たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』(5)

2019年01月23日 23時03分28秒 | 宝塚
 なんだろうなあ、切ないのにおもいものが残らない、宝塚ならではの優しく美しい世界、いちばん気になるのは花組なのですが、星組公演のこともう少し語ります。何度も同じこと書いていますが芝居とショーを通して、紅ゆざるさんの優しさとあったかさと涙が大劇場に沁みこむ2時間半。『エストレージャス』、賛否両論あるみたいですがわたしは『サジタリウス』の面影を感じるショーで楽しいです。劇場でみたら星空のもとにいるようで綺麗だったし、なによりトップコンビが組んでいる場面がものすごく多くて、『エルベ』の哀しい涙をあったかい涙に変換してくれるようなデュエットダンスはみている人が幸せな気持ちにならないではいられなような素敵なシーン。娘役さんの群舞の場面が二回もあるし、男役さんの燕尾服ダンスは星組さん、久しぶりなのかな。美しさとかっこよさの極み。素敵でした。この場面で使わている楽曲が情熱大陸のテーマソングなんですね。初日映像を繰り返してみていてやっと気づきました。男役さんが女役をやる場面がないのがいいという声も。なるほど・・・。

 繰り返し思い返すのは、カールがふわふわの白いドレスを着たマルギットの背中を札束で叩く場面の痛々しさ。身分が違いすぎる自分といてはマルギットは幸せになれないと気づいたカールが、マルギットの気持ちを自分から引き離すために気持ちはためらいながらも本気で叩いている。フロリアンともしかしたらマルギットの父親はカールの本心に気づいていたのかもしれません。観客はカールの気持ちが痛いほどにわかる。でもマルギットは全く気づいていない。でも観客はマルギットに対して苛立ちも怒りも感じない。カールが惹かれたマルギットだから、妃咲愛里さんのマルギットだから許せてしまう。きっとカールはマルギットの、こんな残酷な無知と背中合わせの、純粋無垢でまっすぐなところに惹かれたから、だからマルギット幸せになれよって心の中で泣きながらマルギットの背中を札束で叩いていることがわかる。こんな繊細な心を描く場面、紅カール、唯一無二。たぶん愛里さんマルギットとのコンビも唯一無二。フロリアンもアンゼリカもアンゼリカの夫ロンバルトもマルギットの父親も安宿の主人もみんな心優しき人々。激しく憎しみあうことも罵り合うこともなく、登場人物たちの繊細な心が描かれる物語。自分のことよりも人のことを思う。深く静かに考えさせられる世界観。紅カールの涙をオジサンたちにもみてほしいなあ。

 マルギットの父親を一樹千尋さん、ヴェロニカを英真なおきさんが演じているの、まさに星組っていう感じで嬉しいです。ヴェロニカがカールを捜しにきたマルギットにカールの本心をすべては語らない。愛想なく言葉少なにしか言わないところも、その後マルギットはどう生きていくのだろうと観客の想像力に余白を残してくれているようなところがあっていいなあと思います。ヴェロニカもまた心優しき人。英真さん、こんな素敵な女役もやれるとはさすがです。

 大劇場の楽はライブビューイングないですね、東京宝塚劇場の千穐楽はライブビューイングあるだろうけれど、それまで待てなくって、もう一度紅カールに出会いたくって、より郷里に近いところから出発する日帰りバスツアーに申し込んでしまいました。一期一会の出会いだから、この世にいる間だけだから、っと。

 全てのことが無事にすんでいきますように・・・。



台湾公演展より、『サンダーボルト・ファンタジー』の衣装と布袋人形。




























気力を持ち続ける

2019年01月23日 16時46分56秒 | 日記
昨夜はどこからか低い音が響いてきて殆んどねむれませんでした。眠剤は切れているので仕方なく一睡もできないままハロワ。午前中認定。午後相談。案内を読んだだけで気力が失せた所に詳細を問い合わせてもらい書類を提出することを決意しました。居場所を見つけていくためにはやるしかありません。おのれのとの闘い。利便性がぐっと下がったど田舎の生活に慣れていくことも併せてまた試練の時。大会社に使い捨てにされて出口の見えないトンネルの中をさまよっていた頃よりは少し灯りが見えるのだからずっといい。ここまで来た自分を信じる。一日のこだまを予約。友達と会えるかな。二日はコンタクトレンズの検診のあと池袋で吉村さんの写真展。そのあと日比谷に行こうかな。三日も日比谷。ラブネバ観たら新幹線で帰郷。交通費を考えるとそんなには行けない。これからは関西。一日までに書類を提出してすっきりとした気持ちで日比谷に行きたい。ホントはその前にもう一回大劇場日帰りバスツアー。紅カールに会えるのは今だけ、生きている間だけが自分への言い訳。心のエネルギーをチャージしながら気力を持たせていく。家で考えると気持ちが追い詰められるので作業はがんばってそとでやる。家電量販店もないど田舎。生まれ育った所なれど駅から遠いのがきつくってきつくって慣れていくのきつい。できることから少しずつ。気力失せることなく少しずつ。

