たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『木靴の樹』シナリオ(10)

2016年01月24日 15時54分46秒 | 映画『木靴の樹』
*厩

 雪が舞いはじめたなかで、犬が、兎が、馬が、雪を感じている。

*ルンクの後家さんの家・寝室(夜)

 アンセルモがこっそり起き上がり、窓の外を窺うと服を着はじめる。

ルンクの後家さん「(気配で目覚め、小声で)じいちゃん今頃どこへ?真夜中よ」

アンセルモ「雪だ。野菜畑にニワトリの糞をまいてくる」

ルンクの後家さん「ニワトリの?」

アンセルモ「(服を着ながら)そうだ、春にトマトを植える準備だよ。牛のふんより効き目がある。少しまくだけで、地面が凍らない」

ルンクの後家さん「夜中でないといけないの」

アンセルモ「人に知られたくない。これでうちのトマトは、よそより早く色づく。2、3週間早い」

ルンクの後家さん「とっぴな事を考えて、かぜなんかひかないで」

 うなずいて、寝室を出るアンセルモ。赤ん坊が泣きはじめる。

ルンクの後家さん「(そっとあやしながら)お眠り、お眠り」

*厩

 オルガン曲<我を憐れみ給え、主なる神よ>

静かに流れる。

アンセルモ「[動物達に)わたしだよ」

 彼はランプと糞の入った桶を持って、畑に向かう。

*畑

 柵囲いの畑に置いたランプが、雪を青く照らす。丁寧に糞を埋める掌。

*雪化粧をほどこした畑の遠景(朝)


(1990年フランス映画社発行のパンフレットより引用しています。)




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2013年7月6日公開映画『忍たま乱太郎 夏休み宿題大作戦の段!』

2016年01月23日 16時55分12秒 | ミュージカル・舞台・映画
2013年7月6日公開映画『忍たま乱太郎 夏休み宿題大作戦の段!』


息抜きにご覧ください。

『木靴の樹』シナリオ(9)

2016年01月23日 14時49分30秒 | 映画『木靴の樹』
*畜舎の外

バティスティ「子供たち、風笛が聞こえるぞ」

 音に惹かれて外に出て、大人達はそれぞれ小さな子供を抱き上げる。

ピエリーノ「そうだ、風笛だ、本当の風笛だよ」

ベッティーナ「母さん、風笛だよ」

オルガ「どっち?」

ウスティ「地主の家だ」

ペピーノ「あっちの方角だ」

ブレナ「今夜はとても冷える。(小声で)しずかに!」

バティスティーナ「上手に吹くこと!」

フィナルダ「もうクリスマスよ」

 澄んだ空気が肌をさす。空を見上げる人々。

ベッティーナ「じいちゃん、お月さん」

アンセルモ「お月さんが笠をかぶると、雪がどっさり降る」

バティスティ「だが寒さが続くと・・・」

ベッティーナ「なぜ笠を?」

アンセルモ「大地が雪を待っている」

 ステファノとマッダレーナは黙って見つめあう。目をふせるマッダレーナ。

*ポプラの並木道

 暗闇の中、歩くステファノの顔。

ステファノ「(自分を励ますように歌う)“トーネ、トーネ、狼の所へ走れ“(梟の泣き声に更に大声で)”トーネ、トーネ、ぼくはここにいる”」

*地主の屋敷

 遠景。真っ暗な中、アーチ型の石垣の門の中に、“淡い光を放つ屋敷が見え、夜空にオルゴールのように響くピアノの音。ステファノが門をくぐると、人の気配を感じた犬が吠える。

地主「だれだ? だれだ?」

 地主が明るい灯の下で母親に見守られ、<トルコ行進曲>を弾く息子の姿を窓の外からのぞいている。室内には、母方の親戚らしい者達が10人ほど、神妙に坐っている。<トルコ行進曲>を奏き終えて、母や来客の拍手をうけ、エレガントに次の曲をひきはじめる息子。風笛のメロディーに似た曲。窓の外から見つめて、一瞬、顔をゆがめる地主。庭にいた管理人が、折から降りはじめた雪に、「雪だ」とつぶやく。

