「与える 1944年3月26日
わたしは思うんです。暖かい、居心地のよい家庭でしあわせいっぱいに暮らしている人たちに、物乞いであることがどんなことであるか、想像できるかしらって。「育ちのいい」そういう人たちは、近所の貧しい人たちや、その日のパンにも恵まれない子どもたちのことを、真剣に考えてみたことが、ただの一度でもあるでしょうか?
たしかに、だれでも、気が向けば、物乞いに二、三枚の銅貨ぐらいは恵んでやります。でも、正直いって、心の広い人たちでも、物乞いの手の中に、さっと押し込めるが早いか、ドアをバタンと閉めてしまいます。そして、(やれやれ、あのきたない手でさわられなくてよかった)と、身ぶるいするのです。そして、物乞いは、恵んでもらった銅貨を、いまにも舗道にたたきつけんばかりに握りしめながら、家の方をにらみつけます。それを見て、みんなは、(人に恵んでもらったくせに、なんて無礼な)と、非難します。でもわたしには、物乞いの気持ちがわかります。人間扱いされずに、野良犬扱いされれば、だれだって-
経済的にも豊かで、法に守られ、モラルの高いといわれるこの国で、
人間をこのように扱うなんて感心できません。いえ、ほんとうにいけないことだと思います。裕福な人たちのほとんどが、物乞いを、軽蔑すべき人で、不潔で、社会のくずで、無作法で、教育のない人たちと、頭から決めつけています。
でも、そういう人たちは、かわいそうな物乞いの多くが、生まれながらの物乞いではないことに気づいていません。そして、どうしてそのような気の毒な境遇におちいったのか、じっくり考えてあげたことなど、ただの一度もないのではないでしょうか?
みなさんのお子さんと、そういうかわいそうな子どもたちを、ちょっと較べてみてください。いったいどんな違いがあるのでしょう。みなさんのお子さんは、清潔で、しゃれた服を着ていて、片方は、不潔で、みすぼらしい服を着せられていますね。でも、違いというのは、たったそれだけなのです。
もしも、かわいそうな物乞いの子どもが、小ざっぱりした服を着せてもらい、ちゃんとしたお行儀を教わることができたら、もう、そこには一点の違いもなくなるはずです。
この世に生まれ出てきたときは、みんな裸で、ひとり立ちできないし、無邪気でもあります。みんな同じ空気を吸って、同じお日さまの光を浴びて、大ぜいの人が同じ神さまを信じているのです。それなのに、あっという間に、はかり知れないくらい大きな違いができてくるのです。いえ、違いがあると、多くの教養ある人たちでさえ、頭から信じこんでいて、考えてみようとしないのです。もし考えてみたら、じつはぜんぜん違いなんかないことに気づくでしょう。
みんな同じように生まれて、みんな公平に死んでいかなければなりません。どんな偉人だって、永遠につづく栄光を残せません。権力も名声も、ほんのつかの間しか続きません!
はかない浮き世のそんなことに、みんなはどうして、そんなに必死になってしがみつくのでしょう?どんな富だって、あの世にまで持っていくことなんかできません。それなのに、必要以上に持っているのに、ほんのお余りすら、仲間の市民に分けることができない人が、なんと多いことか。
そして逆に、この世の限られた年月、一部に人たちだけが、どうしてもああも必要以上に、つらい、悲しい思いをしなければならないのでしょう。
ともかく、たくさん持っている人は、貧しい人たちに、心からの贈り物をあげて、ののしるのを止めてほしいものです。だれでも、優しくしてもらい、温かい励ましのことばをかけてもらう権利はあるのです。
おお、それなのに、多くのひとたちは、なぜ貧しい女の人たちよりも、お金持ちの女の人のまわりにアリのように群がって、おべんちゃらをいい、優しくするのでしょう? お金持ちの婦人には善き性格が、貧しい婦人には嫌われる性格が備わっているといういうわけではないのに。
人の真の偉大さは、富や権力にあるのではなく、人格や善良さにあるのです。みんな人間です。アラも欠点もあります。でも、お金持ちの家に生まれた人もそうでない人も、人間だけがもつ美点を多く備えてこの世に生まれてきています。
もし、お金持ちの人たちが、恵まれない人たちの子を、持って生まれた美点をそこなわせるような軽蔑の目で見ずに、励ましと親愛の目で暖かく見守ってやれば、その子たちもすばらしい人生のスタートが切れるというものです。人生のスタートに必要なのは、お金や物ではないのです。
この世界をより精神的に豊かにするのは、そんなにむずかしいことではないと思います。すべては、ちょっとしたことで始まります。たとえば、電車の中、お金持ちの身なりのいい婦人たちのためだけに席を譲らないで、貧しいお母さん、重い荷物を持ったお母さん、子どもをつれたお母さんたちにも譲ってあげてください。それから、貧しい人の足をあやまって踏んづけてしまったときも、お金持ちの人の足を踏んだときと同じように、丁重にあやまってください。よい例は、みんなが見習うものです。あなたが先頭に立って、そのよい前例を作るようにしてください。そうすれば、みんなもすぐ、ついてくるでしょう。
いまよりも、もっともっと多くの人たちが、貧しい人たちに対して、好意的で寛大になって、しまいには、貧しい人たちも、貧しいというだけでもう見下げられなくなるでしょう。
ああ、もし、わたしたちみんなが、それに気づいたなら、だれに対しても心から親切にしてあげようと思いたったら、そして、ヨーロッパいえ、世界じゅうの人たちがまねをしてくれたら、さらに、人間はみな平等で、他のことはすべていっさいが一時的なものだということをわかってくれたら!