2013年『アンナ・カレーニナ』_思い出し日記

2019年01月22日 22時23分08秒 | ミュージカル・舞台・映画
 2013年2月17日(日)、ル・テアトル銀座で『アンナ・カレーニナ』千穐楽を観劇しました。ル・テアトル銀座にとっても千穐楽。公演近くに取ったチケット、二階席の最後列だったと思います。仕事で疲れ果てた体を引きずるようにして日曜日に銀座までたどり着いた記憶があります。ザ・ファイルとうたわれていて、一路真輝さんがアンナ・カレーニナを演じるのは三度目でこれが最後ということでしたが、わたしは初見でした。2006年初演、2010年から2011年にかけても上演されていましたが二人分労働しながら卒業論文執筆、カウンセリングスクール、PSW受験勉強と忙しく観劇からすっかり遠のいていた時期で全く知りませんでした。結婚、出産を経て仕事に復帰された一路さんの最初の舞台が『アンナ・カレーニナ』だったんですね。プログラムの上演記録をみて、初演で井上芳雄さんがヴロンスキー役だったのびっくり、『エリザベート』では親子だったからなんとも不思議。
「2013年2月18日(月)


悲しみ、苦しみ、辛さ、言葉に言い尽くせぬ色んな思いと私はいつしか同化していた。それらはみんな私の身体の一部になっていた。これからも共に生きていかなければならない。なぜなのかはわからないが背負うというよりも一緒に生きていく感じに今はなっている。


幸せになりたいと思う。天命を全うしたいと思う。ゆっくりいこう、あせることはない、できることから少しずつ・・・。

深く生きる人生になったことに感謝・・・。

土・日・祝日の予定が続いている。ちょっときついかな。休みをとろう。

警察博物館の前を通りかかったので震災記録活動写真展をみた。私たち日本人は忘れっぽい。私は忘れないでいたい。こうして生きていることは当たり前ではなく奇跡なんだ。

『アンナ・カレーニナ』、悲しい結末だった。なんともやりきれない思いが残るが、舞台としてのグレードは高かった。一路さんのドレス姿が美しかった。男役の面影を残しつつ、すごく素敵に着こなしていた。最後は主人公と同化、すごいね、役者さんって」

 一路さんのデコルテの美しさが存分に発揮されているドレス姿でした。アンナが夫の元に残してきた愛息セリョージャへの思慕を歌う「セリョージャ」が悲痛な叫びにきこえました。最後は行き場を失い列車に飛び込んでしまうアンナを舞台の上で生きることは、果てしのない消耗感を伴うものなんだろうなと思いました。15歳も年上の夫で堅物な政府高官のカレーニンとの暮らしに淋しさを感じていたアンナは伊礼彼方さん演じる青年将校ヴロンスキーに惹かれヴェニスに駆け落ち。二人の間に子どもが誕生しますが、アンナの中にはカレーニンとの間に生まれたセリョージャへの想いが募るばかりで、ヴロンスキーも二人の間に生まれた子どももアンナの満たされぬ想いを埋めることはできません。アンナは子どもを可愛がる様子も見せず、ただただセリョージャに会いたい。過ちを悔やみ、会いたくて会いたくてカレーニンの家を訪れますが、カレーニンはセリョージャに会わせることを拒絶します。残されたカレーニンとセリョージャの二人の暮らし、山路和弘さん演じるカレーニンの、母に会いたがるセリョージャをさとす姿もまた沁みました。セリョージャへの思慕に身も心もやつれていくアンナ。狂わんばかりの姿は痛ましいものがありました。ヴロンスキーに落胆し、カレーニンの家に帰ることもできず、ヴロンスキーとの仲を標的にした社交界の居場所もなく、行き場をなくしたアンナが
最後に辿り着いたのは、セリョージャに会える夢の世界。

 結婚して子どもまでいるのに、勝手に人を好きになって子どもを置いて家を飛び出したアンナが子どもに会いたいと今さら言うなんてすごく自分勝手なわけで、むしろアンナを責めるカレーニンに共感。なかなかアンナに共感するのはむずかしい。プログラムで一路さんは、「”身勝手な女性の自業自得”で終わらせたくない、いい意味でも悪い意味でも世間知らずな、常に少女の気持ちで何事にも純粋に向き合い、純粋だからこそ周囲から慕われ、純粋過ぎたがために己の心を押し潰されてしまう。そんなアンナにしたいと思っています。皆さんに共感していただけるようなアンナになれたかどうか、ぜひ見届けていただきたいと思います。」と語っています。自分の気持ちに正直に生きる姿は痛ましいほどに潔く、その代償は大きすぎたのかもしれませんが天国でセリョージャと会える道を選んだアンナにとっては幸せだったのかな。ヴロンスキーと暮らすようになってどんどん満たされない想いが募っていくアンナの姿はつらかったですけどね。列車の汽笛の音と煙の中にアンナの想いは昇華されていきました。アンナの最後の表情、今も心の引き出しの中に残っています。一路さん、綺麗でした。

