たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

美(うるわ)しい

2019年03月08日 22時05分49秒 | 宝塚
楽劇(ミュージカル)
『鎌足−夢のまほろば、大和(やまと)し美(うるわ)し−』
作・演出/生田 大和

飛鳥時代。留学先の唐より帰朝した僧・旻(みん)法師の開いた学塾にて、法師の持ち帰った最新の大陸文化・学問を学ぶ貴族の子弟の内に、後に時代を大きく揺り動かす事となる二人の若者の姿があった。一人は大臣・蘇我蝦夷(えみし)の嫡子であり、後に大臣の位を継ぐ蘇我入鹿。そして、乙巳の変にて入鹿を討ち取る事となる中臣鎌足であった・・・
代々神祇官を務める中臣氏に生まれた鎌足だが、父・御食子(みけこ)より課せられた修行を厭い、得意とする弓矢を手に狩へと出かけたある日、朝廷に仕える少女・与志古娘(よしこのいらつめ)と出会う。鎌足は少女と心を通わせるが、中臣氏では釣り合わぬと少女の近侍に面罵される。

「中臣」に生まれた者は「中臣」として生きなければならない。生まれに支配された人生を抜け出し、求めるままに生き、与志古と結ばれたい・・・鎌足の胸中に後の彼を導く「改新の志」が芽生えた瞬間であった。その日を境に鎌足は一層学問に打ち込み、学塾随一の秀才、入鹿と肩を並べるまでに成長していく。忌まわしい未来の訪れなど知る由もなく、鎌足と入鹿は互いの才を認め合い、来る「自分たちの時代」の理想を共にし、兄弟にも似た友情を育んでいく。

父・蝦夷より大臣の位を継いだ入鹿は、即位したばかりの皇極天皇に仕える事となる。夫を亡くしたばかりの皇極天皇を傍近くで支えるうち、若き入鹿の抱いていた「理想」は揺らぎ始める。入鹿は変わってしまった。共に描いた理想の為、そして己の志の為、鎌足は皇極天皇の子・中大兄皇子に近づいていくが・・・

大化の改新を成し遂げた稀代の才人、中臣鎌足の波瀾に富んだ生涯を描く楽劇(ミュージカル)。

(画像・本文共に歌劇団公式HPより)


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 「人は生きる。歴史は、作られる。」

役者の素の美しさがより際立つシンプルな衣装と白塗り。努力では得られない、本当に美しいとはこういうことなのかと。退団発表でお二人とも美しさにみがきがかかってきた星組トップコンビ。これまた生田先生の熱量が伝わってくるような作品の予感。脚本たのみます。生で観劇することはかなわないと思うのでせめてライブビューイングをやってくれないかなあ。

 エルベ以来、すっかり星組ファン・・・。

 今さらの宝塚あるあるですが、上演日程の〇から〇の、「から」の部分がトップコンビのシルエットの絵になっているのですが、宝塚大劇場と東京宝塚劇場のチラシ、毎回その部分が内容にそった絵になっているんですね。気づいていなかったです。20年前はそこまで凝っていなかったのでいつの間にホスピタリティをあげたのか。宝塚大劇場は平日も夜の部、15時開演なんだということにも気づきました。だから日帰りバスツアーが可能なわけで、ビジネス街にある東京宝塚劇場と違うんだなあと。役者さんたちも宝塚大劇場と東京宝塚劇場ではリズムが違うから大変ですね。

井上靖『西域物語』_終章より

2019年03月08日 18時38分25秒 | 本あれこれ
「一つの民族の興亡の間には、その民族の悲しみや悦びを伝える挿話は無数に生まれている筈である。まして紀元前から今日までの気が遠くなるような長い歳月の間には、数えきれないほどの美しい恋も、悲しい別離も、いまの私たちが想像できないほどの楽しい団らんも、幸福も、不幸もあった。天山の奥深い山ひだの中にも、キジル・クム砂漠のまっただ中にも、あるいはシル・ダリヤ、アム・ダリヤの河岸にもあった。ただそれらを、歴史の大きい波が跡形もなく飲み込み、影も形もなくしてしまったのである。