そしたら、その瞬間から、わたしたちの世界は、ゆっくりですが、すこしずつすこしずつ変わり始めるのです。しかも、その源の力は、わたしたちが今すぐにでも始められる小さなことからだなんて、考えただけで、すてきじゃない!
有名な人も、無名な人も、名誉や利害を離れて、ただただ正当公平のために尽力するなんて、すてきじゃやない!
しかし、ここでわたしたちはまず、自分自身のことを振り返ってみる必要があると思います。
多くの人は、他人に対してつねに正義、公平を要求します。そして同時に、自分はつねに、不当に扱われていると不平をあらわにします。しかし、ここで目を開いて、自分自身が他に対して、あらゆることでつねに公正であるかどうか、冷静に反省してみてください。
与えてください、あなたのできうるかぎり!
わたしは、物質だけをいっているのではありません。優しさです。励ましです。小さな親切です。その気にさえなれば、みなさんは、いつでも何かを与えることができるはずです!
もし、わたしたちみんなが、口先きだけのおべんちゃらでなく、孫さんで人に接してきたとしたら、この世には、もっともっと多くの正義と愛があったことでしょう。でも、今からだって遅くはないのです。すぐ始めましょう。与えれば受けられるでしょう‐考えられないほど多くを。
与えて、与えて、何度も。勇気と根気を失わないで、際限なく与え続けてください。
与えすぎて貧乏になった人なんていません!
もしみんながそうすれば、二、三世代の後にはだれも物乞いの子どもを、もう憐れむことはないでしょう。なぜならば、物乞いの子どもなんか、この世の中にひとりもいなくなってしまうからです!
神さまは、この地球に住むわたしたちに、あり余るほどの広さ、資源、大自然の美しさを作ってくださったのです。わたしたちはそれを公平に分け始めましょう。分ち合うことによって、わたしたちは、全てにより豊かになるのです。」
(『アンネの青春ノート』小学館、1978年8月20日大一刷発行より)
わたしは思うんです。暖かい、居心地のよい家庭でしあわせいっぱいに暮らしている人たちに、物乞いであることがどんなことであるか、想像できるかしらって。「育ちのいい」そういう人たちは、近所の貧しい人たちや、その日のパンにも恵まれない子どもたちのことを、真剣に考えてみたことが、ただの一度でもあるでしょうか?
たしかに、だれでも、気が向けば、物乞いに二、三枚の銅貨ぐらいは恵んでやります。でも、正直いって、心の広い人たちでも、物乞いの手の中に、さっと押し込めるが早いか、ドアをバタンと閉めてしまいます。そして、(やれやれ、あのきたない手でさわられなくてよかった)と、身ぶるいするのです。そして、物乞いは、恵んでもらった銅貨を、いまにも舗道にたたきつけんばかりに握りしめながら、家の方をにらみつけます。それを見て、みんなは、(人に恵んでもらったくせに、なんて無礼な)と、非難します。でもわたしには、物乞いの気持ちがわかります。人間扱いされずに、野良犬扱いされれば、だれだって-
経済的にも豊かで、法に守られ、モラルの高いといわれるこの国で、
人間をこのように扱うなんて感心できません。いえ、ほんとうにいけないことだと思います。裕福な人たちのほとんどが、物乞いを、軽蔑すべき人で、不潔で、社会のくずで、無作法で、教育のない人たちと、頭から決めつけています。
でも、そういう人たちは、かわいそうな物乞いの多くが、生まれながらの物乞いではないことに気づいていません。そして、どうしてそのような気の毒な境遇におちいったのか、じっくり考えてあげたことなど、ただの一度もないのではないでしょうか?
みなさんのお子さんと、そういうかわいそうな子どもたちを、ちょっと較べてみてください。いったいどんな違いがあるのでしょう。みなさんのお子さんは、清潔で、しゃれた服を着ていて、片方は、不潔で、みすぼらしい服を着せられていますね。でも、違いというのは、たったそれだけなのです。
もしも、かわいそうな物乞いの子どもが、小ざっぱりした服を着せてもらい、ちゃんとしたお行儀を教わることができたら、もう、そこには一点の違いもなくなるはずです。
この世に生まれ出てきたときは、みんな裸で、ひとり立ちできないし、無邪気でもあります。みんな同じ空気を吸って、同じお日さまの光を浴びて、大ぜいの人が同じ神さまを信じているのです。それなのに、あっという間に、はかり知れないくらい大きな違いができてくるのです。いえ、違いがあると、多くの教養ある人たちでさえ、頭から信じこんでいて、考えてみようとしないのです。もし考えてみたら、じつはぜんぜん違いなんかないことに気づくでしょう。
みんな同じように生まれて、みんな公平に死んでいかなければなりません。どんな偉人だって、永遠につづく栄光を残せません。権力も名声も、ほんのつかの間しか続きません!
