たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

すり減っていく感覚

2016年01月05日 10時02分59秒 | 日記
 あまり眠れないまま朝を迎えました。体を動かさず頭の中ばかりぐるぐる回っているから当たり前ですけどね。結局電話できないのかもしれません。これではだめですね。大会社で億単位の金をかけて大々的に事務システムが導入された10年程前、それは社員向けのシステムで間接雇用である私は本来関係ないモノでしたが、経費節減のために一般職の女性社員が辞めれば派遣をどんどん増やしていったころで、私も含めて派遣が社員向けのシステムを使用できるように申請して、社員よりも操作方法と内容にも熟知して行きました。行かざるを得ませんでした。全くおかしな話です。大会社の大きなひずみでした。ひとつひとつ操作方法も内容もわかりづらいシステムばかりでした。そんな中で海外出張から帰ってくるご年配の方々に、パソコンでの出張精算のやり方をたずねられました。手取り足取り、お舅さんの面倒をみる嫁のように至れりつくせりでまずはパソコンのウィルスチェックを替わりにやっていました。パソコン無理解のおじさんたちと海外部門のシステムとの間でいつも板挟みでした。それから担当操作方法を説明し、書類を整えるお世話をしていました。若い人たちにも操作方法を質問されることがありました。海外出張など行ったことのない私がいつしか誰よりも操作方法を熟知するようになり、社内の問い合わせ部門の内線番号もおぼえてしまい、逆に向こうから問い合わせがあればいつも留守番役だった私がいつしか当たり前のように部署内の本人への取次窓口になっていきました。どうしても自分で操作をするのが難しいご年配の方々へは全て代理人として出張精算まるごと行うというフォローもしていました。パソコンの操作の説明係をやっている時、自分のエネルギーが吸い上げられすり減っていくような感覚でした。こんなくだらない仕事を一生懸命に10年もやってしまいました。私だけでなく派遣がみんな一生懸命にやっていました。内容の矛盾点を声を合わせて事務部門の管理職に訴えたりもしました。でも何も変わりませんでした。くさっていました。やめるべきだったのに一生懸命にやってしまいました。ひとつひとつのプロセスが、自分の身が擦り減っていくような感覚だったのを今も体がおぼえています。仕事をすることが苦しくってたまりませんでした。体に沁みいついたその感覚からなかなか抜け出すことができません。13年間も派遣で同じ会社は長過ぎました。あり得ませんでした。続けてしまった自分が馬鹿だったと責め続けています。情けないですが、こんな話の連続になっています。読んでくださっている方、ありがとうございます。

なみだ・・・

2016年01月04日 22時48分55秒 | 日記
 気力が戻らず電話をすることができなかった自分が情けなくって夕方お墓参りに行ったとき、父・母・妹に語りかけながら涙を流してしまいました。数年前の2月、インフルエンザにかかりながらタミフルを四日間のみ続けた後は、おでこに冷えぴたを貼り、電車の中でふらふら、会社に行ってもふらふらでトイレで吐きながら仕事をしてしまいました。がんばってしまいました。そんなふうに己に鞭打って鞭打って自分に無理をさせてしまいました。人がいなかったので、本当はもう一人フルタイムがいてしかるべきだったところを経費節減のためわけのわけんない無責任なアルバイトしかいなくって、私が1.5人分いや二人分がんばるしかなかったので一生懸命にがんばってしまいました。そんな日々を思い出すと辛く、そんなふうに自分に無理をさせながら働き続けることはもうできないと思うと気力が戻りませんでした。不安ばっかりで、またやれるんだっていう自信を取り戻すことなどできそうになく、安心して働ける環境かどうかわからない場所に踏み出していけるだけの気力が湧いてこず、そんな自分がすごく怠け人間みたいで、世間は動き始めたのに今だ身動きとれないでいるのがなんだかすごくなさけなくって涙が流れてしまいました。わたしなにやっているんでしょうね。自分の荷物の整理、遺品整理と片付けもまだまだでいろいろとあふれ返り、やりたいことはあれど思いはあれどどこにも届いていかず、こうしてブログに綴るばかりの毎日でそんな自分が情けなくって涙が流れてしまいました。すごい社会のひずみがみえてしまったのに、それを口に出すことはできず、争いなどなかったかのように仕事をすることができるのでしょうか。クソみたいな会社のわけのわかんないアルバイトだかのことを思い出すと、パートなんだから責任もって仕事しなきゃなってプレッシャーを感じる必要なんか全然ないはずなんですけどね、だってフルタイムじゃないから、毎日来ないからなんにも責任はありませんって顔されて、毎日フルタイムで出社していたわたしが間接雇用にも関わらずアルバイトの分まで責任を負わなければならなかった、そんなんだったんだからいいのにね、嫌だと思えばダメだと思えばすぐにやめてしまえばいいだけのことなのにね、逃げ場のない環境を思うとなかなか踏み出せずです。自分のキャパから大きくはみ出している怒りと悔しさのマグマがまだまだ大きくくすぶっているこんな自分でもよろしければ・・・と言えない苦しさを抱えることができません。

