「「 歌ったり、踊ったりしよう」アンはいった。「だれも見ていないから-カモメは告げ回はしないもの。好きなことを思いっきりやるわ」アンはスカートをつまんで、爪先立ちでくるくるまわりつづけた。堅い砂の上を踊りまわっていくうちに、白い泡になって砕ける波に、足首がつかまりそうになった。くるくるまわって、子どものように笑って、入り江の 東側につきだしている岩場まで来た。が、突然、そこで足が止まって、真っ赤になった。アンはひとりきりではなかった。踊ったり笑ったりしているのを見ている人がいたのだ。( 中略)
「 わた……わたしのこと、気でも狂っ たのではないかとお思いでしょうね」アンはつかえながらいって、なんとか落ちつきをとりもどそうとした。こんな子どもっぽいまねをしているところを、この落ちつきはらった娘に見られてしまった なんて -主婦としての威厳を保っていなくてはならないアンが、ブライス医師夫人が-なんと間が悪かっ たのだろう!
アンはもう子どもではありません。常識ある「大人」として自分が振る舞うべき行動はどのようなものなのかを、彼女はすでに理解しています。子ども時代と同じように、自由奔放に歌ったり踊ったりすることは、きちんとした「大人」としては許されないことだということを、彼女はすでに知っているのです。またもうひとつ、彼女には配慮しなくてはならないこともあったはずです。つまり、ギルバートは医者ですよね。やはり一種、社会的に立派と見なされる職業に就いている人間です。アンはその夫人であり、「ブライスの奥さん」として周囲に認知されている。そういう女性が振る舞うべき行動の規範というものが、世間にはある。さらにもう一歩踏み込んでみると、彼女にはバックグラウンドの問題もありまし た。すなわち、彼女がもともとは孤児院出身だということ。この問題も、やはり隠蔽した方がいいことになっているのではないでしょうか。いわゆる「社会」というところは、このようなことすら気にするようなところだからです。だからこそアンは、バランスということにとても気を遺ってい たはずです。自分が持っていた「子ども」時代の自由奔放な輝きと、社会が容認する「大人」として取るべき行動とのバランスに。
だから逆に言うと、全体としてこの物語を批評的に読むこともできるかもしれません。いわゆる立派な「社会」というか、そういうものの空虚さ。つまらなさを感じ取る。そういう側面でみると、また違った物語が見えてくるのかもしれません。」
(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』より)
「 わた……わたしのこと、気でも狂っ たのではないかとお思いでしょうね」アンはつかえながらいって、なんとか落ちつきをとりもどそうとした。こんな子どもっぽいまねをしているところを、この落ちつきはらった娘に見られてしまった なんて -主婦としての威厳を保っていなくてはならないアンが、ブライス医師夫人が-なんと間が悪かっ たのだろう!
アンはもう子どもではありません。常識ある「大人」として自分が振る舞うべき行動はどのようなものなのかを、彼女はすでに理解しています。子ども時代と同じように、自由奔放に歌ったり踊ったりすることは、きちんとした「大人」としては許されないことだということを、彼女はすでに知っているのです。またもうひとつ、彼女には配慮しなくてはならないこともあったはずです。つまり、ギルバートは医者ですよね。やはり一種、社会的に立派と見なされる職業に就いている人間です。アンはその夫人であり、「ブライスの奥さん」として周囲に認知されている。そういう女性が振る舞うべき行動の規範というものが、世間にはある。さらにもう一歩踏み込んでみると、彼女にはバックグラウンドの問題もありまし た。すなわち、彼女がもともとは孤児院出身だということ。この問題も、やはり隠蔽した方がいいことになっているのではないでしょうか。いわゆる「社会」というところは、このようなことすら気にするようなところだからです。だからこそアンは、バランスということにとても気を遺ってい たはずです。自分が持っていた「子ども」時代の自由奔放な輝きと、社会が容認する「大人」として取るべき行動とのバランスに。
だから逆に言うと、全体としてこの物語を批評的に読むこともできるかもしれません。いわゆる立派な「社会」というか、そういうものの空虚さ。つまらなさを感じ取る。そういう側面でみると、また違った物語が見えてくるのかもしれません。」
(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』より)
![]() | 「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫) |
茂木 健一郎 | |
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