 千穐楽のカーテンコールを仕切ったのは春風ひとみさん。社交界でアンナとヴロンスキーとの仲を先頭に立って噂するプリンセス・ベッツィーをいやらしく演じていましたがMCは素のからっとした明るさ。制服フェチで伊礼彼方さんの軍服姿にときめいたという内容の話をされました。最後は大千穐楽の名鉄ホール公演にもお越しくださいと、みんなで名古屋へビュンビュン」ってやっていました。おもい舞台のあとでのカーテンコール、ほっとしたひとときでした。

 明後日に宝塚の『アンナ・カレーニナ』ライブビューイングをひかえているので、書きたかったけど書けなかった思い出し日記、ようやく書けました。もう少し書きたいことありますが今日はこれにて。







 明日はハロワ。ド田舎ではなかなかきびしいですが自分を責めたくなるようなことはできるだけ外で考えたい。作業はできるだけ外ですませたいと思うしだい。

自転車で二往復してしまいました

2019年01月21日 22時50分08秒 | 日記
 晴れたり曇ったり雨が降ったりの寒い一日、一時間に一本の巡回バスでは始業開始時刻に間に合わないので通勤できないとわかっている所へ提出する書類を一応特定記録で送るべく、午前中自転車で坂を上って下って郵便局へ。他に払い込みもありました。買い物も少ししてから家に帰ってお昼を食べたあと午後はまた総合病院の中にあるド〇ールに行こうと昨日から決めていました。明後日ハロワ。それまでに今度は一時間に一本の巡回バスで始業開始時刻に間に合う所へ提出する書類のドラフトをパソコンで作りたかった。HPからダウンロードして昨日コンビニでプリントアウトした募集案内を読んだら気力が失せました。論文に面接、提出する書類の書式がまた違う、今度は新しい方から書けという案内。スペースはかなり少ない。はあっ、なんか厳しいなあ、こりゃダメだ。自分の全過去を否定されているような気持ちになってしまいます。

 こういうストレスになるものは外で読みたい、気持ちが追い詰められてくる作業は人のざわめきがある外でやりたい。でも都心と違って徒歩圏内にそんな場所はなく自転車で行けるカフェも限りがある。なのでまだ自転車で走って坂を上っておりてまた走って坂を上っておりて片道25分ぐらいかけて病院内のカフェへ。席をみつけていつも通り飲み物と甘いものを頼もうとしたら、あれ、リュックの中に財布がない・・・、まさかの財布忘れ。お昼に帰ってきたときレシートでパンパンになってきた財布の中を整理したんですね。そのままリュックに戻すのを忘れてしまいました。でも今日中にドラフトを作りたい。こんなド田舎、車がえらそうに走りやがって、たまにある横断歩道は押しボタン式ばっかりで脇道はがたがたばっかりで田んぼに落ちそうになるとこあるし、見晴らしいいから建物みえるのに遠い、ああ遠いほんとに遠い、ほんとに大変、ってつぶやきながら、家に帰って財布を無事に発見。また片道25分かけて病院内のド〇ールを目指しました。気力失せてますけど一応ドラフト準備。足りないところを補うために帰ってきてから年金の加入記録の電子ファイルがあることも確認。ここ4年ほど何回こうして書類を準備して厳しいハードルを越えてきているのか。またこんな険しいハードルを越えなければならないのか。その都度がんばって中味が濃い仕事をしても結局キャリアが継続していかない、書く行数がどんどん増えるばっかりで疲れちゃうね、なんかもう無理・・・。

 気力が失せて帰ってきてからはダラダラと動画みています。今夜はもう忘れましょう。頭の中はエルベと紅カール引きずっています。つらい時ほど笑おう。今夜はもう忘れましょう。明日も雨が降る模様。乾燥しているから助かりますがコンビニにプリントアウトしにいくのが厳しくなります。郷里はわたしがかつて知っていたよりもはるかに車社会。おばあちゃん、なんで子どもらに土地を買う時に駅から遠いと将来不便やよって考えてくれなかったの?半世紀以上前のことそんなことを考える時代じゃなかったから仕方ないか。でかい家と広いお風呂、ありがたい。なんとかやっていくしかないやね。

 今日行ったのはド〇ールですがど田舎にもこんなシフォンケーキをいただけるお店あります。ただし徒歩では厳しい。自転車だと車が危なくって仕方ない。ほんとに危ない、家の近くが信号もなくって車がんがんとばしているから特に危ない。事故にあわないように気をつけながら生きていくことに慣れていくしかありません。

 長々とつまらないひとりごとでした。

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』(4)

2019年01月20日 23時06分00秒 | 宝塚
 まだまだひきずっています。まだまだひたっています。なんだろう、このあたたかい気持ちになれる余韻。寒い寒い冬の夜、次の書類の案内を読んだら心がボキっと折れた夜、先がみえない不安におそわれる夜、あたたかい気持ちになれる舞台を思い出し。

