妹が遺した大量の布と手作りの洋服たちをなんとかしたくて先週インターネットで見つけた県内の業者にきてもらいました。あまりネガティヴな言葉を使わない方が・・・なんですが、モノとお別れしていく道のりは本当にけわしいです。まとめて処分して軽くなっていくための一番の近道はお金を出して業者に頼むこと。そうでなければ、地道に少しずつ自治体の燃えるゴミに出していく以外行く場所と方法はありません、残念ですが・・・。
父も母も全く手をつけることのなかった、言い方を変えれば父と母が存命中はほとんど手をつけることのできなかった妹が遺した大量の荷物たち。私自身が解放されたくてなんとかしようとしているのですが・・・全部お別れするまでの道のりはけわしいのだとあらためてわかり、ため息・・・。
まだモノを捨てるという考え方がなかったころ、モノを捨てるにはお金がかかるのだという感覚がなかったころに洋服を創るつもりでどんどんと買いためていったであろう布たち、洋服を創ったあとに残り、またいつか使おうと手元に残したであろう布たち。押し入れを整理し始めると衣装ケース4個分はあります。帰省するたびに処分してきたつもりだった洋服たちもまだまだあります。丁寧に創られた洋服たちは劣化しており型も時代にあいません、買った時には高かったであろう革のコート・ジャケットも劣化しており売れないので引き取ってもらうことはできませんでした。二束三文でも値段がついて引き取ってもらえたのはカバン、小物入れ、アクセサリー類、折りたたみ傘でした。
収納スペースがたくさんあるのもよくないですね。モノがどんどんたまります。押し入れの上段を開けると、箱にしまわれたブランドバッグが20点ぐらいかな、出てきました。30年近く眠り続けたままだった電動ミシンの上下も二束三文ですが値段がつきました。これだけでも値段がついて引き取ってもらえたのだからよかったと考えましょうかね。床の間の収納スペースから出てきた母のお茶道具、花瓶の一部、父が遺した置物の一部、切手、ニセ小判も二束三文ですが値段がつきました。若かりし頃私が買ってきた仙台のこけし、ディズニーのクリスマスプレート、ブランド物のお皿も少しですが値段がつきました。これまた大量にある土産物の置物たちはほぼ引き取ってもらうことができませんでした。母がまだ元気だったころ北海道旅行に行って買ってきたアイヌの置物たち。他にも旅行先で買ってきたであろう細々とした置物たち。
まとめて引き取ってもらってほんの数千円。貴金属類が出てくると値段がつくそうですがそんなことは滅多になく、値段つかないのかあと思わずため息が出てしまうのは私だけではなく、こうして遺品整理をしている人はみな同じ。主がこの世からいなくなればただのゴミでしかない大量のモノたちとやはり格闘しているそうです。片付けたと思ったら次々と出てくる、モノを買う時には捨てることを考えなくてはいけないという考え方がまだなかったころにどんどん買いためられたモノたち、収納スペースがあるからためこんだままになっていたモノたち、ああまだまだある、はあ・・・。
これまたお別れするのがむずかしい写真も大量にあるなあ。昔のアルバムにびっちり、はあ・・・。
三週間前に一通目の書類を送った事業所から今日のお昼にようやく電話がありました。一週間前にハロワを通して確認したからもうよかったのですがあらためて他の人を採用しました、書類どうしましょうかとの連絡でした。廃棄してくださいとお願いしました。理由は持っている資格が応募要件と違うからだそうです。2月の面接でぜひ経験を生かして力を貸していただきたいと言われ不合格通知がきたあとにこの求人がでていると連絡があったのはなんだったのかわかりません。特に私の話がいっていたわけでもなかった?わかりません。触れていいのかどうかわからないので触れませんでした。領域がかぶっているもう一つの資格がないとできないという仕事ではなく、前職の都心の事業所はそこ門戸を広げていました。募集する側は要件をうたっていてもマニュアル通りにやっているだけでよくわかっていないようだということがわかりました。逆にきかれてしまったので前職はこうだったこと、試験内容が半分はかぶっていることを伝えました。今回私の持っている資格ではダメなのか委託元に交渉したけれど今回はダメとのことだったと。二通目と同じで、私がこうして書類を送ったことで、応募してくださるかどうかわかりませんが次回募集をかけるときは要件を見直しますとのこと。三週間待たされた挙句にそんなことを言われても、っていう感じです。はっきり言って遅れていると思います。これが都心と地方の差なのか。明確な理由がわからずモヤモヤしていたのではっきりわかったのはよかったです。これで郷里が学んで見直すきっかけとなったのならそれはひとつよかったのか、でも私の居場所は見つからない。車社会ということだけでなく、幾つかの意味で都心と地方では大きく違うのだということを認識しないと郷里で生きていくことはできなのだとまたひとつ私のなかで学び。私の中に沁みついている感覚がなかなか切り替わらないままの毎日。これ以上社会とのつながりが切れたままだと、社会復帰できないのではないかという焦りが生れています。選択肢が限られているなかでどこに居場所を求めていけばいいのか。
荷物を軽くして新しい道へと歩いていきたいですが、道のりはけわしい・・・。