 新しい年、まずは手帳を買いましょうか。土曜日の病院のボランティアには行きたいなあ、当事者の会。高速バスを予約して、時間までに行くプレッシャーを感じながら不便な移動をするのはつらいので今の私には超ぜいたくですが新幹線かな・・・。必要とされる場所はある、40代を棒に振ってしまったけれどまだやり直せる時間はある。そう信じたいです。弟は明日から会社。ごはんとか準備してくれているのでありがたい。しっかり喧嘩もしますが、喧嘩する相手のいない、せまい一人の部屋に戻るのは辛いかも。でももう少し自分探しの旅を続けてみよう。今まで積み重ねてきたことには意味があるはずだと信じたいです。妹の分まで命を生きるという大切な役割を忘れまいぞ。明日は明日で気力が戻ってきたらまた考えることにしましょう。本も読みたいし、やることはいっぱい。旅日記もまだまだですね。書き始めたらとりとめがなくなってきたのでこれでおしまいにします。長文読んでくださった方、ありがとうございます。

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若松英輔 ‏@yomutokaku · 1月1日
心をふるわせる文字は、生きることをの困難にふるえて、ペンを持てなくなった手によって書かれる。悲しみに呼びかける言葉は、悲しみを生きた心によって生み出される。魂に届く言葉は、魂から出る。書け、何を書こうかと思い悩む前に、書くことで、心の奥にあって、自らを照らし出す光源を見つけよ。

言えない苦しさ

2016年01月04日 11時02分41秒 | 日記
 昨日・今日と妙にあったかいせいか体がだるくって仕方ないです。世間は始動し始めましたね。私は電話をしなければならないのにすることができません。「私は13年間働いた会社と一年余りにわたって闘うことになってしまいました。そのため心身が擦り減ってしまっているので、少しずつ回復しながらやっていきたいと思っています。こんな人間でもよろしければやらせていただきます。」こう言えたら気持ちが楽になれるだろうに、行政にいけば上手な嘘のつきかたをおしえてくれるばかり。言えない苦しさを受けとめてくれるところはどこにもありません。

 なにかわるいことをしたわけではないけれど、そもそもない権利を主張したわけで雇う側からすればこんなに厄介な人間は使いにくいから言ってはいけないと弁護士にさえ言われます。なんでも正直に言えばいいというものではないと人は言います。たしかにそうです。面接は自己主張をする場ではないので余計なことは言わない方がいい。たしかにそうです。でも、こういう、ちょっと特殊な事情を抱えながらもなんとかやっていこうとしていることをさらけ出さないと私はやっていけない人間なんです。どうして違法行為をしてきた会社にはなんのおとがめもなしで、働いてきた私ばかりが苦しまなければならないのか、やっぱりわかりません。普通に生活しているだけだったら知らずに通り過ぎていったことをたくさん知ってしまったので、専門家と言われる方々をみて自分たちすごく狭い世界にいることを知らないんだろうなと思ってしまいそうな自分がいておそろしいです。昨年紛争終結直後のボロボロ状態の中でマザーズハローワークに行ったら、「紛争をやった人が普通に社会に戻ることは難しい」と言われてずいぶん傷つきましたが、そのとおりなのかもしれません。かなりおさまってきたとはいえ、自分でも受けとめ切れないほどの怒りと悔しさのマグマを抱えながら、何事もなかったかのような顔をして生きていくことはできそうにありません。争いは弱者にとって、特に納得できない結果となった場合消えない傷を残してしまうことになるようです。弱い立場の人間にとって、社会の仕組みはどこまでも残酷なばかりだと思います。私よりも苦しい思いをしている人はたくさんいるだろうけれど、苦しさの度合いは比べられるものではなく、わたしもやはり苦しいです。言えないことがなおさら苦しく、この苦しさを抱えていくことは私にはできそうにありません。これからどう生きていけばいいのか、私にふさわしい道へと妹が導いてくれることを祈り続けています。