*地主の屋敷の庭こけ

 雪明かりに包まれる。屋敷のロングショット。

*農村の外

 しんしんと降る雪の中、分益農場の夜も静かにふけてゆく。

*四家族の寝室

 それぞれの寝室で、眠りこけるみんなの寝顔。


(1990年フランス映画社発行のパンフレットより引用しています。)


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第1章_性別職務分離の状況_①女性雇用労働者の増加

2016年01月22日 16時16分13秒 | 卒業論文

 これまで、「OL」といえば結婚までの腰掛として働く職場の花、お気楽で職業意識が希薄な人々というイメージが定着しており、女性自身が嫌悪感をおぼえる階層であることはエピローグに書いた通りである。「OL」の職業意識が希薄であるとするならば、それは女性自身の意識の変革が遅れているばかりではなく、日本型企業社会において男性が女性に期待している意識が女性に反映された結果に他ならないのではないだろうか。人生80年の中で何が起きるかわからないという覚悟の上で最低の生活者としての経済的自立への備えが必要であるという認識をもつことを期待されてはいなかった。

 女性のライフサイクルと職業の関係は、結婚あるいは出産を契機に家事・育児に専念し、子育て終了後に再就職し、パートジョブに従事するというのが典型的なパターンであった。2002年10月22日付の朝日新聞によれば、第一子出産後に7割の女性が仕事を辞めている。近年、女性の社会進出が進んでいるとはいえ、結婚をあきらめるほどやりたい仕事に就いている女性は少なく、男性と同程度のやりがいを感じられる専門・管理職に就けるのは、ほんのひと握りの女性であり、多くの高卒や短大卒の女性は、一般職の「女の仕事」にうずくまったままなのである。「OL」という存在を、これまで理想とされてきた女性と職業の関係を象徴する階層として捉えたいと思う。ここでは、先ず女性が労働市場において差別されてきた現状を具体的に見ていく。

①女性雇用労働者の増加

総務庁の『日本の就業構造 平成9年就業構造基本調査の解説』によれば、1997(平成9)年10月1日現在の15歳以上人口1億665万3千人をふだんの就業状態別にみると、有業者は6,700万3千人、無業者は3,965万人、1992(平成4)年と比べ、有業者は124万7千人(1.9%)、無業者は246万8千人(6.6%)増加している。男女別にみると、有業者は男性が3,950万8千人、女性が2,749万5千人で、 1992(平成4)年と比べそれぞれ73万2千人(1.9%)、51万5千人(1.9%)増加している。また、無業者は男性が1,223万8千人、女性が2,741万2千人で、1992(平成4)年と比べそれぞれ101万5千人(9.0%)、145万3千人(5.6%)増加している。(表1-1)

 有業者のうち、雇用者は5,499万7千人、有業者に占める割合は82.1%で、1992(平成4)年と比べ242万2千人増加、2.1ポイント上昇となっている。男女別にみると、男性が3,313万人(有業者の83.9%)、女性が2,186万7千人(同79.5%)で、1992(平成4)年と比べそれぞれ108万4千人増加(1.3ポイント上昇)、133万8千人増加(3.4ポイント上昇)となっている。(表1-2) 日本の雇用者総数約5,500万人のうち40%を女性が占めているのである。 1)

 じつは女性の労働力率は、国勢調査が始まった1920年以来、50%前後であまり変化がなかった。女性の労働力率が減少したのは、むしろ70年代であり、75年に最低値を記録したのであった。(表1-3) にもかかわらず、近年、働く女性が多くなったようにみえるのは、雇用されて働く人の数が増えたためである。1960年頃までは、家族の一員として、夫や父の仕事を手助けする家族従業者が、女性労働力の主要部分を成していた。けれども、日本経済の高度成長に伴って、家族単位の経営が急減し、それに代わって、雇用されて働く労働者が増加し始めた。家族を離れて会社に勤める女性が急増したのである。 2)

