三回目の指導に向けて、個別調査票にこんなふうに書いていました。2002年5月のことでした。休日になると、参考文献の中から気になる箇所をひたすらカードに抜き書きしていました。この頃はパソコンをまだ使っておらず、カード作成には手書きと、弟からゆずってもらったワープロを使っていました。カードは膨大な量になっていきつつありました。カードを何度も読んでは並べかえていくことで章立てをしようとしていました。職場は大変でしたが、後に思えばまだ嵐の前の静けさでした。
指導していただいた先生は、私に膨大な量の卒論を書かせた源は怒りだと後に仰られました。
私自身は気づいていませんでしたが、こうして読み返してみると、自分の書いたものながら、全体に怒りのエネルギーがにじみ出ているなあと感じます。私が職場で本当に振り回されていく日々がやってくるのは章立てを終え、パソコンを購入して執筆を始めた頃でしたが、すでに男性中心の職場の中で、家事労働的な業務に対する疑問のような、女性蔑視的な空気感に対する疑問のような、自分自身では感じていなかったけれど怒りのような、そんなものが私の中に湧いていたことを感じます。
過重労働をこなしながら、最終的に論文を仕上げたのは、2003年度に卒業するための提出期限ぎりぎりの2003年11月末のことでした。執筆開始と過重労働がふりかかるようになってきたのは同時期だったと思います。職場で残業し、どこかで食事をとってから帰りの電車の中で睡眠をとり、帰宅すると夜の10時ぐらいからパソコンに向かって二時間ほど集中し、終わるとお風呂と睡眠。毎晩2時頃就寝するというサイクルを平日は繰り返しました。ストレス解消に週に一度は、残業後でもスポーツクラブに寄って体を動かしていました。よくやったもんです。それだけのエネルギーは今はありませんが、誠実な怒りのエネルギーをもち続けることはこれからも大切にしていきたいと思います。
「近年、女性のライフサイクルとライフコースは多様化している。戦前の、結婚して子供を産み育てるという性役割と共に一生を終えた女性のライフサイクルとは大きく異なり、性役割という観点からだけでは女性のライフサイクルは説明できなくなっている。シングルで働き続ける女性、結婚、出産後も働き続ける女性、子育て後に再び働き始める女性が増え、職業との関係を抜きにしては、女性の人生を語ることはできなくなっている。職業活動は、女性のアイデンティティの中核をなすものとなってきている。
しかし、現実に日本の企業における女子労働者の位置づけは若年短期補充労働力であり、男性は仕事、女性は家事を担うという性別役割分業を前提とした使い捨ての「モノ」扱いである。女子雇用者の3人に1人以上が事務従事者であり、女性は男性の補助として働くというパターンが日本の企業で徹底している。働く女性の代名詞ともなった「OL」が現実の職業生活において行っていることは、たいした技術を必要とせず、また成果がかたちで残るわけでもない補助的な仕事である。実に様々で細々とした「雑務」をこなさなければならない「OL」に求められているのは基幹的な作業を担う男性や上司の補助をする「女房」的役割であり、自分の位置を見失いやすく、疎外が起こりやすい。「OL」の現実の職業活動は、社会の中で積極的に意味のあることを自分たちのため、世の中のためにやっているのだという働く人間としての実感と納得が得られにくいものなのである。
こうした「OL」の立場から、働くことは現代を生きる私たちにとってどのような意味をもつのか、アイデンティティの形成にどのような役割を果たしているのか、働き甲斐をどこに見いだせるのか、組織の中でどこまで個性の発揮を実現できるのか、真の幸福とは何か、フロムのいう「あること」とはどういうことなのかを、女性の自立を軸に考えたい。
戦後の日本における女子労働をめぐる問題の視点を下記のように分類してみた。
①高度経済成長と近代家族の形成/日本型雇用慣行の成立
②事務職従事者の増加/「OL」の存在