祈り続ける

2016年01月03日 22時42分07秒 | 日記
 久しぶりにまた妹の部屋に入って遺品を少し整理しました。洋服と下着類、雑誌と洋服の型紙を少しずつ・・・。私と違って妹はすごく手先が器用でした。それはもう素晴らしい腕前。高校を卒業後就職してからは毎週水曜日の夜洋裁学校に通い、自分の洋服を手作りしていました。私の洋服を作ってくれたこともあります。洋服を買うことも好きでした。そんなことが結果的にショッピングビルの洋服売り場でマネキンをやっていた高校時代の同級生と再会し、彼女が関わっていたねずみ講に誘われてしまい後の自死へとつながっていってしまうことになるのですが、器用に作られた洋服たちにむかって「どうして自分で死んでしまったりしたんや?ふんばることはできんかったのか?」と話しかけられないではいられませんでしたが、妹の自死という現実が体の一部になっている今はもうただ魂が安らかであってほしいと、私が自分にふさわしい道に歩んでいけるように見守ってほしいと祈り続けるよりほかありません。

 洋服は妹のお手製と既製品の両方を、町内のリサイクル回収に出すために袋詰め。洋服をしまってあった段ボール箱もリサイクル回収のためにたたみました。丹精込めて丁寧に作られた洋服たちが誰かの下で生かされる機会があることを祈ります。過去には私が着倒してからリサイクル回収に出したものも何点もありますが年齢的にもう無理なので、そのままリサイクル回収に出します。下着類は残念ですがリサイクル回収には出せず処分するしかありません。妹が自分で作った型紙と雑誌類を少し、これもまたリサイクル回収のために束ねます。映画のパンフレット・手帳・ノート類・・・遺されたものはまだまだありますが、妹の生きていた香りのするものは、かわいそうで、申し訳なくって、私の心がいたくって手をつけることができませんでした。まだまだ時間をかけて少しずつお別れしていくことになるんだろうと思います。自分のモノも必死に断捨離を継続中。私、本当にモノはもう買いません。生活必需品、消耗品を除いてほしいものはなんにもないです。カバン、靴、洋服・・・古くなってきたら捨てるために買い替えるだけで十分です。

 自分のノート類とお別れしようと整理していたら2010年12月26日付で、母の主治医となってくれた町医者あてに私が書いた手紙と再会しました。2010年7月に父が入院したことにより、母が10年以上本人受診のないまま薬だけを父が精神科の病院で受け取り続けていたのを知ったこと、母の介護保険申請のためには主治医を見つけることが必須で、そのためには本人受診が必須でしたが父が薬だけを受け取りにいっていた病院は往診がなく、いやがる母を無理矢理連れて行くことはできなかったので、往診してくれる医者に出会うために苦労したこと、本人受診がないまま10年以上も薬だけでも出してくれていたのは医者の良心で、それだけでもよかったと介護保険申請の窓口で言われて行政に対してなんとももどかしいものを感じたこと、医者を頂点としたヒエラルキーができあがっているのを感じたこと、父が急逝した9月の午後は始めて主治医として往診を頼めることになった先生に、弟と二人で会いに行った日だったこと等を思い出しました。その後2011年3月の大震災、2012年2月の母の急逝、2014年3月の派遣の雇止めと一年余りの労働紛争。大変なことが続き過ぎてすっかり記憶から遠ざかっていました。

 私なりに一生懸命に考えながら動いていたつもりでしたが、自分は本当に母にとって必要なことをやっていたのか?結局ひとりよがりで、母にとって一番必要だったのはできるだけ穏やかに変化なく、自分の家で過ごすことだったのだと気づいたのはお別れのあとでした。

 行政・精神科医・社会福祉法人等、社会の仕組みは当事者と当事者の家族にとって本当に必要なことを連携して提供できるようになっていたのか。縦割りであんまり面倒くさい当事者には関わりたくなかったんじゃないのか。地域包括支援センターのワーカーや町の保健師と関わりながら、申請主義でなんともフレキシブルでない行政へのいら立ちを当時感じたことを思い出しました。行政へのいらだちは内容は違えど労働紛争となったことを感じた怒り・悔しさと同じ性質のものです。行政は本当にあてにならず、でも行政を通過しなければならないことがたくさんあって、色々と用意されている社会の仕組みは結局誰のためなんだ、なんのためなんだという根源的な問いにぶち当らざるを得ません。このあたりは労働紛争を経験したことにより色々と見え過ぎてしまいました。手紙を必死で書いた2012年12月には全く知らなかったことを気づかされることになったのであらためて考えさせられるところです。先生から母の生活や現実の認知度に対する見立てをききたかったのですが、そんなことを期待してしまったのも全く無駄でした。いろいろな意味を込めて手紙を振り返ってみたいと思いますが長いので続きは明日にします。連日の長文、読んでくださっている方ありがとうございます。


