たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_二度目の観劇でした(6)

2019年03月17日 23時25分14秒 | 宝塚
 哀しい物語なのに思い出すとなぜか温かい気持ちになれる舞台。宝塚で他にも書きたいこと、勝手に書けていないと思うことがあるのですがエルベの余韻がとまりません。カールが札束でマルギットの背中を叩くシーン、カールがシュラック家を出て銀橋でアンゼリカと再会するシーン、ヴェロニカの膝の上で泣くシーン、どれもカールの言葉ひとつひとつから魂がこぼれ落ちてくるような、命がけの言葉だったことが忘れられません。出航しようとするフランクフルト号の甲板でカールが歌うラストシーン、カールにはマルギットとフロリアンの声がきこえないし姿もみえない、二人がきていることを知らないまま旅立っていることを知り、カールの微笑みを思い出すとまた一段と余韻が深いです。気がつけば早いもので東京宝塚劇場の千穐楽ライブビューイングまであと一週間となりました。自分、ここまで居場所が見つけられないままとは思ってなかった、車社会の中でペーパードライバーの居場所はないってわかっていなかった、という話はおいておいて・・・。


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第2場 ハンブルクの酒場フロースト-出会い

カール『ビア祭を踊ろうよ
 若い体弾ませ
 高い空に響かせ
 夢のひとときに
 ブラボー』
 音楽は一旦終わる。

ミリー「次は誰だい」

カール「どうぞ」

 カールがマルギットを促す。

マルギット『秋の実り
 共に さあ祝いて飲もう 旨酒を
 秋の実り
 共に さあ祝いて踊ろう』

 マルギットはおっかなびっくり歌い出すが、やがて楽しくなる。

全員『ビア祭りを歌おうよ
 高い空に響かせ
 ビア祭りを踊ろうよ
 若い体弾ませ
 ビア祭のグラスから
 恋の言葉こぼれて
 ビア祭の泡のように
 恋が心溢れる』

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「ル・サンク」の脚本を読めば読むほど、言葉が美しく、説明台詞がなく多くは語られていない言葉の裏からそれぞれの人間像と舞台では描かれていない場面が立ち現れてくる巧さにうなります。読みこむほどに味わい深く、新しい発見があります。言葉の厚みが素晴らしい脚本だと思います。

 このマルギットがカールに促されてだんだん元気よく歌っていく場面の、マルギットの声がすごく好きだなあと思い出しています。ブログでは声を伝えられないの残念ですが地声は低めの綺咲愛里さんの、ノッテくる歌声が、技術的には上手くないのかもしれませんが、今まで自分が知らなかった世界との出会いに戸惑いを感じながらもときめきを感じて悦びを抑えきれないマルギットそのものでしかなく心地よかったです。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・タカラヅカ」。開幕を告げる紅ゆずるさんのアナウンス、この声がカールで「ワンス~」が紅さんの声にすごくあっていて現代では有り得ないおとぎ話の世界へと観客は誘われていっているのだと二度目に観劇したとき思いました。舞台の灯りがつくとひとり銀橋に紅さんが立っていて歌う「鴎の歌」、これがまた紅さんの声にすごく合うなあと思いました。1963年初演の作品の言葉は古くさいのに、美しく違和感なく、平成最後の年の舞台に輝きをもって美しく昇華されています。紅カールと紅カール率いる星組のマジックとしか言いようがありません。紅ゆずるさんのタカラジェンヌとしての真髄を最大限に引き出した上田久美子先生の手腕に感服。男役にも娘役にも背中で演技をさせるウエクミマジックの勝利。『金色の砂漠』『星逢一夜』『神々の土地』・・・、魂を揺さぶるような作品を魅せてくれたウエクミ先生ならではの演出。SNSをみていると、今の星組にあわせて新たに加えられたキャラクターもあるようですが全く違和感なく溶け込んでいます。
 
 他にも書きたいことあって、有紗瞳さん演じるマルギットの妹シュザンヌが残酷なまでに切ない役だなあとか、シュラック家の結婚披露のパーティでピアノを弾いていたエドガー役のジェンヌさん、どなたかなと気になったら漣レイラさん。愛里さん、礼真琴さんと同じく本当にピアノを弾いていらっしゃってジェンヌさんってすごい。ショー『エストレージャス』ではソロで素晴らしいダンスを魅せてくれた男役さん。フランクフルト号の水夫たちが魚釣りをしている場面でオケピットに餌をつけてもらっている?魚をつけてもらっている?ようですが一階席だとみえなかったのが残念。花道でわちゃわちゃとしているところは私の席からばっちりみえて、みなさん水夫がお似合いだし、世界観をうまく醸し出しています。水夫と上流階級という二つの世界が舞台に同居しているのに違和感がない。客席降りがある大捜索の場面の最後に、偽カールと偽マルギットが登場するのも、私の席からだと遠くてあまりわからなかったのも残念。あとで英真なおきさんと美稀千種さんとわかり、客席の笑いを誘う間がさすがだあと思いました。