(舞台写真はツィッターから拾いました)



『霧深きエルベのほとり』

オープニングは大階段を使ったビア祭りの場面。楽しかった。あとは儚く切なく・・・。



ビア祭りの日、出会ったばかりのカールとマルギットがハンブルクの街を見下ろす丘の上で「ビールの泡のように いつの日か消える」と歌う場面。朴訥で言葉は荒っぽいけど心根は優しい奴なんだろうなと思わせるカールと全く汚れなく無垢で同時に残酷なまでに無知なマルギット。




二人が幸せだったのは翌日湖上のレストランを訪れる時までの、ほんの短い時間でした。




タキシード姿の紅カールがシュラック家のソファに長すぎる足を投げ出して悪ぶる姿も印象的でした。

ショー『エストレージャス』

三回目のデュエットダンス、妃咲愛里さんの淡いピンク色の衣装は花乃まりあさんが着用されていたものだそうでよくお似合いです。リフトもむずかしそうな振り付けもなく、信頼しあったトップコンビの、しっとりと美しい時間が流れていたダンス。物語では離れ離れになったカールとマルギットが出会って幸せをかみしめながら踊っているようでした。カールの儚く散った夢の続きかな。小顔で手足の長いお二人、見目麗し。人の心に沁みるのは技術ではないのだとしみじみ感じました。振付は若央りささん、わたしの中では永遠のベルナール。



ショーの中詰めの客席降り、SNSの情報を参考にさせていただくとわたしがハイタッチしたのは華雪りらさん、瀬稀ゆりとさん、目の前で踊っていたのが小桜ほのかさん、プロローグの客席降りでハイタッチしたのは朝水りょうさん、彩葉玲央さん、すぐ横で踊っていたのが七星美紀さん。通路をはさんで反対側にお子さんがいたので笑いかけたり握手したりしていらっしゃいました。歌劇の殿堂で一生懸命タブレット端末で写真とっていたお子さんかな。楽しい記憶はずっと心に残るね、大きくなってもきっと体が覚えているよね・・・。

すぐ近くのジェンヌさんたちもみたいし、舞台もみたいし、とにかく目が忙しかった。
客席を盛り上げていたジェンヌさんたちが、紅さんが歌い始めるといっせいに紅さんに顔をむけていたのも印象的。




心の中にはあったかいものがあふれているのに、とってもいい奴なのに、なんか不器用にしか生きられない、損といえばそんな役回りばっかりな奴の心情をかっこよく昇華させてくれる、人間味あふれる紅カール、唯一無二。『金色の砂漠』『神々の土地』と、どうしようもない人間の心を描き、役者を根本から揺さぶる作品を生み出した上田久美子先生だからこその潤色。

「(初舞台を踏んだ第88期生の中で「あの子は間違いなくトップスターになる!」という当時の振付担当の大谷盛雄先生の)予言は的中しましたがその栄光を手にするまでの道程はいらばの道も少なくありませんでした。けれど彼女は苦難の時ほど笑顔を絶やしませんでした。それは時には痛々しくなる程に・・・。多くの経験が彼女自身を大人へと成長させ誰よりも心根が優しく人を思いやれる”人”にさせていったのでしょう。」(『AnotherWorld』『キラー・ルージュ』のプログラムにある齋藤吉正先生のメッセージ)

つらい時ほど笑って、背中丸めずまっすぐに、自分を信じて・・・。



歌劇の殿堂では台湾公演展やっていました。日比谷が遠くなったのさみしいけど、往復の新幹線代分で大劇場日帰りツアーに行けるようになりました。あんなに遠かった歌劇の殿堂がぐっと近くなりました。東京宝塚劇場はチケットとれないし、これからは関西方面での観劇が多くなるかな。















茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_子ども時代という「ユートピア」を去る(2)

2019年01月19日 22時50分00秒 | 本あれこれ
「「 歌ったり、踊ったりしよう」アンはいった。「だれも見ていないから-カモメは告げ回はしないもの。好きなことを思いっきりやるわ」アンはスカートをつまんで、爪先立ちでくるくるまわりつづけた。堅い砂の上を踊りまわっていくうちに、白い泡になって砕ける波に、足首がつかまりそうになった。くるくるまわって、子どものように笑って、入り江の 東側につきだしている岩場まで来た。が、突然、そこで足が止まって、真っ赤になった。アンはひとりきりではなかった。踊ったり笑ったりしているのを見ている人がいたのだ。( 中略)
「 わた……わたしのこと、気でも狂っ たのではないかとお思いでしょうね」アンはつかえながらいって、なんとか落ちつきをとりもどそうとした。こんな子どもっぽいまねをしているところを、この落ちつきはらった娘に見られてしまった なんて -主婦としての威厳を保っていなくてはならないアンが、ブライス医師夫人が-なんと間が悪かっ たのだろう!

