たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

宙組博多座『黒い瞳』『VIVA!FESTA!』_ライブビューイング(4)

2019年03月05日 22時43分47秒 | 宝塚
蘭乃はなちゃんが一か月ぶりにブログ更新、元気そうで安心しました。

同期の真風涼帆さんの人柄がわかる音楽学校時代のエピソードを書いてくれています。こういう方が演じたニコライをライブビューイングだけど観劇してよかったなあとあったかい気持ちになれました。
真風さんを筆頭に一人一人がとっても素敵な公演でした。誰一人欠けていても成立しなかった世界観。


蘭ちゃんのブログの宝塚観劇ブログは、いつもがんばっている同期、上級生、下級生への温かい眼差しと宝塚愛に満ちていて、こういうブログを書ける蘭ちゃんを好きになる方がまた増えるかなあと思います。
リンクの貼り方がわかっていませんがこちらのアドレスから読んでいただきたいです。



https://lineblog.me/ranno_hana/archives/1591844.html


三度目の更新、失礼しました。

大草原の小さな家への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_芝土の家

2019年03月05日 19時41分42秒 | 「大草原の小さな家」への旅
思いつめ過ぎてもいけないので気分転換に旅の思い出し日記。

芝土の家、ちゃんとした家は夏涼しく冬あったかく、日本の土壁の家に似ていると思いました。暮らしたいとは思いませんが家具類がちゃんとそろっていれば普通に暮らせなくはないかなと・・・。

「大草原の小さな家」を原書で読むセミナーで松本侑子先生からいただいたハードコピーからの引用です。


「シリーズの第一巻は『大きな森の小さな家』。ウィスコンシン州ぺピンの深い森に生まれ育った5歳のローラの目を通して、インガルス家の春夏秋冬が生き生きと描かれていました。

 ローラが六つになると、父さんは西部への移住を決意します。それが、第2巻『大草原の小さな家』の始まりです。大きな森には開拓者が増えたため、父さんは野生動物のいる未開の沃野を求めたのです。

 移住には、もう一つ、理由がありました。リンカーン大統領が、1862年に定めた法律です。開拓者が西部の広大な土地を開墾して、5年間定住すると、自分の農地になったのです。

 一家は幌馬車に全財産をつんでぺピンを発ち、冬の凍ったピシシッピ河を渡りました。アメリカ北部から南のメキシコ湾へ流れる、全長6000Kmをこえる大河です。

 19世紀の当時は、今のような橋はありません。氷におおわれた川面を、馬車で渡ります。もし氷が割れたら、深い川底へ・・・。

 一家は、無事にわたり終えます。東部のウィスコンシン州から、河をこえて、西部に入ったのです。

 幌馬車は、果てしない大草原を、一日に30Kmずつ進み、ついに1000Km、南にあるカンザス州インディペンデンスに着きました。

 父さんは、川ぞいの木を切り倒し、丸太の家を建てます。平原を耕して麦と野菜を育て、豊かな実りの季節を迎えます。ところが政府はこの一帯を、ネイティブ・インディアンの居住区としていたのです。収穫の直前、一家は、開墾した大草原の小さな家と農地を後にします。

もともと北米には、多くの部族のインディアンが住んでいました。しかし白人の入植者によって辺境へ追いやられ、さらに政府が一定の居住区に閉じこめた、という背景があります。

 大草原を去った一家は、北へ戻り、ミネソタ州ウォルナット・グローブ(クルミの森)に近い開墾地に、落ち着きます。ここはTVドラマの舞台となった有名な町です。

 一家の住まいは、プラム・クリークという川の土手を掘った横穴でした。屋根と表の壁は、芝土です。

 芝土とは、芝の根がからんだ土を、煉瓦のように四角く切り出したもので、積み上げて家を作ります。壁の厚みは60㎝もあり、冬も暖かかったのです。

 森のない開墾地では、まずは土手の横穴や、芝土の家に暮らし、畑作がうまくいって現金収入が見込めるようになってから、木材を買い、家を建てたのです。

 7歳になったローラは、ウォルナット・グローブの学校に通い、学ぶ楽しさを知ります。

 父さんの畑では、小麦が青々と育っていました。豊作を見込んで材木を買って家を新築し、母さんには料理用ストーブも贈りました。ところがイナゴの大軍が押し寄せ、麦を食べ尽くしたのです。


 無一文になり、借金を抱えた父さんは言います。「絶対にへこたれないぞ。必ずなんとかする。どんなことをしても、やり抜くぞ」

 父さんは遠くへ出稼ぎに行きます。ローラは、母さんを助けて、留守の農場を守り、少しずつ成長していきます。

 どんなこんなにもへこたれず、前をむいて歩いていく。アメリカを開拓した農民たちの強さ、明るさに、感動の涙と勇気がわきあがる物語です。」














 2013年の旅でした。かなり無理しましたがこの機会を逃したら旅することはできなかったので行ってよかったと思います。日本とは比較にならないほど広く、今は車社会のアメリカ。こんな幌馬車に家財道具一式と命を乗せて旅を広大な土地を旅したのかとびっくりの幌馬車の写真は過去の記事に載せています。よかったらのぞいてください。

