災クラスの余震が続く中で原発はどうなるのだろうと極度の恐怖と不安の中でどうにかなりそうになりながら仕事をしていた日々を忘れることはありません。ばかな大会社、尋常ではないストレスがかかっているときに4月1日付人事異動とお得意の無意味な組織変え。振り回されました。なんてばかな会社なんだろうと、がんばってしまっている自分が心の底から哀しくなりました。もう少し意味のある仕事をやれる人になったのだからめげるなよ、自分。

 雪がチラつく中を、今日も車に轢かれそうになりながら自転車で外出。家のすぐ近くの車があっちからもこっちからもびゅんとくる所。視界が遮られているのでちょっとでも気持ちが油断しているとほんとに危ない。一日一日生き延びられていることに感謝。一日一日無事に生き延びていけますように。