 アンはもう子どもではありません。常識ある「大人」として自分が振る舞うべき行動はどのようなものなのかを、彼女はすでに理解しています。子ども時代と同じように、自由奔放に歌ったり踊ったりすることは、きちんとした「大人」としては許されないことだということを、彼女はすでに知っているのです。またもうひとつ、彼女には配慮しなくてはならないこともあったはずです。つまり、ギルバートは医者ですよね。やはり一種、社会的に立派と見なされる職業に就いている人間です。アンはその夫人であり、「ブライスの奥さん」として周囲に認知されている。そういう女性が振る舞うべき行動の規範というものが、世間にはある。さらにもう一歩踏み込んでみると、彼女にはバックグラウンドの問題もありまし た。すなわち、彼女がもともとは孤児院出身だということ。この問題も、やはり隠蔽した方がいいことになっているのではないでしょうか。いわゆる「社会」というところは、このようなことすら気にするようなところだからです。だからこそアンは、バランスということにとても気を遺ってい たはずです。自分が持っていた「子ども」時代の自由奔放な輝きと、社会が容認する「大人」として取るべき行動とのバランスに。

 だから逆に言うと、全体としてこの物語を批評的に読むこともできるかもしれません。いわゆる立派な「社会」というか、そういうものの空虚さ。つまらなさを感じ取る。そういう側面でみると、また違った物語が見えてくるのかもしれません。」

(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』より)

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』(3)

2019年01月18日 22時25分14秒 | 宝塚
 通えないからもし面接に呼ばれても辞退するつもりの応募書類を書き上げた夜、もう少し星組公演のことを語りたい。わたし宝塚愛が復活してから一番気になるのは明日海りおさんなので、紅カールにこんなに気持ちがもっていかれるとは思いませんでした。今すっかり頭の中星だらけ。不思議な読後感ならぬ、観劇後感。紅カールの切なく優しい涙、ショーの三回目のデュエットダンスのトップコンビの、信頼しあい幸せに満ちた表情を思い出すとあたたかい気持ちになれます。ちょっとつらい気持ちにまろやかなミルクティーを注がれてほっとする感じです。36年ぶりの再演、次にまた再演されるのはたぶん何十年も先にまたカールを生きられる役者が現れたらなので自分がこの世にいる間にはもうないだろうなと思います。『Another World』の康次郎さん、紅ゆずるさんの真骨頂だと思いましたがカールもまた真骨頂。素の人間性が垣間見える情にあつい役がお似合いです。この世を旅立つときの心のお土産にまた出会うことができました。

「霧深きエルベのほとり(鴎の歌)

 作詞/菊田一夫 作曲/入江薫

 鴎よ 翼にのせてゆけ
 我が心の吐息を

 遠きふるさとの エルベの流れ
 霧は深く ため息のごと
 岸辺によせる さざ波は
 別れし人の睫毛にも似て
 いつも ふるえる

 鴎よ つたえてよ
 我が心 いまも 君を愛す

 鴎よ つたえてよ
 我が心 いまも 君を愛す」

 オープニングとエピローグでフランクフルト号の甲板に立ってカールが歌う「鴎の歌」。言葉が美しいですね。善悪の対立はなく、誰も死なないし、誰も悪くない、切ない心の物語。星組の担当がまわってきたとき、この作品を紅カールで上演したいと劇団にかけあった上田久美子先生の感性と作品の世界観をこわすことなくリリカルに観客に訴えかけてくる演出、すごいなあと思います。すでに書きましたがふわふわの白いドレスを着たマルギットの白い背中をカールが札束で叩く場面、マルギットの妃咲愛里さんの着こなしがとてつもなく可愛くてきれいなので残酷さがいちだんと際立ちました。マルギットの白い背中を客席にみせながら、こういう際まで迫ってくる演出、上田先生ならではと思います。

 愛里さんのマルギット、お人形さんのように可愛いですがただ可愛いだけではカールとフロリアンのどちらもマルギットの幸せを願う姿を観客が納得できない、観客が違和感なく物語を受け入れられる、無知ゆえの残酷さをもつと同時に無垢で可憐なマルギット。無知と無垢のバランスが絶妙なマルギット。発声が少し気になるかなあというところはありましたが、こうしてマルギットを体現できる人も希少だろうなと思います。

 音波みのりさんが演じるアンゼリカが偶然再会したかつての恋人カールを心配する姿も心に沁みました。カールとマルギットの結婚披露パーティーでは心配そうにカールばかりを見つめていました。夫に内緒でカールに会いにきたアンゼリカに、カールのもとを離れなければならなかった理由を言おうとするアンゼリカの言葉を遮り、「お前が幸せならいいんだよ」ってカールが言う場面もまた切ないものがありました。