 いまの中国の甘粛省の沙州(さしゅう)付近に往古の国境の町敦煌はあったが、その西方の見張塔の中からサマルカンドの若い娘の手紙は発見されている。それはサマルカンドに住む母親に宛てたもので、ソグド語で書かれてあり、四世紀初頭に属するものであった。娘は自分の悩みや悲しみを生き生きとした表現で母親に訴え、優しい娘の心がその短い手紙の断片によく現れている。この娘はいかなる境遇にあり、いかなる生活を持っていたかわからない。わかることは、彼女が遠い異教にあって、タクラマカン砂漠や天山を越えた向こうの母国の母親のもとに優しい手紙を書いたということだけである。その手紙も砂の中に埋まっていたのであるから、母親のもとには届けられなかったかも知れないし、あるいは別の手紙が母親のもとに届けられたかも知れない。この古い手紙が地上に出たのは1907年、発見者はスタインである。
 ロシアの言語学者の発表によると、パミールの奥深い山ひだの一つに、あたかも地球からその存在を匿(かく)しでもされたような小さい聚落があるが、その聚落で、今はとうになくなったとみられている古代ソグド語が使われていることが発見されたという。ドゥシャンベ北方のヤグノブ峡谷にある山地民族の聚落における話である。ソグドという民族が消えてしまったように、その民族の使っていた言語もまた消えてしまったものとされていたが、パミール山中の一聚落ではそんなことにはお構いなく、その言葉が使われ今日に至っているのである。

 この聚落に住む人々については何もわかっていない。いかなる歴史を持っているかも、いかにしてそこに住みついたかもわからない。ただわかっていることは、彼らが古代ソグド語そのものではないにしても、それを最もよく保存した形において、今もその言葉を使っているということだけである。

 東トルキスタンのトルファン付近の古代高昌国の城跡から十数個のミイラと副葬品が出た。先年亡くなった大谷探検隊の一員であった橘瑞超氏の発掘にかかるものである。男女ともに絹の衣服を纏い、顔面は錦の布地で覆われていた。足には革製の履物を履き、足袋の一つにはウイグル文字が記されてあった。死者の口からはまるい真珠が出た。

 これらのミイラはミイラとして造られたものではなく、降雨がほとんどなく、流砂がどこまでも連なって、温度が非常に高い土地柄のため、高昌国人の埋葬された屍体が自然にミイラになってしまったのである。清野謙次博士の「中央亜細亜発掘のミイラについて」によると、これらのミイラの主の骨格は中国人系で、恐らく高昌国が中国の植民地になった頃、この地に派せられた中国人たちの屍体が千年の歳月を経てミイラとなって現れたのであろうということである。

 しかし、辺境に派せられた遠征の人の家族であったかも知れないし、人質といて送られて来た王族の一家であったかもしれない。正確なことは何もわからないのである。わかっていることは、千年前に天山北路に沿った一つの小さいオアシス国家において、十何個の屍体が手厚く葬られた事実があったというだけである。

 アフラシャブから出た七世紀の壁画にしても、ペンジケントの遺跡から出たソグド人の遺物にしても、キジル・クム砂漠から出た古代ホレズムの城郭にしても、私たちにいろいろなことを語ってくれるが、それにしてもはっきりと語ってくれることはごく僅かで、その周囲を幾重にも謎の深い闇が押し包んでいるのである。

 世界のどの国の、どの民族の歴史でも、わかっている部分よりわからない部分の方が何層倍も大きいことは当然であるが、西域の場合は絶えざる民族の移動、交替と、その度に行われる破壊、建設と、砂漠という特殊な地理的条件とによって、その謎の闇の部分を一層大きい、しかも夢多いものにしているのである。その謎の深い闇の部分が、大勢の探検家や学者たちをこの地域に招いている。最近の考古学者や歴史家たちは別にしても、嘗てのスタイン、ヘディン、ペリオ、ルコック、グリューンウェーデル、コズロフといった私たちに馴染み深い探検家、学者たちも、みなその深い西域の闇の部分に、大きい情熱を持って駱駝を引っ張って入って行った人たちなのである。

