たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組『CASANOVA』大劇場千穐楽ライブビューイング(2)

2019年03月12日 23時14分29秒 | 宝塚
 忘れないうちに備忘録、げんじつとうひしてのんきにブログ書いています。断片的に印象に残ったことを。

 組長さんが読み上げた、仙名彩世さんの音楽学校受験前エピソード、歌を練習する場所がないとおばさんに相談したらおばさんが勧めてくれたのが「四谷の土手」っていう話には笑ってしまいました。高翔みずきさんの間をとったいい方もよかったです。上智大学のすぐ近くのあの土手ですか、JR四ツ谷駅がみえますね。橋もあるし、絶えず人が行き来している大都会。ホームに立つ人たちによく聞こえたでしょうね。あまり思い出したくありませんがわりと長きにわたり毎日通っていた駅でもあり、ほんの3カ月ぐらい前まではなじみの場所でした。そうですがあの土手で・・・と心の中で言っていました。おばさんが少し離れた所から見守っていてくれたそうです。宝塚の舞台を一度もみたことがなく、なぜ受験したのかとよくきかれますが新しい自分の可能性に出会いたかったからという内容の話だったかな。み挨拶では、東日本大震災の追悼が行われている今日という日に自分が大劇場卒業を祝ってもらっている罪悪感も少しありますという話。『DelightHoliday』でみせていたような弾けっぷりをこの日もみせていました。面白キャラの方なんだなあと今さらですが思いました。ヒロインポジとしてはきびしかったかも、いや今までやれないような作品をやれる可能性もあったかなあと思ったり、トップになってからの大劇場作品はいいところを生かしきれない役が続いたかな、なんだかもったいない使われ方だったような気がしないでもなく、でもご本人の中でも明日海りおの相手役となったことで人生が180度いや720度変わりましたという笑顔で、納得できたものがあるのでしょうか。

 桜咲彩花さんのお花を、同期の元ジェンヌさんがSNSにあげているのみましたが素敵でした。5組のカラーをあしらった花束と枝がしだれた桜の花の組み合わせ。こだわりぬいて決めたお花とのこと。満開の笑顔によく似合っていて素敵でした。組長さんが読み上げたメッセージ、エキサイターに三回も出演できたことが嬉しかった、春野さん、真飛さん、蘭寿さん、明日海さん、桜乃さん、蘭乃さん、花乃さん、仙名さんとトップさんたちの名前をあげ尊敬の言葉もありました。春野さんトップ時代から花組にいらっしゃるのか、歴史と組への愛を感じました。(カテコでの、「人生には恋と冒険と花組が必要だ!もこの方らしいと思いました。)心に残っている役として、わたしはみていませんが『ミー&マイガール』のマリア夫人、できないと思っていたのがやれた、作品名わかっていませんが望海風斗さんの相手役をつとめた役もあがっていました。わたしも大好きな『金色の砂漠』のビルマーヤ姫も。命がけを舞台をつとめてきたと。なんだか愛称べーちゃんらしいあたたかさとやわらかさに満ちた言葉たちだあと思いました。最後の芝居、仙名さんのベアトリーチェに使える侍女のダニエラ、なんで侍女なのと思いましたが二人の関係性があたたかくて素敵だと思いました。ヴェネツィアに残るというベアトリーチェに反対すると「もうあなたとも会えなくなるのよ」というベアトリーチェに対する返し方がなんともあったかいと思いました。二人は主従関係をこえて信頼と友情を築いたと感じさせるラスト。素敵な場面でした。

 明日海りおさん退団発表されましたね。去年の夏東京宝塚劇場前で出待ちの様子を離れた所から見ることができる機会があったのですが風が吹けば飛んでいきそうなほどに細い体でした。こんな華奢な体で娘役さんリフトしていたら折れちゃうよ、って思いました。どんどん瘦せていくの、みていられないのでほっとした感もあります。10月に紅さんが退団するので11月にみりおさんの退団はなく、次の次かなとも思いましたが続きますね。(今年に入って名だたる上級生が次々と退団発表。世代交代の波が押し寄せています。)全く個性の違うふたりのさゆみさん。脚本の如何はともかく、互いにカサノヴァを紅さんが演じることはできないし、エルベのカールは紅さんだから魂をふきこむことができる唯一無二の役。今年のタカラヅカスペシャルでお二人が共演することはもうないわけで、退団前にどこかで共演ってないですかね、あるといいな・・・。

2月21日(木)の宝塚大劇場。





















茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_クリエーターとして生きる(2)

2019年03月12日 21時24分38秒 | 本あれこれ
 「僕は先に、アン・シヤーリーは「想像力の原理主義者」だと述べました。しかしその意味では、おそらく作者モンゴメリーこそが、非常に「原理主義」的な人物だったと思います。もちろんここで言う「原理主義」とは、ある特定の宗教体系に基づく思想という意味ではありません。そうではなく、ある激しい情熱に基づいて行動しているという定義。先に見たブロンテ姉妹に通じる情熱です。

  自分の信じている夢なり信念なりが、根底にある。そしてそれを実現するためにはどんな努力もいとわない。けれどもその際、現実に対する配慮だとか、そういうことはほとんど無視している。自分の内なる世界の純粋さや熱に、あくまで従おうとするのです。

 中には、その独りよがり的な姿勢が原因となって、だめになってしまう「クリエーター」もいるでしょう。偏った変な癖がついてしまうケースです。しかし、モンゴメリーやブロンテ姉妹の場合には、それが非常にうまくいった。「原理主義」的な情熱がマグマのように 噴出した。

  僕はいつの頃からか、あることに気づきました。それは、「どうやら僕の『赤毛のアン』の見方は 、他の人の『赤毛のアン』の見方とはだいぶ違うものらしい」ということです。「アン」の世界を再現した写真集や料理ブックが、書店では何種類も並んでいます。 アンが生活したプリンス・エドワード島の美しい自然や、マリラやアンが作るいろいろなケーキやお茶のセット、あるいはマシューがアンに買ってあげたパフスリーブのドレスや、冬ごもりのパッチワークの作り方。これらは、アンが過ごした百年前の生活を追体験できるという点において、夢が広がって楽しいものです。

  しかし一 方で「それだけなのだろうか」、という一 種の違和感を感じることもあり ました。『赤毛のアン』で描かれているのは、そういう目に見えるものだけの世界なのだろうか。日本におけるこの小説の受け止め方は、表層のところで留まってしまっているのではないだろうか。この小説には素晴らしい思想が沢山隠されているはずなのに、ひょっ としたらそれが見えていないのではないだろうか。そのように感じるようになっていたのです。

 しかし、それも最近は少し違った見方をするようになりました。つまり、そのような『 赤毛のアン』の受容のされ方は、実はもともとこの小説が持っている強烈なインパクトを、何とか少しでも和らげようとしている動きの表れのような気がしてきたからです。 本当は、この小説の根底にあるメッセージというのは極めて強烈だけれども、それをいろいろなものでまぶして無力化する。優しく柔らかくする。

 日本人は本来そういった技には長けているのですが、どうもこの作品に対してもそういううやり方で、「解毒作用」を施している気がしてなりません。」

茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福(しあわせ)になる方法』より

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社