 トップコンビの最後のデュエットダンスでカールとマルギットが再会して観客はこの上もなく幸せな気持ちになるので、この二本立ては奇跡の出会い。お芝居では昇華できなかった気持ちがショーで昇華できるのが宝塚の素敵なところ。フロリアンのことも書きたいのになかなかたどりつきません。


 『鎌足』のチケット、梅芸の一般発売、本日10時からでした。友の会もぴあも先行抽選で外れたのでトライしてみました。10時1分にはすべて完売。直後にチケット流通センターのサイトをみると600枚以上にチケットが定価の倍以上で売られています。これが転売目的でなくてなんなのか、実効性のない法律なんて無意味や。しかも取引中とか表示されているものもあって、買っちゃだめだよ。一枚でも多く本当に観劇したい人の手に渡りますように・・・。私も観たい。ライブビューイングやってくれないかなあ。

歌劇の殿堂から。
(すでにのせているものとダブっているかもしれません。チャンネルにまとめています。)









































ライブビューイングのカメラワーク、台湾公演の時のように星組と作品をよくわかっているであろうカメラマンさんによる映像でありますように。比べちゃいけないけど『CASANOVA』とちがって繊細な繊細な魂の芝居。カメラワークが素晴らしいものでありますように・・・。

やっと『モネ展』に行ってきました(4)

2019年03月17日 16時46分46秒 | 美術館めぐり


クロード・モネ《セーヌ河の日没、冬》
1880年 油彩、キャンヴァス ポーラ美術館

「1878年にパリから転居したヴェトゥイユの地で、モネは氷結したセーヌ河の光景に想像力を刺激され、大気、光線、水面の表情が刻々と変化するさまを異なる時間帯で描き分けました。のちの「連作」の先駆けとなった作品のひとつです。」(公式HPより)

「グループ展(のちに印象派と呼ばれる画家たちの展覧会)を始めたばかりのモネに、(時代を代表する「巨匠」となる)未来のことなどわかるはずもない。好転しない(かんばしくない)世評に、彼は苛立つばかりだ。まして彼には、家族がある。パリに出てまもなく知り合い、以来長く生活をともにする女性カミーユと、まだ幼い二人の息子たちである。そのモネにとって、作品が売れないということは一家の困窮を意味する。大都会(パリ)での一家の生活は立ち行かず、街の喧騒にもなじめないモネはやがてパリを出ることを決意。一家はセーヌ川流域を転々とする。パリからアルジャントゥイユへ、そしてヴェトゥイユへ。
 しかもこのときモネは、複雑な人間関係の渦中にあった。次男を産んだあとしばらく病床になったカミーユは、1879年、ヴェトゥイユの家で32年間の短い生涯を閉じる。ところがモネはそれと前後して、一人の別の女性との関係を深めてゆくのである。彼女の名はアリス・オシュデ。モネの絵画を購入してくれた実業家エルネイスト・オシュデの妻である。しかしアリスとその子どもたちは当時、夫の事業が破綻したため、モネ一家と共同生活を送っていた。病床のカミーユの看護には、アリス・オシュデもあたっている。」
(小学館ウィークリーブック西洋絵画の巨匠「モネ」より)


絶望の中に希望を見いだそうとするモネが立ち現れてくるような作品。
氷の塊はのちの睡蓮を思わせるという学芸員の方のお話でした。



クロード・モネ《霧の中の太陽》
1904年 油彩、キャンヴァス 個人蔵

「モネは1899年から数年にわたり、ロンドン名物である霧に包まれたテムズ河畔の光景を繰り返し描きました。淡い色彩の重なりが生み出すヴェールに覆われたような空間表現に、印象派の筆触分割を乗り越えた画家の新境地が示されています。」(公式HPより)

《チャリング・クロス橋》《テムズ河のチャリング・クロス橋》と並ぶ、ロンドンシリーズ三部作のひとつ。三作が並べて展示されていなかったところにモネとのあらたな出会いを見つけてほしいというこの展覧会の意図がありました。

この作品だけ壁ではなく、展示室内の突起したところに展示されていて部屋の入口からはみえませんでした。なかなかに面白い展示の仕方でした。

朝のテムズ河の揺らめきが、少し遠くからみるとよくわかりました。太陽が反射しています。絵の具を混ぜるのではなくそのままキャンヴァスにのせていくことでテムズ河の揺らめきを表現したという学芸員の方のお話でした。見る位置によって見え方が違っていて不思議な感覚の作品でした。




クロード・モネ《睡蓮、水草の反映》
1914-17年 油彩、キャンヴァス ナーマッド・コレクション(モナコ)

「水面に浮かぶ睡蓮と、水辺に生い茂る草が、画面の両端から割り込んでくるように配置されています。その大胆な構図と、やや横に長くとられた画面のフォーマットは、この時期に画家が着手したオランジュリー美術館の大装飾画との関連をうかがわせます。」(公式HPより)

オランジェリー美術館の習作、「朝」の一部という学芸員の方のお話でした。

パリのオランジェリー美術館で、壁一面にひろがる睡蓮の絵に包まれた幸せなひと時を忘れることはありません。この世にいる間にもう一度行くことができるでしょうか。行けるといいな。2008年の旅、フリータイムはオルセー美術館よりもオランジェリー美術館に行って正解だったようです。