「O先生

 こんにちは。12月29日にお目にかかることになりました。よろしくお願いします。・・・」



写真は秋のプリンス・エドワード島。エルマイラ駅舎前です。


迷いの日々

2016年01月02日 12時49分25秒 | 日記
 新しい居場所に行くかどうか4日に返事をしなければならないのに決めることができないでいます。なぜだかわかりませんが、自分が行くべき場所のような感じが全くしません。そうかといってまた別の場所を捜し求めていくだけのエネルギーはありません。

 13年間の中でも特に7年間にわたるオーバーワークの日々を心身をすり減らしながら歯を食いしばってあんなにがんばったのは一体なんだったんだろうという思いがどうしてもよぎります。結果的にただ使い捨てにされたという事実だけが残り、何の実績も評価も残らなかった。どこの会社で働いているかが人の評価になる社会の中で、今の私は失業中というみじめな状態でしかありません。どんな書類にもたいてい職業欄というものがあり、私は無職、失業にマルをつけなければなりません。やってきたことは社員と同じだったのに、いや社員以上だったのにと思うとやはり悔しいです。オーバーワークの7年間を時間外労働という量だけで説明することはできず、仕事の質と内容なのですが、それを説明することは難しく法的に証明の根拠と認定されるものを私は持ち合わせません。書類やメールはすべて会社にあるのですから当然のことです。そこをスルーされたのが悔しくてたまりません。次の場所が見つかればもうクソ会社のことなんか忘れて出直すぞって思えるのだと思うのですが、残念ながらここならまた一生懸命に働くぞ、って感じられるところに出会うことができません。こんなこと言っている私は甘いのでしょうか。なかなか立ち直ることができないでいる私に人はなんと声をかけたらいいのかわからないですね。無事に新しい年を迎えることができましたが、あめましておめでとうございます、という気持ちになることができず、今年もよろしくお願いします、と挨拶する所があるでなし、ひとりぼっとなんだなあと思います。帰省してからは散歩がてらお墓参りにいくのが唯一のお出かけ。私が新しい道を見出していけるように導いてほしい、守ってほしいと語りかけています。姿は見えなくてもいつもそばにいて守ってくれていると信じたいです。

 年明け早々ですが、揺れ動く日々に立ち返ります。

「2012年12月23日(日)

 商業主義的なクリスマス一色にうんざりしている。そういえば『赤毛のアン』にクリスマスツリーは出てこない。いつからこうなったのだろう。
神経症が治らなくってなんとなく余裕のない、きびしい社会の中でこれ以上やっていくのは無理だと思う。不安にとりつかれたら、どうしようもない細かなことが気になってしまったり、声高なキイキイ声にすごく疲れてしまったり、人がざわざわするのに耐え切れなかったり、自分はこういう性分なのだから仕方ない。器質はもちあわせているんだ。

 誰が私を必要としているわけでもなく、自分一人で勝手にやらなければならないような思いに取りつかれている。今の仕事はもう少しセーブしていきたい。といっても家賃を払わなければならないし、旅でも出たいとなると残業しないわけにはいかない。辛いところだ。

スポーツクラブのヨガにさんかして、そのあとお風呂。
自分の体と向き合い、静かに呼吸しているとバランスの悪いのがよくわかる。

喪中はがきを出していないが、さりとて年賀状を出す気にもならず、もし届いたら寒中見舞いを出すにとどめようと思う。

被災した人達のために自分ができることあるんじゃないか。でもやっぱりあまりきついことには耐えられないかな。家を離れれる不安があるので、旅には出られない。今できることをほんの少しずつだけどやっていこう。本当の自分をこれからは生きていけばいいんだよ。無理すんな。ずっとあり得ない無理を自分にさせてきたんだ。」




『ラブ・ネバー・ダイ』_狂おしい男女の愛とオペラへの愛(3)

2016年01月01日 17時49分08秒 | ミュージカル・舞台・映画
 クリスティーヌをめぐって怪人とラウルが争う基本の構図は前編と同じだが、この続編ではさらに、怪人の愛を得られずにクリスティーヌに嫉妬するメグ・ジリー(彩吹真央・笹本玲奈)と、彼女を支える母のマダム・ジリー(鳳蘭・香寿たつき)の愛憎まで加わり、愛憎の力学はより複雑になった。

 だが、それと同時に目立つのは怪人とラウルの等身大化だ。怪人は前作のような超能力を発揮しない。クリスティーヌの息子の父親が怪人だったという意外な設定は驚きだが、父性愛に目覚める怪人という展開にもびっくりする。怪人=パパという家族的イメージが私にはどうもしっくり来ないのだ。