 女性の雇用労働者が増加したとはいっても、その職種や雇用分布は非常に偏っている。女性が大量に労働市場に入っていくことによって、ジェンダー(性)に結びついた多くの格差や差別が形成されている。根強い性別役割分業意識のもとで、女性労働者に対しては男性とは異なる様々な差別があるのだ。次に、その様子を具体的にみていきたい。


引用文献

1)総務省統計局「労働力調査」によると、平成13年(2001年)の女性雇用者数は2,168万人で総雇用者数5,369万人に占める女性の割合は、引き続き4割を占めている。(厚生労働省雇用均等・児童家庭局編『平成13年版 女性労働白書―働く女性の実情』7頁、(財)21世紀職業財団、2002年)


2)井上輝子『[新版]女性学への招待』108頁、ゆうひかく選書、1997年。

お別れの作業は続いています

2016年01月21日 16時17分42秒 | 祈り
 一月の半ばを過ぎましたが気力が戻らず、戻る場所がボランティアを始めた病院だけというのも、社会から干されて収入の道は断たれたまま、という意味で辛く、今だ実家で遺品整理をしながら断捨離も続けています。部屋が心配なのでそろそろ戻らねばとは思いますが、またパソコン背負って徘徊し続ける孤独な日々が待っているというのも辛く身動きとれないままです。13年にわたる長時間過重労働、繰り返しになりますが体の具合が悪くて吐きながらも己に鞭打って鞭打って会社に行かざるを得なかった日々を思い出すと気力が失せてしまいます。

 疲れがあふれ出てきているのか、毎日7時間ぐらい眠っていますが眠いです。電車にもバスにも乗ることなく、カフェに行くこともなく(都心と違って少し歩けばお店があるわけではないので)、ほとんど人と会うこともなく三週間あまりが過ぎました。昨日調剤薬局で薬を受け取ったついでに椅子のあるコンビニ内でペットボトルのココアを飲んで少し休みました。家から徒歩で20分ぐらいの距離でしょうか。学会のセミナーの申込書に内容を記入してFAXも送りました。久しぶりに外でささやかなお茶タイム。笑ってしまいますが、病院と薬局と廃棄物の引き取り業者と弟以外は、人と話すのはコンビニで会計する時ぐらいです。弟は会社に行っているので、ずっと一人で過ごし夕方ふらふらとお墓参りとお散歩に出かけます。もう社会復帰は無理かもしれませんね。いやあの石丸幹二さんでさえ、劇団四季退団後一年間は動けなくなってしまい近所の公園を散歩するところから再スタートしたとか。『レディ・ベス』や『エリザベート』で拝見した石丸さんからは想像もつきません。私も今そんな時を過ごしているのだと思うことにします。

 捨てるしかないと思っていた父が残した古銭類。江戸時代の貨幣と題して額物に入ったものも一点ありました。ネットで見つけた業者さんに電話してみたら出張買い取りにきてくれて、結果母の荷物の中から出てきた指輪とあわせていくらかお金になりました。

 江戸時代の大判に似せたモノや古銭類のほとんどはよくある偽物だそうですが、小判数枚は本物で価値があるものだそうです。お金なので捨ててはダメですよ、と言われました。母の指輪も価値のあるものでした。額縁は自分で創ったものなのではないか、この集め方は額を作って飾ろうとしていたのではないかという業者さんのお話でした。偽物だとわかっているものを少しずつ買い込んではためて、自分で額を創りお金を入れて飾ることを楽しもうとした父の姿が思い浮かんでくるようでした。モノのない時代に育ち、捨てるという感覚が全くなかった人です。集めることが楽しみだったんでしょうね。偽物もまとめてささやかですがお値段をつけて、引き取ってもらうことができました。どこかのだれか必要な人の手元に渡っていけば嬉しいです。記念のコインや昭和の古いお金なども銀行で両替してもらえるものだそうです。手間かかりますが、こうして少しずつお別れです。