 私のような小説家が、砂漠の国々の歴史や風土に惹かれるのも、その未知の闇の部分が、時に異様な五彩の虹の如きものを走らせるからに他ならないのである。機会があったら、もう一度三度目に、私は西トルキスタンの地を訪れてみたいと思っている。勿論西トルキスタンばかりでなく東トルキスタンにも行きたい。タクラマカン砂漠周辺の『漢書』の「西域伝」の故地を経巡ることができたら、どんなに素晴らしいことであろうか、こういうことを考えていると、じいんと体が痺れて気が遠くなる思いである。」
(井上靖著『西域物語』昭和52年3月30日発行、新潮文庫より)

10代の頃、NHKの『シルクロード』をみて遥かなる悠久の大地に憧れました。石坂浩二さんのナレーションが印象的だった番組。敦煌の回に登場された今は亡き井上靖さんの本を何冊も読みました。トルファンからカシュガルまで、天山山脈南路をバスでひた走るツアーに参加したのは湾岸戦争があった年。若かりし頃の心の傷みを伴う思い出の旅。あまり思い出したくない愚かな自分がいた旅。トルファンの高昌国の城跡にも行きました。砂と土の城でした。ミイラをみた記憶があるのですがこの文章に登場するミイラかな、たぶん。男女一対で、男性が穏やかな表情をしているのに対して女性はきっとした表情でこぶしを握りしめていました。男性が亡くなった時一緒に葬られなければならなかったのかなという推測。写真も旅日記も処分してしまいましたがデジタルでは残しているのでいつか生きている間にブログに足跡を残せればと思いつつできていません。

大草原の小さな家への旅日記、追記しました。ご興味あればのぞいてください。

気分転換の投稿でした。



西域物語 (新潮文庫 い 7-22)
井上 靖
新潮社

カウンセリングスクールのつぶやきメモより(14)

2019年03月08日 17時08分49秒 | 祈り
「2004年11月12日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

夕方、会社で受けた変なストレスが強くって、疲れてしまっていて、こわばって、全く創造性がはたらかなかった。
そんな自分を強く感じてつよくなってしまった。
金曜日の夜は、本当につらい。」

 大会社で二人分労働しながら己に鞭打って鞭打って鞭打って、こうして一年近く毎週金曜日の夜カウンセリングスクールに通い、さらにその後一年間の通信教育を経て国家資格に受けったことに、今さらですがこうして振り返ってみると冷静に自分のことながら驚きます。実習先の施設の所長に自分にはできないと言われたことを思い出しました。妹の死と母の病気を受け入れられる自分になりたい一心であり得ない無理をし続けてきました。それでもまだ自分にもういいよっていってあげることができないわたし。昨日主治医になってくれたドクターがアドバイスしてくれた、真面目過ぎる人は気がつかないうちに限界を超えるところまでやっていることがあるので心配、無理はしないようにとの言葉を、年齢も年齢なので心に留めねばと思います。とはいえ、私にとっては9時開始というだけがすべての求人情報をネットでみても全くモチベーションはあがってきません。おごるわけではありませんが、自分がこんなことをやっていては勿体ないと思ってしまう仕事内容でした。駅から徒歩30分で不便すぎることによる制約、バスは一時間に一本の通勤不安で脳みそいっぱい状態になってしまっているのがすごくもどかしいです。とはいえ、自分が努力したら家が駅に近くなるわけでもなく、また家を出て部屋を借りるしかないわけでそこまでするのかどうか、前職で一ミリも自分悪くないのに不動産屋にものすごい剣幕で怒られたり、水漏れ事故スルー物件を借りてしまっていたことなどから不動産屋に行くのもいやで思いきることはできません。この中途半端さがつらいといえばつらい。今の自分の環境と折り合いがつくところで次の居場所を見つけていくしかないですが待ちが長くいたずらに時間ばかりが過ぎてしまっているような感もあります。

