第4場 ハンブルクの丘
マルギット「いいえ、私はただの家出娘です」
カール「じゃあ、順番からいったって、おい、お前、家出したんだろう。その次には、酒場で 俺と会ったんだ。その次は、酒場で出会った男にひどい目にあう。これが順番じぇねえか」
マルギット「でも、でも私が家出をしてきたのは・・・」
カール「親父さんが頑固者だ。お袋さんが判らず屋だ。お小遣いをちっともくれねえ。この中 のどれかだ」
マルギット「いいえ、ちがいます」
カール「それとも許嫁が気に入れねえ」
マルギット「それもちがいます」
カール「とにかく自由になりたい」
マルギット「自由になりたい・・・それだけは本当です・・・」
カール「おい、自由ってのはな、自分の思う通り振る舞うことだ。
但し、後始末は自分でつけなきゃいけねえ。おう、マルギットって言ったな。
おいマルギット(差し招く)お前だったらきっと、自分のしたことには自分で後始末をつける奴だと思うよ。な、どんなひどい目にあったってさ」
マルギット「・・・(身をかわす)」
カール「あ・・・ひどい目なんていうけどねえ、これは本人の考え方次第でよ。
これが、その時にまごころってものがありゃお前、その時だけでも心底惚れてりゃな、マルギット、こりゃひどい目じゃねえんだよ。いや、その、なんだ、幸福(しあわせ)ってものになるんだよ」
二人は銀橋へ。日暮れて星が出始める。
カールが歌いだす。
歌の中で、二人は手をつなぐ。
********************
(舞台写真はツィッターからの拾い画です)。
悲しい物語なのに思い出すとあったかい気持ちになれる舞台。
一度目に観劇したとき、言葉が古くモノクロ映画をみているような感覚なのに違和感がないのに驚いた場面でした。時代にあうように手直しすることもありだったのかもしれませんが、モノクロ映画のような台詞をそのままに舞台化したのは上田久美子先生の裁量なのかな。半世紀以上前に書かれた台詞を平成最後の年に違和感を感じさせることなく舞台にのせている星組トップコンビの役者ぶりと呼吸が素晴らしいと思います。二人のマジック。コクッと首を傾けて紅カールの話をきいている愛里さんマルギットの可愛らしいこと、可愛らしいこと。「ただの家出娘です」といって全く違和感なく、無知で無垢な良家のお嬢さんとして観客の心にすんなりと入りこんでくるなんて、たぶん愛里さんにしかできないですね。努力だけで醸しだされるものでもない素に役者としての力が絶妙にのっかっている感じかな。素が可愛いので当たり前みたいにみえてしまいますがなんなくやっているようにみえてすごい力だと思います。紅カールは、かっこいい宝塚の男役が演じるにはカッコ悪い役、かっこいい男役がカッコ悪い男をカッコ悪く演じてかっこいい男だという余韻を観客に残す。この方にしかできない魂の舞台。
マルギットはなぜ家出をしたのか、一度目にはよくわかりませんでした。自分を産んだ母が自分から家を出て行ったとは知らず、父が家から追い出したとずっと思い込んできてそんな父への反発心からだったのかと二度目にわかりました。シュラック家の結婚披露パーティで二人の会話を聴いていたカールはどんな気持ちだったのか、マルギットの家出の理由がわかってきた時どんな気持ちだったのか。思い出すと心がいたくなって涙が出そうな作品なのにあったかい気持ちになれるのは、ショーの最後で二人が幸せに満ちたデュエットダンスを魅せてくれるからかな。歴史に残りそうな美しい場面。
25aヴァンサンカンの舞台写真がいいところを見事に捉えていて素晴らしいものばかり。
公式も素晴らしいですがさらに素晴らしい。
星組と作品内容を熟知しているカメラマンさんだと思います。
(アドレスを載せようとするとなぜか不正ってなってしまうので載せられず・・・)
SNSの写真を拝見しながら、もう少しマシに撮れたはずなのになあ、と思っています。
夜の大劇場。
歌劇の殿堂の画像も少し。
大草原は明日に持ち越し。ごめんなさい。夜分に失礼しました。