 母の荷物からは大量の新聞の切り抜きや映画・観劇の半券、パンフレット、そして我が家の歴史をうかがわせる家計簿。びっしりと書かれた大量の日記・雑記帳。捨てるのは簡単ではありません。家計簿は92-93年あたり。父、妹、弟の行動と購入したモノが細かく記入されています。母が最初に統合失調症を発症した頃だと思います。妹が亡くなるまでまだ日常生活を送ることができていました。読み返しているときりがありません。断腸の思いで家計簿は捨てようと思います。きりがありません。私が両親に書いた手紙を全部箱に入れて残してくれています。まだまだあるんです。手をつけることができません。

 中学1年か2年の私が書いた手紙と再会しました。

「お母さんへ
 
 きょうは母の日だったのに何ひとつとして満足なことができなかったこと、すごく悔やんでいます。きょうは母の日だということに気づくのが遅かったから。ごめんなさい。お母さんはきょう、「お手伝いをすることがいちばんのプレゼントやよ。」って言いましたね。私はお母さんは手伝いをしてもらえることがそんなにうれしいのかなあって思いました。それはなぜだかよくわからないけど、お母さんがうれしいんなら言いつけられた限りはしっかりやりたいと思ってます。ただこっちにも都合があるからやらない時もあるかもしれませんが・・・。

 私はまだプリントなんかをすぐに見せません。これは私の悪いくせというか習慣。直すようにします。この日を境にこれからはお母さんと呼ぶように努力します。だって中学生にもなって、ちゃんなんておかしいもんね。

お母さん ありがとう!!

5月9日(日)夜10時15分 たんぽぽより」

 
 母が統合失調症を発症し、妹が自死をするという未来が待っている、のたうちまわるような苦しみの日々が未来に待っていることなど思いをしなかった10代前半の私でした。なぜなのか、答えを探し求めてもどこにもありません。生きることにこれが絶対に正解だという答えはどこにもなく、ただ起きてしまったことは受けとめ消化していくしかありません。神様がいるのなら、いくつかの試練を通して私になにかを教えてくれているのだと思いたいです。

こちらのブログもお時間と興味がありましたらご覧ください。
雇い止めにあった派遣社員として書いているもので時々更新しています。

http://blog.goo.ne.jp/aozoratomidori/e/7453a62517448b6f3de8559a1c2b9eef


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若松英輔さんがリツイート
100分de名著 @nhk_meicho · 1月16日
上杉鷹山と二宮尊徳という二人の指導者の生き方は、試練を好機に変えていく「誠意」の大事さを教えてくれます。若松英輔さんのいうとおり、試練は「恐れる」ものではなく、「畏れる」ものなんですね。「試練は人生からの問いである」…フランクルの言葉とも響きあう思想です。

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中学生の私は手紙をこんな封筒に入れて、母の目に留まりそうな所にそっとおきました。
私が有名になってお星さまになった後どこかで展示会が開催されるなんてこともなさそうなので、ここに載せて現物はお別れします。


2015年10-11月日比谷シャンテ、本田美奈子30周年記念メモリアルパネル展

2016年01月20日 21時11分54秒 | ミュージカル・舞台・映画
2015年10-11月日比谷シャンテ、本田美奈子30周年記念メモリアルパネル展




本田美奈子さんデビュー30周年を記念して日比谷シャンテで開催されたメモリアルパネル展の写真をアップロードしました。10月30日朝から霞ヶ関に行った帰りに立ち寄りました。
ご覧ください。

「どうか 世界中が平和で笑顔あふれる人達でいっぱいになりますように」

美奈子さんのメッセージが世界中に届きますようにと心から祈ります。

SAMP×SMAPをみて思ったこと

2016年01月19日 11時24分00秒 | 気になるニュースあれこれ
私が会社(派遣先)との闘いになってしまい、さんざん傷ついていることば。「辞めなかった自分が悪い」「続けてきた自分に責任がある」「普通はそんなことしないであきらめるでしょ」等々。
SMAPでさえも長く所属している組織をやめるのは簡単ではなかったし、ましてやモノ申すことも真実を語ることも許されませんでした。彼らもまた組織の一員、労働者のひとりなのだとあらためて気づかされた昨夜の謝罪会見でした。

