観劇ブログから訪問してくださっている方には申し訳ないです。また弱音です。郷里に戻って4カ月。気がつけば社会との接点を見つけることができないままあっという間に時間が過ぎてしまいました。車社会に対する認識が甘すぎて、正直ここまで見つからないままくるとは思っていませんでした。ここ2年半ほどの経験を生かして、4月1日からまた働けると勝手に思っていました。いやいやそれよりも運転できないとだめなのよっていうのをわかっていませんでした。一通目の二週間たってもなんの連絡もなかった事業所に怒ってもどうしようもないですが、挫折感が大きすぎて、夜照らされると足元が全く見えないほど眩しい車のライトと走る音に恐怖心があって、故郷に拒絶されているように感じてしまい、気がつけば故郷に対して怒りと憎しみが湧いている自分がいます。生まれ育ったところなのになんでこんなに馴染めないだろう、なんでこんなに慣れないのだろうと思えば思うほど自分がダメなのかなって思ってしまって気持ちは沈むばかり。こんな自分に対してどんな言葉をかけてあげるのが一番いいのか自分でもわからなくなっています。これ以上怒りと憎しみを言葉にしても、自分にとってプラスになることはなにもない、わかっているのはそれだけ。
昨日最後のハロワ。声をかけてくれた同級生がへぇーこんなところがあるんだっていうお店へ連れて行ってくれて一緒にお昼を食べました。先週の月曜日に花組ライヴビューイングで出かけて以来一週間ぶりの電車に乗ってお出かけでした。こんなことはよくないとわかっていても仕方ないです。久しぶりに人と話しました。久しぶりにバスで最寄り駅まで行こうかと思いましたがちょうどいい時間のバスはなかったし一時間に一本のプレッシャーに勝つこともできずにまた自転車で最寄り駅へ。なので最寄り駅まで帰りは送ってもらいました。その帰り道でたまたまハロワに出ていた介護施設の求人のことから、母の主治医となってもらっていた〇△クリニックはどうやらかなり評判がよくないところだということを、母が旅立って7年も過ぎてからようやく知ることとなりました。母が家で亡くなっていたのに弟が気がつき電話をいれると死んでいるなら消防署か警察に電話してくださいって言われた悔しさ。死亡診断書を書いてくれないの?えっ?自分の中に〇△クリニックに対する悔しさがずっとありました。それこそ田舎故他に選択肢もなかった悔しさがずっとありました。
父も母もいなくなった今細かいことはもう忘れてしまいましたが、父が危なそうだとなった頃に母は10年以上受診をしないまま父が薬だけを受け取りにいっていたことが判明、どうしてそれで来ることができていたのかわかりませんが、弟の車で病院の相談室を訪ねました。病院名は忘れました。私と同じ資格をもっている方に会いました。たしか本当はダメなところを良心で薬だけだしてきたみたいなことを言われました。介護サービスの利用申請をするには主治医の診断書が必要なのでドクターに書いてくれないかと話したところ、母を連れてきてくれさえすればの繰り返しでした。母は病院にいくことを頑なに拒んで動こうとしなかったので困っているから相談に来たのだと話しても、往診はできない、本人を連れてきてもらわないと書けないの一点張りでした。そりゃあそうですよ、たしかにそうです。個人医院ではないのでどうすることもできませんでした。困って地域包括支援センターと保健師に相談したところ、近隣で唯一往診しているという〇△クリニックを紹介されました。他に選択肢はありませんでした。HPをみるとドクターが自費出版した本を無料でわけているとあるので早速取り寄せました。当然いいことしか書かれていなかったわけですが他にないのだからすがる思いでした。父が亡くなる数時間前はじめて弟と〇△クリニックを訪れました。温和な印象のドクターで往診をしてくれることになりました。父が亡くなって葬儀をすませた翌日か翌々日ぐらいだったと思います。はじめて往診にきてもらいました。母は見事に拒絶反応を示しましたが四週間ごとに往診してこれまでと同じ薬を出してもらえることになりました。