たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組『CASANOVA』大劇場千穐楽ライブビューイング

2019年03月11日 23時45分53秒 | 宝塚
プログラムを読むと、生田先生、花組で一本物でオリジナルを求められて、カサノバをひねり出したっていうことか。宝塚大劇場で観たときはすごく楽しかった。音楽と華やかな衣装に脚本がかなり助けられているかな。場面転換がセリと盆を駆使して、テンポよく進むのでわちゃわちゃと楽しいアトラクションをみたあとのような感覚。ライブビューイングで二回目観てこんな感じだったかなっていうところもありますが、ポップな仕上がりで気持ち楽に楽しめる作品。明日海りおさんにとっては命が削られていく役柄ではないので、痩せすぎて心配が少し和らいだ感があってよかったかなと思います。カサノバと真っ赤なドレスの娘役さんたちとの最初の群舞。花野じゅりあさんが今日も誰よりもきれいで華やいでいました。まさに「美のかたまり」(みりおさんのカーテンコールの言葉)。ライブビューイングのカメラがとらえた、歌うみりおさんの真後ろにいた娘役さんの横顔がものすごくきれいでした。どなただろう。城妃美玲さんかな、ものすごい美人さん。みりおさんがじゅりあさん、桜咲彩花さんと、次々と娘役さんと踊っていく場面、素敵でした。見た目よりも真っ赤なドレス、重くって大変だそうな。

 鳳月杏さんのコンデュルメル夫人が今日も毒気たっぷりの妖しい美しさ、ドレスの深いスリットからちらちら見える長い足に筋肉ついているのがカメラでしっかりわかってしまいました。高音の歌声がさらにきれいに出ていました。柚香光さん演じるコンデュルメルの存在感が大劇場で観劇した時にはいまいちでしたがコンデュルメル夫人の夫なのだといことで納得できました。反発しあい罵り合い、お互いのほしいものを交換しようとして、「お前とさえ結婚していなければ」って夫が言って、でも最後は人形になる薬を飲んだ夫人の命を助けてほしいと叫ぶ二人の関係性の描かれ方、悪くないです。結局なんか似たもの同士、いやでも互いに引き合う磁石みたいな関係性。ずっと結婚指輪はしていました。

 ライブビューイングだとコンデュルメルの口元が歪んでいるのがはっきりとわかってそれも悪くないです。あと瀬戸かずやさんのコンスタンティーノが色気と軽さのバランス絶妙でいい味出しているなあと思いました。花野じゅりあさんのゾルチ夫人に惚れ薬で一目惚れしてしまうところの芝居の間もいい感じでした。二人のバカップルぶり、軽妙な笑いを誘っていました。

 カーニバルの場面で下級生の男役さん二名がソロで歌っていました。どなたかなあ、歌うま。こういうところ生田先生のいいところかな。

 作品を知った時はヘンに毒々しいお色気満載な舞台になったら私的にはすごくいやだなあと心配でしたが、蓋をあけてみると可愛いお色気とユーモア満載のディズニーランドのような色彩の舞台で安心かつ楽しい作品。そこはよかったです。衣装もすごいよね、ライブビューイングでみると、みりおさんの真っ赤なジャケットの生地がすごくいいものなんだろうし仕立ても凝っているのがよくわかりました。そういうところはライブビューイングならではの発見。娘役さんたちの真っ赤なドレスの色あざやか。