派遣の場合は、実際の就労先と所属する組織とがイコールではないので直接雇用の場合と「辞める」も違ってきますが、嫌なら辞めればいい、大変なら辞めればいいとかいいますが色んな意味で「辞める」ってそんなに簡単じゃあないっていう意味で書いています。

それにしても見ていて辛くなるような表情をしていましたね。
どうして謝罪なのかよくわからないし・・・。
もう以前のSMAPじゃなくなってしまったのかな。
笑顔の彼らをみたいです。

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嶋量(弁護士) @shima_chikara · 11時間11時間前
SMAPでも「辞める」のは簡単ではなかった。理由は、恩義、責任感、違約金、将来の心配など?
プラックバイトの被害者も、簡単には「辞められない」理由は同じ。
これで、ブラックバイトを簡単に辞められない理由を、世間に認知して貰いやすくなったかも。

嶋量(弁護士) @shima_chikara · 11時間11時間前
SMAPの騒動を見て、「ほら、労働者が会社と闘っても勝てないでしょ」と考えるなら、それは間違い。
SMAPは、「会社と闘えなかった」だけ。残念だけど。
会社と闘うのには、とても勇気がいる。ユニオン入れば、勇気を貰えたのだが。

思い出す

2016年01月17日 18時48分59秒 | 日記
 一昨年の手帳を捨てるに捨てきれずに読み返していたら、1月6日仕事初めの日、翌日から私の交替の派遣が来るので私に仕事を教えさせてお試ししてアタリだったら私をやめさせようとしていることを知らされた混乱の始まりから紛争にならざるを得なかったいやーな、辛い日々がまざまざとよみがえってきてしまいました。行政に翻弄されて無駄にした二カ月間、そのあと一年余りにわたったクソ会社の弁護士との闘いの日々。社会から孤立した辛さを抱えながら全身を緊張させて必死にふんばりました。結果すり切れてしまい、今だ社会に戻ることができないでいる私がいます。

 一昨日この近所でお年寄りが交通事故で亡くなったという新聞記事。私も夕方ふらふらと歩いているので危ないかもしれません。今私がいなくなっても誰も困らないんだなとふと気づきます。社会で私を必要としてくれる場所はありません。労働する場所としてはボランティアを始めた病院が唯一戻れる場所です。人はどんどん予定が入って、社会はどんどん動いている様子なのを知るのが辛いです。戻らなければ、と焦る気持ちがありながらも、インフルエンザにかかっても会社に行ってトイレで吐きながら仕事をしていた日々を思い出すと、やっぱりまだ吐き気がしてきてしまいます。こんな私が本当に生活基盤を立て直すことができるのか、失われた10年を取り戻すことができるのか。自分は何をしているんだろうと自己嫌悪に陥りはじめたらきりがありません。誰かのためとかではなく、自分のためにこれからは生きていけばいいんです。妹の分まで幸せになりたいです。やり直していこうという心のエネルギーが回復してくるまでにもう少し。両親と妹の遺影を飾ってある部屋で休んでいますが、遺影を前に今また涙が流れて仕方ありません。まだやり直せるだけの時間はあるはず。幸せになれるように見守ってほしいと祈り続けます。

