「向き合うということ Iさん
6月12日からの続き
何も無くなってしまった川下から、北上川を上って行くように、市内へと向かう。少しずつ残された建物が見えてきて、休憩する道の駅に着いた頃には、内地の穏やかな景色に戻っていた。ショッピングモールから、市内バスに乗り換え仙台駅へ向かう。また、傷痕が遠ざかって行く。市内に向かうバスからの景色は、どんどんと建物が増え、街が復興しているかのように錯覚してしまいそうだった。傷は、浅いものから少しずつ癒えて行ったのだな、とわかった。しかし、擦り傷と切り傷では何もかもが違う。表面をかするような傷と、肉をえぐりとるような傷・・・極端なその2つが、津波がここまで来た、という一線で分かたれていたのだ。僕はそんなことすら知らずにいたんだったな、震災の傷跡をどこも一緒くだに考えていたんだよな、と石巻に来る前のことを思い出していた。そんなことを考えながら、石巻での合宿は終わった。
人のために、今度こそ動こう。そう思って石巻にやってきた。しかし、僕に何が出来たどいうのだろうか。物理的な話をしてしまえば、僕が行っても行かなくても、石巻は何も変わらず、少しずつ復興の道を歩むだけである。何をしてきた訳ではない。確かなことである。僕のおかげで被災地に家が建つとか、船が大漁で帰ってくるとか、そういうことはない。嘘をついても仕方ない。しかし、それでも石巻に行ったことは見えないところで僕を変えてくれた。空撮でしかなかったガレキを、目の前で見て、臭いを嗅いだ。日常の風景が、常識が、いかにして裏切られ、壊されていったかを直接教わった。そして、海の美しさと、その広さに身を委ねた。海が与えてくれる生きる力、そして海から生き残る力・・・それを感じた。こうして変わった僕は、石巻をこれから陰ながら応援することができる。石巻に起こったことを、あの地震で何が起こったのかをリアルに伝えることができる。そのことがいつかどこかで、未来の大川小学校を、家族を救うことになるかもしれない。これまでとはきっと見える世界が違う。日常の生き方が違う。僕はそういう力を貰えたと思う。きっと、余計な気負い無く、かつ親身に災害と向き合って行けるだろう。支える力になろうと思う。石巻の日常は壊れてしまった。しかし、日常とはなんだったのか。日々向かう風景こそが日常ではないのか。地震が来る前の僕達や石巻の姿も、地震が来たことも、復興のために立ち上がったこともすべて日常だったのである。被災地の人々は、今まっすぐに進んでいこうとしている。海から視線などを背けること無く、自然と向き合い、日々の生と対峙している。そのすがたを僕は見てきたのだ。石巻の人々は、日常がいつかの姿に回帰することも、新たな喜びが生まれることもすべて希望として前に進んでいた。僕も、自分の日常から、目をそらさずにいよう。これからは、日常が失われたなどと泣き言は言わない。何が起きたとしても、見てきたもの、今見ているものから逃げたりはしない。それが、僕が石巻の人々から受け継いだ力である。
安藤さん、遊佐さんをはじめとする石巻の人々への感謝とともに、この文を結びたい。」
(2014年3月20日 慶応義塾大学文学部発行より引用しています。)
6月12日からの続き
何も無くなってしまった川下から、北上川を上って行くように、市内へと向かう。少しずつ残された建物が見えてきて、休憩する道の駅に着いた頃には、内地の穏やかな景色に戻っていた。ショッピングモールから、市内バスに乗り換え仙台駅へ向かう。また、傷痕が遠ざかって行く。市内に向かうバスからの景色は、どんどんと建物が増え、街が復興しているかのように錯覚してしまいそうだった。傷は、浅いものから少しずつ癒えて行ったのだな、とわかった。しかし、擦り傷と切り傷では何もかもが違う。表面をかするような傷と、肉をえぐりとるような傷・・・極端なその2つが、津波がここまで来た、という一線で分かたれていたのだ。僕はそんなことすら知らずにいたんだったな、震災の傷跡をどこも一緒くだに考えていたんだよな、と石巻に来る前のことを思い出していた。そんなことを考えながら、石巻での合宿は終わった。
人のために、今度こそ動こう。そう思って石巻にやってきた。しかし、僕に何が出来たどいうのだろうか。物理的な話をしてしまえば、僕が行っても行かなくても、石巻は何も変わらず、少しずつ復興の道を歩むだけである。何をしてきた訳ではない。確かなことである。僕のおかげで被災地に家が建つとか、船が大漁で帰ってくるとか、そういうことはない。嘘をついても仕方ない。しかし、それでも石巻に行ったことは見えないところで僕を変えてくれた。空撮でしかなかったガレキを、目の前で見て、臭いを嗅いだ。日常の風景が、常識が、いかにして裏切られ、壊されていったかを直接教わった。そして、海の美しさと、その広さに身を委ねた。海が与えてくれる生きる力、そして海から生き残る力・・・それを感じた。こうして変わった僕は、石巻をこれから陰ながら応援することができる。石巻に起こったことを、あの地震で何が起こったのかをリアルに伝えることができる。そのことがいつかどこかで、未来の大川小学校を、家族を救うことになるかもしれない。これまでとはきっと見える世界が違う。日常の生き方が違う。僕はそういう力を貰えたと思う。きっと、余計な気負い無く、かつ親身に災害と向き合って行けるだろう。支える力になろうと思う。石巻の日常は壊れてしまった。しかし、日常とはなんだったのか。日々向かう風景こそが日常ではないのか。地震が来る前の僕達や石巻の姿も、地震が来たことも、復興のために立ち上がったこともすべて日常だったのである。被災地の人々は、今まっすぐに進んでいこうとしている。海から視線などを背けること無く、自然と向き合い、日々の生と対峙している。そのすがたを僕は見てきたのだ。石巻の人々は、日常がいつかの姿に回帰することも、新たな喜びが生まれることもすべて希望として前に進んでいた。僕も、自分の日常から、目をそらさずにいよう。これからは、日常が失われたなどと泣き言は言わない。何が起きたとしても、見てきたもの、今見ているものから逃げたりはしない。それが、僕が石巻の人々から受け継いだ力である。
安藤さん、遊佐さんをはじめとする石巻の人々への感謝とともに、この文を結びたい。」
(2014年3月20日 慶応義塾大学文学部発行より引用しています。)