主治医として診断書も書いてもらえました。冷静に考えれば文書料入ってくるんだし商売よね、っていうことなんですがその時は心からありがたいと思いました。その後私は母を施設にいれた方がいいのではないかと一人で勝手に真剣に悩み、弟には怒られ、〇△クリニックに相談しようとしたらドクターに「生活のことまで関われない、かんべんしてくださいよ」って言われました。私ばかみたいにドクターに手紙まで書いたりしました。精神科のドクターなんだから繊細な心の持ち主に違いないなど思っていたのです、今振り返れば自分何をしていたのだろうっていう感じですがその時は真剣でした。この人大丈夫なのかなあ?っていう方に何人もあったので今はそんなこと全く思いませんがなにも知らなかった私はそう思っていました。長くなりましたがこんなことがあったことを思い出しました。父が亡くなって一年半後に母も逝ってしまったことであっけなく終わりはきました。それから7年の時を経て、〇△クリニックはひどいところだと昨日わかったことでやっとひとつ何かが終わった感です。
気持ちを持ち直して来週応募書類を書きますがあとは断捨離、これからどこに流れていけばいいのか今はわかりません。また都心に戻ろうかなという気持ちも頭をかすめますが引き払うのにお金がかかったし今すぐにまた動くことはできません。また動けるように、大量の荷物を少しでも減らしたい、遺品を片付けていきたい一心です。とりつかれたようにやっています。明日ネットから依頼した古本の出張買取。引っ越し用の段ボールに四箱となりました。父が30年間一度も開いていなかった思われる大判の世界名画全集。ルーヴル美術館の絵はルーヴル美術館でみるのが一番いいので全部処分したいです。編集に井上靖さん、画家評に司馬遼太郎さん、松本清張さん、江藤淳さん、渡辺淳一さんなどそうそうたる方々のお名前。妹が遺した今も人気を誇るアニメの本はきれいなまま。少しでも値段がつくといいですがどうでしょうか。
昨日と今日、久しぶりの息抜き。荷物整理は家でしかできないし、外に出ればお金がかかりますが誰にも会わないまま家にずっといると気持ちがどんどん追い詰められてくるのでよくないですね。2日連続で眠剤。先週も2日連続でたよりました。2時を過ぎても寝つけないと頼らざるを得ません。すごく喉がかわくし口の中が気持ち悪くってつらいです。今夜はたよらずに眠れますように・・・。
コンサートは楽しかったです。それはまた別に。
とりとめのない長文、失礼しました。
前回美容院に行ってから一か月、前髪が伸びてきたし白髪がまたみえてきたので美容院いかねば・・・。
昨日最後のハロワ。声をかけてくれた同級生がへぇーこんなところがあるんだっていうお店へ連れて行ってくれて一緒にお昼を食べました。先週の月曜日に花組ライヴビューイングで出かけて以来一週間ぶりの電車に乗ってお出かけでした。こんなことはよくないとわかっていても仕方ないです。久しぶりに人と話しました。久しぶりにバスで最寄り駅まで行こうかと思いましたがちょうどいい時間のバスはなかったし一時間に一本のプレッシャーに勝つこともできずにまた自転車で最寄り駅へ。なので最寄り駅まで帰りは送ってもらいました。その帰り道でたまたまハロワに出ていた介護施設の求人のことから、母の主治医となってもらっていた〇△クリニックはどうやらかなり評判がよくないところだということを、母が旅立って7年も過ぎてからようやく知ることとなりました。母が家で亡くなっていたのに弟が気がつき電話をいれると死んでいるなら消防署か警察に電話してくださいって言われた悔しさ。死亡診断書を書いてくれないの?えっ?自分の中に〇△クリニックに対する悔しさがずっとありました。それこそ田舎故他に選択肢もなかった悔しさがずっとありました。