 荷物を軽くしてまた飛び立ちたい・・・。

遠いなあ、ほんとに遠い

2019年03月05日 17時52分05秒 | 日記
 せっかくまた繁華街に出向いてきたのに電源をもってくるの、忘れてしまいました。あちゃー。気力をふりしぼってハロワ。昨日一通目の書類を郵送したところ、電話をしたところなんとなく私のこと、話がいっているっぽいニュアンスでどんな人が応募してくるのか詳しく知りたい様子だったとのこと。直接経験が生きてくるがきつい仕事、人材不足なので先方は経験者を喉から手が出るほど求めている。先日の面接でぜひ力を貸してほしいと言われた私、きかれなかったので駅から遠いということを言い忘れてしまいました。通勤に不安があることを正直にどこかで言わなければなりません。どこでどうやって言うべきかと悩んでいます。きついわかっている仕事、朝一時間に一本のバスを逃したら全てが終わり、デカい家にも利便性の低い田舎暮らしにも慣れることができていない自分がやれるのか、通いきれるのかという不安が頭の中の大半を占めています。気持ちはきつきつ、こんなんできつい仕事をやれるのかとさらに不安は増大。二通目のところは直接経験は生かせないし、求められている資格は持っていません。ただ一時間に一本のバスを逃しても余裕があるので、気持ちにも余裕をもつことができます。でも知らないこともあってやれるのか不安はあります。書類作成にあたりハロワでアドバイスをもらったし、気持ちきちきちな方しか選択肢がないのはきついので、ここまで準備したし明日中に最終化して郵送するつもりですが、こっちにも書類を出してきたのかとなるよね。ハロワの電話だけでこっちも私のことだと先方はわかったっぽい。直接経験が生きるきつい方をやってほしいからこっちは書類で落とされるかな。それは先方の判断、やるだけやる。なんか頭がしびれてきそうです。

 せっかくのデカい家なれど駅から遠い、ほんとに遠い。自転車で走っていても遠いなあと思います。おまけに危険スポットだらけ。朝家からではバス間に合わないとわかりつつ仕事内容には興味あったので書類を送り面接に呼ばれたら辞退せざるを得なかったり、私の責任ではない、駅から遠くて不便に可能性が阻まれている現実。なんでこんなに駅から遠いところに家を建てたんやって今さら恨み言を言っても仕方ないですが苦労やなあ、ほんとに・・・。

 どちらが面接に呼ばれるか、呼ばれたらどうするか、また後日考えることにして今は明日中に書類を作成すること。結局私が本当にきつい仕事をやりたいか否かになってくるのかなあ。仕事きついと不眠になりがち。緊張すると眠くても眠れない。眠らなければのプレッシャーに限りなく弱い。眠れなくって朝寝過ごしたこともなんどもあります。あぶなっかしいことは何度も何度もありましたが駅から近かったし都心は電車が何本もあったので大事に至ったことはありません。駅までのバス、一時間に一本。このバスに間に合うように乗らなければならない、このプレッシャーに打ち勝ち続け、きつい仕事をやれるのか。考えていると頭の中がしびれてきてしまいます。これ以上無職のまま家にいることはできないし、どこに通勤するにせよ、また駅から近い所に部屋を借りない限り、駅から遠いプレッシャーは続きます。考えていると、頭がしびれてきてしまいます。今目の前にある可能性に対してやれることをやっていくしかないですね。

 歳をとったら便利な都会に住んだ方がいいていうのをあらためて実感。自分の努力で駅から近くすることができればいいですがどうにもなりません。不便なのは私の家だけではなく、駅から遠い所に住んでいる人はたくさんいるので駅前には絶えずタクシーと迎えの車がとまっています。この光景をみるとつらつら思い出してしまうこと。就職後、夜間洋裁学校に通っていた妹を父が車で駅から送迎。悪い同級生からの誘いにのってしまい、ある時から妹の帰りが毎晩遅く鳴った頃、家の中は凄まじいことになっていました。夜遅く、父は洋裁学校の先生に電話して、そしたら先生の寝室に繋がってしまい妹は洋裁学校で帰りが遅いのではないことがわかり、じゃあどこに行っているのだ隣、お前が悪いんのだと父が母を責めていた光景を昨夜ふっと思い出してしまいました。母はずっとこらえていたんでしょうね。だからふっつりと糸が切れた時統合失調症を発症してしまいました。私が実家を離れる前の話、弟はその頃家を離れていたので目の当たりにしていません。私だけがみていたこと。こんな歳になってあほですが、子どもは生まれる家を選ぶことができない、私も選べなかった子どもの一人、今さらこんなこと思うなんてあほ。考え込んでしまうとベクトルはマイナス方向にしかむかないのでやめやめやめ、弟がいうように案外大丈夫なのかもしれません。ただきつい仕事と通勤のプレッシャーを私が両立できるのかという問題・・・。