マルギット「いいえ、私はただの家出娘です」
カール「じゃあ、順番からいったって、おい、お前、家出したんだろう。その次には、酒場で 俺と会ったんだ。その次は、酒場で出会った男にひどい目にあう。これが順番じぇねえか」
マルギット「でも、でも私が家出をしてきたのは・・・」
カール「親父さんが頑固者だ。お袋さんが判らず屋だ。お小遣いをちっともくれねえ。この中 のどれかだ」
マルギット「いいえ、ちがいます」
カール「それとも許嫁が気に入れねえ」
マルギット「それもちがいます」
カール「とにかく自由になりたい」
マルギット「自由になりたい・・・それだけは本当です・・・」
カール「おい、自由ってのはな、自分の思う通り振る舞うことだ。
但し、後始末は自分でつけなきゃいけねえ。おう、マルギットって言ったな。
おいマルギット(差し招く)お前だったらきっと、自分のしたことには自分で後始末をつける奴だと思うよ。な、どんなひどい目にあったってさ」
マルギット「・・・(身をかわす)」
カール「あ・・・ひどい目なんていうけどねえ、これは本人の考え方次第でよ。
これが、その時にまごころってものがありゃお前、その時だけでも心底惚れてりゃな、マルギット、こりゃひどい目じゃねえんだよ。いや、その、なんだ、幸福(しあわせ)ってものになるんだよ」
二人は銀橋へ。日暮れて星が出始める。
カールが歌いだす。
歌の中で、二人は手をつなぐ。
********************
(舞台写真はツィッターからの拾い画です)。
悲しい物語なのに思い出すとあったかい気持ちになれる舞台。
一度目に観劇したとき、言葉が古くモノクロ映画をみているような感覚なのに違和感がないのに驚いた場面でした。時代にあうように手直しすることもありだったのかもしれませんが、モノクロ映画のような台詞をそのままに舞台化したのは上田久美子先生の裁量なのかな。半世紀以上前に書かれた台詞を平成最後の年に違和感を感じさせることなく舞台にのせている星組トップコンビの役者ぶりと呼吸が素晴らしいと思います。二人のマジック。コクッと首を傾けて紅カールの話をきいている愛里さんマルギットの可愛らしいこと、可愛らしいこと。「ただの家出娘です」といって全く違和感なく、無知で無垢な良家のお嬢さんとして観客の心にすんなりと入りこんでくるなんて、たぶん愛里さんにしかできないですね。努力だけで醸しだされるものでもない素に役者としての力が絶妙にのっかっている感じかな。素が可愛いので当たり前みたいにみえてしまいますがなんなくやっているようにみえてすごい力だと思います。紅カールは、かっこいい宝塚の男役が演じるにはカッコ悪い役、かっこいい男役がカッコ悪い男をカッコ悪く演じてかっこいい男だという余韻を観客に残す。この方にしかできない魂の舞台。
マルギットはなぜ家出をしたのか、一度目にはよくわかりませんでした。自分を産んだ母が自分から家を出て行ったとは知らず、父が家から追い出したとずっと思い込んできてそんな父への反発心からだったのかと二度目にわかりました。シュラック家の結婚披露パーティで二人の会話を聴いていたカールはどんな気持ちだったのか、マルギットの家出の理由がわかってきた時どんな気持ちだったのか。思い出すと心がいたくなって涙が出そうな作品なのにあったかい気持ちになれるのは、ショーの最後で二人が幸せに満ちたデュエットダンスを魅せてくれるからかな。歴史に残りそうな美しい場面。
25aヴァンサンカンの舞台写真がいいところを見事に捉えていて素晴らしいものばかり。
公式も素晴らしいですがさらに素晴らしい。
星組と作品内容を熟知しているカメラマンさんだと思います。
(アドレスを載せようとするとなぜか不正ってなってしまうので載せられず・・・)
SNSの写真を拝見しながら、もう少しマシに撮れたはずなのになあ、と思っています。
夜の大劇場。
歌劇の殿堂の画像も少し。
大草原は明日に持ち越し。ごめんなさい。夜分に失礼しました。