モノを買ってはいけない、自分のモノは自分がこの世にいる間に整理すべしですな。
明日はまたエルベの観劇日記を書けるといいな。紅さんの喉が心配です。これからの舞台に影響でないレベルだといいのですが・・・。
父も母も全く手をつけることのなかった、言い方を変えれば父と母が存命中はほとんど手をつけることのできなかった妹が遺した大量の荷物たち。私自身が解放されたくてなんとかしようとしているのですが・・・全部お別れするまでの道のりはけわしいのだとあらためてわかり、ため息・・・。
まだモノを捨てるという考え方がなかったころ、モノを捨てるにはお金がかかるのだという感覚がなかったころに洋服を創るつもりでどんどんと買いためていったであろう布たち、洋服を創ったあとに残り、またいつか使おうと手元に残したであろう布たち。押し入れを整理し始めると衣装ケース4個分はあります。帰省するたびに処分してきたつもりだった洋服たちもまだまだあります。丁寧に創られた洋服たちは劣化しており型も時代にあいません、買った時には高かったであろう革のコート・ジャケットも劣化しており売れないので引き取ってもらうことはできませんでした。二束三文でも値段がついて引き取ってもらえたのはカバン、小物入れ、アクセサリー類、折りたたみ傘でした。
収納スペースがたくさんあるのもよくないですね。モノがどんどんたまります。押し入れの上段を開けると、箱にしまわれたブランドバッグが20点ぐらいかな、出てきました。30年近く眠り続けたままだった電動ミシンの上下も二束三文ですが値段がつきました。これだけでも値段がついて引き取ってもらえたのだからよかったと考えましょうかね。床の間の収納スペースから出てきた母のお茶道具、花瓶の一部、父が遺した置物の一部、切手、ニセ小判も二束三文ですが値段がつきました。若かりし頃私が買ってきた仙台のこけし、ディズニーのクリスマスプレート、ブランド物のお皿も少しですが値段がつきました。これまた大量にある土産物の置物たちはほぼ引き取ってもらうことができませんでした。母がまだ元気だったころ北海道旅行に行って買ってきたアイヌの置物たち。他にも旅行先で買ってきたであろう細々とした置物たち。
まとめて引き取ってもらってほんの数千円。貴金属類が出てくると値段がつくそうですがそんなことは滅多になく、値段つかないのかあと思わずため息が出てしまうのは私だけではなく、こうして遺品整理をしている人はみな同じ。主がこの世からいなくなればただのゴミでしかない大量のモノたちとやはり格闘しているそうです。片付けたと思ったら次々と出てくる、モノを買う時には捨てることを考えなくてはいけないという考え方がまだなかったころにどんどん買いためられたモノたち、収納スペースがあるからためこんだままになっていたモノたち、ああまだまだある、はあ・・・。
これまたお別れするのがむずかしい写真も大量にあるなあ。昔のアルバムにびっちり、はあ・・・。
三週間前に一通目の書類を送った事業所から今日のお昼にようやく電話がありました。一週間前にハロワを通して確認したからもうよかったのですがあらためて他の人を採用しました、書類どうしましょうかとの連絡でした。廃棄してくださいとお願いしました。理由は持っている資格が応募要件と違うからだそうです。2月の面接でぜひ経験を生かして力を貸していただきたいと言われ不合格通知がきたあとにこの求人がでていると連絡があったのはなんだったのかわかりません。特に私の話がいっていたわけでもなかった?わかりません。触れていいのかどうかわからないので触れませんでした。領域がかぶっているもう一つの資格がないとできないという仕事ではなく、前職の都心の事業所はそこ門戸を広げていました。募集する側は要件をうたっていてもマニュアル通りにやっているだけでよくわかっていないようだということがわかりました。逆にきかれてしまったので前職はこうだったこと、試験内容が半分はかぶっていることを伝えました。今回私の持っている資格ではダメなのか委託元に交渉したけれど今回はダメとのことだったと。二通目と同じで、私がこうして書類を送ったことで、応募してくださるかどうかわかりませんが次回募集をかけるときは要件を見直しますとのこと。三週間待たされた挙句にそんなことを言われても、っていう感じです。はっきり言って遅れていると思います。これが都心と地方の差なのか。明確な理由がわからずモヤモヤしていたのではっきりわかったのはよかったです。これで郷里が学んで見直すきっかけとなったのならそれはひとつよかったのか、でも私の居場所は見つからない。車社会ということだけでなく、幾つかの意味で都心と地方では大きく違うのだということを認識しないと郷里で生きていくことはできなのだとまたひとつ私のなかで学び。私の中に沁みついている感覚がなかなか切り替わらないままの毎日。これ以上社会とのつながりが切れたままだと、社会復帰できないのではないかという焦りが生れています。選択肢が限られているなかでどこに居場所を求めていけばいいのか。
荷物を軽くして新しい道へと歩いていきたいですが、道のりはけわしい・・・。
モノを買ってはいけない、自分のモノは自分がこの世にいる間に整理すべしですな。
明日はまたエルベの観劇日記を書けるといいな。紅さんの喉が心配です。これからの舞台に影響でないレベルだといいのですが・・・。