はかない浮き世のそんなことに、みんなはどうして、そんなに必死になってしがみつくのでしょう?どんな富だって、あの世にまで持っていくことなんかできません。それなのに、必要以上に持っているのに、ほんのお余りすら、仲間の市民に分けることができない人が、なんと多いことか。
そして逆に、この世の限られた年月、一部に人たちだけが、どうしてもああも必要以上に、つらい、悲しい思いをしなければならないのでしょう。
ともかく、たくさん持っている人は、貧しい人たちに、心からの贈り物をあげて、ののしるのを止めてほしいものです。だれでも、優しくしてもらい、温かい励ましのことばをかけてもらう権利はあるのです。
おお、それなのに、多くのひとたちは、なぜ貧しい女の人たちよりも、お金持ちの女の人のまわりにアリのように群がって、おべんちゃらをいい、優しくするのでしょう? お金持ちの婦人には善き性格が、貧しい婦人には嫌われる性格が備わっているといういうわけではないのに。
人の真の偉大さは、富や権力にあるのではなく、人格や善良さにあるのです。みんな人間です。アラも欠点もあります。でも、お金持ちの家に生まれた人もそうでない人も、人間だけがもつ美点を多く備えてこの世に生まれてきています。
もし、お金持ちの人たちが、恵まれない人たちの子を、持って生まれた美点をそこなわせるような軽蔑の目で見ずに、励ましと親愛の目で暖かく見守ってやれば、その子たちもすばらしい人生のスタートが切れるというものです。人生のスタートに必要なのは、お金や物ではないのです。
この世界をより精神的に豊かにするのは、そんなにむずかしいことではないと思います。すべては、ちょっとしたことで始まります。たとえば、電車の中、お金持ちの身なりのいい婦人たちのためだけに席を譲らないで、貧しいお母さん、重い荷物を持ったお母さん、子どもをつれたお母さんたちにも譲ってあげてください。それから、貧しい人の足をあやまって踏んづけてしまったときも、お金持ちの人の足を踏んだときと同じように、丁重にあやまってください。よい例は、みんなが見習うものです。あなたが先頭に立って、そのよい前例を作るようにしてください。そうすれば、みんなもすぐ、ついてくるでしょう。
いまよりも、もっともっと多くの人たちが、貧しい人たちに対して、好意的で寛大になって、しまいには、貧しい人たちも、貧しいというだけでもう見下げられなくなるでしょう。
ああ、もし、わたしたちみんなが、それに気づいたなら、だれに対しても心から親切にしてあげようと思いたったら、そして、ヨーロッパいえ、世界じゅうの人たちがまねをしてくれたら、さらに、人間はみな平等で、他のことはすべていっさいが一時的なものだということをわかってくれたら!
そしたら、その瞬間から、わたしたちの世界は、ゆっくりですが、すこしずつすこしずつ変わり始めるのです。しかも、その源の力は、わたしたちが今すぐにでも始められる小さなことからだなんて、考えただけで、すてきじゃない!
有名な人も、無名な人も、名誉や利害を離れて、ただただ正当公平のために尽力するなんて、すてきじゃやない!
しかし、ここでわたしたちはまず、自分自身のことを振り返ってみる必要があると思います。
多くの人は、他人に対してつねに正義、公平を要求します。そして同時に、自分はつねに、不当に扱われていると不平をあらわにします。しかし、ここで目を開いて、自分自身が他に対して、あらゆることでつねに公正であるかどうか、冷静に反省してみてください。
与えてください、あなたのできうるかぎり!
わたしは、物質だけをいっているのではありません。優しさです。励ましです。小さな親切です。その気にさえなれば、みなさんは、いつでも何かを与えることができるはずです!
もし、わたしたちみんなが、口先きだけのおべんちゃらでなく、孫さんで人に接してきたとしたら、この世には、もっともっと多くの正義と愛があったことでしょう。でも、今からだって遅くはないのです。すぐ始めましょう。与えれば受けられるでしょう‐考えられないほど多くを。
与えて、与えて、何度も。勇気と根気を失わないで、際限なく与え続けてください。
与えすぎて貧乏になった人なんていません!
もしみんながそうすれば、二、三世代の後にはだれも物乞いの子どもを、もう憐れむことはないでしょう。なぜならば、物乞いの子どもなんか、この世の中にひとりもいなくなってしまうからです!
神さまは、この地球に住むわたしたちに、あり余るほどの広さ、資源、大自然の美しさを作ってくださったのです。わたしたちはそれを公平に分け始めましょう。分ち合うことによって、わたしたちは、全てにより豊かになるのです。」
(『アンネの青春ノート』小学館、1978年8月20日大一刷発行より)
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