 カールとは対照的な礼真琴さん演じる知的で紳士なフロリアン。タキシードの着こなしがとてつもなく綺麗なのが彼の頭の良さをより引き立ていましたが心の中は複雑な人に見えました。マルギットが自分と結婚するのがいやだからだと知りながらマルギットを捜し、街中でみつけたマルギットがカールに惹かれている様子をみて二人のために結婚披露パーティーを開くことを提案したり、カールの心情を読み取って代弁しマルギットに兄のように諭したりする姿の本心はどこにあるのだろうと思いました。「マルギット、おきき」。とてつもなく優しい姿が少しこわいようにも感じられました。マルギットの妹シュザンヌにはマルギットへの気持ちを打ち明けますがマルギットには言わない。カールにゆだねようとする。シュザンヌはフロリアンに惹かれていてその気持ちを打ち明ける。なかなか複雑です。カールがフランクフルト号にのって再び航海へと旅立って行ったのと一足違いで港にやってきたマルギットとフロリアン、ふたりの「カール」「カール」と呼ぶ声がこだましながらセリがさがっていき、フランクフルト号のカールが甲板に姿を現すという演出でした。カールの優しい涙があとになって沁みてくる。複雑なのになぜかあったかい気持ちになれる物語。

 七海ひろきさん演じる水夫仲間のトビアスが水の上に石を飛ばす場面、客席前方は笑いがおきていました。兄を心配してやってきたカールの妹ベティと結婚式をあげて船を降りることを決意し、「あばよ」と去っていく後ろ姿がかっこよすぎました。身分の同じ二人が結ばれたラストが物語にあたたかい花をそえていました。マルギットとカールをさがすカウフマン警部は天寿光希さん、似合います。ビア祭りの場面では水夫仲間たちと酒場の女たちでカップルができていたようだし、カールのようになりたいと飛び込んできた少年の姿も印象的で、どなたが演じているのだろうと気になりますがなかなか全員は認識しきれないのが残念。目が足りません。

 ショー『エストレージャス』は情熱大陸の曲が使われている場面があったみたいですがタカラヅカアレンジでわかりませんでした。そのほかJPOPは聞いたことある気がするけどあまりわからずでした。トップコンビの二回目のデュエットダンスはタンゴ、衣装が舞台でみるとキラキラ、キラキラ、眩しすぎるほどでした。それから客席降りもあり全員が紅さんを見つめながら盛り上がる場面、広い大劇場の舞台も客席もあったかであつい空間になっていました。紅さんが「歌って踊って発散したほうがええでぇ」って言ってくれました。東京ではなく関西にいるのだと実感。トップコンビがとてつもなくラブラブだったり、紅さんが礼さんを後ろからハグしたり、こんなふうにみんなが真ん中で歌うトップスターをみつめたりじゃれあったりするの、星組だけかな。楽しい時間でした。

 まだ語るかもしれませんがこのへんでやめておきます。













舞台写真はツイッターから拾いました。





















 

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』(2)

2019年01月17日 22時53分24秒 | 宝塚
「星組宝塚大劇場公演
『霧深きエルベのほとり』で、
紅ゆずるが追い求めるものとは?
現在、宝塚大劇場で上演中の星組公演『霧深きエルベのほとり』『ESTRELLAS(エストレージャス) ~星たち~』、もうご覧いただけましたでしょうか?
『霧深きエルベのほとり』で、主人公の船乗り・カールを演じるトップスター・紅ゆずるが稽古中にずっと考えていたこと、それは「男らしさとは何か?」だったそうです。
荒っぽい言葉遣いとは裏腹に、自分よりも周りの人の心を尊重するカール。愛する人のためなら自らの想いをしまい込み、身を引くことも厭わない人物です。再演を重ね、お客様やスタッフの心の中に様々な「カール像」が存在する、そんな主人公を自分なりにどう創り上げていくのか?を模索する中で、改めて「男らしさ」について深く考えるようになったのだとか。
紅ゆずるがカール役に込めた「男らしさとは何か?」の答えとは、果たして…? ぜひ劇場でお確かめくださいね!」
(1月13日付宝塚歌劇公式フェイスブックより)