不安がよぎる

2016年01月17日 12時03分49秒 | 日記
 働くことの意味を考えていられるだけまだ余裕があると昨年ご年配の方から叱られたことがあります。あなたをみているとイライラする、日雇い派遣でも何でもいいからとにかく働きなさい、私はそんなことを考える間もなく、離婚して子どもを育てながら働くしかなかった、ハローワークに行きなさい・・・。確かにそうなのですが、人から甘いと言われればそれまでなのですが、派遣なんて一か月前に契約終了を通知されればそれで終わりなんだからそんなのを続けてきた方が悪いと言われればそれまでなのですが、私が人としての尊厳を回復しながら自信を取り戻していくには、お金ではなく新しい居場所で働いていくことしかないのですが、労働紛争の苦しさを無理して押し込めることなく働ける場所で出会うことができていません。行政を頼ろうとしてもかゆい所に手が届くような仕組みはなく、フレキシブルではない。なんというかソーシャルワークとして機能を十分に果たせるとは思えないような仕組みでどうしようもない感じで頼ることはできないのだとわかってきました。なんか失業中=収入の手立てを失っている=社会から干されている状態で、なんだか弟に対してもやっぱりうしろめたくなんか自分がすごく劣っている人みたいに思えてしまってつらいですね。まずは病院のボランティアに戻りますが、収入の道を確保しながらやり直すことができるのか不安がよぎります。

 遺品整理も大変です。大量の衣類やノート類、そのほかこまごましたモノ、金物、燃えないものと燃えるものとが混ざっているので分解したりして分別するのですが、自治体によってやり方が違うので自分が住んでいる場所の感覚でやっているといろいろと違うみたいで細かいところで叱られまくっています。母が日々書き残したと思われる大量の日記類が出てきました。ただ捨てるだけではなく読み返してしまうので時間がかかりますね。母が病気になってからは管理されることなく20年以上も押入れの中で眠っていた父の紳士服たちも押入れから出てきました。買った時は高かったと思います。しっかりとした作りの紙の箱にはいっているので、洋服、虫よけ、カバーの紙などを出して、それぞれゴミ袋に入れて固い箱は角を崩してたたみます。ちょっとした重労働。父が収集していた古銭は小判でもないかぎり骨董屋にひきとってもらうこともできずただのゴミにせざるを得ないようです。大量の工具類や家にはこんなに大型家具がいくつもあったのかとびっくりするほど箪笥などもまだまだあります。捨てることを全く考えずにどんどんため込んだモノたち。これを整理していくのは本当に大変です。妹が作った洋服やためたハンカチ、タオル、小物達もまだまだぎっしり。私がこれからの人生で大きな家具を買ったり、なにかを買いそろえたりすることはもうないでしょう。自分の荷物も地道に少しずつ捨てていきます。モノとのお別れは本当に大変です。



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若松英輔 ‏@yomutokaku · 1月9日
内村鑑三の『基督信徒のなぐさめ』を現代語に訳している。死別、非難、追放、失敗、貧困、病といった人生の困難に出会った時、どう生き抜けるかを、自らの生涯と歴史に鑑みながら書き記した、最初の著作である。内村の著作はほとんど読んだ、という正宗白鳥は、この本を内村の著作中随一としている。

100分de名著 ‏@nhk_meicho · 1月5日
内村鑑三「代表的日本人」の講師は、批評家の若松英輔さん。「井筒俊彦―叡智の哲学」「生きる哲学」「内村鑑三を読む」等の著作を読ませていただき感銘を受け、内村鑑三をやるならこの人しかいないと確信しました。これまでにない、新たな内村鑑三論になっていると思います。お楽しみに!

100分de名著 ‏@nhk_meicho · 1月4日
今月の「100分de名著」は、内村鑑三「代表的日本人」です。「武士道」「茶の本」と並んで三大日本人論に数えられる名著。西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の五人を通して、日本人の精神性の深さに迫る名著です。