 昨日速達で二通目の書類を送った先から午後一で電話がはいりました。応募要件としている資格が違うので今回はやはり受理できないので書類は返送しますとのこと。その先がまだあり、応募要件としている資格がないとできない仕事というわけではないので見直して近いうちにもう一度募集をかける予定、小論文の課題は変えないのでよかったらもう一度応募してくださいとの話。応募要件をかなり限定的にしたことで応募者が少なくこれはと思う人はいなかった様子。就業開始を5月1日としているのは6月1日にするそうです。いずれにしても今私が予定されている面接にいくことはできません、応募要件となっている資格をもっていないから・・・。

 前職の経験を直接は生かせないけれど就業開始時刻が遅いので、一通目の求人と仕事内容はそんなに変わらないだろうし要件となっている資格は違うけど応募できますよ、大丈夫ですよ、とハロワに紹介された二通目の仕事。一通目のがっつりフル勤務はきついこと間違いなしなので、それならと応募したいとその気になり、書類のドラフトを作ってハロワに行き、電話入れてもらった時になって、応募することはできますけど要件の資格を持っている人が優先されます、それでもよければ応募したくださいってなりました。私一通目だけでは気持ちきつきつで他に選択肢がないのは辛いし、ここまで手間をかけたから応募するだけすることにして書類を送りました。ハロワは要件が違っても応募できるって確認したわけでもないまま私に大丈夫ですよと薦めたってことですな。今日の電話でどんな仕事内容かをきくことができたし、募集し直すという情報を得ることができたからよしとしますが、一回一回手間もお金もかかるしエネルギー消耗することなのに、なんか振り回されている? 大丈夫かハロワ。人によりますな。あたりはずれあり。都心にいた時もどっかの大会社の人事を定年退職して雇用されたらしいおじさんのヘンなアドバイスを真に受けていやな思いしたことあるし、どこまで信用していいのか、不安じゃよ。ついでいうなら、送付状つけて資格は違うけどご検討をお願いします云々なんて書いていたら間抜けでした、だってそもそも応募要件を満たしていないんだから、ってくどい?

 一通目は連絡がありません。書類受理後10日間ぐらいってなっているから待つしかないんですけど、あんまりこちらが一方的にへりくだるみたいなのも私いやなんですよね、選ばれるばかりでなくこちらも選ぶ。お金にはならないけれどプレッシャーは軽いパートタイマーに応募し直したい気持ちも生まれきたのですが、こちらも応募要件となっている資格は違うし、ペーパードライバーだし、先般の応募先から連絡もらったので応募してみましたがどうなんでしょうか。ハロワによれば私のこと話がいっているみたいだっていうことだったのですがどうなんでしょうか。今週はもう気力が失せました。明日と明後日で確定申告をすませなければなりません。月曜日は花組の大劇場千穐楽ライヴビューイング。星組のエルベに気持ちをもってかれたままですが楽しい作品ではあるのでここでまた心のエネルギーチャージ。気力を持ち直して火曜日はまたハロワに行きますか。他にも選択肢はあるのかな。待ち状態つらいけど一人暮らしの時の家賃のプレッシャーはとりあえずないので焦っても仕方ないです。しんぼう、しんぼう・・・。

 妹のポケットアルバムにあった写真、まだ昭和の頃、妹はまだ二十歳になっていなかったのかな、関西方面に行ったのは社員旅行なのかな、わかりませんが夜は宿泊先で宴会、カラオケをやっている姿もあります。苦しみと出会う前のおぼこい笑顔。10年後に死んじゃうなんて妹自身も知らなかったよね。楽しい旅行だったかな。幸せな時間を過ごすことができていたのなら、楽しい時間があったのならそれでいい。私自身が納得。まだまだ写真はあるので少しずつ、少しずつ・・・。

 家にいるとつかれたようにひたすら断捨離をやってしまいます。なにかしていないと落ち着きません。こもっているのはよくないのでまた自転車でファミレスに来ています。顔を覚えられてしまったかもですが機械的なんだから気にしない、気にしない。