 カーテンコールのみりおさんの挨拶。まず花組は今年に入ってから二人の組替えにみまわれたと辛そうでした。組長の高翔みずきさんも二人の組替えをまず紹介する時涙ぐんでいました。それだけ鳳月杏さんと舞空瞳ちゃんの組替えは生徒さんたちにとっても突然で衝撃的だったということがわかりました。組長さん、鳳月杏はと言ったところでしばし絶句、そしてちなつは月組から組替えしてきた時すでに上級生だったので大変だったと思う、大変な努力をして花組を支える存在になった、いつも笑顔で下級生のみんなにとってはいいお兄ちゃんだったという内容の話、ひっとんは入団して花組配属になり扮装写真で『うたかたの恋』のマリーをやることになり初めて顔をあわせてじっくりと話をした時のことを思い出す、ピンク色のドレスのおくるみに包まれた赤ちゃんのようだった、今も赤ちゃんのように思うという内容の話。みりおさんは組替えしてきたころのちなつは可愛かったのに今はふてぶてしくなった、もちろんいい意味でですよ、とみりおさんが話すと泣きながら笑っている?鳳月さんをカメラがとらえてくれました。きっと月組に戻ってさらに大きな花を咲かせてくれると思いますと。ひっとんは『ハンナのお花屋さん』の時開演前舞台の森のセットの中をスキップしたりしている姿が印象的だった、自分が産んだわけではないですが娘をさらわれるような気持ちだと。生田先生が、鳳月さんの組替えを知ったのは発表の前日で固まってしまって言葉を失い花組最後の公演で女役をさせてよかったのかと悩んだという話をネットでみかけました。演出家さえ知らされないのかとびっくり。組長さんもトップさんも発表まで知らされないんですね、ほんとに突然なんだと知りました。

 仙名彩世さんのサヨナラショー、最初がエイトシャルマン、娘役さん20人ぐらいがダルマで登場。みなさん足が長くて筋肉美、美しきアスリートでした。鳳月さんの「ジラサレテ熱帯」は嬉しかったですね。東京公演がまだありますというじゅりあ姐さんがどこまでもかっこよかったし、桜咲彩花さんが最後彩り豊かな花束と大きな桜の花束をもった姿が印象的。じゅりあさんは「美のかたまり」、(組長さんがじゅりあさんの手にかかるとどんな下級生も美しくなると紹介していました。)べーちゃんは『新源氏物語』の時た紫の上のオーラがすごくて、清らかさに洗われるような気持ちで光源氏を演じていたとみりおさん、これまた辛そうでしたね。一気に6人退団で大階段の挨拶に巻きが入っていたかな。時代がまた変わろうとしています。明日何かあるのでしょうかね。みりおさんがみんなそれぞれ今後の行き先は決まっているので家族水入らずならぬ組族水入れずな時間みたいなことも話して、退団される方々は学校に行き直すとか他にやりたいことがあるとかすでに次の道をきめているのかなと一人気になりました。

 途中までライブビューイング会場のショッピングモールで書いて、家に帰ってきてから書きました。Safaceが自転車だと衝撃をうけてしまうせいか調子よくありません。道が悪い所が多いので揺れでいつの間に電源は入ったりしています。

 今日は3.11ですが、地震の揺れも原発事故も関係なかった郷里では、あの恐怖を理解されません。あの時自分はこうしていたという話も一切ありません。同じ日本ですが我が身に降りかかったかどうかでた体感温度がこんなにも違うのだと思い知りました。数日前就寝しようとした真夜中に大きな揺れがきて、引っ越しで懐中電灯をどこにやってしまったかと焦りあの恐怖もよみがえり緊張で寝つけず眠剤にたよりましたがそんな話を弟にしても笑われるだけなのでしません。

 昨夜また寝つけず、眠剤飲んだんだから明日がないとはいえ、いい加減休めよな、自分。

 東京宝塚劇場公演は3月28日からとのこと。星組千穐楽ライブビューイングが24日。居場所みつけられないまま、足留まってボケボケしているうちに3月半ば・・・。

 三度目の投稿、失礼しました。

 