 『霧深きエルベのほとり』、初演は半世紀前。36年ぶりの再演。プログラムの紅ゆずるさんのインタビューには、「稽古が始まり、今感じるのは、言葉の力・・・台本の持つ力の凄さです。」とあります。カールが、自分のことを「俺じゃない、ぼく」と言い直す場面どこだったかな。知的でスマートなフロリアンとは対照的に水夫のカールは武骨でかっこよくない。衣装と紅ゆずるさんの着こなし具合、かっこよくみえないようにしているのかな。ジーパンのだぼつき具合とか横縞のTシャツのこなれ具合とかタキシード姿もほんとはかっこよく着こなせるのに慣れないものを着せられているようにみえて、良家のマルギット、フロリアンとは対照的にみえるようにうまくつくっているなあと私的には思いながらみていました。ストーリーは単純なので、一歩間違えれば総崩れになりそうな繊細な物語。演者自身の人間性に問いかけてくる物語。『金色の砂漠』『神々の土地』と上田久美子先生の作品の世界観に通じるものがあるように思います。ひとつひとつの言葉が繊細で、古めかしく感じる台詞が響いてきました。カールとマルギットの二人が一夜を共にした翌日湖上のレストランで、カールが一般席に移ろうと言うのを、マルギットが「家を出るときにもってきたお金があります。わたしにお支払いをさせてください」と言ってカールを一等席にひきとめる場面。マルギットは、カールを傷つけていることに気づかないまま偶然出会った上流階級の知人たちにカールを紹介していきます。カールは湖上レストランでかつての恋人アンゼリカに再会。アンゼリカはマルギットの知人ロンバルトと結婚し上流階級の一員になっていました。カールの中にはアンゼリカへの想いが深く残っていたのかな。お互いに驚きながらまだ思いあっているような雰囲気がカールとアンゼリカには漂っていてこれまた切ない世界観でした。マルギットの父親から手切れ金を受け取ったカールがマルギットに嫌われるようにふるまう場面で、カールは湖上のレストランでマルギットに恥をかかされたことを持ち出します。残酷だなあと思いました。どうなんていくんだろうっていう息をのむような展開はなく心が織りなす彩。観客が違和感なく物語の世界に浸れるのは、観客をひきこむ力に長けている紅カール率いる星組生の技量、紅マジックですかね。冷静にみると不思議な世界観。脚本を読みたいと思うなら「ル・サンク」を買わないとですね。かつてのプログラムには脚本も掲載されて600円でしたが、今はプログラムに脚本載っていないなあと思ったら「ル・サンク」に載っていると知ったのは一年前かな。

 オープニングは、フランクフルト号でカールが「鴎の歌」を歌って登場したあと、華やかに大階段を使ったビア祭りの場面。ドイツの民族衣装に身を包んだ星組生たちが次々と登場して楽しい幕開け。これが最後の紅ゆずるさん、礼真琴さん、七海ひろきさんのトライアングル。SNSにあがっている情報を参考にさせていただくと、客席降りでやさしくタッチしてくれた男役さんはひろ香祐さん、娘役さんは音咲いつきさん、かな。娘役さんにウィンクしていたのは夕渚りょうさん、かな。全員を認識はできていないのでプログラムとにらめっこしています。みなさん小顔で華奢でした。


ピアノが奏でるテーマソング、繰り返し歌われてきているのでしょう。幾度となく耳にしているように思いました。



テーブルが空いていなかったのでおばさんの汚い手がうつっていますが、開演前に公演デザートいただきました。



ショーはテレビでみたときよりもずっと綺麗で華やかでした。



花のみち









次の居場所に出会うためには明日も手書きで書類作成。今日3時を過ぎてようやく外で始めることができました。気持ちつらくなってくる作業。康次郎さんの蓮の舟に乗ってきたのだから大丈夫、きっとなんとかなるからだ大丈夫。そう言い聞かせて明日もめげずに続けます。


星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』

2019年01月16日 22時52分05秒 | 宝塚
 あらためて思い出し日記。

 単純だけど深い心の物語。プログラムの上田久美子先生のメッセージを読むと紅ゆずるという役者を得て、「いつか時機と人を得たらこの素晴らしい宝塚の遺産をもう一度現代のお客様にお目にかけたいと夢を描いていた」との思いが叶ったとのこと。『Another World』に続いて演出家の、いつかタイミングと人を得たら上演したいとの思いを昇華させた紅さん、ライブビューイングでみた『スカーレット・ピンパーネル』『ベルリンわが愛/ブーケド・タカラヅカ』『サンダーボルト・ファンタジー/キラー・ルージュ』、東京宝塚劇場でみた『Another World/キラー・ルージュ』。いずれも、星組を自分が守るんだという紅さんの心が、舞台と劇場にあふれていると感じました。全く違うのにどの役も素の紅さんが滲み出ていると観客に感じさせるところがすごいなあと思います。

 『霧深きエルベのほとり』のカールとマルギット、二人がビア祭りで出会った時から、「ビールの泡のようにいつの日か消える」と歌っているので、はかないものだということはみていてわかってしまう。マルギットが良家の令嬢で、フロリアンという、自分とは正反対の紳士な婚約者がいることを知ったカール。マルギットが自分を嫌いになるようにわざと悪ぶって、マルギットの父親から渡された手切れ金に目がくらんだふりして悪態をついて白いドレスを着たマルギットの背中を札束で叩くまでするのが痛々しかった。カールに裏切られたと知り、怒りと悲しみに震えながらピアノを弾くマルギット(マルギットの妃咲愛里さんが本当にピアノを弾いていたので説得力ありました)。舞台の盆が回って、実はその音色を窓の外で聴いていたカールが姿を現します。「マルギット、幸せになれよ」って言いながら、紅カール涙を流しているのでみているこっちも涙がでてきちゃうじゃないですか。酒場のヴェロニカに「マルギットって呼んでいいか」ってきいて、「マルギット、お前のことが好きなんだよ」って何度も言いながらヴェロニカの膝の上で泣くカール。紅カールの切ない涙が広い大劇場の空間を満たしていました。カールはかっこよくない。ポスター画像とプログラムの表紙の紅さんめちゃくちゃかっこいいですけど、舞台の上のカールはかっこ悪いと思いました。かっこよくみえたらこの物語のカールではない。男役が演じるにはヒーロー的なかっこよさはどこにもないカール。マルギットは無知ゆえの残酷さと背中合わせの無垢なな可愛らしさにあふれたお嬢さん。さじ加減がむずかしいところを可憐な容姿に助けられながら可愛く演じていた愛里さん。世間知らずの無邪気さが武骨なカールにも臆することなく接して思ったことを素直に口にしていく。そこにカールはいつの間にか惹かれていったのかな。単純なようでトップコンビのお二人の信頼関係がないと成立しない、難しい世界感だなと思いました。

