たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

道のりはけわしい

2019年03月26日 19時52分20秒 | 日記
 妹が遺した大量の布と手作りの洋服たちをなんとかしたくて先週インターネットで見つけた県内の業者にきてもらいました。あまりネガティヴな言葉を使わない方が・・・なんですが、モノとお別れしていく道のりは本当にけわしいです。まとめて処分して軽くなっていくための一番の近道はお金を出して業者に頼むこと。そうでなければ、地道に少しずつ自治体の燃えるゴミに出していく以外行く場所と方法はありません、残念ですが・・・。

 父も母も全く手をつけることのなかった、言い方を変えれば父と母が存命中はほとんど手をつけることのできなかった妹が遺した大量の荷物たち。私自身が解放されたくてなんとかしようとしているのですが・・・全部お別れするまでの道のりはけわしいのだとあらためてわかり、ため息・・・。

 まだモノを捨てるという考え方がなかったころ、モノを捨てるにはお金がかかるのだという感覚がなかったころに洋服を創るつもりでどんどんと買いためていったであろう布たち、洋服を創ったあとに残り、またいつか使おうと手元に残したであろう布たち。押し入れを整理し始めると衣装ケース4個分はあります。帰省するたびに処分してきたつもりだった洋服たちもまだまだあります。丁寧に創られた洋服たちは劣化しており型も時代にあいません、買った時には高かったであろう革のコート・ジャケットも劣化しており売れないので引き取ってもらうことはできませんでした。二束三文でも値段がついて引き取ってもらえたのはカバン、小物入れ、アクセサリー類、折りたたみ傘でした。

 収納スペースがたくさんあるのもよくないですね。モノがどんどんたまります。押し入れの上段を開けると、箱にしまわれたブランドバッグが20点ぐらいかな、出てきました。30年近く眠り続けたままだった電動ミシンの上下も二束三文ですが値段がつきました。これだけでも値段がついて引き取ってもらえたのだからよかったと考えましょうかね。床の間の収納スペースから出てきた母のお茶道具、花瓶の一部、父が遺した置物の一部、切手、ニセ小判も二束三文ですが値段がつきました。若かりし頃私が買ってきた仙台のこけし、ディズニーのクリスマスプレート、ブランド物のお皿も少しですが値段がつきました。これまた大量にある土産物の置物たちはほぼ引き取ってもらうことができませんでした。母がまだ元気だったころ北海道旅行に行って買ってきたアイヌの置物たち。他にも旅行先で買ってきたであろう細々とした置物たち。

 まとめて引き取ってもらってほんの数千円。貴金属類が出てくると値段がつくそうですがそんなことは滅多になく、値段つかないのかあと思わずため息が出てしまうのは私だけではなく、こうして遺品整理をしている人はみな同じ。主がこの世からいなくなればただのゴミでしかない大量のモノたちとやはり格闘しているそうです。片付けたと思ったら次々と出てくる、モノを買う時には捨てることを考えなくてはいけないという考え方がまだなかったころにどんどん買いためられたモノたち、収納スペースがあるからためこんだままになっていたモノたち、ああまだまだある、はあ・・・。


 これまたお別れするのがむずかしい写真も大量にあるなあ。昔のアルバムにびっちり、はあ・・・。


 三週間前に一通目の書類を送った事業所から今日のお昼にようやく電話がありました。一週間前にハロワを通して確認したからもうよかったのですがあらためて他の人を採用しました、書類どうしましょうかとの連絡でした。廃棄してくださいとお願いしました。理由は持っている資格が応募要件と違うからだそうです。2月の面接でぜひ経験を生かして力を貸していただきたいと言われ不合格通知がきたあとにこの求人がでていると連絡があったのはなんだったのかわかりません。特に私の話がいっていたわけでもなかった?わかりません。触れていいのかどうかわからないので触れませんでした。領域がかぶっているもう一つの資格がないとできないという仕事ではなく、前職の都心の事業所はそこ門戸を広げていました。募集する側は要件をうたっていてもマニュアル通りにやっているだけでよくわかっていないようだということがわかりました。逆にきかれてしまったので前職はこうだったこと、試験内容が半分はかぶっていることを伝えました。今回私の持っている資格ではダメなのか委託元に交渉したけれど今回はダメとのことだったと。二通目と同じで、私がこうして書類を送ったことで、応募してくださるかどうかわかりませんが次回募集をかけるときは要件を見直しますとのこと。三週間待たされた挙句にそんなことを言われても、っていう感じです。はっきり言って遅れていると思います。これが都心と地方の差なのか。明確な理由がわからずモヤモヤしていたのではっきりわかったのはよかったです。これで郷里が学んで見直すきっかけとなったのならそれはひとつよかったのか、でも私の居場所は見つからない。車社会ということだけでなく、幾つかの意味で都心と地方では大きく違うのだということを認識しないと郷里で生きていくことはできなのだとまたひとつ私のなかで学び。私の中に沁みついている感覚がなかなか切り替わらないままの毎日。これ以上社会とのつながりが切れたままだと、社会復帰できないのではないかという焦りが生れています。選択肢が限られているなかでどこに居場所を求めていけばいいのか。
 