③根強い性別役割分業
④主婦の賃労働者化
⑤不安定雇用者の増加/パートタイム労働/派遣労働
⑥職場における家事労働(評価の対象にならない雑務)
⑦男女の賃金差
⑧構造的には弱い立場にある筈の「OL」が強くなること。
⑨制服」
指導していただいた先生は、私に膨大な量の卒論を書かせた源は怒りだと後に仰られました。
私自身は気づいていませんでしたが、こうして読み返してみると、自分の書いたものながら、全体に怒りのエネルギーがにじみ出ているなあと感じます。私が職場で本当に振り回されていく日々がやってくるのは章立てを終え、パソコンを購入して執筆を始めた頃でしたが、すでに男性中心の職場の中で、家事労働的な業務に対する疑問のような、女性蔑視的な空気感に対する疑問のような、自分自身では感じていなかったけれど怒りのような、そんなものが私の中に湧いていたことを感じます。
過重労働をこなしながら、最終的に論文を仕上げたのは、2003年度に卒業するための提出期限ぎりぎりの2003年11月末のことでした。執筆開始と過重労働がふりかかるようになってきたのは同時期だったと思います。職場で残業し、どこかで食事をとってから帰りの電車の中で睡眠をとり、帰宅すると夜の10時ぐらいからパソコンに向かって二時間ほど集中し、終わるとお風呂と睡眠。毎晩2時頃就寝するというサイクルを平日は繰り返しました。ストレス解消に週に一度は、残業後でもスポーツクラブに寄って体を動かしていました。よくやったもんです。それだけのエネルギーは今はありませんが、誠実な怒りのエネルギーをもち続けることはこれからも大切にしていきたいと思います。
「近年、女性のライフサイクルとライフコースは多様化している。戦前の、結婚して子供を産み育てるという性役割と共に一生を終えた女性のライフサイクルとは大きく異なり、性役割という観点からだけでは女性のライフサイクルは説明できなくなっている。シングルで働き続ける女性、結婚、出産後も働き続ける女性、子育て後に再び働き始める女性が増え、職業との関係を抜きにしては、女性の人生を語ることはできなくなっている。職業活動は、女性のアイデンティティの中核をなすものとなってきている。
しかし、現実に日本の企業における女子労働者の位置づけは若年短期補充労働力であり、男性は仕事、女性は家事を担うという性別役割分業を前提とした使い捨ての「モノ」扱いである。女子雇用者の3人に1人以上が事務従事者であり、女性は男性の補助として働くというパターンが日本の企業で徹底している。働く女性の代名詞ともなった「OL」が現実の職業生活において行っていることは、たいした技術を必要とせず、また成果がかたちで残るわけでもない補助的な仕事である。実に様々で細々とした「雑務」をこなさなければならない「OL」に求められているのは基幹的な作業を担う男性や上司の補助をする「女房」的役割であり、自分の位置を見失いやすく、疎外が起こりやすい。「OL」の現実の職業活動は、社会の中で積極的に意味のあることを自分たちのため、世の中のためにやっているのだという働く人間としての実感と納得が得られにくいものなのである。
こうした「OL」の立場から、働くことは現代を生きる私たちにとってどのような意味をもつのか、アイデンティティの形成にどのような役割を果たしているのか、働き甲斐をどこに見いだせるのか、組織の中でどこまで個性の発揮を実現できるのか、真の幸福とは何か、フロムのいう「あること」とはどういうことなのかを、女性の自立を軸に考えたい。
戦後の日本における女子労働をめぐる問題の視点を下記のように分類してみた。
①高度経済成長と近代家族の形成/日本型雇用慣行の成立
②事務職従事者の増加/「OL」の存在
③根強い性別役割分業
④主婦の賃労働者化
⑤不安定雇用者の増加/パートタイム労働/派遣労働
⑥職場における家事労働(評価の対象にならない雑務)
⑦男女の賃金差
⑧構造的には弱い立場にある筈の「OL」が強くなること。
⑨制服」