 ラウルの等身大化、というより落ちぶれ方も極端だ。前作での高貴な青年貴族が、ここでは酒に溺れる借金まみれの不愉快な男に変貌している。だが、これではラウルと怪人の争いは対等な勝負にならず、怪人が勝つのは当然ということになる。

 前作の日本初演(“88年)でも怪人を演じた市村は、今回も野性的な怪人ではなく、心に傷を負った芸術家としての怪人を好演した。屈折したオーラのある精悍(せいかん)な演技と歌である。

 鹿賀はそれとは違い、甘い柔らかな雰囲気の怪人を造形。音程がやや怪しい部分もあったが、のびやかな歌声だ。市村、鹿賀ともに共通するのは、圧倒的な声量で朗々と歌い上げるタイプの怪人ではないことだ。

 濱田は、四季時代に主演した『アイーダ』のように、強い声で劇的に歌いあげる役柄を得意とする。楚々としたクリスティーヌは濱田向きの役とは言えないが、この舞台の濱田は高度の歌唱力と演技力を駆使し、高音もきれいに出して、迫力のある強い歌姫を表現した。

 一方、これがミュージカル初出演となった歌手の平原は、何よりも透明感のある美しい歌声と品のある容姿が魅力的だ。ただし、主題歌とも言える「愛は死なず」を歌う場面では、歌だけでなく、もっと濃い演技力もほしい。鳳蘭の強い存在感のある演技は、田代の端正で力感のある歌も印象的だった。

 舞台を三度観て改めて実感したのは、ロイド=ウェーバーの音楽の健在ぶりである。『オペラ座の怪人』初演のころのようなピークはとっくに過ぎていて、この作品も名曲ぞろいというわけではないが、それでも「心で見つめて」「月のない夜」などの叙情的な劇中歌は心に残る。特に2幕のクライマックスでヒロインが、舞台の両袖に立つ怪人とラウルに見守られながら、切々と歌い上げる絶唱「愛は死なず」の甘美な美しさは感動的だ。

 そして、大衆的な遊園地の中の劇場で、このオペラ風の歌が圧倒的な魅力を放つという構造の中に、ロイド=ウェーバーの音楽の特質がある。ミュージカルというポップで大衆的な衣装をまとっていても、ロイド=ウェーバーの作品の中心にあるのは、やはり19世紀型オペラへの過剰な愛なのだ。『ラブ・ネバー・ダイ』という題名は、登場人物たちの狂おしい愛の葛藤を表すと同時に、ロイド=ウェーバー自身の強いオペラ愛が決して「死なない」ことをも語っているように思われる。」

(『ミュージカル』2014年5月-6月号より)。

年の始めに祈る

2016年01月01日 17時39分00秒 | いわさきちひろさん
FBでいわさきちちひろ美術館の記事をシェアして書いたものです。

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「赤いシクラメンの
その透き通った花びらのなかから
死んでいったその子たちの
ひとみがささやく
あたしたちの一生は
ずーっと戦争の中だけだった」
(いわさきちひろ『戦火の中の子どもたち』より

 ちひろさんは御自身が第二次世界大戦を生き延びた経験から世界中の子どもたちが平和でありますようにと願い続けました。今この瞬間も子どもたちが犠牲になっている混沌とした世界の現実をどんな気持ちでご覧になっていらっしゃるでしょう。
ちひろさんの願いが世界中に届きますようにと祈ります。

https://www.facebook.com/chihiro.tokyo/?fref=photo


ちひろ美術館・東京 Chihiro Art Museum Tokyoさんの写真

ちひろ美術館・東京 Chihiro Art Museum Tokyo
17時間前 ·


謹んで新年のお慶びを申し上げます。
本年が皆さまにとってより善き年でありますようお祈りいたします。
いよいよ今年2016年夏、安曇野ちひろ公園に「トットちゃん広場」がオープンします。『窓ぎわのトットちゃん』にちなんだ電車の教室も再現されます。
最新情報は特設WEBサイト(http://www.chihiro.jp/totto/)をご覧ください。

皆様のご来館をスタッフ一同心よりお待ちしております。

Season’s Greetings
May the New Year be filled with peace and bring you and everyone else in the world happiness and success.
In late July 2016, we will celebrate the grand opening of Totto-chan’s Square, a new park next to the Chihiro Art Museum Azumino.
For the latest updates, please take a look at the official Facebook page: https://www.facebook.com/chihiro.totto.
We are looking forward to your visit!

(T.K.)

画像:いわさきちひろ 2016年カレンダー(表紙)