『春日局』

2016年01月16日 19時37分05秒 | ミュージカル・舞台・映画
2015年1月6日、明治座にて観劇

おふく(春日局):高島礼子
お江与:一路真輝
徳川家光:金子昇
紫:京野ことみ
徳川秀忠:山崎銀之丞
徳川家康:西郷輝彦
竹千代:加藤清史郎

原作・脚本 橋田壽賀子
演出 石井ふく子


「あらすじ

 1604年の春。かつては五万石の領主であった稲葉正成だったが、運命のいたずらに浪々の身となり、その妻おふくは幾度の戦に疲れ果て、今、家族と共に過ごす戦のない心安らかな日々に喜びを感じていた。ある日、母・お安のもとに、おふくを二代じ将軍秀忠の子の乳母に推挙したいという文が届く。おふくは断ったものの、徳川将軍・家康の和平を強く願う想いに打たれ、自分の力が少しでも天下の和平に役立つならばと、乳母になることを決意するのであった。

 一方、二代将軍・秀忠の正室であるお江与は、長男・竹千代を産むが、その手に我が子を抱くことも育てることも許されないことに憤りを感じていた。その怒りはおふくに向けられ、おふくとお江与の間には大きな溝がうまれていった。

 お江与は、次男の国千代が産まれると国千代を偏愛するようになる。ある日竹千代は、母・お江与の元を訪ねるが、冷たくあしらわれ、お江与の国千代を寵愛する姿を目の当たりにし、おふくこそが自分の母親であると強く感じるのだった。

 数年が経ち、立派に成長した竹千代であったが、祖父や父のやり方に辟易し、次期将軍の座を拒むようになっていた。それを知ったおふくは、一人駿府へ赴き、家康へ直々に思いをうちあけた。家康はおふくの心に触れ、江戸城で秀忠はじめ家臣一同を集め、徳川の世継ぎは代々嫡男とする、つまりは「次期将軍は竹千代である」と告げるのだった。

 家康の死後、竹千代は家光と改め三代将軍となった。そんな折、家光が吉原の遊女・紫にいれあげ通い詰めるようになる。おふくは紫を身受けしようとしたが、紫は相手が父の敵である徳川であることを知り、心を痛め自害してしまう。紫の死を知った家光はおふくを恨んだ。しかしお江与から、天下和平を築き、戦の無い世の中にすることが紫への供養になると諭され、家光は徳川三代将軍として立派に徳川の天下を守ることを誓うのであった。

 その夜、おふくとお江与はお互いの心の内を語りはじめるー。」

(明治座発行、公式プログラムより全文引用しました。)


 台詞回しはまさに橋田壽賀子さんの脚本といった舞台でした。

 竹千代を自分の手で育てることができないと知った一路さん演じるお江与の方の、おふくに嫉妬する狂乱ぶりがすさまじく、男役をやってきた一路さんならではの強さを感じました。母に会いたくて会いたくて顔を見せたのに、自分の手では育てることができなかった竹千代を、お江与は拒絶します。

 母に拒絶され、弟である国千代への寵愛ぶりをみせつけられた竹千代は、おふくのもとに戻り、自分にはもうおふくしかいないと涙を流します。孤独な少年時代を思春期にさしかかった清史郎君がすがすがしく演じました。成長した家光を演じた金子さんも清潔感があって素敵でした。京野さん演じる遊女・紫が自ら命を絶つ道を選ばざるを得なかった場面も心に残りました。お江与の方とおふくが心を通わせ語り合う場面、お二人の演技が秀逸でした。最後はおふくが桜吹雪に包まれて幕が下りて行きました。ミュージカルのように客席も舞台に参加しているという雰囲気とはまた違って久しぶりに歌舞伎座にいったような、不思議な居心地でした。

 清史郎君、声変わり中なのでしばらくミュージカルの舞台はないかな。成長してまたミュージカルの舞台に戻って来る日を楽しみにしています。

 余談ですが清史郎君がお正月の「SMAP×SMAP」スペシャルに登場したのは、2010年のことだったでしょうか。SMAP解散が事務所内の派閥争い、お家騒動の顛末だとしたら人はどこまでも愚かしきものかなと悲しくなります。傲慢な経営者はいつかどこかでしっぺ返しを喰らうことになると私は思います。


(トップの清史郎君の写真はmerumonewsより転用しています。)






歌舞伎座みたいにのぼりが立っていて不思議な感じでした。