現実に戻りたくない

2019年03月11日 18時13分21秒 | 日記
 また現実逃避していました。花組『CASANOVA』宝塚大劇場千穐楽ライヴビューイング、終わりました。劇場内が暗い間は夢のひとときでした。生田先生初の大劇場一本物。話としてはうすいなと思いましたが、エルベのあとではきついかなという感は否めませんがとにかく華やかで楽しいので頭は疲れません。歯切れのいい展開であれよあれよと終わりました。退団者6人。サヨナラショーもありたっぷり4時間半。現実に戻ると自分、ハロワの言い方好きではありませんがハロワの言い方を借りればまな板の上の鯉状態。いつどんなかたちでおさたがあるのかを一方的に待ちなければならないストレスが限界にきているのを感じます。つまんないことでイライラなっています。もういやだー、って叫びたいのを辛抱しています。いつまで、あと何回こんなことを繰り返さなければならないのか。郷里に戻るときいちばん不安だった家が駅から遠くて不便すぎるという現実の前になす術はなく、そんなことでとまっている場合ではないのに慣れなくって止まらざるを得ない状況。デカいのありがたいけど不便過ぎる家、母親がはりきって建てたものだし遺品も自分の荷物もたくさんあるので今すぐは無理ですが打ち捨てざるを得ないと思い始めました。歳をとったら都会に住んだ方がいいって一般的にいいますがこんなに不便で車が危ない所に住み続けるのは無理だとわかりました。土地を売った半額で駅近に中古マンションを買うことを本気で考えなければならないと思い始めました。先々のことを考えて場所を決めたくれたらよかったですけどね、そんな時代ではなかったし仕方ありません。身軽になって自分の人生を生きるためにやり直したいです。そのためにはまず週に二日のパートでいいんだけどと思い、求人情報を検索しても出てきません。検索の仕方が悪いのか、もう終わってしまったのか。無理に信用できないハロワに必ずしも行く必要はもうありません。言うこと信じられないのでもう行きたくありません。そんなこと言っていたら怒られちゃいますかね。近くに何にもないし、自転車で行ける場所は限られているので引きこもりになろうと思えば簡単になれます。引きこもりになりたくありませんが依然力が抜けたままでファイトが湧いてこずどうでもいいやっていう気持ち。現実に戻りたくありません。逃げたい、現実から逃げ続けていたい。

 今日は大劇場で買ってきた『CASANOVA』のプログラムを読み返しながら夢の世界にひたりつづけます。許してください。

茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_クリエーターとして生きる

2019年03月11日 11時00分24秒 | 本あれこれ
「イギリスの作家エミリ・ブロンテの小説に、『 嵐が丘』があります。

『赤毛のアン』は成り立ちが、この『嵐が丘』に似ていると思います。カナダのモンゴメリーとイギリスのエミリ・ブロンテ。彼女たちの共通点は何か。それは「文壇」というものから、遠く離れていたという点です。

 たとえば、夏目漱石。彼はデビュー前から正岡子規らと交流がありました。作家として本格的に活動する以前から、いわば文壇」の中枢にいたわけです。「ホトトギス」に処女作『吾輩は猫である』を掲載したときも、すでに友人の子規は亡くなってしまっていたけれど、彼の後を継いだ人物に勧められて書きだしたのです。その意味では、漱石は恵まれていました。多くの先達から、文学というものの洗礼を少なからず受けていたのですから。

しかしモンゴメリーの場合は、状況が全く異なります。彼女には、漱石のような恵まれた環境は望めませんでした。当時のカナダの社会で「文壇」というものがもしあったとしても、モンゴメリーはそういったものからは完全に孤立していました。 エミリーも小説の中で、もし作家になりたいならニューヨークに出るべきだと編集者から強く勧められます。彼女の場合は結局それを断って、自分の故郷で勝負する道を」選び取るわけですが、それくらいプリンス・エドワード島というのは、当時の「文壇」からは遠く離れた地の果てでした。

 ブロンテ姉妹も同様です。彼女らはヨークのヒースの只中でほとんど孤立して生活していました。当然ロンドンの文学サークル的な世界からは外れたところで、創作活動を続けてきたわけです。またそうでないと『嵐が丘』のような小説は出てこない。そういう環境から生まれる孤立感と寂しさ。それらが培う、ピュアで純粋な情熱。

 おそらく、周囲にすでに小説家として大成している人々がいて、「小説はこう書いたほうがいいんですよ」というアドバイスの中で出てきた小説というのは、こういう姿はしていないと思うのです。

 モゴメリーには自伝があります。『アルパインパス 』というタイトルで、アルパインは山のアルプス、パスは道。日本語では『険しい道』と訳されていますが、これを読むとモンゴメリーとい う大変な理想主義者が、文学という高く険しい 山に続く長い道を、なんとかして登ろうと、努力を重ねてきたことが分かります。」

(もう少し続きます。)


「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社