父も母もいなくなった今細かいことはもう忘れてしまいましたが、父が危なそうだとなった頃に母は10年以上受診をしないまま父が薬だけを受け取りにいっていたことが判明、どうしてそれで来ることができていたのかわかりませんが、弟の車で病院の相談室を訪ねました。病院名は忘れました。私と同じ資格をもっている方に会いました。たしか本当はダメなところを良心で薬だけだしてきたみたいなことを言われました。介護サービスの利用申請をするには主治医の診断書が必要なのでドクターに書いてくれないかと話したところ、母を連れてきてくれさえすればの繰り返しでした。母は病院にいくことを頑なに拒んで動こうとしなかったので困っているから相談に来たのだと話しても、往診はできない、本人を連れてきてもらわないと書けないの一点張りでした。そりゃあそうですよ、たしかにそうです。個人医院ではないのでどうすることもできませんでした。困って地域包括支援センターと保健師に相談したところ、近隣で唯一往診しているという〇△クリニックを紹介されました。他に選択肢はありませんでした。HPをみるとドクターが自費出版した本を無料でわけているとあるので早速取り寄せました。当然いいことしか書かれていなかったわけですが他にないのだからすがる思いでした。父が亡くなる数時間前はじめて弟と〇△クリニックを訪れました。温和な印象のドクターで往診をしてくれることになりました。父が亡くなって葬儀をすませた翌日か翌々日ぐらいだったと思います。はじめて往診にきてもらいました。母は見事に拒絶反応を示しましたが四週間ごとに往診してこれまでと同じ薬を出してもらえることになりました。主治医として診断書も書いてもらえました。冷静に考えれば文書料入ってくるんだし商売よね、っていうことなんですがその時は心からありがたいと思いました。その後私は母を施設にいれた方がいいのではないかと一人で勝手に真剣に悩み、弟には怒られ、〇△クリニックに相談しようとしたらドクターに「生活のことまで関われない、かんべんしてくださいよ」って言われました。私ばかみたいにドクターに手紙まで書いたりしました。精神科のドクターなんだから繊細な心の持ち主に違いないなど思っていたのです、今振り返れば自分何をしていたのだろうっていう感じですがその時は真剣でした。この人大丈夫なのかなあ?っていう方に何人もあったので今はそんなこと全く思いませんがなにも知らなかった私はそう思っていました。長くなりましたがこんなことがあったことを思い出しました。父が亡くなって一年半後に母も逝ってしまったことであっけなく終わりはきました。それから7年の時を経て、〇△クリニックはひどいところだと昨日わかったことでやっとひとつ何かが終わった感です。
気持ちを持ち直して来週応募書類を書きますがあとは断捨離、これからどこに流れていけばいいのか今はわかりません。また都心に戻ろうかなという気持ちも頭をかすめますが引き払うのにお金がかかったし今すぐにまた動くことはできません。また動けるように、大量の荷物を少しでも減らしたい、遺品を片付けていきたい一心です。とりつかれたようにやっています。明日ネットから依頼した古本の出張買取。引っ越し用の段ボールに四箱となりました。父が30年間一度も開いていなかった思われる大判の世界名画全集。ルーヴル美術館の絵はルーヴル美術館でみるのが一番いいので全部処分したいです。編集に井上靖さん、画家評に司馬遼太郎さん、松本清張さん、江藤淳さん、渡辺淳一さんなどそうそうたる方々のお名前。妹が遺した今も人気を誇るアニメの本はきれいなまま。少しでも値段がつくといいですがどうでしょうか。
昨日と今日、久しぶりの息抜き。荷物整理は家でしかできないし、外に出ればお金がかかりますが誰にも会わないまま家にずっといると気持ちがどんどん追い詰められてくるのでよくないですね。2日連続で眠剤。先週も2日連続でたよりました。2時を過ぎても寝つけないと頼らざるを得ません。すごく喉がかわくし口の中が気持ち悪くってつらいです。今夜はたよらずに眠れますように・・・。
コンサートは楽しかったです。それはまた別に。
とりとめのない長文、失礼しました。
前回美容院に行ってから一か月、前髪が伸びてきたし白髪がまたみえてきたので美容院いかねば・・・。