 荷物を軽くして新しい道へと歩いていきたいですが、道のりはけわしい・・・。

 モノを買ってはいけない、自分のモノは自分がこの世にいる間に整理すべしですな。
 
 明日はまたエルベの観劇日記を書けるといいな。紅さんの喉が心配です。これからの舞台に影響でないレベルだといいのですが・・・。

月組『カンパニー』『BADDY』東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング- 思い出し日記(2)

2019年03月26日 08時51分04秒 | 宝塚
「初めて担当させて頂くショー作品も、やっぱり「ようわからん」ショーです。こうすればショーがショーとして成立する、という手法は先達が試行錯誤の中で練り上げてきたものですが、今回のショーはそれを踏襲しているとは言えず、稽古をしながら私も不安がありますし、出演者たちも少々訝しく思っていることでしょう。

 私はタバコは吸いません。煙も嫌いです。でも、葉巻がなくてもヘミングウェーはあんな作品を書けただろうかとか、紫煙にけぶるカフェでなければサルトルとボーヴォワールの恋は生まなかったかもとか、想像することがあります。
 
 グレーなものが押しやられて狭い範囲の白い領域だけで生きなければならないこの時代。ダメなもの、人が嫌うものの範囲がどんどん広がり全ての不快を排除しつつある現在。潔癖な無菌室で生きる私たちは心の花粉症にかかったように刺激物に過敏になり、小さな衝突も避けるようになった。人生に多少の痛みや毒がつきものだった時代には、世界にははっきり白と黒のコントラストがありグレーな部分も「必要悪」と呼ばれたりして、心にも、愛や憎しみのはっきりしたコントラストがあったような気がします。人々が強く人間らしい心を持っていたそんな時代の文学や舞台は今よりも面白かったかもしれません。
 
 日本の中だけを漂白したって、地球には善と悪が共存し続けます。また善と悪をどうわけるかも曖昧であり、権力や社会の影響を受けて善と思い込んでいるだけかもしれない。多くの歴史上の悲劇は、それが善と潔癖に信じた者によってこそもたらされた。悪を知り、善悪の相対性を考えることのほうが悪を目に触れない場所にしまいこんで無知でいることよりも、平和のために必要なことではないでしょうか。

 テレビから喫煙シーンが駆逐されたように、舞台でもタバコを吸えなくなる日がくるでしょう。今のうちに失われゆく悪と自由への挽歌を歌ってみたい。

 極悪非道のショー『BADDY』が誕生した所以であります。」

(東京公演プログラムより上田久美子先生のメッセージ)

 わけがわかったようなわからないような、「ようわからん」ショーでした。極悪非道のBODDYを、珠城りょうさんの素の心根の優しい感が滲み出てしまい極悪非道になりきれていないところが面白いと思いました。フィナーレの大階段でトップスターがサングラスをかけて大羽根背負って降りてくる、シャンシャンはタバコ、後にも先にもないのかもしれません。賛否両論あったと思います。今までにないものを生み出し続けるウエクミ先生、これからも役者の奇跡をひきだす作品を期待しています。


 ウエクミ先生作詞のテーマソング、

「BADDY BADDY BADDY
  ハッハッハッ

 BADDY BADDY BADDY
  ははははは!

 BADDY BADDY BADDY
  I,m cool・・・

 BADDY BADDY BADDY
  I,m hot・・・

 BADDY BADDY BADDY
  I,m free・・・

 邪魔だ どけ!

 誰も俺を止められない 悪逆非道

 Don,t stop me,I am BAD!

I,m BADDY!

天国なんて行きたくない
 
 天国なんて

 ばあさんたちの行く場所さ

 冗談じゃねえ

 BADDY BADDY BADDY

 堕ちてやるぜ 地獄

 BADDY BADDY BADDY

 宇宙一 悪党

 Be Free! 」

 犬養孝著『万葉の人びと』に言霊信仰ということが書かれています。「言葉には霊魂がある、命がある、だから良い言葉を使えば良いことが実現し、悪い言葉を使えば悪いことが実現するとする信仰といったらいいと思うのです。」

 ウエクミ先生の歌詞にはどんな言霊が宿っているのだろかとふと思います。良い言霊?悪い言霊?善悪だけのカテゴリーではくくり切れない魂が宿っているような気がします。

 完全に自己満足の思い出し日記、あと一回だけ書くかな。