 ショー『エストレージャス』では、煙草をくわえた紅さんがかっこよく登場したり、デュエットダンスでは愛里さんを迎える笑顔と包み込む笑顔がとてつもなく優しかったりと芝居では結ばれなかったカールとマルギットがショーではとびっきりの笑顔で寄り添いあっているようでした。とてつもなくあったかい空間になっていました。 

 温故知新ということを紅さん、この作品に対して、どこかで話されていました。古きをたずねて新しきを知る。おばさんのわたしよりもずっと年下ですが人として尊敬できるトップスターさん。一人でも多くの方に生で紅カールの涙に触れてほしいなと思います。こんな奴いるけどいないでしょ。わたしももう一度みたいなあ。




決めていた通り「くすのき」でお昼を食べました。満席と出ていましたが11時からの貸切公演の幕間までだったら入れますということで、歌姫という御膳とコーヒーをいただきました。






「くすのき」の窓からの眺め。








バウホールでは『アンナ・カレーニナ』上演中。






大劇場のお城感に感激。


















宝塚歌劇の殿堂の画像はまた後日、ぼちぼちと。

明日は1995年の阪神淡路大震災から25年。いつまた大きな自然災害がやってくるかわかりません。こうして大劇場で無事に観劇できたことに感謝。観劇を楽しめる平和が続くようにと祈ります。



できることからやっていく

2019年01月16日 17時30分47秒 | 祈り
 時折空が雲におおわれる午後、断捨離は家でしかできませんが家にいると、夜になるとこのまま社会に戻れないのではないかと不安の波がおそってくるのでハロワにまた行きました。通勤できないけれど応募してみようかという気持ちになれた業務に応募するための紹介状をいただき、書類のドラフトにアドバイスもしてもらいました。終わったら、もうひとつ通えるところで気になる業務に応募するための書類を次に作成します。ウルトラハードだった前職の経験が生きてくるかどうか腕試し。考えこんでいるとうつうつと辛くなりばかりなり。やれることからやっていくしかないのだと言い聞かせます。

 「2005年4月16日(土)

 昨夜整体に行ったおかげか、今日はかなり身体が楽だ。こういうものに頼らないで、自分の力で治していきたいと思ってずっと我慢してきたが、やはり必要なようだ。
こんなに無理をし続けてきたのか、させられてきたのか、とあらためて感じる。
この小さな身体の中には、言いたいことがいっぱいあふれている。言えないまま、言う場所のないまま、いつも心の中に抱き続けている。
矛盾から生じるひずみを受けるのはいつも弱者だ。
私は身体をはって、緊張感を抱き続けて自分を守っていかなければならない。神経症になるのも無理はない。
だってこんなに一生懸命生きているんだもの。
どんなに身体がいやだと言っても、これ以上ここにいたら病気になりそうだと思っても、そうやって仕事を辞めても次の仕事がなかなか見つからない、という人がいるというY先生の話。苦しいのは私だけではない。
自分の生産的な力を信じ、少しばかり薬の力を借りても私は前に進んでいく。
そして、社会の生産的な営みに何らかの形で関わっていきたい。私には目指すべき立場、仕事がきっとある。
あせることはない。私に必要なことは向こうから手招きして呼んでくれる。
私がなんとかこうして生きていられるのは、なんだかんだいいながら、気持ちを前に向け、負の部分も受け入れながら活動しているからだ。
薬にたよってしまっているが、キツイのだから、それも必要なことだと受け取めよう。私は本当によくがんばっている。愚かだった20代のみそぎは終わった。次のステップへと踏み出して行こう。
明日は精神保健福祉士養成講座のガイダンスだ。」


 国家試験の勉強を始めた頃、自分の中にこんな熱い思いもあったことを忘れていました。そんなに熱い思いも要らないですけどね、かといって全くなくてもやれない援助職。駅から徒歩30分、一時間に一本の巡回バスがたよりの私にまた居場所はあるのか。応募してみようと思える求人があるだけまだ私にとっては幸いなり。後ろを向き始めればきりがありません。上をみてもきりがないけれど下をみてもきりがないのだと前職でよくわかりました。ほんの一歩でも前に進むべく、やれることから少しずつ。歌劇の殿堂で康次郎さんの大切な蓮の舟に乗って写真撮ってきました。きっといいこともある、大丈夫!!

 ハロワ帰りのカフェで成仏しきれていない気持ちのつぶやきでした。